第4話 曲がり角の長女と、絡めた腕
朝の光が眩しくて、頭が酷く重い。
昨日の放課後、旧校舎の特別教室で浴びた三方向からの宣戦布告。
「明日からは、それぞれ別々に攻めるから。——覚悟しといてね、誠」
扉の向こうへ消えていった三人の背中と、残された甘い香りの余韻。
ルナは一人のはずなのに、三姉妹が全員、自分がルナだと言って譲らない。
その事実だけでも頭がパンクしそうなのに、あんなふうに迫られて、平静でいられるわけがない。
俺は重い足取りで家を出た。
せめて朝の通学くらいは、一人で静かに過ごしたい。
駅までの道のりを、ぼんやりとした頭で歩き始める。
いつもの曲がり角を曲がった、その瞬間だった。
「あ、やっと来た。おはよっ、誠!」
春の朝日に照らされて、明るめの茶髪がふわりと揺れた。
ピンクのカーディガンを羽織った一花さんが、弾むような足取りで駆け寄ってくる。
電柱にもたれて、俺が来るのを待っていたらしい。
「……一花さん? なんでこんなところに」
「なんでって、一緒に登校するためでしょ。ルナなんだから、旦那様と通学するのは当然じゃない?」
言うが早いか、一花さんはするりと距離を詰めてきた。
ごく自然な動作で、俺の右腕に自分の両腕を絡ませてくる。
「ちょっ、一花さん! 近いって!」
「えー。減るもんじゃないのに。ルナと【リオン】の距離感って、こんなもんっしょ?」
「ゲームと現実を一緒にするな」
「一緒だよ。あたしにとっては、ぜんぶ一緒」
ぴたりと体温が伝わってきて、俺は反射的に背筋を伸ばした。
ブラウス越しに、予想以上の柔らかい重みが右腕にダイレクトに押し当てられる。
寝不足だった思考が、一瞬で真っ白に塗りつぶされた。
一花さんは俺の腕をがっちりとホールドしたまま、にっ、と笑って駅の方へと歩き始める。
「あ、おい、引っ張るな! 歩きにくいだろ」
「いいじゃん、腕組んで歩くの、憧れてたんだよねー。ねー、昨夜ちゃんと寝た? クマすごいよ」
「……お前たちのせいだろ」
「あたしのせい? やだ、あたしのこと考えて眠れなかったの?」
「違う。三人の宣戦布告のせいだ」
「ふーん。でも、三人のうち最初に思い浮かべたの、あたしでしょ」
首を傾げて、下から覗き込むように見上げてくる。
長い睫毛が朝日できらりと光って、心臓が一拍跳ねた。
「……答えないからな」
「沈黙は肯定ってやつ」
「どこの世界の常識だ、それ」
「あたしの世界の。ルナと【リオン】の世界のね」
朝日の中で、純粋に楽しそうな笑顔。
……まいった。
このペースに巻き込まれると、否定するタイミングを全部奪われる。
「嫌とかそういう問題じゃなくて……周りの目が」
「誰も見てないって。もし見てたとしても、羨ましいだけっしょ」
すれ違うサラリーマンが二度見していった。
学生の集団も、こっちを見ながら何か言い合っている。
「ねー、誠。みんな、めっちゃ見てるよ。ちょっと、照れてる?」
「照れてない。居心地が悪いだけだ」
「ふーん。耳、赤いけど?」
「……気のせいだ」
気のせいじゃないことは、自分がいちばんよく分かっている。
朝からこの距離感。
この二日で、俺の心臓は寿命を相当縮めた気がする。
「ふふっ。ゲームの中じゃ、いっつも『俺の背中に隠れてろ』って守ってくれたのにさー。現実だと、けっこう冷たいよね、誠」
「それはゲームの話だろ。現実は、違う」
「違わないよ。だって、あたしと誠の仲じゃん」
絡めた腕を、ぐい、と揺すってくる。
「じゃあ、現実でもあたしのこと守ってくれるよね?」
「……歩け」
「あは、逃げたー」
一花さんは猫みたいに俺の腕に頬ずりして、柔らかい体温を遠慮なく押し付けてくる。
「ほっぺ、押し付けるな」
「えー、いいじゃん。やわらかい?」
「お前のがな」
「あはは、誠が言うと破壊力やばい」
耳の先が、じわりと熱を持った。
「言わせるな」
「ほら、もっと言って」
「断る」
「ケチー」
振り払うのも、なんだか乱暴すぎる気がして——結局、俺は彼女に腕をホールドされたまま、最寄り駅まで歩く羽目になった。
それにしても、人目のある通学路で、あそこまで平然とやってのけるとは。
その行動力だけは、いっそ天晴れだった。
朝の通勤通学ラッシュの時間帯。
駅のホームは人で溢れかえり、滑り込んできた電車も、見るからに満員だった。
「うわ、めっちゃ混んでるね。誠、はぐれないようにしっかり捕まっててよ!」
「いや、離れてくれって」
「やだ。痴漢に狙われたらどーすんの。あたしを守ってよ、誠」
「お前な……」
一花さんはそう言って俺の腕を引き、ぐいぐいと車内の奥へ潜り込んでいく。
なんとかドア横のスペースに収まったものの、次の駅、また次の駅と、人があとからあとから詰め込まれてくる。
「……っ」
人の波に押し出されるようにして、一花さんが俺の胸に飛び込んできた。
俺は咄嗟に窓と壁に両手をつき、一花さんが潰されないようにスペースを作る。
結果として——俺の両腕の中に、一花さんをすっぽりと閉じ込める格好になった。
いわゆる壁ドンの、もっと逃げ場のない完全な密着状態だ。
この距離が、あと何駅続くんだ。
俺はただ、電車が次の駅に着くのを祈るしかなかった。




