第25話 それぞれの城と、こぼれた一言
三桜さんの「私のお部屋、見ていかない?」という爆弾発言で、空気がぴたりと止まった。
右腕は一花さんにがっしりとホールドされ、左側からの退路は二葉さんに完全に塞がれている。
「ちょっと三桜! そういうのは長女から順番って相場が決まってるっしょ!」
「……一花。部屋を見せることに長女も次女も関係ないわ。合理的に考えて、一番整理整頓されている私の部屋から見るべきよ」
「ええっ、なんで二人とも怒るの!? 私が先に誘ったのにぃ」
「いいでしょう。そこまで言うなら、見せればいいわ。……ただし」
こめかみに指を当てていた二葉さんが、すっと人差し指を立てる。
「三人ぶんの部屋に、四人で一度に押しかけるなんて、はしたないでしょう。狭いし、落ち着かない。……一人ずつ。順番に案内する。それなら、文句はないでしょう」
「えー。それ、ただ二葉が、誠と二人きりになりたいだけじゃ……」
「何か言った?」
「いえ、なんにも言ってないでーす」
地を這うような二葉さんの低音に、一花さんが即座に両手を上げて降参した。
……この姉妹の力関係は、ときどき、本当によく分からない。
「マコト。公平を期すなら、一部屋あたりの時間を統一すべきね」
二葉さんがスマートフォンを取り出し、ストップウォッチの画面をこちらに向けた。
「一人三分」
「みじかっ!」
「ストップウォッチで細かく測るのか?」
「当然よ。公平性を担保するの」
「十分な時間よ。部屋を見せるだけなのだから」
一花さんが即座に食いついた。
「見せるだけじゃないし!」
「一花。あなたは何をするつもりなの」
「べ、別に! あたしの城を自慢するだけだし! じゃ、トップバッターはあたしね。ほら誠、こっち来て、こっち」
「いや、なんで一花さんが一番なんだよ」
「早い者勝ちっしょ。文句ある人ー?」
言うが早いか、俺は腕をぐいと引かれて、廊下の奥へと連れていかれる。
残された二葉さんと三桜さんが、その背中にじとっとした視線を突き刺しているのが、見なくても分かった。
◇
通されたのは、廊下でいちばん手前の部屋だった。
ドアが開いた途端、部屋の空気ごと、甘い柑橘系の香りが溢れ出してくる。
「どうぞどうぞー。ここが、あたしのお城っ」
一歩、足を踏み入れて――俺は、思わず立ち止まった。
とにかく、賑やかなのだ。
壁には、流行りのアーティストのポスター。
ドレッサーの上には、色とりどりのコスメが所狭しと並んでいる。
まんまるなライトに、ふわふわのラグ、見たことのないキャラクターのぬいぐるみ。
可愛いもの、きらきらしたものが、部屋のあらゆる隙間をぎっしりと埋め尽くしていた。
……まるで、ほんの少しの余白も、寂しさには渡すまい、とでもいうように。
そんなことを、ふと思う。
ふと、ドレッサーの隅に一台のノートパソコンが目に入った。
派手なシールでデコレーションされた、薄くて軽そうな端末だ。
画面の脇には、自撮り用らしいリングライトと、可愛い三脚が立てかけてある。
……どう見ても、動画を撮ったり、写真を加工したりするための代物だな。
あの重たいエデンを動かす、いかついマシンの気配は、これっぽっちもない。
……まあ、そうだよな。
「ねー、誠。そんなとこ突っ立ってないで、座りなよ。ほら、ここ」
一花さんが、ぽんぽん、と自分のベッドの端を叩く。
ふかふかの、白いベッドカバー。
……いや、待て。
「いや、椅子でいいだろ、椅子で」
「えー、ベッドのほうが、ふかふかで気持ちいいのに。それとも、あたしのベッドに座るの、ドキドキしちゃう感じ?」
にやりと笑った一花さんが、俺の腕を取って、半ば強引にベッドへ腰かけさせる。
すかさず、その隣へ自分もぽすんと座り込んできた。
肩が、触れ合う。
ほんのりと温かい二の腕が、俺の腕にぴたりと押し当てられて、さっきの香りがいっそう濃く立ちのぼった。
