第48話 日曜のモール、便利屋の三桜
日曜の昼下がり、ショッピングモールは家族連れやカップルでごった返していた。
「誠くん、こっちこっち!」
三桜さんが人波の隙間を縫って、ぱたぱたと小走りに先を行く。
淡いクリーム色のカットソーに、裾の広がったスカート。
人混みのなかで、そこだけ色がやわらかく見えた。
カーディガンの袖が指先まで余っていて、手を振るたびにひらひら揺れる。
「そんな急がなくても、店は逃げないって」
「だってぇ! 期間限定のクレープ屋さんなんだよ? 売り切れちゃったら来週まで待てないっ」
振り向いた三桜さんの目が、子どもみたいに輝いている。
昨日の夕方に「誠くん、明日ヒマ? 甘いもの食べにいこ!」と一行だけ届いた。
あのまっすぐさを前にすると、断るという選択肢が最初から存在しない。
人混みが急に厚くなった瞬間、三桜さんの足がもつれた。
慌てて俺の腕をぎゅっと抱え込んで、下から覗き込んでくる。
「……ごめん、人多くてちょっと怖い」
「いいから。はぐれないようにそのまま掴まってろ」
見上げてくる目線がだいぶ下にある。
学校では制服で目立たないけれど、こうして並ぶと三桜さんの小ささが際立つ。
腕にしがみつく身体は見た目より柔らかくて、どこに目を置けばいいのか分からなくなる。
袖をつかむ指先が、カーディガンの萌え袖からちょこんと覗いていた。
二階のスイーツエリアに上がると、目当てのクレープ屋は幸い行列が短かった。
三桜さんがメニューの写真に顔を近づけて、真剣に眉を寄せている。
「いちご生クリームと、チョコバナナと、抹茶ティラミス……迷うぅ」
「好きなの頼めばいいだろ」
「全部おいしそうなのがいけないの!」
俺のせいじゃない。
結局、三桜さんはいちご生クリーム、俺はチョコバナナにした。
近くのベンチに腰を下ろすと、三桜さんが萌え袖の両手でクレープを包むように持ち上げた。
「いただきまーす!」
大きく頬張った瞬間、生クリームが口の端からはみ出した。
白いクリームが頬まで付いているのに、三桜さんは目を細めて幸せそうに噛んでいる。
気づいていない。
「三桜さん。ついてる」
「え? なにが?」
「クリーム。右の頬」
三桜さんが慌てて手の甲で拭おうとして、反対側の頬にまで広げた。
「……逆。もっと広がってる」
「えっ? えぇっ?」
俺はポケットからハンカチを出して三桜さんの頬に手を伸ばした。
三桜さんの睫毛が、すぐそこで小さく震えた。
近い。
三桜さんが目を見開いて固まっている。
耳まで真っ赤だ。
「……あ、ありがとぉ」
「気をつけて食べろよ」
「うう……急いでないのにこぼしちゃった」
恥ずかしそうに肩をすくめながら、今度は慎重にクレープを齧る三桜さんの横顔が、一口ごとに幸せそうにほころんでいく。
「誠くんのも一口ちょうだい?」
「チョコバナナでいいなら」
「うん! 交換しよっ」
三桜さんが自分のクレープを差し出して、俺のを一口齧った。
「ん〜〜! こっちもおいしい!」
きらきらした顔で笑う。
日曜の昼下がりに甘いものを食べて無邪気に笑っているこの子を見ていると、こっちまで甘い気分になってくる。
「あっ、もしかしてセンパイ?」
聞き覚えのある声が横から飛んできた。
見上げると、オーバーサイズのグレーTシャツにデニムのハーフパンツ、ローキャップを目深に被った篠崎が手を振りながら歩いてくるところだった。
ショルダーバッグを斜めにかけて、もう片方の手にペットボトルをぶら下げている。
「篠崎か。ここに来てたのか?」
「ゲームショップ見に来たんです。そしたら見覚えのある人たちがいるなって」
にこっと笑った篠崎は、当たり前のように三桜さんの隣にすとんと腰を下ろした。
「センパイに会えて嬉しいです」
休みの日にゲーム好きな後輩がモールにいたところで、不思議はない。
「綾瀬先輩もこんにちは! クレープおいしそうですね」
「あ……篠崎さん。うん、すっごくおいしいよ。食べる?」
三桜さんが一瞬だけ背筋を正したのが分かった。
けれどそれは本当に一瞬で、すぐにいつもの笑顔に戻って、自分のクレープを篠崎のほうへ差し出している。
篠崎は遠慮なく一口齧って、ぱっと顔を輝かせた。
「おいしい。綾瀬先輩、甘いもの好きですもんね」
「大好き! 甘いものは正義だよっ」
「分かります。ちなみに先輩、お弁当の卵焼きも甘い派でしょ?」
三桜さんが瞬いた。
