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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第47話 同じ棚に伸びた指、二葉の素顔

約束の時間の十分前に着いたはずなのに、駅前の噴水の前には、もう二葉さんが立っていた。

 一瞬、誰だか分からなかった。


 いつもの、隙のない制服姿ではない。

 白いブラウスに、落ち着いた紺のロングスカート。

 肩にかかる黒髪が、風に揺れるたびさらさらと流れる。


 ……その、華奢に見えていたはずのシルエットが、制服の時とは全然違う。

 ブラウスのゆるやかな布地が描くラインに、俺は思わず視線を逸らした。

 学校では着痩せしていたのだ、と今さら気づく。


「遅いわよ。十五分前には着いているものでしょう」


 涼しい声が飛んでくる。

 いつもの二葉さんだ。

 ……いつもの二葉さんなのに、目のやり場に、ものすごく困る。


「いや、まだ十分前だけど」


「私は二十分前に着いたわ」


 勝ち負けの問題じゃないだろ、それ。

 ツッコむ余裕もなく、俺は噴水のほうに目を逃がした。


「……なに、きょろきょろしてるの」


「いい天気だなと思って」


「……嘘ね。まあいいけれど」


 図星すぎて、何も言い返せなかった。

 観念して、俺は正直に白状することにした。


「いや……二葉さんの私服、初めて見たからさ。ちょっと、見慣れなくて」


「……そう」


 二葉さんの足が、ほんの少しだけ止まった。


「……変、かしら?」


 いつもの、断定するような口調じゃなかった。

 窺うような、小さな声だった。


「いや。似合ってる。すごく」


 素直にそう答えると、二葉さんは一瞬きょとんとして、それから、ふいと前を向いた。


「……なら、いいわ」


 そっけない返事。

 でも、澄ました横顔の口元がわずかにほどけているのを、俺は見逃さなかった。


 二葉さんは、そのまま歩き始めた。

 半歩前を行く背中が、いつもより近い。

 学校で隣に座っている時とは、なぜか距離の質が違って感じた。


 駅前のビルの三階、大きな書店。

 二葉さんが昨晩のメッセージで指定した場所だ。


 ──週末、本屋に付き合いなさい。

 あなたに選んでほしい本があるの。


 あの一文を見た時、俺は少し驚いた。

 二葉さんが俺に何かを選んでほしいと頼ってくること自体、ほとんどなかったからだ。

 いつもは逆だった。

 二葉さんが選び、二葉さんが決め、俺はそれに従う。


 そんなことをぼんやり思いながら、自動ドアをくぐった。


 エスカレーターを上がってすぐの参考書コーナーで、二葉さんの足が止まる。


「まずは期末の対策ね。数学の参考書、見繕うわ」


「おう、頼む」


 建前はこれだった。

 期末テスト用の参考書を見に行く。

 ……もっとも、学年トップクラスの二葉さんに、今さら参考書が要るとは思えないのだが。


 棚の前に並んで立つと、書店特有の紙とインクの匂いに混じって、隣から微かにシャンプーの香りがした。

 通路が狭い。

 二葉さんの肩が、腕が、すぐそこにある。

 ブラウス越しの体温がふとした瞬間にこちらの腕をかすめて、不意に意識を引っ張った。

 平然と棚を見上げている横顔の、瞬きの回数だけが、いつもより少しだけ多い気がした。


「これと、これ。この二冊が良いと思うわ。解説が丁寧で、マコトの癖に合うはず」


「俺の癖って?」


「途中式を飛ばす癖よ。……何度言ったら直るのかしら」


 はい、すみません。


「相変わらず、俺の成績も進度も完全に把握してるんだな」


「当然でしょう。あなたの頭の中くらい、私が一番、分かっているつもりよ」


 淡々と、けれど有無を言わせない響きだった。

 二葉さんは参考書を二冊ほど抜き出して、俺の手に押しつける。

 その手際の良さはいつもどおりで、管理する側の顔だった。


 ……ただ、今日はひとつ、勝手が違う。


