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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第5章 夏休み!海と水着と、夏祭りの告白

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第132話 延長料金と、知らされなかった同盟

海で一日遊んだ帰り、みんなから遅れて歩いた浜で、俺は三桜と二人きりで夕日が海に触れる一瞬を待っていた。

 その一瞬に初めて三桜を呼び捨てにして、日が沈むまでという約束の刻限が過ぎても、繋いだ手はほどけないままでいる。

 浜の入り口で待っていた四人の中から、迎えの影がひとつ、まっすぐこちらへ歩いてくる。


 三桜は空いているほうの腕を前へ伸ばして、指を一本だけ立てた。

 近づいてくる影を、指の幅で測っているらしい。


「さっきは指の半分もなかったのに、もう一本ぶんあるよ」


「人にも使えるのか、それ」


「使えないよ。でも、二葉ちゃんがどんどん大きくなってくのは分かるの」


「本人の前では言うなよ。怪獣が来るみたいに聞こえる」


「言わないもん。言ったら、工程表に書かれちゃう」


 何と書かれるのかは聞かないでおいた。

 波が寄せて、引いた。

 暗くなりはじめた浜の上で、白いブラウスだけがやけにくっきりと浮いている。

 畳んだ日傘を片手に提げて、背筋をまっすぐに伸ばした歩き方は、遠目にもまるで崩れない。


「二葉ちゃんの顔が見えたら、おしまいにするね」


「延長の延長の締め切りか」


「うん。締め切りはね、自分で決めると守れるの」


 三桜は伸ばした指の向こうの白い影を、じっと見ていた。

 指一本が二本になり、三本になる。

 薄暗がりの中で、影の上にようやく顔の輪郭が乗ったとき、三桜が小さく息を吸って腕を下ろした。


「……お迎え、着いちゃった」


 組んでいた指が、ゆっくりとほどけはじめた。

 先に離れたのは手のひらだった。

 重なっていたところに夕方の風が入りこんで、汗ばんだ肌がすうっと冷える。

 中指が抜けて、薬指が抜けた。

 最後に小指だけが残って、俺の小指の先にちょんと引っかかった。


 三桜はそれを一回だけ揺らした。

 それから、そっと外した。


「はい、延長おしまい」


 外したばかりの手を、三桜は自分の胸の前でもう片方の手に包みこんだ。

 大事なものをしまうみたいな手つきだった。

 それから急に思い出したように、手の甲で目もとをごしごしこすろうとする。


「擦らないの」


 声のほうが先に届いた。

 顔を上げると、二葉さんがもう数歩手前まで来ていた。

 きちんと四つに畳んだハンカチを、三桜の前へ差し出している。


「押さえるだけにしなさい。擦ると、明日まで赤いわ」


「……うん。ありがと、二葉ちゃん」


 三桜は受け取ったハンカチを、まぶたにそっと押し当てた。

 二葉さんはそれ以上何も聞かなかった。

 赤い目のわけも、浜のこっち側で何をしていたのかも。

 代わりに、取り出したスマホの画面にちらりと目を落とした。


「日の入りから九分」


「九分!? 一分過ぎたら来るって言ってたのに、九分もかかってるよ?」


