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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第35話 廊下の子犬、駆け引きゼロの突撃

二葉さんの勉強計画が始動して、数日が経った。

 その日の放課後、教室に残っているのは、俺と三桜さんの二人だけだった。


「誠くん、ここの公式って……こうじゃないの?」


 三桜さんが鉛筆の先でノートを突いて、こてんと首を傾げる。

 水色のノート――二葉さんが組んでくれた計画表の指示通り、今日は数学の基礎問題を反復していた。


「それ、代入する順番が逆だな。まずこっちの式を整理してから――」


「あっ、そっか! ここに当てはめるんだ!」


 三桜さんはぱっと顔を輝かせて、鉛筆を走らせ始めた。

 夕方の教室に差し込む西日が、彼女のボブカットの毛先をオレンジに染めている。

 三桜さんは集中するたびに、俺のシャツの袖をきゅっと掴んでくる。

 たぶん本人は、その癖にまるで気づいていない。


「よし、今日のノルマはこのへんにしとくか。暗くなる前に帰るぞ」


「うんっ。……えへへ、誠くんが先生だと、私、すっごく頑張れちゃうの」


 鞄に教科書を詰めて、二人で並んで教室を出る。

 西日の差す廊下は、遠くのグラウンドから部活の掛け声が聞こえてくるくらいで、しんと静まり返っていた。


 このまま穏やかに帰れる。

 そう思った、矢先だった。


「相沢センパーイっ!」


 廊下の向こうから、ぱたぱたと軽い足音が駆けてくる。

 声のした方を振り向くと、そこに小柄な女の子が立っていた。

 ショートヘアで、少しボーイッシュな一年生。

 大きな瞳をきらきらと弾ませて、今にもこちらへ駆け出してきそうな、そわそわとした気配を全身からにじませている。


 俺は思わず目を見開いた。

 あの子だ。

 数日前、この廊下をそわそわと覗き込んでいた、あの一年生。


 そして、記憶がもう一つ繋がった。

 以前、校門の脇で、こちらを睨んでいた女の子。

 ――ぜんぶ、この子だったのか。


 だが、気づきに浸っている余裕なんて、一秒もなかった。


「やっと、やっと見つけました! 会いたかったんですよぉ、センパイっ!」


「え、ちょっ……」


 止める間もなかった。

 その子は迷いなく俺の腕へ飛び込んでくる。

 どんっ、という勢いと一緒に、細い両腕が右腕に絡みついた。


 衝撃と、甘いシャンプーの匂い。

 俺はバランスを崩しかけて、慌てて足を踏ん張った。

 肩に押し付けられた小さな頭は、つむじがちょうど俺の胸元のあたりにくる。

 頭ひとつぶん以上、低い。


 そして――ボーイッシュな見た目からは想像もつかない柔らかな重みが、制服越しに腕へ押し付けられて、じわりと自己主張してくる。

 俺は、思わず視線を逸らした。


 ……近い。

 硬直する。

 頭のどこかが、真っ白になっていく。

 まるで、ようやく飼い主を見つけた子犬が、全身でじゃれついてくるみたいだった。


「あ、申し遅れました! わたし、一年の、篠崎心花って言いますっ。ほら、この前、センパイに、プリント拾うの手伝ってもらったじゃないですか。あの時の、後輩ですっ」


 にぱっと見上げてくる篠崎の頬は、興奮で薔薇色に上気していた。


 プリント。

 確かに数日前、渡り廊下で風に飛ばされた一年生のプリントを、何も言わずしゃがんで、一緒に拾い集めてやったことがあった。

 だが――あれは、ほんの数十秒の出来事だ。


「あの時、わたし、配られたプリントを、ぜんぶ風で飛ばされちゃって。半泣きで追いかけてたんです。そうしたらセンパイ、なんにも言わずに、さっとしゃがんで、一緒に拾い集めてくれて。……わたし、もう、その時からずっと。センパイって、なんて優しい人なんだろうって、ずーっと忘れられなくてっ」