「なあ、二葉さん。今日って、いつもと逆じゃないか」


「……逆?」


 小首を傾げる横顔に、俺は続けた。


「前は、俺が読むべき本のリストを作って渡してくれただろ。優先順位まで振ってさ」


「ああ……ええ、そうだったわね」


「でも昨日のメッセージは、俺に選んでほしい、だった。だから、なんか新鮮でさ」


 棚へ伸ばしかけた二葉さんの手が、そこで一度止まった。


「……たまには、こういうのもいいでしょう。管理して、一方的に与えるだけが、私のやり方じゃないわ」


「そっか。一緒に選ぶのも、悪くないな」


「……全くだわ。マコトのくせに、無駄に鋭いんだから」


 そう吐き捨てて、二葉さんはくるりと背を向けた。

 その背中が、なぜか参考書の棚をやけに熱心に見ている。


 ところが、参考書を選び終わったあとも、二葉さんは帰る素振りを見せなかった。

 足が、自然に反対側の棚へと向かっていく。

 文芸書のコーナー。


 二葉さんの目が棚に並ぶ背表紙を追い始めた瞬間、空気が変わった。

 涼しげで隙のない横顔が、ほんの少しだけやわらかくなる。

 指先が、慎重に背表紙を撫でていく。


「……二葉さん。こっちが本命だろ」


「……別に。ついでに見ているだけよ」


 ついで、と言いながら、足はもう完全に止まっている。

 切れ長の目が、棚のある一角に吸い寄せられていた。


 俺もつられて同じ棚に目を向ける。

 ──そこに並んでいた作家の名前に、思わず声が出た。


「あ。この人、俺も好きだ」


「……え?」


 二葉さんが珍しく目を丸くする。


「マコト、あなた、この作家を知っているの?」


「知ってるっていうか……結構読んでる。この人の短編集、特に好きでさ」


 言った途端、二葉さんの表情が変わった。

 正確に言えば、いつもの仮面が外れた。


「意外だな。二葉さんこそ、お堅い専門書ばっかり読んでるんだと思ってた」


「……合理的に考えて、娯楽も必要よ」


 建前の言い方だけは、いつもどおりだった。

 けれど、そう答えた時にはもう、二葉さんの目はまっすぐ俺を向いている。


「……で。あの短編集の、どれがいちばん好き?」


「うーん。二作目かな。あの、雨の終わりに手紙を出す話」


「…………」


 二葉さんが息を呑むのが分かった。

 それから、みるみるうちに声が変わっていく。


「あの話、いいのよ。手紙を書くまでの三日間が全部、雨の描写だけで進むでしょう。あの足音と水溜まりの音だけで場面が転換する構成は──」


 いつもの淡々とした調子が、嘘みたいに消えている。

 声がほんの少し早くなって、身体がこちらへ前のめりになる。

 黒い髪が肩から滑り落ちるのにも気づかず、二葉さんは本の話に夢中になっていた。


「──それでね、最後の一行で、晴れるの。そこまで一度も太陽の描写がないのに、最後の一文だけで全部の雨が意味を変えるのよ。あれは、本当に──」


 ……初めて見た。

 この人が、こんなふうに好きなものを語る顔。

 管理する人でもなく、有能な人でもなく、ただ好きな本に夢中になる一人の女の子の横顔だった。


「分かる。俺もあの最後の一行で、しばらく本を閉じられなかった」


「でしょう? あの余韻は……」


 言いかけて、二葉さんはふと言葉を切った。

 それから、ためらいがちに俺のほうを見る。


「なんだよ」


「……マコトは。あの話の、どこが良かったの?」


「うーん。三日間ずっと雨の音だけなのが、逆に良かったな。読んでるこっちまで、じっと待たされる感じで」


 二葉さんが、うん、と小さく頷く。


「ええ、あの焦らし方も見事よね。……でも、私が一番惹かれるのは、そこじゃないの」


「じゃあ、どこ?」


「登場人物の、不器用さ。……すべて計算しているように見えて、一番大切なところで、感情に振り回されてしまうでしょう。あの脆さが、どうしようもなく人間らしいもの」


 ひどく静かな声だった。

 本の話をしているだけのはずなのに、なぜだか、もっと個人的なことを聞かされている気がした。


 二葉さんの視線が、ふっと棚へ戻る。

