↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第5章 夏休み!海と水着と、夏祭りの告白

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
130/135

第130話 波打ち際、気づいたのは三桜だけ

一日じゅう海で遊び倒して、海の家で着替えを済ませたあと、六人で駅へ続く長い砂浜を引き返していた夕方のことだ。

 いちばん後ろを歩いていた俺は、すぐ先の砂を洗っていった波の音に、ふと足を止めてしまった。

 前を行く声はそのまま遠ざかっていき、すぐ前を歩いていた三桜さんだけが振り返った。


 低くなった日が、海の上に白い光を細かくばらまいている。

 三桜さんはその光を背にして、少しのあいだ俺の顔を見ていた。


 何も聞かれなかった。

 三桜さんはサンダルの足を砂に沈ませながら、来た道をとことこ引き返してきた。

 俺の隣まで来ると、海のある側にすっと並ぶ。

 湿った毛先から落ちたしずくが、ワンピースの肩の染みをまたひとまわり広げた。


「誠くん、こっちの砂、まだあったかいよ」


 三桜さんは俺の手首を指先でつまむと、海とは反対の、乾いた砂のほうへ軽く引いた。

 引かれるまま、斜めに二歩、三歩と上がる。

 足の裏の感触が、湿って締まった砂からさらさらの砂に変わった。

 波の音がそのぶんだけ遠くなった。


「……ほんとだ。まだぬるいな」


「でしょ。昼間の熱がね、中にしまってあるの。干したてのおふとんみたい」


「砂を布団にたとえる人、初めて見た」


「いちばんいいおふとんだよ? お日さまのにおいがするやつ」


 三桜さんは俺の手首をつまんだまま、海側を歩いた。

 寄せた波がときどき三桜さんのサンダルのすぐ脇まで来て、白く泡立っては引いていく。

 三桜さんは足もとを見もしなかった。


「三桜さん、そっち側だと濡れるぞ」


「いいの。サンダルだもん。濡れても、歩いてたら乾くやつ」


 それきり三桜さんは波のことを何も言わなかった。

 どうして止まったの、とも聞かなかった。

 俺のほうも言わなかった。

 口に出すほどのことでもない気がして、言葉になる前に飲みこんでしまった。


 前を見ると、四人の背中はずいぶん小さくなっていた。

 日傘がひとつと、その少し後ろに、畳んで旗みたいに担がれたパラソルが一本。

 声はもう波にまぎれて、ほとんど届いてこない。


「まずいな。みんな、だいぶ先に行ってる」


「いいの」


「よくないだろ。二葉さんのことだから、電車の時刻まで工程表に書いてあるはずだぞ」


「大丈夫。お願いしてあるから」


「お願い? 誰に、何を?」


「それは……まだ、ないしょ」


 三桜さんは俺の手首から指を離して、その指を唇の前に一本立てた。

 内緒の合図のつもりらしいが、目がものすごい勢いで泳いでいる。


「まだってことは、そのうち教えてくれるのか」


「そのうち。……たぶん、今日のうちに」


「たぶんが付いたな」


「付いちゃうの。私の予定って、だいたいたぶんで動いてるから」


 背中のほうでまた波が砂を洗った。

 さっきより遠い音なのに、耳はまだそれを拾ってしまう。


 小さいころ、家族で行った海で、一度だけ迷子になったことがある。

 夕方だった。

 波打ち際で何かを追いかけているうちに、振り返ったら、見覚えのあるパラソルがどこにもなかった。

 日がどんどん低くなって、水の色が暗くなって、波の音だけがだんだん大きくなっていった。

 俺はその波打ち際で、ひとりで泣いた。


 両親はすぐに見つけてくれた。

 たぶん、ほんの数分のことだったのだと思う。

 それでも、あれから夕方の波の音だけは少し心細い。

 昼の海はなんともない。

 今日だって一日じゅう泳いでいたし、三桜さんが泳ぐのも、すぐ横で見ていた。


 誰にも話したことはなかった。

 話すほどのことでもないし、話せばきっと笑われる種類の話だ。


 ……一度だけ、【ルナ】に話した。

 いつだったか、なかなか寝つけなかった夜更けのチャットで、ぽろりと打ってしまったのだ。

 【ルナ】は笑わなかった。

 茶化しもしなかった。

 しばらく返事が途切れて、それから、一文字ずつ置くようにして、その一行が届いた。


『今度海に行くときは、私がずっと手を繋いでいてあげるね』


 画面の向こうから届いた、手のない約束だった。

 あの夜はそれだけで十分だった。


 その今度が、今日だった。


 ……それにしても。

 俺は隣を歩く三桜さんの横顔を盗み見た。

 なんで分かったんだろう。

 足が止まっただけで、顔に何か書いてあったわけでもないだろうに。


 ――いや、三桜さんはそういう子だ。

