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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第60話 月曜の昼、変わらない宝物

月曜の朝は穏やかに晴れていた。


 土曜日のことを、ときどき思い出す。

 飲み物を取りに戻った廊下で、ドア越しに聞いてしまった声。

 部屋に戻った俺を迎えた、あの完璧すぎる四つの笑顔。

 日曜は溜まった課題に費やして、あのときの空気のことは考えないようにしていた。

 それでもふとした瞬間に——プリントをめくったときとか、窓の外をぼんやり眺めたときとか——あの笑顔の下にあった張り詰めた声が耳の奥に蘇った。


 通学路の風が制服のシャツを通り抜けていく。

 いつもの月曜、いつもの朝——のはずだった。


「おっはよ、誠!」


 背後から、甘い柑橘の匂いがして、腕を取られた。

 一花さんだ。


「朝から元気だな」


「当然でしょ? 月曜なんて気合入れないとやってらんないし。それに、あたしは誠の顔見ないと一日が始まんないから」


「だからって、朝から人に突撃してくるなよ。びっくりするだろ」


「えー? 誠の背中が無防備だったからつい、ね」


「……で、いつまで腕組んでるつもりだ?」


「学校着くまで! ほら、急がないと遅刻するよー」


 笑って、さらにぎゅっと腕を抱えてくる。

 いつもの距離感——のはずなのに、指先にかかる力がいつもより強い。

 絡みつくのではなく、掴むように。

 手放さないように。

 腕を組むというより、しがみつくことに近かった。


「なあ、一花さん。腕、ちょっと痛いんだけど」


「え? ……あ、ごめん」


 ぱっと力が抜けた。

 一花さんは自分の指先を不思議そうに見下ろして、それからすぐにいつもの顔に戻る。


「ごめんごめん、そんなに力入ってた?」


「入ってた。もう少しで折れるところだった」


「大げさだなぁ、誠は」


 けれど数歩も行かないうちに、袖を掴む指はまた同じ強さに戻っていた。


「ねぇ、土曜は楽しかったよね」


「ああ、楽しかったな」


「でしょー? またみんなで行こうよ」


 声は明るい。

 でも腕にかかる力の入り方が、笑い方と噛み合っていない。

 ふだんなら相手の反応を見てからかう余裕のある子だ。

 今朝はその余裕がなかった。


 何を抱えているのかはわからない。

 ただ、いつもと違うことだけはわかった。


 校門が近づくと、一花さんは自然に腕をほどいた。

 指が離れる瞬間、爪の先がシャツの袖をかすめて、ほんの一拍だけ名残が残った。


「じゃね、先行くよ!」


 振り返ったときにはもう笑顔で手を振っていた。

 変わらない笑顔だった。

 でもその声が——大切なものを確かめるように響いたのは、気のせいじゃない。

 腕を取られた感触だけが、しばらくシャツの袖に残っていた。


  ◇


 昇降口で、二葉さんが靴箱の前に立っていた。

 靴をとうに替え終えているのに、まだそこにいる。

 手には小さなコンビニの袋がぶら下がっていた。


「おはよう、二葉さん」


「マコト。朝食はちゃんと摂ったの」


 問いかけというより確認だった。

 俺が答える前に、小さなコンビニの袋が差し出される。


「いや、まだだけど」


「やはりね。昨日は夜更かししていないでしょうね」


「してないよ。普通に寝た」


「ならいいわ」


 袋の中身はおにぎりが二つ。

 梅昆布——俺がいつも選ぶやつだ。


「……わざわざ?」


「テスト期間の管理は終わったけれど、放っておくと食生活が崩れるのは目に見えているわ。義務よ」


「これ、いくらだった?」


「不要よ」


「そういうわけにはいかないだろ」


「いいから。ついでに買っただけだから、気にしないで」


 義務。

 二葉さんの好きな言葉だ。

 でも義務で、人の好みのおにぎりまで覚えるだろうか。

 コンビニの棚の前で、何種類も並ぶ中から迷いなく梅昆布に手を伸ばす横顔が浮かんだ。

 たぶん、迷いすらしなかったのだろう。


 袋を受け取ると、二葉さんの指先が一瞬だけ触れた。

 手を引くのが、わずかに遅い。

 耳の先が、かすかに赤い。

 本人は、たぶん気づいていない。


「ありがとう。助かるよ」


「当然のことよ」


 それだけ言って、二葉さんは先に歩き出した。

