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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第50話 唐揚げの匂い、広い家に無いもの

テスト四日前の勉強会が二時間で一段落しても、四人は誰も帰ろうとしなかった。

 初めて上がる俺の家、六畳間しかない狭い部屋で、座卓を囲んだまま動く気配がない。

 鍵を開けるときは、あれだけ身構えていたのに。


 母さんに呼ばれて大皿を取りに行き、戻ってくると、参考書はもうきれいに端へ寄せられていた。

 揚げたての唐揚げは、五人で、あっという間に半分になった。

 一花さんが「うっま」と目を丸くして、二葉さんが、静かに二つめを取り、三桜さんはもう三つめに手を伸ばしている。

 篠崎が「センパイのお母さん、お店みたいです」とほくほく頬張るのを見ていると、別に自分が揚げたわけでもないのに、口元がゆるむ。


「お母さんのお手伝い、してきます!」


 篠崎が突然立ち上がった。

 空いた皿を両手で持って、にっと笑う。


「片付けとか洗い物とか、得意なんです。ごちそうになったし!」


「いいのに、篠崎」


「ダメです! ちゃんとお礼しないと」


 そう言って、篠崎は、ぱたぱたと部屋を出ていった。

 ドアが閉まる。

 廊下を小走りに駆けていく足音が遠ざかって、階下で母さんの「あら、いいの?」という声が、かすかに聞こえた。


 ――急に、静かになった。


 さっきまで五人でぎゅうぎゅうだった六畳間が、ひとり減っただけで、ぽっかりと広い。

 座卓の上には、唐揚げの残りと使いかけのノート、篠崎の消しゴムのかす。

 さっきまでの賑やかさだけが、空気の中に残っている。


 窓の外は、すっかり暗くなっていた。

 夕暮れの茜色はとうに消えて、向かいのマンションの窓明かりが、ぽつぽつと浮いている。


 一花さんが座卓に頬杖をついて、部屋を見回していた。


「ねえ」


 声のトーンが、ひとつ落ちていた。


「誠って、あのプラモ自分で作ったの?」


 視線の先を追うと、本棚の上の隅に、埃をかぶった戦闘機のプラモデルがあった。

 小学四年のとき、母さんと一緒に買いに行ったやつだ。

 デカールが一枚足りなくて、尾翼だけ、白いまま放ってある。


「ああ。小学校のとき。ちゃんと完成してないけど」


「ふうん」


 一花さんが立ち上がって、本棚に近づいた。

 指先で、そっと機首をなぞる。

 灰色の埃が指についた。


「汚っ」


「触るなよ」


「いやいや、埃すごいんだけど。何年モノよこれ」


 笑いながら指を振って、でも視線は戦闘機に残ったままだった。

 白い尾翼を、もう一度だけ指でなぞる。


「……お母さんと買いに行ったんだ」


「ん。まあ」


「いいじゃん」


 語尾だけが、すうっと消えた。

 茶化す声の形はそのままなのに、中身がどこかに抜けている。

 一花さんはしゃがみ込んで、棚の下の段に目を落とした。

 俺からは、表情が見えなかった。


 階下から、食器を洗う水音が聞こえた。

 篠崎と母さんが、何か話しているらしい。

 笑い声が遠く混じって、また、水音に溶ける。


 二葉さんがその音に、ふと顔を上げた。


 本棚の横の壁に背を預けて、座っている。

 文庫本と参考書と漫画と攻略本が隙間なく詰まって、どの背表紙も、手垢で色が変わっていた。

 読み込まれて膨らんだ文庫の隙間に、母さんの字で名前を書いた古いノートが、一冊挟まっている。


 二葉さんの指が、その背表紙に触れかけて止まる。


 階下で、足音がした。

 母さんの足音だ。

 台所からリビングへ歩いて、何かを棚にしまって、また台所へ戻る。

 何気ない生活の音が、薄い床越しに、ここまで届く。


「……いつも、こうなの」


 二葉さんが呟いた。

 俺を見ていない。

 階下の気配を、聞いている。


「何が?」


「家のどこかに人がいて、足音や食器の音がする。そういう家なのかと聞いているの」


 いつもの、淡々とした声だった。

 でも問いかけではなかった。

 確かめるように、言葉を置いている。


「普通だろ。母さんが台所にいるだけだ」


「……そう。普通、なのね」


 二葉さんが小さく頷いて、目を伏せた。


「私は、整然とした場所のほうが好きだけれど」


 誰に言うでもなく、そう付け足す。

 膝の上に載せた手が、スカートの布を、きゅっと握っている。


 階段を上がる足音がして、ドアが、こんこんと鳴った。


「誠、おかわりあるわよ。皆さんまだいるでしょう?」


 母さんがドアを少し開けて、顔を覗かせた。

 追加の唐揚げを載せた小皿と麦茶のグラスを四つ、お盆に並べて運んでいる。

 油のいい匂いが、ドアの隙間から流れ込んだ。


「遠慮しないでね。揚げすぎちゃったから、食べてもらえると助かるの」


