第20話 三つのフォークと、一番ホッとする味
三姉妹と同じ班になった調理実習も、三者三様の妨害をかいくぐって、どうにか焼き上げまで漕ぎ着けた。
四人分のハンバーグが湯気を立てて並ぶ調理台で、俺がフォークを手に取った、その横から。
「はい、誠! あーん!」
一花さんが自分のハンバーグを小さく切り分け、フォークに刺して俺の口元へ突き出してきた。
机に身を乗り出すようにして顔を近づけてくるので、胸元の谷間がエプロン越しに強調されて目のやり場に困る。
「い、一花さん、自分で食べるから……」
「だーめ! あたしが一生懸命作ったんだから、一番に味見してほしいっしょ。ほら、あーん」
にっこりと笑う小悪魔な笑顔に逆らえず、俺は観念して口を開けた。
星型の端っこは少し苦かったが、肉の味はしっかりしている。
何より一花さんの細い指先が俺の唇に触れそうになるほどの至近距離で、直接食べさせてもらう行為の破壊力は凄まじかった。
「どう? 美味しい?」
「……悪くない。ちょっと焦げてるけど、玉ねぎのごろっとした食感がアクセントになってる」
「やった! 誠に褒められちゃった」
一花さんは空になったフォークをくるりと回して、それからにやりと笑った。
「ほら、今度はちゃんと口開けて『あーん』って言いなさい?」
「いや、もう食べ終わってるだろ……」
「ダメっ。コミュニケーションは形から入るのが大事っしょ! さん、はいっ」
「……あーん」
自分の間抜けな声が、家庭科室のざわめきに溶けていく。
「よーし、いい子いい子! 誠、可愛いところあるじゃん。じゃあ、次の一口も……」
「マコト。焦げたものを食べては味覚の基準が狂うわ。私の完璧な仕上がりを評価しなさい」
二葉さんが真顔のままフォークを差し出してくる。
「……あーん、よ」
言いながら、二葉さんの耳の先がみるみるうちに赤く染まっていく。
普段のクールな態度からは想像もつかないほど、その声は微かに上ずっていた。
「それ、マコトの口を独占する口実でしょうが」
「……客観的な、品質評価のためよ」
二葉さんはそっぽを向きながら、わずかに震える手でフォークを押し付けてくる。
俺は苦笑しながらその一口を食べた。
火の通り具合も肉汁の閉じ込め方も、文句なしの出来栄えだ。
ただ、どこか模範解答のような味がする。
「あ、あの……誠くん」
最後におずおずと差し出されたのは三桜さんのフォークだった。
溶け出したチーズが絡まった、不格好なハンバーグの欠片。
「私のは、形も変になっちゃったけど……」
三桜さんは恥ずかしそうに下を向いたまま、そっとフォークを俺の口元へ近づけた。
「……食べて、くれる?」
その震える声に俺は無言で頷き、差し出されたハンバーグを口に運んだ。
口の中に肉の旨味とチーズのまろやかさが広がる。
見た目は不格好だったのに、味付けのバランスは驚くほど絶妙で、何より食べていてほっとするような温かさがあった。
「すごく美味いよ、三桜さん。なんか、一番ホッとする味がする」
「ほんと……?」
「ああ、ほんとに」
三桜さんはパァッと顔を輝かせ、両手を胸の前で握りしめて全身で喜んだ。
「……ちょっと。誠、三桜のだけ格別扱い?」
一花さんが頬を膨らませて俺の袖を引っ張ってくる。
「あたしのハンバーグの感想は? もっと感動的な言葉、ないわけ?」
「悪くないって言っただろ」
「悪くない、じゃ足りないっての!」
その一花さんを、二葉さんが呆れたように見下ろした。
「一花。あなたの評価はもう済んでいるわ。マコト、次は私の番よ」
「二葉さんも便乗しないでくれ……」
「客観的な、順位付けの確認は必要よ」
「順位付けって、二葉さんが一番嫌がりそうな話じゃ……」
「……嫌いよ。でも、一番じゃなくていいとは言っていないわ」
二葉さんの本音がぽろりとこぼれたところで、隣から遠慮がちな声が上がった。
「私も……聞きたい、かも」
三人の視線が、じっと俺に集中する。
「……全部、美味かった。本当に」
「それ、一番ずるい答えじゃん!」
「もっとも不誠実な回答ね」
「えへへ……でも、嬉しい」
三桜さんだけが、素直に笑った。
後片付けの時間になり、流し台で食器を洗い始める。
一花さんが泡だらけの手で俺の鼻先にぺたっと泡をつけてきた。
「えへへ、誠にデコレーション」
「やめろ、流し台でイタズラするな」
「顔に泡がついてるわよ、マコト。じっとしていなさい」
二葉さんが濡れた布巾で、俺の顔を丁寧に——しかし至近距離で拭いてくる。
清涼感のあるシャンプーの香りがすぐそこにあった。
「二葉さん、自分で拭けるって」
「私がやったほうが効率的よ」
布巾を持つ手が妙に丁寧だ。
効率を理由にした完全な密着。
「私も手伝う!」
三桜さんが慌てて駆け寄ってきた拍子に、足元の水たまりで滑りかけた。
「わっ——」
とっさに腕を掴んで支える。
小柄な身体が俺の胸元にぶつかり、華奢な肩が腕の中に収まった。
服越しに伝わる体温と、小動物のような軽さ。
「だ、大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい……」
三桜さんは俺の胸に顔を埋めたまま、なかなか離れない。
「……三桜さん? もう支えてるから、大丈夫だぞ?」
「……うん。わかってる。わかってるけど……もうちょっとだけ」
その呟きに俺の胸がどきりと鳴ったときだ。
「おーい、三桜ー? あんたいい加減にしなよー?」
「三桜。授業中よ」
姉二人の冷たい声に、三桜さんはようやくぱっと離れ、耳まで真っ赤にして俯いた。
片付けが終わり、エプロンを外して家庭科室を出ようとしたとき。
三桜さんが小さく俺の袖を引いた。
「誠くん」
「ん?」
「あのね、さっきのハンバーグ……もっと上手に作れるように、練習するから」
三桜さんは、上目遣いで俺を見上げた。
「また……作っても、いい?」
その声は小さかったけれど、込められた真っ直ぐな想いが、直接胸に届いた。
「ああ。楽しみにしてる」
そう答えると、三桜さんの顔に花が咲いたような笑顔が広がった。
一花さんの華やかさでも、二葉さんの完璧さでもない。
不器用で、見た目もめちゃくちゃで、だけど一口で全部許してしまうような優しい味。
あの一皿の温もりが、まだ舌の上に残っている。
その不器用な真っ直ぐさを、俺は今日の夕暮れ、改めて思い知らされることになるのだけれど。




