表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/36

第15話 土曜日の抜け駆けと、狭すぎる試着室

土曜日の昼下がり。

 俺は駅前の大型ショッピングモールに一人で来ていた。


 洗剤、シャンプー、ノート。

 色気の欠片もないが、生活には欠かせないやつだ。

 平日は三姉妹の包囲網に揉まれっぱなしの俺にとって、こういう何でもない買い出しの時間は、数少ない平穏だった。

 ……まあ、その平穏も、長くは続かなかったわけだが。


「だーれだっ」


 背後から視界を塞がれると同時に、背中にふたつの柔らかい感触がむぎゅっと押し付けられた。

 ふわりと、甘い柑橘系の香りに包まれる。

 服越しに、予想以上の柔らかさと温もりが伝わってきて、俺は思わず変な声を出しかけた。


「ちょっ……一花さん!?」


 慌てて振り返ると、そこには私服姿の一花さんが立っていた。

 ゆるふわに巻いた茶髪を片方の肩に流し、鎖骨が覗くオフショルダーのニットに、膝上の短めスカート。

 制服の着崩しでは隠れていた体のラインが、私服だとくっきりと浮かんでいる。

 ウエストから腰にかけてのメリハリと、スカートの裾から伸びる健康的な脚に、思わず目を逸らした。


「奇遇だね、旦那様」


「奇遇って……どう見ても待ち伏せだろ」


「やだなー、人聞きの悪い。……ていうか今、目ぇ逸らしたっしょ。ちゃんと意識してくれたってこと?」


 逸らしたことが、しっかりバレた。


「してない。反射だ」


「ふーん。……ま、いいけどさ。ちゃんと見てよ。せっかくおしゃれしてきたのに」


 一花さんが、ちょっとだけ唇を尖らせる。


「……で、なんで俺が今日ここにいるって分かったんだよ」


「昨日の夜、ルナに言ってたじゃん。『明日は買い出しに行かなきゃ』って」


 ……しまった。

 ゆうべ、ログアウトの間際に、何気なくこぼした一言だ。

 それを、なんで目の前の一花さんが知っているのか――は、もう、考えるだけ野暮な気がした。


「ちなみに、二葉と三桜には内緒で来たから。今日のあたしは、抜け駆けってやつ」


 一花さんは悪びれもせず、ぺろっと舌を出す。

 ……朝から平穏を満喫していた俺が、甘かった。

 この三姉妹に、オフの日なんてものは、存在しないらしい。


「ま、そういうわけだから。今日はあたしに付き合ってよ」


「付き合うって……あのな、俺は洗剤とトイレットペーパーを買いに来ただけなんだが」


「はいはい、そういう生活感のある用事は後回し。あたしの服選びに付き合ってほしいの。ほら、行くよっ」


「おい、ちょっと待てって——」


 反論する隙も与えられないまま、俺は腕を掴まれ、レディースのアパレルショップへと引きずり込まれていった。


 男一人で入るには明らかにハードルが高い空間で、俺は居心地の悪さに肩をすくめた。


「そもそも、なんで俺なんだよ。服のセンスなんてないぞ」


「いいのいいの。あたしは男子の意見がほしいの」


 一花さんは、ずらりと並んだ服のラックを指先で流していく。


「上手いこと言ってほしいわけじゃないから。誠の正直な感想が聞きたいだけ」


「……それ、いちばん難易度が高い注文なんだけどな」


 ぼやいた俺の横で、一花さんの手が二着のハンガーを引き抜いた。

 ひとつは大人っぽい黒のブラウスで、もうひとつは明るい白のニット。

 それを体の前で当てて、こちらへ向き直る。


「ねえ誠、このふたつなら、どっちがあたしに似合うと思う?」


「……どっちも似合ってると思うけど」


「出た、男子特有の逃げ口上。そういうの、ルナには通用しないかんね?」


「いや、本当にどっちも似合ってるから。黒のほうは大人っぽくていいし、白のほうは一花さんらしくて明るいっていうか……」


