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第3話 放課後の密室、重なる告白

 顔も本名も知らないネトゲ嫁【ルナ】が、転校生として俺のクラスに現れた。

 しかも、三人。

 朝のホームルームで、綾瀬一花、二葉、三桜の三姉妹は、揃って自分こそが本物のルナだと言い張った。


 放課後、逃げ出そうとした俺は三人に捕まり、両腕ごと教室から連れ出された。

 着いた先は、旧校舎の使われていない特別教室。

 パイプ椅子が端に積まれた殺風景な部屋に押し込まれると、最後に入ってきた二葉さんが迷いなく扉を閉めた。


 カチャリ。


 無機質な音が響く。

 内側から鍵をかけられたのだ。

 さっきまでの騒がしい放課後の空気が、その音ひとつで完全に遮断される。

 密室。

 一気に空気が重くなり、背筋に冷たい汗が伝った。


「な、なんで鍵なんてかけるんだよ」


「あなたが逃亡する確率をゼロにするためよ。こういう場面では、必ず邪魔が入るものなの。先回りしただけ」


「先回りって、お前な……」


「二葉ってば、相変わらず言葉選びが物騒だよねー。素直に『誰にも邪魔されたくない』って言えばいいのに」


「私は事実を述べたまでよ」


 三桜さんが両手で顔を覆って、消え入りそうな声を絞り出す。


「か、鍵なんてかけたら……密室になっちゃうよ? な、何か間違いが起きちゃったらどうするの……っ」


「間違い? 三桜、あなたまさか、マコトとあんなことやこんなことを期待しているの?」


「ち、ちがっ! そういうわけじゃなくて!」


 三姉妹が俺を囲んだまま、わちゃわちゃと言い合いを始める。

 だが、そのやり取りを眺めている余裕はなかった。


「……単刀直入に聞くぞ」


 俺は息を整えながら三人と向き直った。

 このまま流されてはいけない。

 今日一日、頭の中をぐるぐると回っていた疑問をここでぶつけるしかない。


「君たちの誰かが、エデンの【ルナ】なのか?」


 三人はピタリと会話を止めて顔を見合わせた。

 そして、まるで示し合わせたかのように同時に俺を見て口を開く。


「あたしが、本物のルナだよ」


「いいえ。本物は私よ」


「ち、違うもん! 私がルナだもん!」


 まただ。

 朝のホームルームでの出来事の再放送。


「だから、数が合わないだろ! ルナは一人なんだから!」


「誠は、まだ信じられないって顔してるね」


 一花さんがゆっくりと俺に近づいてきた。

 じりじりと壁際まで後ずさった俺の横に手をつき、退路を断つ。

 いわゆる壁ドンというやつだが、やっているのは小悪魔めいた笑みを浮かべる美少女だ。


「ちょっ、一花さん……」


「リオン」


 その声のトーンに息が止まった。

 からかいの混じった、でもどこか甘えるような響き。


「リオンはさ、ボス戦でピンチになると必ずチャットの語尾に『!』が多くなるよね。それで焦ってるのがバレバレなの。あたしが『落ち着け』って言うと、いっつも『分かってる!』って意地張ってさ。あの意地張ってるリオン、すごく可愛いよね」