「一分過ぎたところで歩きだしたもの。残りの八分は、浜が長いせいよ」


「浜のせいにした……」


「事実よ。電車は十九時二十分。走らなくても間に合うわ」


 二葉さんの目がほんの一瞬だけ俺の右手に降りた。

 さっきまで三桜の指が挟まっていた手だ。

 目はすぐに戻って、俺の顔の上で止まった。

 何か言われると思った。

 言われなかった。


「マコト。シャツの肩に砂がついているわ」


 二葉さんは手を伸ばして、俺の肩口を二度、軽く払った。

 払ったのは三桜が額を押し当てていたあたりだった。

 二葉さんは砂のことしか言わなかった。


 リュックを背負い直す。

 いちばん上に桜貝が寝ていると思うと、背負い直す手つきまで自然とそっとしたものになった。


「行こう、三桜。ハンカチは歩きながらでいいだろ」


 言ってから、しまったと思った。

 日傘の先が砂に小さく沈んだ。

 二葉さんの足が半歩ぶんだけ止まっていた。


 それだけだった。

 二葉さんは何も言わずに歩きだして、三歩目で振り返った。


「三桜。手を出しなさい」


「え?」


「冷えているでしょう。裾まで濡らして」


 差し出された手を、三桜はきょとんと見つめた。

 それからぱっと顔を明るくして、両手でつかまえる。


「二葉ちゃんの手、あったかい」


「三桜のが冷えすぎなのよ」


 手を引かれて、三桜は二葉さんの半歩後ろを歩きだした。

 二葉さんは繋がれた手を振りほどかなかった。

 前を向いたまま、歩幅だけを三桜に合わせて、ほんの少し狭くしていた。


 浜の入り口の石段で残りの三人が待っていた。

 一花さんは石段のいちばん上に腰かけて、頬杖をついている。

 心花はその足もとにしゃがみこみ、立花は借りていたパラソルを返し終えたところらしく、空になった両手をぶらぶらさせていた。


「おっそーい」


 一花さんが石段の上から声を投げてきた。


「三桜、延長料金ね。アイス一週間ぶん」


「一週間は長いよ、一花お姉ちゃん!」


「じゃ、五日」


「ちょっとしか減ってない!」


 三桜は指を折って数えはじめた。

 一週間から五日では、折った指が二本しか戻ってこない。


「値切っていいのは、あたしの機嫌がいいときだけ。今日はわりといいよ」


「じゃあ三日! 三日がいい!」


「調子に乗ると十日に増えるよ」


「……五日でお願いします」


 三桜はあっさり白旗を上げて、ぺこりと頭を下げた。


 一花さんは笑いながら、石段をとんとんと下りてきた。

 三桜の顔をのぞきこんで、その目が一瞬だけ止まる。

 二葉さんのハンカチと、まだ少し赤いまぶたを見比べたようだった。

 一花さんはそれについては何も言わずに、三桜の濡れた前髪を指先でひょいと払った。


「センパイ! 三桜先輩も!」


 心花が勢いよく立ち上がった。

 後ろ前にかぶったキャップのつばが勢いでくるりと横を向く。


「二人して何しゃがみこんでたんですか! もう真っ暗になっちゃいますよ!」


「真っ暗ってほどじゃないだろ」


「なりかけてます! しかも一花先輩に聞いても、いいのいいのしか言わないし、二葉先輩は時計見たままひとりでずんずん歩いてっちゃうし。私と立花先輩だけ、ずっと置いてけぼりだったんですけど!」