「ね? ふかふかでしょ」
至近距離で、上目遣いに覗き込まれる。
……心臓に、悪い。
こういう時、一花さんは、自分の可愛さの使い方を、完璧に心得ている。
「……一花さん。近い」
「近くしてるんだもん。当たり前じゃん」
悪びれもせず、一花さんはさらに体重を預けてくる。
逃げ道を探して視線を泳がせた、ちょうどその時だった。
コン、コン。
ドアが、無慈悲にノックされた。
「一花。三分経ったわ。次は、私の番よ」
ドアの向こうから、二葉さんの、氷のように冷たい声が突き刺さる。
「ちょっ、まだ一分も経ってないし。二葉、ストップウォッチでも握ってんの?」
「当然でしょう。公平を期すための、計測よ」
……どうやら、廊下では廊下で、熾烈な戦いが繰り広げられているらしい。
◇
二番目に通された二葉さんの部屋は、一花さんのそれとは、何もかもが正反対だった。
物が、驚くほど少ない。
壁の一面を覆う本棚には、参考書と問題集が、背の高さ順に寸分の隙もなく並んでいる。
机の上は、ペン一本に至るまで、定規で測ったように整えられていた。
塵ひとつ落ちていない、静かで、ひんやりとした空間。
……几帳面というか、もはや求道的ですらある。
ここまで片付いていると、かえって、こちらが息を詰めてしまいそうになった。
たぶん、この人にとっては、こうしてすべてを整然と並べておくことが、安心の形なのだろう。
乱れたものが、ひとつもない世界。
それを保っている限り、自分の足元は揺らがない――とでも、言うように。
その完璧に片付いた机の上にも、ノートパソコンが一台きっちりと角を揃えて置かれていた。
飾り気のない、ごくありふれた、薄型の端末。
一花さんの部屋のとは趣が違うが、これもまた、どう見ても勉強か調べ物に使うための、ただのパソコンだ。
……結局、この家のどこを探したところで、俺の想像していたような、いかついゲーム用の機械は出てこないらしい。
「マコト。そんなところに突っ立っていないで、こっちへ」
二葉さんが、机の脇をとん、と指で示す。
言われるまま隣に立つと、彼女は本棚から一冊のファイルを抜き出して、開いてみせた。
そこには、几帳面な字で、びっしりと書き込みがされている。
……というか、これは。
「待った。二葉さん、これ、俺の志望校の……」
「ええ。あなたの今の成績なら、どの教科を、どの順番で固めれば間に合うか。一年ぶんの計画に、まとめておいたわ」
さらり、ととんでもないことを言う。
いつの間に、俺の成績まで把握しているんだ。
「……なんで、そこまでしてくれるんだよ」
「言ったでしょう。……マコトのことを、ほかの誰かに任せておくなんて、私には、できないの」
二葉さんは、ファイルを持つ俺の手元へすっと自分の手を重ねてきた。
ひんやりとした、滑らかな指先。
ページをめくらせるふりをして、その手はなかなか離れようとしない。
「だから、勉強は、私が見てあげる。……ずっと、隣で。いいでしょう?」
肩が触れ合うほどの距離で、二葉さんが静かに俺を見上げる。
その瞳の奥には、いつもの冷ややかさとは違う、ひどく一途で、譲らないものが揺れていた。
……これは、こっちのほうが、よっぽど心臓に悪い。
その時、再びドアが激しくノックされた。
「二葉ー! もう絶対、三分過ぎてるってー! 次、三桜の番でしょっ」
「……ちっ」
聞き間違いかと思うほど小さく、二葉さんが舌打ちをした気がした。
◇
最後に案内された三桜さんの部屋は、なんというか――いちばん、人間くさかった。
「さ、散らかってて、ごめんね……えへへ」
そう言って、三桜さんが慌てて床のカーディガンを拾い上げる。
ベッドの上にも、棚の上にも、大小さまざまなぬいぐるみがぎゅうぎゅうに肩を寄せ合っていた。
その合間に、フェルトで作ったらしいマスコットや、ビーズの小物がちょこちょこと顔を覗かせている。