 背筋のまっすぐな後ろ姿。

 けれど歩調がいつもより丁寧で、振り返りたいのを堪えているぎこちなさが背中に透けていた。


 手のひらの中で、おにぎりの袋がかさりと鳴った。

 受け取った袋の持ち手には、ほんのりと彼女の体温が残っていた。

 ずっとこれを握りしめて、ここで待っていてくれたということだ。

 梅昆布の味を想像しながら、靴を替える。

 帰りにでも、ちゃんとお礼を言おう。


  ◇


 教室に入ると、三桜さんはもう席にいた。

 珍しい。

 朝が弱いから、ふだんなら予鈴ぎりぎりに駆け込んでくるのに。


「おはよう、誠くん!」


 振り向いた三桜さんの目がまっすぐだった。

 ふだんの三桜さんなら、こちらに気づくと照れて視線を泳がせてから笑う。

 今朝は迷いがない。

 何かを決めた後の、すっきりした顔をしていた。

 寝坊助のこの子を、ここまで早起きさせた何かがあったのだろう。


「おはよう。今日は早いな」


「えへへ、ちょっとだけ早く目が覚めちゃって」


「三桜さんが朝から起きてるなんて、明日は雪かもしれないな」


「むー、失礼だなぁ。私だって、やるときはやるんだよ」


 照れたように前髪を指でいじった。

 でもその奥にある目の光が、以前より強い。


「あのね、誠くん。今日、お弁当作ってきたの」


「お、本当に? それはすごいな」


「うん、がんばったんだよ! 中身は、開けてからのお楽しみ!」


 鞄から弁当箱をちらりと覗かせた。

 包みの布が、三桜さんらしい淡い花柄だった。

 その手つきが、やけに自信に満ちている。


「お昼、中庭で一緒に食べてくれる?」


「ああ、もちろん」


 三桜さんの頬がぱっと明るくなった。

 嬉しいのが全身から溢れている。

 目が細くなって、口元がゆるんで、肩まで嬉しそうに上がっていた。

 それがこの子のまっすぐさで、ときどき眩しくなる。


 一花さんの強い指。

 二葉さんの丁寧な歩調。

 三桜さんのまっすぐな目。

 三人とも、土曜の前とは何かが変わっている。

 何があったのかは知らない。


 聞いても、きっと教えてもらえないだろう。

 でも——嫌な変化じゃなかった。

 どこか覚悟を決めたような、そんな空気だった。


  ◇


 昼休み、中庭のベンチで三桜さんの弁当を広げた。

 蓋を開けると、彩り豊かにおかずが綺麗に並んでいた。

 さっそく卵焼きを箸でつまんで、一口食べる。


 ——出汁が利いていて、甘くない。

 俺の好みに、ちゃんと合わせてくれていた。


「おいしいよ」


「ほんと……!? えへへ、よかったぁ」


「しょっぱいの、覚えててくれたんだな」


「うん、誠くん、卵焼きは甘くないほうが好きって言ってたから」


「助かるよ。すごく、好みの味だ」


 三桜さんが両手を胸の前で握って、嬉しそうに目を細めた。

 こちらの箸の先を、じっと見ている。


「センパーイ! お昼ですかー!」


 篠崎が、一年の校舎のほうから駆けてきた。

 手には、コンビニの袋を揺らしている。


「メロンパンと、カフェオレです! 月曜は元気出さないとですよね!」


「また差し入れか。テスト期間はもう終わっただろ」


「テスト関係ないです! センパイに元気でいてほしいだけです!」


 真正面から、駆け引きなんかない。

 この子の好意は、いつだって剥き出しだ。

 テスト前夜に校門の前で一時間も待っていてくれた日のことを、まだ覚えている。

 あれは、後輩の懐きなんかじゃなかった。

 差し入れのたびに俺の好みをちゃんと選んでくるのは、もう偶然では済まないと、とっくに気づいていた。


 ふいに二葉さんが現れた。

 教科書を抱えたまま。


「外の空気が吸いたかっただけよ」


 偶然にしては、視線がちらりと篠崎の袋に触れている。

 教科書を抱える腕に、わずかに力が入ったのが見えた。


「おっ、奇遇じゃん! あたしもー」


 一花さんも、スマホ片手に反対側から歩いてきた。


「……三人揃って奇遇ってことあるか?」


 呆れて呟いた俺に、一花さんは悪びれもせず笑う。


「いいじゃん、細かいことは気にしないの。ほら、ちょっと詰めて」


 偶然が三つも重なるわけがないけれど、それ以上は突っ込まないでおく。

 ベンチの端に腰を下ろしながら、篠崎が少しだけ唇を尖らせた。


「センパイと二人でお昼したかったんですけどー」


「最初に割り込んできたの、あんたなんだけど」