 首筋にふっと温かい吐息がかかる。

 少しはだけたブラウスの襟元から覗く鎖骨に、どうしても目が行ってしまう。

 そこから立ち上る柑橘の香りが俺の冷静さを奪っていく。


 ——知っている。

 そのチャットのノリ、意地を張る俺をからかうような間合い。

 間違いなく、ルナのものだ。


「チャットなんてただの表面的なデータよ。本当の絆はもっと熱い戦火の中でこそ結ばれるものだわ」


 一花さんを押し退けるようにして、今度は二葉さんが俺の前に立った。


「はあ? 二葉なんてキーボード見ないと速く打てないじゃん! リオンはあたしの速い返信が好きなの!」


「私は速度よりも正確性を重視しているだけよ」


「二葉さん……?」


「手を、出しなさい」


 言われるがままに右手を差し出すと、二葉さんの両手が俺の手を包み込んだ。

 少しだけ冷たい指先。

 だが、その手は迷いなく俺の指の間に自分の指を滑り込ませてぎゅっと握りしめてくる。


「なっ……」


「マコト。昨日のボス、最後の局面を覚えてる?」


「……HPが二割を切った瞬間に、ルナが回復を捨てて極大魔法を撃ち込んだ」


「なぜ、あのタイミングだったか分かる?」


「……俺が挑発で引きつけたから、か」


「違うわ。あなたが、次の一秒で盾を張り直すと分かっていたからよ」


 二葉さんの切れ長の瞳が至近距離で俺を射抜く。

 淡々とした声だが、握られた手からは確かな熱が伝わってくる。


「言葉にしなくても分かるの。あなたが次にどう動くか。三年、ずっと隣で戦ってきたんだから。……肌で、覚えてる」


 理路整然とした口調。

 だが、繋がれた手から伝わる体温とわずかに赤い彼女の耳たぶが、言葉以上のものを訴えかけていた。

 俺のプレイスタイル、無言の連携。

 それは確かにルナとしか築けないものだ。


「だ、打鍵速度とか、戦友の勘とかも大事だけど……一番大事なのは、心だよ!」


 三桜さんが二葉さんの横からすり抜けるようにして俺の胸元に飛び込んできた。


「うわっと!」


 華奢な身体を受け止めると、ベビーパウダーの甘い匂いがふわりと舞い上がる。

 三桜さんは俺の制服の裾を両手できつく握りしめ、顔を上げた。


「私だって……誠くんのこと、いっぱい知ってるもん!」


「三桜さん……」


「えっと……私ね、誠くんがいちばん素直になる時間、知ってるよ」


「素直に……?」


「日付が変わるくらいの、静かな時間。誠くんは夜中になるとね……ちょっとだけ、弱くなるの」


 心臓を掴まれた気がした。


「『今日はもうログアウトして寝ちゃいたい』って、ある夜に打ったの……覚えてる?」


 あれは確か、ボス周回が三連敗続きで、心がぽっきり折れた夜。

 ルナにだけぼやいた、しょうもない愚痴だった。


「あの時ね、画面の前で誠くんが寝落ちするまで、私、ずっと一緒にだらだらしてたの」


 三桜さんはふわりと笑って、俺の顔を見上げた。


「誰かが疲れてる夜って、一人にしちゃダメな気がして……だから、ね? 私が、誠くんのルナだよ?」


 服越しに伝わる三桜さんの小さな体の震え。

 あの夜、俺の心を救ってくれた不器用で真っ直ぐな言葉の温度が、目の前の三桜さんの体温と完全に重なった。


「三桜、お情けを引こうとするのは反則っしょ」


 一花さんが呆れたように息を吐く。


「感情に訴えかけるのは交渉の基本戦術としてはありよ。姑息だけれど」


「こ、姑息じゃないもん! 私は本当に、そう思ってるから……っ」


 俺は天井を仰ぎ見た。

 一花さんのチャットのノリ。

 二葉さんの戦友としての勘。

 三桜さんの真っ直ぐな感情の温度。

 どれもが、三年間一緒に過ごしてきた【ルナ】の欠片だ。


 本物は一人のはずだ。

 なら、残りの二人は本物から話を聞いて俺の好みに合わせて演技をしているだけなのか。

 だとしたら、ここまで完璧にルナを再現できるものなのか。

 分からない。

 全員が本物に見えるし、同時に、誰が本物なのか見当もつかない。


「……マコト? そろそろ、結論を出してくれないかしら」


 二葉さんの静かな声に俺は我に返った。

 三人がじっと俺の答えを待っている。


「……待ってくれ」


 俺は絞り出すように言った。


「今はまだ、誰が本物なのか分からない。でも——見極めてやる。逃げずに、ちゃんと向き合うから」


 正直に言うしかなかった。

 逃げかもしれない。

 でもこの三人の誰かを偽物だと切り捨てることは、今の俺にはできなかった。


 しばらくの沈黙。

 やがて一花さんがふっと息を吐き、悪戯っぽく笑った。


「ふーん。見極めてくれるんだ。ま、いっか。最初から一筋縄で行くとは思ってなかったしね」


「妥当な判断ね。データが不足している状況での決断は愚の骨頂よ」


 二葉さんも握っていた俺の手を離して小さく頷く。


「私……誠くんに選んでもらえるように、頑張るねっ」


 三桜さんがにんまりと笑って俺の裾から手を離した。

 張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


「でもさ、リオン」


 一花さんが扉の鍵を開けながら振り返る。


「今日みたいに三人で仲良く足並み揃えてアピールするのは、これでおしまい。ルールはシンプル、誰が本物のルナか当てるまで、三人であなたをオトす。それだけ」


「えっ?」


「明日からは、それぞれ別々に攻めるから。——覚悟しといてね、誠」


 二葉さんが涼しげな目で俺を射抜く。


「私からも宣言するわ。マコト、あなたが選ぶまで、私はあなたの傍を離れない」


「わ、私も……負けないよ。誠くんの特別に、なりたいから」


 三桜さんが両手を胸の前でぎゅっと握った。


「じゃ、また明日ねー!」


 三人はそれだけ言い残すと、嵐のように特別教室から去っていった。

 残された俺は床にへたり込む。

 体中から甘い匂いが消えない。

 右腕にも、左手にも、胸元にも、三人の体温と柔らかい感触がくっきりと残っている。


 明日から、別々に攻める?

 あの三人が、一人ずつ俺のところに来るというのか。


「……マジで、どうなるんだよ、俺の高校生活……」


 誰に問うでもなく呟いた声は、空っぽの教室に虚しく吸い込まれていった。


 ルナは一人のはずだ。

 なのに三人いて、三人とも本物にしか見えなくて、しかも明日からは一人ずつ来るらしい。


 見極めてやる、なんて言ったけど。

 俺は今、何ひとつ分かっていない。


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