……ぜんぶ、手作りなんだろうか。
几帳面な二葉さんの部屋とも、華やかな一花さんの部屋とも、また違う。
柔らかくて、あたたかいものだけで、ぐるりと周りを固めたような部屋だった。
ここにいると、なんだか肩の力が抜けていく。
たぶん三桜さんも、こういう柔らかいものに埋もれていないと、落ち着かないたちなのだろう。
部屋の隅の小さな机には、見覚えのある、可愛いステッカーだらけのノートパソコンが置いてあった。
さっき、リビングで見かけたのと、同じ調子のやつだ。
……うん。
もう、確かめるまでもない。
この家のどこにも、俺の探していたものは無さそうだった。
「あのね、誠くん。これ、私のいちばんのお気に入りなの。はい、どうぞっ」
三桜さんが、ひときわ大きな、くまのぬいぐるみを俺の腕にぐいっと押しつけてくる。
ふかふかで、ほんのりと、彼女と同じ甘い匂いがした。
「えっと……可愛いな、これ」
「でしょー? その子、ルーくんっていうの。私が、ちっちゃい頃から、ずーっと一緒なんだ」
言いながら、三桜さんは、自分も別のうさぎのぬいぐるみを抱えて、俺のすぐ隣にぽすんと腰を下ろした。
肩と肩が、こてん、と触れ合う。
ぬいぐるみ越しに、三桜さんの体温がじんわりと伝わってきた。
「こうやって、誰かと並んで、ぬいぐるみ抱っこするの。……ずっと、やってみたかったんだ」
無邪気に笑う、その横顔に。
打算なんて、これっぽっちも見当たらない。
ただ、嬉しい、という気持ちだけが、まっすぐに溢れている。
……まったく。
この三姉妹は、攻め方こそ三者三様なのに、どうしてこう、一人ひとり、まるで違う角度から、俺の調子を狂わせてくるんだろう。
「あー! 三桜、ぬいぐるみで油断させて、ちゃっかりくっついてるー!」
「これだから、末っ子は油断ならないのよ」
いつの間にか、半分ほど開いたドアの隙間から、一花さんと二葉さんが揃って顔を覗かせていた。
……結局、廊下でおとなしく待っているのが、我慢できなかったらしい。
「はい、終了ー! 誠、リビング戻るよ!」
「長居は無用よ、マコト」
◇
そうして、三つの部屋をひととおり見せてもらった。
俺は、三人に囲まれるようにして、また広い廊下をリビングのほうへと戻っていく。
その途中だった。
ふと足を止めて、俺は、改めて家の中を見回した。
高い天井。
ゆったりとした廊下。
いくつも並んだ、ドア。
立派で、広くて――それなのに、どこか、がらんとして見えた。
「……この家。こんなに広いのに、三人のものしか、ないんだな」
その呟きは、深く考えるより先に、口からこぼれていた。
言ってしまってから、俺は、しまった、と思う。
ふ、と。
廊下の空気が、一瞬凪いだ。
いつも賑やかな三人が、申し合わせたみたいに、ほんの一拍言葉を失う。
一花さんの笑顔が、ほんのわずか固まった。
二葉さんの視線が、すっと床へ落ちる。
三桜さんが、抱えていたぬいぐるみを、また少しだけぎゅっと抱き直した。
その沈黙は、本当に、ほんの数秒のことだった。
「……もー、何それ。誠、しんみりさせないでよっ」
次の瞬間には、一花さんが、いつもの調子でぱっと明るく笑い飛ばしている。
「ほら、まだ帰らせてあげないんだから。最後に、お茶くらい飲んでってよ」
「まだ帰れないのか……」
「帰れると思ったの?」
ぐいぐいと背中を押されて、俺はリビングのほうへと連れ戻されていく。
けれど――その明るすぎる声と、さっきの一瞬の沈黙とのあいだに。
俺は、小さな棘のようなものが、ちくりと胸に刺さったのを、感じていた。
可愛くて、賑やかで、まぶしくて。
……それなのに、あの一瞬だけ三人が見せた、あの顔は。
いったい、何だったんだろう。
その正体が何なのか、この時の俺には、まだ、うまく言葉にすることが、できなかった。