 母さんは三人に、ぺこりと会釈して、お盆を座卓に置いた。

 三桜さんの前のグラスに麦茶を注ぎながら、ふと、目が合う。


「あなたが三桜ちゃんね。誠から聞いてるわよ」


「えっ、誠くんが私のこと!?」


「テスト範囲が分からないって困ってたって」


「……そっち」


 三桜さんの肩が、がくっと落ちた。

 母さんが、くすっと笑って、一花さんにもグラスを差し出す。


「たくさん食べてね。好き嫌いある子いる?」


「ないです。おいしいです、おばさま」


 一花さんの声が、さっきまでの軽口とは別人のように、かしこまっていた。

 母さんは「おばさまなんて、やめてよぅ」と手をひらひら振って、二葉さんにも目を向けた。


「二葉ちゃんも遠慮しないでね。暑かったらエアコンつけてもらいなさい」


「……ありがとうございます」


 二葉さんが、わずかに頭を下げた。

 低く、少しだけ掠れた声だった。


「みんな、いい子ねえ。誠にはもったいないくらい」


「余計なこと言わなくていいから」


「本当のことでしょう」


 母さんは笑って手を振って、ドアの向こうに消えた。

 スリッパが階段を下りていく、ぱたぱたという軽い音。

 それだけの足音が、不思議と、部屋に残った。


 三桜さんがグラスを両手で包むように持って、しばらく、黙っていた。

 唐揚げにも手をつけない。

 窓の外を見ている。

 向かいのマンションの明かりが、三桜さんの横顔を、ぼんやり照らしていた。


「……ねえ、誠くん」


 いつもの、弾むような声ではなかった。


「ん?」


「うちってね、広いんだ」


 グラスの縁を指先でたどりながら、三桜さんが言った。


「リビングも自分の部屋も、全部広くて。でも……」


 言葉が途切れた。

 一花さんが本棚の前で顔を上げて、二葉さんが、静かにこちらを見ている。


「広い家って、静かなの。誰の足音もしないし、壁の向こうに誰かがいる気配もしない」


 三桜さんがグラスから手を離して、膝の上に置いた。

 指先が、かすかに震えている。


「お母さんの鼻歌とか、唐揚げの匂いとか、おかわりあるよって声とか。こういうのが、ずっと欲しかった」


 笑おうとした。

 うまくいかなかった。

 唇の端だけが持ち上がって、すぐ力を失くす。


 一花さんが黙ったまま、視線を落とした。

 二葉さんは壁に背を預けて、天井を見上げている。


 三人が同じことを感じているのだと思いかけて、やめた。

 多分、少し違う。


 一花さんが触れていたのは、埃をかぶったプラモの向こう側にある、子どもの頃の手触りだ。

 二葉さんが耳を澄ましていたのは、壁越しの足音がつくる温度だった。

 三桜さんが欲しかったのは、そのどちらよりもっと手前にある。


 ただ人がいて、音がして、声がする。

 何でもない家の、何でもなさだ。


 気の利いたことなんか出てこなかった。

 この六畳間が、俺が当たり前だと思っていた狭さと騒がしさが、三人にとってはそうじゃなかった。

 それだけが、じわりと胸の底に沈んだ。


「……唐揚げ、冷めるぞ」


 ようやく絞り出したのは、そんな一言だった。


 三桜さんが目をぱちぱちさせて、それからふっと笑った。

 今度は、ちゃんとした笑顔だった。


「うん。食べる」


 三桜さんが唐揚げをひとつ取って、ぱくりと頬張る。

 一花さんが「あ、あたしも」と手を伸ばして、二葉さんも無言で、麦茶に口をつけた。


 静けさが少しほどけたとき、階段をどたどたと駆け上がる足音がした。


「お腹空いた〜!」


 ドアが勢いよく開いて、篠崎が飛び込んできた。

 袖をまくったまま、髪の先に、泡がひとつついている。


「お皿全部洗いました! おばさまが杏仁豆腐もあるって言ってます! 皆で食べましょう!」


 三桜さんが吹き出した。

 一花さんが「篠崎さん、泡ついてる」と笑って、指さす。

 二葉さんがそっとハンカチを差し出して、篠崎が「わっ」と慌てて頬を押さえた。


「先輩たちも早くしないと、私が全部食べちゃいますよ」


「あんた、どんだけ食べる気なの」


「育ち盛りですから!」


「マコトの分は残しておきなさい」


「行こ行こ! 誠くん、キッチン!」


 三桜さんが俺の袖を引っ張って、立ち上がる。

 さっきまでの静けさが嘘みたいに、また六畳間が騒がしくなった。


 廊下に出ると、階下から、母さんの声が聞こえた。


「誠ー、お椀足りないから出してー」


「はいはい」


 五人ぶんの足音が、狭い階段をばたばたと下りていく。

 その音を聞きながら、三桜さんがちらりと振り返った。

 何も言わなかった。

 ただ笑っていて、目がほんの少しだけ赤かった。


 この家の狭さと騒がしさが、今夜だけは、誰かをほんの少し温めている。

 そんな気がした。

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