 まだ言い足りない、という顔のまま、その手が棚の一冊へ伸びた。

 俺も同じ本が気になっていて、同時に手を伸ばす。


 指先が、触れた。


 二葉さんの手が、ぴたりと止まる。

 俺の指の上に、白い指先が重なっていた。

 引っ込めない。

 二葉さんは真顔のまま、動かない。


 狭い通路に、二人分の呼吸だけが落ちる。


「……先にどうぞ」


「……あなたが先に取りなさい」


「いや、二葉さんが」


「いいから」


 結局、俺が二冊まとめて抜いて、片方を二葉さんに差し出した。

 受け取る時に指がもう一度触れて、二葉さんの耳の先がわずかに赤くなるのが見えた。


 その時、二葉さんは、ふいに口を噤んだ。

 さっきまでの饒舌が、ふつりと途切れる。


「……つい、話しすぎたわ」


 呟いて、スカートの裾を、きゅっと握る。

 白い指の力が、布地に皺を刻んでいた。


 重さを、見せてしまった。

 そう思ったのだろう。

 好きなものを語りすぎて、抑えていたはずの温度が溢れて、引かれるのではないかと。

 その一瞬の怯えが、切れ長の目の奥に確かに滲んでいた。


「ぜんぜん。もっと聞かせてよ、二葉さん」


「……は?」


「俺、この作家のこと話せるやつが周りにいなくてさ。……正直、嬉しいんだよ」


 嘘じゃなかった。

 ゲームの話ならともかく、小説の趣味が合う人間に出会ったことがなかった。


 二葉さんは、しばらく俺を見つめていた。

 疑っているのか、確かめているのか。

 やがて視線を伏せて、小さく呟く。


「……変な人ね、あなた」


 その声は、震えてなんかいなかった。

 ただ、ほんのわずかに潤んでいた。


 それから二葉さんは、もう一冊、棚から本を抜き出した。


「これ。……読んでみてほしいの」


 押しつけるのではなく、差し出す。

 前に図書室であのリストを渡してきた時とは、手つきがまるで違った。

 管理する人の仕草じゃない。

 好きなものを、同じ目線で分かってほしい人の手だった。


「……ありがとう。読むよ」


「……そう」


 二葉さんは、ほんの少しだけ、唇の端を上げた。


  ◇


 書店を出て、近くのカフェに入った。

 窓際の席で向かい合って座る。


 二葉さんはアイスティー、俺はコーヒー。

 テーブルの上に、さっき買った本と参考書が並んでいる。

 参考書が二冊。

 小説が三冊。

 建前と本音の比率としては、もう言い逃れのしようがなかった。


「あの人のシリーズ、他にもおすすめがあるのよ。次に読むなら、デビュー作ね」


「デビュー作か。どんな話なんだ?」


「ある事件をきっかけに、心を閉ざしてしまった主人公が……ひどく無愛想な探偵と出会って、少しずつ世界を取り戻していく話」


 グラスについた水滴を、二葉さんの指がゆっくりとなぞる。

 書店にいた時ほどの早口じゃない。

 それでも声の温度は、さっきの棚の前と地続きだった。


「面白そうだな。今度、貸してくれよ」


「ええ、構わないわ。……でも、まずは私が渡した一冊からね」


「分かってるって」


 二葉さんは、ストローに口をつけたまま、窓の外を見ていた。

 西日が黒い髪を透かして、薄く琥珀色に染めている。


「……ねえ、マコト」


「ん?」


「……今日は、勉強じゃなくて良かった」


 ぽつりと。

 まるで独り言みたいに、小さく零した。


 制服の時とは違う、やわらかな私服のシルエット。

 涼しい仮面でもなく、さっきの怯えた顔でもなく。

 好きな本の余韻をまとったまま、静かに笑っている。


 ……綺麗だな、と思った。


 ストローを咥えたまま、二葉さんがこちらを見る。


「何?」


「いや。……なんでもない」


 俺はコーヒーに口をつけて、ごまかした。

 窓の外の光が、じんわりと赤い。


 帰りに読もうと思って抱えた本が、やけに重い。

 でも、悪い重さじゃなかった。

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