第46話 金曜の夜、揃った五人の熱
金曜の夜だった。
夕食を済ませて風呂に浸かったら、今週あったことが湯気と一緒にじわじわ蘇ってきて、俺は思わず湯船に沈んだ。
雨の日の相合傘。
教室での、妙に近い距離。
からかうような笑顔と、不機嫌そうに逸らされた視線と、泣きそうな目で見上げてくる瞳と。
……今週は、色々ありすぎた。
自室に戻って、パソコンの前に座る。
モニターに光が灯ると、見慣れたログイン画面が俺を迎えてくれた。
『エデン・オンライン』。
この画面の前に座ると、現実のあれこれが不思議とひとつ遠くなる。
今夜くらいは、ただのタンクに戻りたかった。
ログインすると、拠点の酒場に重騎士の【リオン】が立った。
フレンドリストを開く。
――五つの名前のうち、四つが光っていた。
【ルナ】、【クロウ】、【アリア】、【ノエル】。
……全員、いる。
金曜の夜に固定メンバーが揃うのは、ここ最近では珍しかった。
最初に飛んできたのは、案の定あいつだった。
『兄貴ーーッ! こんばんはッス!!』
クロウ。
斥候職の弟分。
画面いっぱいに革鎧の小柄なアバターが駆け寄ってきて、俺の前でぴょんぴょん跳ねている。
テンションの高さが、文字から溢れ出ていた。
『今日は全員揃ったッスよ! こんなの久しぶりッス!』
続けて、柔らかなチャットが流れてくる。
『皆さん、こんばんは。お元気でしたか?』
アリア。
付与術師。
丁寧な挨拶が、いつも通りの安心感をくれる。
『リオン、遅い』
短く、素っ気ない一行。
ノエル。
弓使いのエルフが酒場のカウンターにもたれたまま、こちらを見ている――ように見えるポーズだった。
『遅いって……まだ九時だろ』
『九時五分。五分の遅刻』
……相変わらず容赦がない。
けれど、その素っ気なさがノエルの優しさだと、三年も一緒にいればさすがにわかる。
そして。
『こんばんは、リオン! 今日はね、みんな揃ったから、ずっとやりたかったあれ、行こうよ!』
ルナ。
魔導神官にして俺のネトゲ嫁。
弾むような文字列が画面に灯った瞬間、胸の奥がふっと緩んだ。
ゲームの中では、ルナはルナだ。
現実の誰かと重ねなくていい。
それが、今夜は何より心地よかった。
『あれって……先週実装された大型ダンジョンか?』
『そうそう! ボスがめちゃくちゃ強いって噂だよ。フルパーティ推奨なんだって!』
『兄貴! 俺もう下見してきたッス! 罠がえげつないッスけど、ドロップは激レアらしいッス!』
クロウの頼もしい――というよりは前のめりすぎる宣言に、ノエルが即座に返した。
『下見で二回死んだと聞いたけど』
『ノ、ノエル姐さん! それは内緒って言ったじゃないッスか!!』
『言ってない』
『ふふ。クロウさんは、相変わらず欲張りですね』
……ふっ、と笑ってしまった。
この空気だ。
この空気が好きなんだ、俺は。
パーティを組んで、ダンジョンへ向かう。
転送先は、苔生した地下遺跡だった。
崩れかけた石柱が等間隔に並んで、通路の奥は松明の光が届かない闇に沈んでいる。
『この遺跡、毒のトラップが多いッス! 踏んだら一気にHP持ってかれるッスよ!』
『では念のため、毒耐性の付与を配っておきますね』
アリアの付与が、五人ぶんの足元に緑色の魔法陣を広げた。
『助かる。クロウ、索敵は頼んだぞ。突っ走って自分から引っかかるなよ』
『リオンの言う通りよ。あなたの鳥頭じゃ、三歩歩いたら罠の場所を忘れそうだから』
『ひどいッスよノエル姐さん! 俺だってやるときはやるッス!』
先頭はクロウ。
索敵と罠解除を担当しながら、逐一報告を飛ばしてくる。
『前方、通路に罠反応ッス! 解除するんで止まっててくださいッス!』
カチカチと操作音。
数秒後、画面にシステムメッセージが流れた。
【罠を解除しました】
『クロウ、ナイス』
俺が打つと、クロウのアバターが誇らしげにガッツポーズを取った。
『へへっ、兄貴に褒められると燃えるッス!』
『大丈夫だよ、クロウ。何が出てきたって、リオンが絶対に守ってくれるもん』
『プレッシャーをかけるな。……まあ、任せろ』
通路の奥から、大型モンスターの影が揺らめく。
ここからは俺の出番だ。
『前衛、俺が引きつける。アリア、バフ頼む』
『はい、リオンくん。防御アップ、入ります』
アリアの付与魔法が発動し、【リオン】の全身が淡い光に包まれる。
硬さが一段増した手応えを感じながら、俺は前に出た。
挑発スキル【ウォークライ】を叩き込む。
三体のモンスターが、一斉にこちらを向いた。
爪が、牙が、盾に叩きつけられる。
