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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第43話 取られた役目、初めての嫉妬

金曜の六限が終わると、二年B組の教室はあっという間に人が減った。

 部活へ向かう連中や、週末の予定を声高に話しながら出ていく連中のざわめきが、廊下のほうへ遠ざかっていく。

 鞄に教科書を詰め込みながらふと顔を上げると、窓際の席で三桜さんがひとり、静かに帰り支度をしていた。

 いつもなら、終わりの号令が鳴ったとたんに、ぱたぱたと俺のところへ駆けてくるのに。

 今日はこちらを見ようともしないまま、のろのろと、教科書を鞄に押し込んでいる。


「三桜さん」


 声をかけると、三桜さんが弾かれたように顔を上げた。

 笑っていた。

 ——笑おうとしていた、と言うほうが近い。

 唇は持ち上がっているのに、目の奥がどこか遠くを見ている。


「あ、誠くん。ごめんね、今日は家のことがあるから、先に帰るの」


「家のこと?」


「うん。ちょっと用事で……大したことじゃないんだけど」


 語尾が、だんだん小さくしぼんでいく。

 三桜さんの嘘は、いつだってわかりやすい。

 隠そうとするほど声がしぼんで、その落差がそのまま嘘の証拠になる。


「そっか。——なんか、元気ないな」


 そんな言葉が、つい口をついて出ていた。

 三桜さんの手が、鞄の持ち手をきゅっと握り直した。


「……そんなこと、ないよ?」


 否定したはずの語尾が、力なく疑問形になっている。

 自分でもそれに気づいたのか、三桜さんは慌てて鞄を肩にかけて、教室の後ろのドアへ歩き出した。


「じゃあ、また月曜日ね、誠くん」


 振り返らないまま手を振るその背中を、俺はしばらく、見ていた。

 その足取りは、いつもの弾むような歩幅ではなく、一歩ごとに重たそうで、薄い肩がすこしずつ下がっていくように見えた。


 ——放っておけなかった。

 あの背中を見送ったら、月曜日の三桜さんは無理やり笑顔を貼り直してくるだろうという妙な確信があった。

 鞄を掴んで、廊下に出た。


 三桜さんは階段を降りずに、廊下の窓際で立ち止まっていた。

 手すりに片手を置いたまま、降りるでもなく、ただぼんやりと窓の外を見ている。


「三桜さん」


 もう一度名前を呼ぶと、今度は驚いた顔ではなく、困った顔が返ってきた。

 嘘の上塗りをするには、もう気力が足りなかったのだろう。


「……誠くん、帰らないの?」


「ちょっとだけ。——話さないか?」


 三桜さんは俺の顔をじっと見つめてから、小さくうなずいた。


  ◇


 屋上に出ると、夕方の風がふっと頬を撫でた。

 部活の掛け声が校庭の向こうから小さく聞こえるだけで、コンクリートの上には俺たちのほかに誰もいない。

 西日がフェンスの向こうから斜めに差し込んで、床に長い格子模様を落としていた。


 フェンス沿いの段差に腰を下ろすと、三桜さんもすこし間を空けて隣に座った。

 鞄を膝の上に抱えて、そのまま視線を足元に落としている。

 夕風に髪がさらわれて、うつむいた横顔が見え隠れする。


 しばらく、どちらも何も言わなかった。

 遠い部活の掛け声と、風がフェンスを鳴らす音だけが、二人のあいだを流れていく。


「……ごめんね。変な顔、してたでしょ」


 先に口を開いたのは三桜さんだった。

 顔は上げないまま、膝の上で指を組んだりほどいたりしている。


「うん。ちょっと」


「そんな、はっきり言わなくても……」


 三桜さんが頬をわずかにふくらませた。

 けれどすぐにしぼんで、元のうつむいた表情に戻る。


 風が一度、強く吹いた。

 三桜さんの肩のあたりから、ベビーパウダーに似た甘い匂いが、ほのかに運ばれてくる。

 その匂いがやけに頼りなく感じられたのは、たぶん、気のせいではなかった。


「……あのね」


 三桜さんの指が、膝の上で小さく動いた。


「笑わないで、聞いてくれる?」


「笑わないよ」


「……お弁当のこと、なんだけど」


 声がいっそう小さくなった。


「お弁当?」


「うん。……この前、篠崎さんが、誠くんにお弁当作ってきたでしょ」


 先日のことが、すぐに胸へ浮かんだ。

 火曜日の昼、篠崎が二人分の手作り弁当を持ってきて、屋上へ誘ったときのこと。

 ——そのことを、三桜さんはずっと気にしていたのか。


「私ね、お弁当は……自分の役目だって、思ってたの」


 三桜さんの声は途切れ途切れだった。

 言葉を探しながら、一つひとつ確かめるように口にしていく。


「誠くんにお弁当を作って、おいしいって言ってもらえるのが……私の、大事なことだったから」


 膝の上の指が、ぎゅっと握り込まれた。

 爪の先が白くなるくらい、小さな手に力がこもっている。


「それを、篠崎さんが……」


 そこで、ふっと声が止まった。

 言いかけた言葉を飲み込むように、きゅっと唇を結んでいる。

 唇のはしが、かすかに震えた。


「……篠崎さんは、悪くないの。わかってるの」


 三桜さんはゆっくりと首を横に振った。


「やさしい人だし、私のこと気にかけてくれるし。……嫌いになんか、なれないの」


 嫌いになれない。