「え? なんで知ってるの?」
「この前の昼休みに見えたんです。センパイのと並べてるとき、先輩のだけ卵焼きの色が明るかったから」
さらっと言う篠崎の観察力が、少しだけ引っかかった。
好きな先輩のことをよく見ている後輩。
それだけのことだ、たぶん。
「篠崎さん、よく見てるんだね……」
「好きな人のことは見ちゃいますよぉ」
篠崎がにっこりと俺を見た。
三桜さんの頬がむうっと膨らんだ。
「……むぅ」
膨らんだ頬がじきにしぼんで、三桜さんはクレープの最後のひとかけらを篠崎に差し出した。
「はい、最後のいちご」
「え、いいんですか?」
「うん。おいしいものは分けたほうがおいしいの」
篠崎がきょとんとして、それからくすっと笑った。
「……先輩、ずるいですね。そういうの」
「ずるくないよぉ。ただのいちごだよぉ」
ただのいちごにしては、二人とも嬉しそうだった。
俺は黙って、チョコバナナの残りを食べた。
クレープを食べ終わると、三桜さんが立ち上がって、モールの案内板を指さした。
「ねえねえ、ゲーセン行こうよ! 三階にあるよ!」
「行きたいです!」
篠崎が即座に乗った。
二人が並んで歩きはじめて、俺は半歩うしろからその背中を眺める格好になる。
三桜さんが背伸びしてエスカレーターの先を覗き込んだり、篠崎と何か話してくすくす笑ったりしている。
ゲームセンターに入ると、薄暗い店内にネオンが散って、あちこちから電子音が降ってきた。
三桜さんがクレーンゲームのぬいぐるみに目を奪われているあいだ、篠崎がシューティングゲームの筐体の前で足を止めた。
「あ、これ。やっていいですか?」
「どうぞ」
篠崎がコインを入れた。
軽く指を鳴らして、筐体に向き直る。
画面にステージが映った瞬間、篠崎の目つきが変わった。
指が、スティックとボタンの上を滑るように走る。
弾幕が画面を覆い尽くすなかを、篠崎の自機だけが紙一重で縫っていく。
無駄な動きがない。
隣にいた知らない客が、足を止めて画面を覗き込んでいる。
「……上手いな」
思わず声が出た。
「すごいすごいっ! 篠崎さんすごい!」
クレーンゲームから飛んできた三桜さんが、篠崎の背中越しに画面を覗き込んで飛び跳ねている。
篠崎は視線を画面から外さないまま、ふっと口角を上げた。
ハイスコアを叩き出して画面が暗転するまで、篠崎は一度もやられなかった。
筐体から手を離した篠崎は、振り返って得意そうに笑った。
「家でひとり、けっこうやるんです。暇なときとか」
「ひとりで?」
「はい。ひとりで」
篠崎が一瞬だけ目を伏せて、すぐにいつもの笑顔に戻った。
その一瞬が引っかかったけれど、それ以上は聞かなかった。
「篠崎、上手いんだな。知らなかった」
「えへへ。意外ですか?」
「意外だ」
ゲームが好きなら腕がいいのも自然か。
素直に感心した。
「私もやるー!」
三桜さんが隣の筐体に座って、勢いよくコインを入れた。
開始三秒でやられた。
「……早くない?」
「もう一回!」
二回目も五秒で沈んだ。
三桜さんが唇を尖らせて、篠崎が笑いをこらえている。
「篠崎さんも笑ってるでしょ!」
「笑ってないですよぉ」
「絶対笑ってるぅ!」
明らかに笑っていた。
俺もこらえきれなかった。
「誠くんまで! ひどい!」
「ごめん。でも三秒は才能だと思う」
「褒めてないでしょそれ!」
三桜さんがぷんすかと怒って、篠崎の腕をぺしぺし叩いている。
篠崎がくすくすと肩を揺らしながら、「先輩かわいい」と呟いた。
三桜さんの耳がまた赤くなる。
「か、かわいいとか言わないでよぉ……」
「事実ですから。……センパイもそう思いますよね?」
急に振られて、俺は返事に詰まった。
思う、と答えたときにこの空気がどうなるかは、だいたい想像がつく。
「……ノーコメントで」
「えー、はぐらかしましたね」
「はぐらかしたぁ!」
二人に同時に責められた。
恥ずかしがっていたほうにまで責められるのは、理不尽じゃないだろうか。
半歩うしろから眺めていたつもりが、いつのまにか巻き込まれている。
帰りぎわ、三桜さんが入り口近くのクレーンゲームの前で足を止めた。
ガラスケースのなかに、うさぎのぬいぐるみが山積みになっている。
「これ、さっきから気になってたの」
百円玉を入れて、真剣な顔でレバーを倒す。
降りてきたアームは、うさぎの頭をやさしく撫でただけで戻っていった。