「へえ? ちゃんと見てるじゃん」


 一花さんは口角を上げ、嬉しそうに目を細める。


「じゃあ、両方着てみるから、誠が直接確かめてよ」


「は? 確かめるって、俺がどうやって……まさか着たところを見せる気かよ」


「とーぜん! ちょっとここで待ってて。逃げたら怒るからね」


 そう言い残して、一花さんはカーテンの奥へ消えた。

 衣擦れの音がかすかに聞こえてきて、意識が変な方向に引っ張られそうになり、慌てて視線を天井へと逸らす。

 手持ち無沙汰に、店内を見渡す。

 土曜のモールは家族連れやカップルでごった返していて、彼女の買い物に付き合わされている男の姿もちらほら見えた。

 ……これ、端から見たらデートだよな。


 数分後、シャーッという音とともにカーテンが少しだけ開く。


「あ。ねえ誠、ちょっと来て。背中のチャック、引っかかって動かないの。手伝って」


「は? いや、店員さん呼べって」


「店員さん、今ほかのお客さんでいっぱいだもん。……ねえ、早くしてくれないと、あたし、このまま外に出ちゃうよ?」


 カーテンの隙間から、まだ着替え途中の白い肩が、ちらりとのぞく。

 ……人質に取られているのは、どう考えても俺の理性のほうだ。

 周りの目もある。

 俺は観念して、カーテンの隙間に手だけを差し入れた。

 その手首を、ひんやりした指が、がしっと掴む。


「えっ、ちょ――」


 ぐん、と引かれて、たたらを踏んだ俺は、半畳もない試着室の中へ、まるごと引きずり込まれていた。

 しゃっ、と、今度は内側からカーテンが閉じる。

 一畳にも満たない狭い空間に、一花さんと二人きりで閉じ込められてしまった。


「ちょっ、おまっ……何やってるんだよ!」


「しーっ。声が大きいってば。店員さんにバレたらどうするの」


「だったら引きずり込むなよ! ここ、女子用の試着室だぞ!」


「あははっ、誠、顔真っ赤。面白すぎ」


 ――チャックは。

 しっかり、いちばん上まで、上がりきっている。


「な……っ、チャック、ふつうに上がってるじゃないか」


「うん。引っかかってたのは、チャックじゃなくて……あたしのほう、かもね」


 一花さんは悪戯っぽく笑いながら、人差し指を自分の唇に当てた。

 黒いブラウスに着替えた彼女は、首元のボタンを少しだけ外している。

 ブラウスが体に張りつき、腰から胸にかけてのラインがはっきりと浮かんでいた。

 鎖骨の美しい窪みが、間近で露わになっている。


「ほら、どう? 似合ってる?」


「っ……近すぎるだろ」


「えー? ちゃんと見てくれないと、感想わかんないじゃん」


 逃げ場がない。

 一花さんが一歩身を乗り出すたびに、鏡の中の距離がゼロへ近づいていく。

 首筋に、彼女の温かい吐息がかかった。

 心臓がうるさい。

 俺の腕に、彼女の胸の柔らかさが意図的に押し付けられているのがわかる。


「顔、真っ赤じゃん。誠ってば、ほんと純情だよね」


「からかってる場合か。誰かに見られたらどうするんだよ」


「いいじゃん、別に。あたしは誠にだけ見てもらえれば、それで満足だし」


「……っ、そういう問題じゃないだろ」


 至近距離で見上げてくるその瞳には、いつものからかいの色が浮かんでいる。

 けれど、その奥に揺れる光に、俺はなぜか目を逸らすことができなかった。


「ねえ。今だけでいいから、旦那様らしいこと、言ってよ」


 からかいの色が、声からすっと抜けた。

 至近距離の瞳が、まっすぐ俺を映している。


「他の二人じゃなくて、あたしを選ぶって。……一回でいいの」


 狭い空間に、その声だけが落ちた。

 さっきまでの軽さが、嘘みたいに消えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