「俺は別に、置いてけぼりでもよかったけどな。パラソル返してたし。保証金も戻ってきたし」


「立花先輩は、置いてけぼりに慣れすぎです!」


 立花が戻ってきた五百円玉を親指で弾いて、手のひらで受け止めてみせる。


「五百円玉が戻ってくるとさ、なんか勝った気ぃしない?」


「もともと先輩のお金ですからね!? 一円も儲かってませんよ!」


「夢のないこと言うなよ、篠崎ちゃんは……」


 心花は頬をふくらませたまま、ちらりと一花さんのほうを見た。

 一花さんはわざとらしく口笛を吹くまねをした。

 吹けていなかった。


「……一花先輩。何か知ってますよね」


「知らなーい。ただ今日は、三桜の貸し出し日だっただけ」


「貸し出し……って、本みたいにですか?」


 心花の首がゆっくりと傾いていった。

 三桜がハンカチを握ったまま、二葉さんの手から自分の手をそっと抜いた。

 一歩、心花の前へ出る。


「心花ちゃん。……あのね。朝ごはんのときに、お願いしてたの。一花お姉ちゃんと二葉ちゃんに。帰りの浜で一回だけ、誠くんを私にくださいって」


「く、ください……!?」


「ちゃんと返すって言ったよ! 日が沈んだら!」


「沈んでから九分過ぎていたわ」


「二葉ちゃん、今それ言わなくていいの!」


 心花は口をぱくぱくさせて、三桜と一花さんと二葉さんを順番に見た。

 三人目まで来たところで、両手をぎゅっと握りしめる。


「朝ごはんの席って……私がいないとこじゃないですか! 抜けがけはなしって、私ちゃんと言いましたよね!? 先輩たちも、センパイのこと見張っとくって!」


「見張ってたってば。ここから、ずーっと。一回も目ぇ離してないし」


「見張るっていうのは、止めるとこまで込みなんですよ!」


「篠崎さん。見張りを頼まれたとき、止めるところまでは聞いていなかったわ」


「二葉先輩まで、そういう抜け道使うんですか!?」


 輪の真ん中で心花だけが本気で地団駄を踏んでいた。

 踏むたびにサンダルの下で砂がきゅっと鳴る。

 さすがに放っておけなかった。


「心花。三桜をあんまり責めないでやってくれ。もとはといえば、俺が――」


 そこで言葉が詰まった。

 俺が浜の途中で立ち止まったから。

 その先はどう言っても波の話になる。


 口をつぐんだ俺を、心花がじっと見上げていた。

 見上げたまま、目がまんまるになっていく。


「……センパイ。今、三桜先輩のこと、なんて呼びました?」


 空気が止まった。

 一花さんの首が、ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさでこちらを向く。

 立花が口を半開きにしたまま固まった。

 二葉さんだけは何事もなかったような顔で、日傘の留め具を直していた。


「……三桜、って」


「呼び捨て!? 抜けがけの上に、呼び捨てまで!? 二個目じゃないですか、それ!」


「いや、一個目は俺じゃなくて――」


「一個目も二個目も、真ん中にいるのはセンパイなんです!」


 反論の余地がまるでなかった。


「へえー」


 一花さんがゆっくりと俺の前へ回りこんできた。

 腰の後ろで手を組んで、下から顔をのぞきこむ。

 口もとは笑っているのに、目だけがやけにじっとしていた。


「へーえ。三桜、ねえ。ふうん」


「……なんだよ」


「べつにー。いい響きじゃん、って思っただけ」


 そう言ってから、一花さんはふいと横を向いた。

 ほとんど息みたいな声が、唇の端からこぼれる。


「……ずるい」


「あっ。一花お姉ちゃん、今のちっちゃいずるいはね――」


 三桜が嬉しそうに口を開きかけた瞬間、一花さんの手のひらがその口をぱふっとふさいだ。


「翻訳禁止。辞書はおうちに置いてきな」


「むー、むむー」


 手のひらの下で三桜が何か抗議していた。

 たぶん、辞書は頭の中にあるから置いてこられない、とかそういうことだ。

 ちっちゃいずるいは、いいよってこと。

 辞書がなくても、浜で教わったばかりの俺にはもう読めてしまった。


「なんの辞書ですか!? ずるいって言っただけなのに、なんで辞書が要るんですか!」


「篠崎ちゃんにはまだ早いかなー。姉妹歴十何年ぶんの厚みがあるからね」


「早くないです! 私だって、センパイの後輩歴なら誰にも負けてません!」


「張り合う相手が違うだろ」


「うわー……相沢が、三桜ちゃんを呼び捨てかあ」


 立花が両手を頭の後ろで組んで、薄暗くなった空を仰いだ。


「なんだろな、これ。胸にくるっていうか。俺、ちょっと泣いていい?」


「タチバナくんが泣く要素、どこにあんの?」


「振られた男の目線だよ! 文句ある!?」


 ほんの一拍、三桜の肩が小さくすくんだ。

 立花はそれを見て、わざと大げさに胸を押さえてみせた。


「立花先輩、それ自分で言っちゃうんですね……」


「人に言われる前に言っとくんだよ。そのほうが傷が浅いだろ」


「浅くはないわね。傷口に自分で塩を揉み込んでいるだけよ」