 なのに、胸が痛い。

 三桜さんの中でその二つがどう折り合っているのか、俺にはわからなかった。

 ただ、ずっとひとりで抱え込んできたのだろうということだけは、痛いほど伝わってくる。


「なのに、あのお弁当箱を見たとき……胸のあたりが、ぎゅってなって」


 三桜さんは、確かめるように、押さえるように、自分の胸元へそっと手を当てた。


「すごく、黒くて嫌な気持ちになったの。……こんなの、初めてで」


 知らない感情に戸惑う、迷子の子供みたいな声だった。


「自分がなんでこんな気持ちになるのか、よくわかんなくて……私、悪い子みたい」


 声がだんだんと細くなって、最後はほとんど消え入りそうだった。

 うつむいた睫毛の先が、夕日を受けてほんのり金色に光っている。

 泣きそうに見えたけれど、三桜さんは泣くまいと喉の奥でこらえるように、小さく息を吸い込んだ。


 何か言わなきゃ、と思った。

 けれど、気の利いたことなんて、何も出てこない。

 中途半端な慰めは、今の三桜さんには届かない気がした。


「三桜さん」


 声が、思ったより静かに出た。


「篠崎の弁当と、三桜さんの弁当は、比べるようなものじゃないと思う」


 三桜さんがゆっくりと顔を上げ、潤んだ目が、まっすぐ俺を見ている。


「……どういう、こと?」


「うまく言えないけど。——前に三桜さんが作ってくれた弁当、俺はすごくうれしかった」


「でも、篠崎さんのだって……」


「篠崎の弁当がどうとかじゃなくて。三桜さんが作ってくれたから、うれしかったんだ」


 三桜さんは何も言わない。

 だから俺は、覚えていることを順番に並べた。


「中庭で二人で食べたやつ。朝早く起きて俺の分まで作ってくれて、卵焼きが焦げちゃったって照れながら渡してくれた。……全部、ちゃんと覚えてる」


 聞き逃さないように、三桜さんは瞬きもせずこちらを見ている。


「三桜さんがしてくれたことは、誰かが何かをしたからって、上書きされるようなものじゃない」


 不器用な言い方だと自分でもわかっていたけれど、それが、俺の正直な気持ちだった。


「……誠くん」


 三桜さんの目が、大きく揺れた。

 何か言おうとして口を開いては、また、きゅっと閉じる。

 それから視線を膝の上へ落として、ようやく声を押し出した。


「……でも、私が作らなくても。誠くん、困らないのに」


「困る困らないの話じゃない。——俺が、三桜さんの弁当を食べたいんだよ」


 言い切ってから、自分の耳が熱くなっているのに気づいた。

 うつむいていた顔を、三桜さんはもう一度、ゆっくりと上げた。

 夕日が、三桜さんの頬をやわらかく染めている。


「ありがとう」


 小さくて、けれどはっきりした声だった。

 三桜さんは鞄の持ち手を、ぎゅっと握ったまま、まっすぐ前を見た。

 さっきまでの揺れが、すこしだけ落ち着いたように見えた。


 それでも胸の奥には、まだ消化しきれないものが残っているのだろう。

 持ち手を握る指先は、まだ白いままだった。


「……あのね、誠くん」


「うん」


「私も、今度……誠くんにお弁当、作ってくるね」


 三桜さんが、俺のほうを向いた。

 目はまだ赤くて、鼻の頭もすこし赤い。

 けれどその表情は、さっきまでの作り笑いとはぜんぜん違っていた。

 不器用で、必死で、まっすぐだった。


「篠崎さんのお弁当がおいしかったのは……わかるの。でも、だから私も、もっとおいしいの作りたい」


 嫉妬を、恨みに変えなかった。

 取られたと感じたものを取り返すのではなく、もっと差し出す側へ踏み出そうとしている。

 その不器用なまっすぐさが、三桜さんそのものだった。


 何か言おうとして、けれど声が出なかった。

 三桜さんのまっすぐな目に射抜かれて、うまく息が吸えない。

 ——胸の奥が、じんと熱くなっていた。


 三桜さんはそんな俺を見て、ほんのすこしだけ笑った。

 まだ泣きそうな顔なのに、目尻がやわらかく下がっている。

 俺は、詰まった息をひとつ吐いた。


「……楽しみにしてる」


 やっと絞り出した声は、自分でも驚くくらいかすれていた。

 三桜さんが目を丸くして、それから——ようやく、本当に笑った。


「うん。絶対、おいしくするから」


 西日が、屋上のコンクリートを赤く染めていた。

 遠くのグラウンドから部活の掛け声がまだ届いていて、風がフェンスを小さく揺らしている。

 三桜さんは鞄を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 その背中は、さっき教室を出ていったときよりも、ほんの少しだけ伸びていた。


「じゃあ、家の用事があるから……行くね」


「うん。気をつけて」


 三桜さんは数歩歩いてから振り返って、小さく手を振った。

 俺も、つられて手を上げる。

 扉が閉まって、屋上に残されたのは風の音だけだった。


 フェンスに背を預けたまま、しばらくそこに座っていた。

 絆創膏だらけの指で一生懸命に詰めてくれた弁当箱のことを、思い出していた。

 あのとき感じた温かさを、俺は、まだ覚えている。


 西の空が、橙色から薄い紫へ静かに変わっていく。

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