衝撃が連続して、画面を揺らした。
『リオン、HP大丈夫?』
ルナのチャットが飛ぶ。
『まだ余裕。ルナ、火力寄せろ。回復は持つ』
『了解っ! ――いっくよーっ!』
ルナの攻撃魔法が炸裂した。
光の奔流がモンスターの群れを呑み込んで、HPバーがごっそり削れる。
その間、俺への回復は止まっている。
ルナの攻守トレードオフ。
攻めに全振りした穴を――
『アリアさん、お願いしますっ』
『はい。回復、届きました』
アリアのサブヒールが、俺のHPをそっと押し上げた。
この連携だ。
ルナが攻めに振り切れるのは、アリアが穴を埋めてくれるから。
そしてその二人が安心して仕事できるのは、俺が前で全部受け止めているから。
誰かひとり欠けたら成り立たない。
それが、たまらなく気持ちいい。
『残り一体ッス! 兄貴、追い込み行くッスよ!』
クロウが背後から急所を突く。
そこへ――静かな一射が画面を横切った。
ノエルの矢。
モンスターの額を正確に射抜いて、最後の一体が崩れ落ちる。
【討伐完了】
『……ふん。悪くないわね』
ノエルの短い一言に、チャット欄が一気に沸いた。
『ノエル姐さんカッコいいッス!!』
『ナイスショット! さすがノエル!』
『綺麗に決まりましたね……!』
俺も思わず打ち込んだ。
『完璧だった。ありがとう、ノエル』
『……別に。いつものこと』
素っ気ない返事。
でも、そのあとほんの少しだけ間を置いて、小さな一行が追加された。
『――パーティに感謝、ね』
……やっぱり、こいつも温かいやつだ。
さらに奥へ進むと、大型ダンジョンのボスが待ち構えていた。
巨大な甲殻を持つ魔獣。
パーティ推奨の名に恥じない威圧感が、画面越しにも伝わってくる。
『で、でっか……! 兄貴、あれマジッスか……!?』
『マジだ。いくぞ。フルパーティの見せ場だろ』
俺は盾を構えて、真っ先に踏み込んだ。
【ウォークライ】でヘイトを引きつけ、ボスの一撃目を盾で受ける。
重い。
腕がしびれるような衝撃だったが、アリアのバフが乗った盾は折れない。
『ルナ! 最初は守り寄せで! 俺のHP見ながら火力入れてくれ!』
『わかった! リオン、信じてるからね!』
ルナの回復魔法が俺を支えながら、合間に攻撃魔法を差し込んでくる。
守りと攻めの切り替え。
その判断の速さが、ルナの真骨頂だった。
ボスのHPが、着実に削れていく。
『弱点見えたッス! 背中の甲殻、罅入ってるッスよ!』
『――了解。狙うわ』
ノエルの矢が弱点を射抜いた。
ボスが体勢を崩した隙に、クロウが跳躍して背後から短剣を叩き込む。
『ルナ、あの罅を狙うぞ! 最大火力の詠唱、入れてくれ!』
『うん、詠唱入る! 発動まで十秒――それまで抑えられる!?』
『十分だ。十秒、俺がこいつの前から一歩も動かない』
『了解ッス! 足止めの仕掛け、ばら撒くッスよ!』
『……言われなくても、そのつもりよ』
クロウがボスの足元に遅延効果の仕掛けを撒き、ノエルが膝の関節を続けざまに撃つ。
二人の牽制で、巨体の動きがわずかに鈍った。
その間にも、後方ではルナの杖の先に光が収束していく。
俺は盾を構え直して、真上から落ちてくる腕を、角度をつけて受け流した。
『リオン、あと三秒……耐えてっ!』
『焦らなくていい。こっちは全然余裕だ』
強がりでもなんでもなかった。
盾の向こうで岩みたいな拳が唸っていても、背中にいる四人が俺を死なせない。
『――溜まった! いくよ、リオン、離れて!』
『おう!』
俺が大きく後ろへ跳んだのと同時に、ルナが攻守を一気に攻めへ振り切った。
最大火力の魔法がボスを呑み込む。
その瞬間、アリアがすかさず俺の回復を引き継いだ。
全員の呼吸が噛み合った、その一拍。
ボスが、崩れ落ちた。
【ボス討伐! おめでとうございます!】
画面にファンファーレが鳴り響いて、光のエフェクトが弾ける。
チャット欄が一気に埋まった。
『やったーーッ!! 兄貴ーーッ!!』
『やったあっ! みんな最高ーーっ!!』
『お見事です……! 皆さん、素晴らしかったです!』
『……まあ、及第点ね』
ノエルのその一言が、誰より嬉しそうに見えた。
宝箱が出現して、戦利品はいつものダイスで分配することになった。
【クロウがダイスを振りました:7】
『うわあああっ、今日イチの低乱数引いたッス!』
『ふふっ。クロウさん、ドンマイです』
『……日頃の行いね』
ノエルの容赦ない一言に、クロウが地面に突っ伏すエモートを返す。
【ルナがダイスを振りました:96】
『やったっ、私の勝ち! 欲しかった杖の強化素材だ!』