「……それとこれとは、別ですっ」


 篠崎がメロンパンを割って差し出し、一花さんが「あたしも!」と手を伸ばし、二葉さんが「食べすぎよ」と窘めた。

 五人分には足りない小さなベンチだ。

 肩と肩がぶつかるくらい窮屈なのに、不思議と居心地は悪くなかった。


 一花さんが篠崎のカフェオレを横からストローで奪い、篠崎が「あーっ!」と声を上げた。


「返してくださいー!」


「早い者勝ちでしょー」


「ずるいです、綾瀬先輩!」


「いいじゃん、一口くらい。あ、これ甘くておいしー!」


「あっ、それ私がセンパイと半分こしようと思ってたのに!」


 一花さんはどこ吹く風でストローから口を離す。


「一花。行儀が悪いわよ」


「二葉だって、さっきから誠のメロンパンじっと見てるくせに」


「……別に、見てなどいないわ」


 二葉さんは咳払いをひとつして、今度は篠崎のほうへ向き直った。


「篠崎さん。マコトの栄養管理は私の担当よ。菓子パンと甘い飲み物を並べて渡すのは、感心しないわ」


「ちゃんと考えて選びました! 疲れてるときは甘いものが効くんですから」


「その根拠は?」


「……私の実感です!」


「実感て」


 一花さんが噴き出して、篠崎が「なんでですかー!」と抗議した。


 三桜さんが「はい、誠くん」と卵焼きをもうひとつ差し出すと、篠崎がすかさず身を乗り出した。


「私にもください! センパイの食べているものは全部チェックします!」


 篠崎が堂々と宣言して、あーんと口を開けて待ち構える。

 三桜さんは少し迷った末に、照れたように笑ってその口へ卵焼きを運んであげた。

 篠崎がもぐもぐと咀嚼する。

 三桜さんは、その様子を息を詰めて見つめた。


「あ、しょっぱい。……おいしいです!」


「でしょ……えへへ」


 三桜さんがほっとしたように笑う。


「ずるい! 三桜、あたしにも一口!」


 今度は一花さんがすかさず身を乗り出した。


「ダメー! 残りはもう絶対、誠くん専用!」


「えー、ケチー」


「じゃあ私は、いつかセンパイの胃袋を丸ごと掴みますから」


「宣言してから掴むやつがあるか」


「……まったく。騒々しいわね」


 二葉さんがため息をつきながらも、小さく口元を緩めていた。


 騒がしくて、笑い声が絶えない。


 六月の風が、ベンチの上を通り抜けていった。

 木漏れ日が、五人の膝の上で揺れている。

 ふと、思った。


 ルナの正体が、気になっていたはずだった。

 三姉妹の誰かが本物のルナで、いつか答えを見つけなきゃいけないと思い込んでいた。

 でもいま四人の声を聞いていると——あの問いの重さが、以前とは違っていることに気づく。


 重さが消えたんじゃない。

 目の前にあるものの重さが、いつの間にか上回っていた。


 三人のことを大切に思っているのは、ずっと前からだ。

 今日わかったのは、そこにもうひとり加わっていたことだった。


 四人が笑い合う、この騒がしくて心地よい時間。

 全部ひっくるめて——目の前のこの景色が、俺の宝物だ。


 謎を解くことより、この日常がずっと大切になっている。

 いつからだろう。

 たぶん、ずっと前から気づいていた。

 ただ言葉にしていなかっただけだ。


 予鈴が鳴って、四人が慌ただしく立ち上がった。


「午後もがんばりましょう、センパイ!」


「お前もな。午後の授業、寝るなよ」


「寝ませんよぉ!」


 篠崎が敬礼して走っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、一花さんが楽しそうに笑った。


「あー、面白かった。あたしたちも行こー」


 一花さんが大きく伸びをして、二葉さんが教科書を抱え直す。


「マコト。あなたこそ、午後の授業で居眠りしないようにね」


「……はいはい。わかってるよ」


 三桜さんが弁当箱の蓋をぱちんと閉じて、こちらを見上げた。


「また明日も、作ってくるね」


「ああ。楽しみにしてる」


 三桜さんが小さく頷いて、弁当箱を大事そうに鞄にしまった。

 その手つきが、蓋を開けるときよりも丁寧だった。


 空を見上げた。

 月曜の空は高くて、雲の切れ間から穏やかな日差しが落ちてくる。

 この賑やかな日常が、ずっと続けばいい。

 心からそう思った。

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