「あああ、今の絶対いけたのにぃ……!」
「いけてないですよ、今の」
「いけてたもん! あと三ミリだったもん!」
「三ミリで取れてたら誰も苦労しませんよ」
三桜さんが財布を覗き込んで、しょんぼりと肩を落とした。
「……あ。もう小銭ない」
「じゃあ、また来ればいいじゃないですか」
篠崎がガラスの向こうのうさぎを指さした。
「逃げませんよ、そいつは」
「……うん。次こそ取る!」
三桜さんがガラスにぺたりと手をついて、うさぎに宣言していた。
ゲームセンターを出ると、夕方の風がほのかに涼しかった。
三桜さんと篠崎が並んで歩いている。
俺はまた半歩うしろだ。
「ねえ、篠崎さん」
「はい?」
「篠崎さんって、すぐ誰とでも仲良くなれるよね。……私、ちょっとうらやましいかも」
三桜さんの声が少しだけ静かになった。
「うらやましい? 先輩だってみんなと仲良いじゃないですか」
「……うーん。最近ね、クラスの子ともいっぱい話せるようになってきたの。毎日すっごく楽しいよ」
「それ、いいことじゃないですか」
「うん。……でも仲良いっていうか、新しい場所だと早く馴染みたくて、つい何でも引き受けちゃうっていうか。頼まれると断れなくて」
三桜さんが萌え袖の指先をいじりながら、照れくさそうに笑った。
俺は黙って、聞いていた。
三桜さんがクラスの雑用を引き受けがちなのは、なんとなく気づいていた。
「それ、前にも言いましたよね」
篠崎の声は軽いけれど、まっすぐだった。
「断れないのと馴染みたいのは違いますよ。先輩はもう十分みんなに好かれてるんですから、無理して引き受けなくていいんです」
「う……でも、みんな良い子だし……」
「良い子かどうかは関係ないですよ。断らない人に、次が来るんです」
三桜さんが目を丸くした。
「……そうかな?」
「そうですよ。便利屋さんになっちゃダメです」
篠崎が三桜さんの頭にぽんと手を置いた。
後輩が先輩の頭をぽんぽんするのもどうかと思うけれど、三桜さんは嫌がるどころか、くすぐったそうに首をすくめた。
「困ったことがあったら私に言ってくださいね。飛んできますから」
「……篠崎さんって、たまにお姉ちゃんみたい」
「えー、私ぜんぜんお姉ちゃんタイプじゃないですよぉ」
「でもなんか、安心するんだもん」
篠崎がきょとんとして、それからふわりと笑った。
普段の人懐っこさとは少し違う、どこか嬉しそうな顔だった。
モールの出口が近づいてきた。
ガラスの壁越しに、夕焼けが空を茜色に染めている。
「あ、そうだ。綾瀬先輩」
篠崎が足を止めて、三桜さんに向き直った。
「私のこと、心花でいいですよ」
「……え?」
「篠崎さん、って堅いですし。先輩と私、もうそういう仲でしょ?」
篠崎がいたずらっぽく笑っている。
三桜さんの頬がじわじわと赤くなっていった。
「……心花、ちゃん」
消え入りそうな声だった。
言った瞬間、三桜さんが自分の口を萌え袖の両手で覆った。
「なんで隠すんですかぁ?」
「だ、だって恥ずかしいの……!」
篠崎が声を上げて笑った。
三桜さんも萌え袖の隙間から目だけ覗かせて、つられるように笑い出す。
二人の笑い声がモールの吹き抜けに広がって、通りすがりの客が何人か振り返った。
俺は少しだけ離れたところで、その光景を眺めていた。
——悪くないな。
モールの外に出ると、夕日が低くなっていた。
「じゃあ私、こっちなので。今日は楽しかったです、センパイ」
篠崎がぺこりと頭を下げて、それから三桜さんに向き直った。
「綾瀬先輩。また二人で遊びましょ」
「うんっ! 絶対ね! ……またね、心花ちゃん」
三桜さんが嬉しそうに何度もうなずいた。
篠崎は手を振って、弾むような足取りで駅のほうへ歩いていく。
その背中が人混みに紛れたあと——三桜さんの横顔が、ふっと翳った。
ほんの一瞬のことだった。
「……お姉ちゃんたちに、なんて言おう」
小さな呟きだった。
夕方の喧噪に紛れるほどの声で、聞き取れたかどうかも危うい。
「三桜さん? なんか言った?」
「ううん、なんでもないよっ!」
振り向いた三桜さんは、いつもの笑顔だった。
けれど一瞬だけ見えたあの表情が、なぜか頭の隅に引っかかった。
……気のせいか。
「帰ろっか、誠くん」
「ああ」
夕焼けのなかを並んで歩きながら、三桜さんが今日のクレープの話をはじめた。
楽しそうに笑うその横顔に、さっきの翳りはもう見えない。