 腕に回された手が、ぎゅっと力を込めてくる。

 そのたびに、腕に当たる柔らかい感触が自己主張してきて、俺は必死に別の方向を見た。


「あの時は、本当にありがとうございました! センパイ、私のヒーローですからねっ」


「……にしても近すぎだろ。お礼で腕にしがみつくやつがあるか」


「あります。私の感謝は体当たりですからね」


 篠崎は、遠慮という言葉を知らない勢いで、俺の腕へぐりぐりと頬を擦り寄せてくる。

 明るくて、屈託のない笑顔。

 だが、その笑顔を見ているうちに、俺の記憶の隅で、別の光景がふっと浮かび上がった。


「……なあ、篠崎。ちょっと聞きたいんだけど」


「なんですか、センパイ?」


「入学してすぐの頃、朝の校門で、こっちのこと睨んでなかったか」


 あれは、一花さんと腕を組んで登校した日のことだ。

 昇降口へ続く通路の陰から、親の仇でも見るような目で、こちらをじっと睨みつけていたショートヘアの下級生がいた。

 あの時の子と、目の前の篠崎の顔が、頭の中でゆっくり重なっていく。


 俺の問いに、篠崎の手が、一瞬だけぴたりと止まった。


「に、睨んで……?」


「ああ。あれ、篠崎だろ」


 篠崎の大きな目が、すっと泳いだ。

 視線が俺の顔から外れて、天井の蛍光灯、窓の外と、ありとあらゆる方向へ逃げ回る。


「え、えーっと……あはは、そんなこと、ありましたっけ? わ、私、方向音痴なので、たまたま迷子だったのかもですねぇ」


 声が、一段だけ明るくなった。

 嘘だな、と直感した。

 だが、あの日は遠くからで、相手の顔をはっきり見たわけじゃない。

 追及する根拠もなかった。


「……まあ、気のせいならいいけどな」


「気のせいですよぉ、きっと!」


 満面の笑みで、強引に切り替えてくる。

 あの鋭い視線と、目の前の人懐っこさが、どうにも頭の中で結びつかない。


 プリントを拾っただけの、たった数十秒の接点。

 それなのに、この子はまるで昔から俺を知っているみたいに、距離が近い。

 ――ただの後輩の懐きにしては、妙に親しすぎないか。


「……ちょ、ちょっと、待って」


 遅れて、三桜さんが固まっていた。

 まんまるに見開いた目が、俺の腕に抱きつく篠崎と、俺の顔を何度も行き来する。

 口をまるく開けたまま、ぱくぱくと声にならない声をこぼしている。


 ようやく、再起動したらしい。


「誠くん、この人……だれ?」


「えっと――数日前、プリントを拾ってやった後輩で――」


「篠崎心花ですっ! 一年ですっ! センパイには、いっつもお世話になってますっ」


「いっつもって、先週一回、会っただけだろ」


「一回でも、一生分の恩ですよぉ」


「……重いな」


 三桜さんの視線が、俺の腕に絡みつく篠崎へ、まっすぐ向けられた。

 その目が、みるみるうちに潤んでいく。


「……離れて、ください」


 三桜さんが、ぎゅっと唇を噛んで立ち上がった。

 小さな両手で、俺の腕にくっついた篠崎を、えいえい、と引き剥がそうとする。

 だが、まるで力が入っていない。

 もともと、三人の中でいちばん小さくて細い三桜さんだ。

 子猫が前足で猫じゃらしをちょいちょい押さえるみたいな、およそ引き剥がしとは呼べないやわらかさだった。


 ただでさえ三桜さんがここまで必死な顔を見せるのは珍しいのに、この威力ではなんとも締まらない。

 必死の形相のわりに、その手つきはどこまでも優しくて、見ているこっちが、なんだか申し訳なくなる。


 そんな、いかにも三桜さんらしい可愛い抗議にも。

 篠崎は、まるで怯まなかった。


 それどころか、三桜さんの顔を見て、ぱっと目を輝かせる。