大喜びでアイテムを回収するルナと、泣き崩れるエフェクトのクロウ。
その賑やかなやり取りを眺めながら、俺はモニターの前で声を出して笑っていた。
……ああ、この空気が、たまらなく好きだ。
拠点の酒場に戻って、それぞれが手持ちの飲み物アイテムを掲げた。
エールやら果実水やらてんでばらばらのまま、五つのグラスが画面の中で軽くぶつかった。
そのまま、しばらく雑談が続いた。
けれど夜が深まるにつれて、一人、また一人と落ちていく。
『兄貴、俺そろそろ落ちるッス! 今日マジで楽しかったッス! またやりましょうッス!!』
【クロウがログアウトしました】
『私もそろそろ失礼しますね。皆さん、おやすみなさい』
【アリアがログアウトしました】
『……私も落ちる。おやすみ』
ノエルは去り際に、短い一行を追加した。
『リオン。今日は、いい夜だったわ』
【ノエルがログアウトしました】
酒場に残ったのは、【リオン】と【ルナ】だけになった。
がやがやと賑やかだった画面が、急に静かになる。
さっきまでの騒がしさの代わりみたいに、画面の向こうで暖炉の火がぱちぱちと爆ぜていた。
ルナのアバターが、とことこと近づいてきて、俺の隣にちょこんと座る。
『リオン、今日楽しかったね』
『ああ。……久しぶりに全員揃って、よかった』
『うんっ。みんなの息がぴったりで、嬉しかったなあ。……やっぱり、リオンが前にいてくれると安心する』
ルナの文字が、一行ずつ、ゆっくり灯っていく。
タイピングのリズムが少しだけいつもより遅い。
言葉を選んでいるような、そんな間。
『……ねえ、リオン。私ね、こうやってリオンと話してる時間が、一番好きだよ』
不意打ちだった。
画面の文字を、二度読み返した。
……ゲームの中の、ただのテキストのはずなのに。
胸の奥が、じん、と熱くなった。
『……俺も。ルナと話してると、なんか全部どうでもよくなる。いい意味で』
『えへへ。それ、最高の褒め言葉だね』
笑っているのが、文字だけでわかった。
ゲームの中では、顔も声もない。
それでも、ルナが笑っているとわかる。
三年分の温度が、そうさせてくれる。
『……そういえば、来週から期末なんだ』
『あー、そっかあ。もうそんな時期だね』
『五日間ある。しかも今回、範囲が広い』
打ちながら、机の端に積んだままの教科書が視界の隅に入った。
現実のほうが、静かに順番待ちをしている。
『うわあ。それはちょっと、同情するかも』
『同情だけかよ』
『冗談だよ。ちゃんと応援もするから』
『……だからさ。テストが終わるまでは、ログインしないでおこうと思う』
打ってから、返事までに少し間が空いた。
暖炉の炎が、誰もいないテーブルの影を静かに揺らしている。
『……ほんとに? 来週からじゃなくて、今日から?』
『ああ。中途半端に入ったら、絶対そのまま朝までやる。俺は自分をまったく信用してない』
『それはまあ、否定できないなあ』
『だろ』
『……うん。わかった。じゃあ、私も入らない』
今度は、俺のほうが手を止めた。
『いや、ルナは普通にやっててくれよ』
『やだ。リオンのいない酒場なんて、ただの広い部屋だもん』
……そういうことを、さらっと打ってくるから困る。
『それに、待ってたほうが楽しみが増えるでしょ? 終わったら、また一緒に入ろうね』
『……了解』
『約束だからね。リオンも、私も。終わるまではおあずけ』
『わかった。約束する』
『じゃあ、指切りね』
小さなアバターが、ぴょこんと片手を上げた。
小指を立てるモーションなんて、このゲームには実装されていない。
なのに、小指の感触まで見えた気がした。
『そろそろ寝ようか。おやすみ、ルナ』
『うんっ。おやすみなさい、リオン。……またね』
【ルナがログアウトしました】
画面から、ルナのアバターが消えた。
酒場には【リオン】だけが残っている。
俺はログアウトボタンを押して、モニターの電源を落とした。
暗い画面に映った自分の顔が、少しだけ笑っていた。
……やっぱり、このパーティが好きだ。
誰が何者かなんて関係ない。
俺はタンクで、みんなを守ればいいだけ。
その単純さが、今夜はとびきり心地よかった。
ベッドに潜り込もうとしたそのとき、スマホが震えた。
二葉さんからだった。
『週末、本屋に付き合いなさい。あなたに選んでほしい本があるの』
――断れそうにない圧を感じるのは気のせいだろうか。
俺は天井を仰いで、小さくため息をついた。
ゲームの平穏も、ここまでか。
どうやら、この週末も騒がしくなりそうだ。