「次女さん、たとえが痛えよ!」


 胸を張って言うことではなかった。

 でも立花は本当に笑っていた。

 負けを認めたあの日と同じ、からっとした顔だった。


 一花さんの手からようやく口を解放された三桜が、ぷは、と息をついた。

 それから背筋を伸ばして、心花の前に立った。


「心花ちゃん」


「な、なんですか」


「怒って。……あとで私がちゃんと怒られるって、決めてたの」


 三桜はぎゅっと目をつぶった。

 両手を体の脇で握りしめて、顎を少しだけ上げる。

 覚悟を決めたというより、注射の順番を待つ子どもみたいな顔だった。


「そ、そんなふうに目をつぶって待たれたら、怒りにくいじゃないですか……!」


「どうぞ」


「どうぞって言われると、もっと怒りにくいんです!」


 心花は両手をわたわたさせて、助けを求めるように俺を見た。

 俺は首を横に振った。

 ここで口を挟んだら、たぶん三個目になる。


 心花はしばらく唸っていた。

 それから意を決したように、人さし指を一本、三桜のおでこへ持っていく。


 ぺち。


 音のわりにほとんど触れていなかった。

 三桜はおでこに手を当てたまま、片目だけをおそるおそる開けた。


「……いたくない」


「痛くしてないからです! 痛くしたら、私のほうが泣いちゃいますもん」


 心花はぷいと横を向いて、それから小さな声で付け足した。


「そのかわり。次からは、そのお願いの受付に私も入れてください。受付が先輩たちだけなの、ずるいです」


「入れる! 心花ちゃんも受付!」


 三桜がぱっと目を開けて、心花の両手を握った。

 心花の口もとが、怒った形を保とうとして、ぐにゃりと崩れかける。


「ただし、受付は朝食の席に限るわ」


「朝ごはんの席にいないの、私だけじゃないですか! それ、実質受け付けないってことですよね!?」


「……電話でも受け付けるわ」


「二葉が折れた。あした雪降るね」


「八月よ」


 二葉さんは涼しい顔で日傘を持ち直した。

 心花が嬉しそうに、三桜と握った手をぶんぶん上下に振っている。


「なあ篠崎ちゃん。俺も知らされてなかったんだけど。俺も受付入れる?」


「立花先輩は受付じゃなくて、知らされなかった同盟です。私と」


「同盟か! いいね、組もう組もう」


「組みます。……でも立花先輩、知らされても次の日には忘れてそうですけど」


「否定できねえのが、いちばんつらい」


 心花が声を上げて笑った。

 笑いながら、立花の差し出したこぶしに、自分のこぶしをこつんと当てる。

 昼の浜で震える声で礼を言っていた子が、もうためらいもなく笑っていた。


 駅までの短い上り坂を、六人でだらだらと歩いた。

 海沿いの街灯がひとつずつ点きはじめている。


「タチバナくん、帰りのパンツ問題は解決したんだっけ?」


「おう、売店さまさまだよ。乾いてるってだけで、人間こんなに幸せになれんだな」


「朝の時点で考えていれば、売店に寄らずに済んだわね」


「次女さん、朝のこと根に持ちすぎだって!」


 立花が笑いながら抗議したところへ、一花さんがその背中をばしんと景気よく叩いた。


「いっでえ!?」


 立花の体が海老みたいに反り返った。

 坂道の途中で背中を反らせたまま固まって、両手が宙をかいている。


「え、なに。そんな強く叩いてないよ?」


「せ、背中……背中がやばい。服がこすれるだけで痛えのに……!」


 柄シャツの裾を、立花がおそるおそるめくった。

 街灯の下に出てきた背中は、見事なまでに真っ赤だった。

 肩甲骨のあたりから腰のすぐ上まで、どこにも切れ目がない。


「うわ、ほんとにまっかです。私の腕より赤いですよ、それ」


「篠崎ちゃんのは境目がオシャレじゃん。俺のは全面だぞ、全面」


「オシャレじゃないです! これのせいで、もう夏休み明けまで袖の長さ変えられないんですから」


「だから言ったろ。塗っとけって」


「朝の俺に言ってくれよ……あ、言われてたわ」


 立花は自分の言葉に自分でうなだれた。

 一花さんが手のひらを掲げて、日焼け止めを絞る手つきをしてみせる。


「あたし、塗ったげるって言ったよね? 背中出してって、ちゃんと言ったよね?」


「ハートまで描くって言われたら、誰だって逃げるだろ!」


「ハートの形に焼けてたら、それはそれで面白かったですよね」


「篠崎ちゃんまで敵かよ!」


「えへへ。私は焼け跡の先輩なので」


 心花は自分の二の腕を、三桜にぼかしてもらった境目ごとぺちぺちと叩いてみせた。

 立花はシャツの裾を下ろしかけて、こすれた背中にまた小さく呻いた。


「駅に着いたら、自販機で冷たい缶を買いなさい。背中に当てるといいわ」


「次女さん、仏に見える……!」


 二葉さんに手を合わせて拝む立花を急かしながら、駅までの残りの坂を六人で上りきった。

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