「わあ、もしかして、綾瀬先輩ですかっ?」


「え……なんで、私の名前……」


「センパイの隣に、すっごく可愛い先輩がいるって、噂で聞いてましたっ!」


「ふぇっ? か、かわいい……?」


 矛先を向けられた三桜さんが、きょとんと目を丸くする。

 その隙に、篠崎は引き剥がされかけた腕を、ますますしっかり抱き直した。


「あ、そうだ。私、決めましたっ」


 篠崎は俺の腕を抱えたまま、まっすぐに俺を見上げて、堂々と言い放った。


「私にも、勉強教えてくださいっ!」


「……は?」


「センパイ、テスト対策すっごく頭いいって聞きましたっ。後輩にも、どうか愛の手をっ!」


「愛の手って……そもそも、誰から聞いたんだよ、そんな話」


「だって私、センパイのこと、いっつも見てますからっ」


 あまりに屈託なく言い切られて、突っ込むタイミングを見失う。

 その明るすぎる声の奥に、一瞬だけ、逃げ場をなくされるような重さがちらついた気がした。


「……俺だって、人に教えられるほど成績よくないぞ」


「謙遜ですっ! 放課後、邪魔にならないようにしますからっ。ね? ね?」


「だ、だめっ! 誠くんは、これから私たちと勉強するのっ!」


 三桜さんが、半分泣きそうな顔で食い下がる。


「えー、どうしてですかぁ? 私、おとなしくしてますよ?」


「おとなしくしてないよぉ! いきなり抱きついてきたじゃんっ!」


「これは、センパイへのリスペクトですっ。ね、センパイ、いいですよねっ?」


「お前、さっきから全然、三桜さんの話を聞いてないだろ」


「聞いてますよぉ。でも、センパイが『うん』って言ってくれれば、ぜんぶ丸く収まるじゃないですかっ」


「ちっとも収まってないから、言ってるんだよ」


 後輩の特権、とでも言いたげな図々しさだった。

 むげに断れない後輩という、これ以上ない立ち位置。

 その絶妙なポジションを、この子はたぶん、本能で分かっている。


「いや、俺自身もいっぱいいっぱいで……それに、三桜さんもこう言ってるしな」


 やんわり断ろうとした、その時だった。


「……駄目、ですか?」


 篠崎が、ふっと声を落とした。

 大きな目の端に、うっすらと水気が浮かぶ。

 上目遣いで見上げてくるその距離は、腕一本ぶんもない。

 さっきまでの勢いが嘘みたいに、しおらしく肩を落としている。


 ……ずるいだろ、その顔。


「……邪魔は、しないんだな?」


「しませんっ! おとなしく、隅っこで勉強しますからっ」


「隅っこで勉強するだけなら、俺の許可なんかいらないだろ」


「センパイの許可がないと、私、何もできないんですよぉ」


「依存度が高すぎるだろ……」


 俺が半分折れかけると、篠崎は一瞬で、元の満面の笑みに戻った。


「お、相沢。なんだなんだ、今度は一年生と修羅場かよ」


 不意に、横から声が飛んできた。

 部活帰りらしい、同じクラスの男子だ。

 スポーツバッグを肩にかけて、面白がるようにこちらを見ている。


「二年の三つ子だけじゃ足りないって、すげーな」


「茶化すなよ。そういうのじゃないから」


 ため息まじりに言い返すと、腕にかかっていた重みが、わずかに動いた。

 篠崎が半歩、俺の背中側へ体をずらす。


「そうですよー! 相沢センパイは私が予約済みなので、邪魔しないでくださいねっ」


 声はいつも通り明るかった。

 ただ、その明るさが飛んでいく先は、相手の顔ではなく、俺の肩越しの少し上だった。


 そいつは「はいはい、お邪魔しましたよー」と笑って手を振り、廊下の先へ去っていく。

 その背中が見えなくなったころ、俺の腕を抱える指の力が、少しだけ緩んだ。


「あ、そうだ。センパイ、連絡先教えてくださいっ」


「話、聞けって……」


「ほんの一瞬で終わりますからっ」


 篠崎は、ようやく俺の腕を離したかと思うと、どこからかスマホを取り出して、ぐいと画面を突きつけてきた。

 これも後輩の特権、とでも言いたげな満面の笑顔だ。

 その勢いに気圧されて、俺は半ば反射的に連絡先を交換させられてしまう。


「えへへ、ゲットですっ。宝物が、増えましたっ」


「連絡先ごときで、大袈裟だろ」


「センパイには、ごときでも。私には、一生ものですからねっ」


 からっと笑っている。

 嫌味も、計算もない。

 だからこそ、その言葉が、ふっと底を見せる一瞬がある。


「じゃあ私、今日はこれでっ! また明日、絶対来ますからねっ。覚悟しておいてくださいよぉ」


 さんざん場を引っ掻き回した挙句、篠崎は軽やかに身をひるがえして、駆け出しかけた。

 だが、ふと思い出したように立ち止まり、くるりと三桜さんへ振り返る。


「あ。綾瀬先輩は、センパイのお友達ですよねっ? 私、これからいっぱいお邪魔しちゃうので……仲良くしてくださいねっ。よろしくお願いしますっ!」


「お友達っていうか、その、ただの友達じゃなくて……」


「すっごく優しそうな先輩ですっ。センパイの近くにいる人って、みんな素敵なんですねっ!」


 心から嬉しそうに、にぱっと笑って、ぺこりと深々と頭を下げる。

 敵意を向けようとしていた相手から、正面からまっすぐ褒められて。

 さっきまで臨戦態勢だった三桜さんが、ぽかんと毒気を抜かれてしまった。


「え、あ、う、うん……よろしく……?」


 つられて、こくんと頷いてしまっている。

 篠崎は満足げに手を振ると、軽い足音を響かせて、廊下の角の向こうへと消えていった。


 しばらくの、沈黙。


「……って、ちがうっ! よろしくしないもんっ!」


 数秒遅れて我に返った三桜さんが、廊下で一人、ジタバタと地団駄を踏む。


「もうっ! なんなのあの子ぉ! 一生分の恩って、何!?」


「あー……まあ、プリントを拾うのを、手伝っただけなんだけどな」


「プリント拾っただけで一生分!? じゃあ私なんて、毎日一緒にいるのにっ!」


 三桜さんが胸の前でぐっと拳を握って震わせる。


「はいはい。落ち着けって」


「落ち着けないよぉ! あの子、絶対、誠くんのこと狙ってるもんっ!」


「考えすぎだろ。ただの、元気な後輩だって」


「誠くんは鈍感すぎるのっ! あんなの、どう見ても本気だもんっ!」


 三桜さんは、ぐすっと鼻を鳴らした。

 それから、ふっと顔を上げる。


「……私も、負けないんだから」


「え?」


「なんでもないっ。……ほら、帰ろ、誠くん」


 ぷいっとそっぽを向いて、それでも俺のシャツの袖は、しっかり掴んだままだった。


 俺は、頬を膨らませた三桜さんをなだめながら、去っていった小柄な後ろ姿を思い返して、そっとため息をついた。


 一花さんの計算高いアピールとも、二葉さんの理詰めの包囲網とも、三桜さんの無自覚な甘えとも違う。

 駆け引きゼロで、ただ真っ直ぐにぶつかってくる、底の知れないエネルギー。


 鞄を担ぎ直したところで、ポケットのスマホが、小さく震えた。

 さっき交換したばかりの連絡先から、一件の通知。


『センパイ! 心花ですっ! 明日も、よろしくお願いしますっ』


 ――明日も、か。

 俺は小さく苦笑して、スマホをポケットに戻した。

 ただでさえ賑やかだった毎日が、もう一段、騒がしくなりそうだった。

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