 誰かが立ち止まれば、理由も聞かずに引き返してくる。

 今日だって、心花の手を握りに何回走っていったか分からない。

 それに、俺がただ波を冷たそうに眺めていただけかもしれない。


「あっ!」


 三桜さんが急に立ち止まって、俺の袖を引いた。


「誠くん、あれ! あそこ、ピンクのちっちゃいの!」


 三桜さんが指さしたのは、さっき離れたばかりの波打ち際だった。

 波が引いたあとの濡れた砂の上で、爪の先ほどの何かが、夕日を受けてちかりと光っている。


「待っててね! すぐ戻るから。ほんとにすぐだから!」


 返事も待たずに、三桜さんは濡れた砂のほうへ駆け下りていった。

 俺は乾いた砂の上に残った。

 追いかけようとした足が、一歩ぶんだけ迷ったからだ。


 三桜さんは波打ち際にしゃがみこんだ。

 ワンピースの裾を膝の裏にまとめて挟み、濡れた砂から光るものをつまみ上げる。

 夕日に透かして、首をかしげて、それを左の手のひらに乗せた。


「それじゃないのか?」


「欠けてるの。端っこが、ちょっとだけ」


 声を張って返しながら、三桜さんはもう次を探している。

 二つ目も透かして、左の手のひらに乗せた。


「それは?」


「ひびが入ってる。おうちに着くまでに割れちゃう」


 二つの貝を左の手のひらに乗せたまま、三桜さんがふと立ち上がった。

 右腕をまっすぐ夕日のほうへ伸ばして、ほんの少しのあいだ、そのまま止まる。

 貝の色と夕日の色でも見比べているのだろうか。

 すぐにまたしゃがみこんで、三桜さんは砂の上に目を戻した。


 三つ目を拾ったとき、三桜さんの顔がぱっと明るくなって、すぐにしぼんだ。


「……これ、貝じゃなかった」


「じゃあ何だったんだ?」


「ガラス。角がまるくなってるやつ。きれいだけど、ピンクじゃないの」


 寄せた波が、しゃがんだ三桜さんのつま先を洗った。

 三桜さんは気にも留めずに、次の光を探して砂の上に目を走らせている。

 海の上では、ばらばらだった白い光がいつのまにか寄り集まって、水平線から波打ち際までまっすぐ続く、一本の金色の道になっていた。

 三桜さんはその道の終わるところにしゃがんでいた。


 夕日のほうを向いた背中が、逆光の中で細い輪郭だけになっている。

 薄いワンピースは光をほとんど止めていなかった。

 生地の向こうで、しゃがんだ腰から腿へ続くなだらかな線が、影絵のようにうっすらと透けていた。


 五つ目か、六つ目か。

 数えるのが面倒になったころ、三桜さんが息を呑んだ。


「……あった」


 つまみ上げたひとつを夕日にかざして、三桜さんはしばらく動かなかった。

 それから、くるりとこちらを振り向いた。


「あったよ、誠くん! 欠けてない、ひびもない、ちゃんとピンクの――」


 言い終わる前に、ひときわ大きな波が、白く泡立ちながら砂を駆け上がってきた。


「ひゃっ……! 来た、来た来たっ!」


 三桜さんは右手を握りしめて跳ね起きると、裾をひるがえして、こっちへ一直線に駆け上がってきた。

 背中から白い泡が追いかけてくる。

 追いつかれるより先に、三桜さんは勢いのまま俺の胸に飛びこんできた。


 受け止めた体は小さくて、ひどくやわらかかった。

 薄い生地越しに、胸もとの丸みが俺の胸板に押されてたわむ。

 乾ききらない髪が顎の下に触れて、ひんやりと湿っていた。

 波は俺たちの手前、乾いた砂の境目まで来て、そこで力尽きて引いていった。


「……セーフ?」


「セーフだ。波は追いかけてきたわけじゃない。寄せてきただけだ」


「寄せてくるのを、追いかけてくるって言うんだよ! 今のは、ぜったい私のこと狙ってたもん」


「波に狙われる心当たりがあるのか」


「あるよ。貝、いっぱい拾っては、だめって言っちゃったから。怒ったんだよ、きっと」


 胸に額をくっつけたまま言い張る声が、シャツ越しに直接響いてくる。

 そこでようやく、三桜さんは自分がどこにいるのかに気づいたらしい。

 勢いよく顔を上げて、半歩だけ後ろへ下がった。

 夕日の赤さを差し引いても、耳まで真っ赤になっていた。


「わ、ご、ごめんね。ぶつかっちゃった……っ」


「いいよ。それより、手」


 三桜さんは握りしめていた右手を、おそるおそる開いた。

 手のひらのまんなかに、爪の先ほどの小さな貝殻がひとつ乗っていた。

 逃げてくるあいだも、握りつぶさないように指を丸めていたらしい。


「割れてない……よかったぁ」


 三桜さんは心の底からほっとした息をついて、それから俺を見上げた。


「誠くん、手、出して」


 言われるまま差し出した手のひらに、三桜さんは貝殻を慎重に移した。

 二枚貝の片割れで、薄くて平たい。

 指でつまんだら、それだけで割れてしまいそうだった。


「日に透かしてみて」


 息を詰めてつまみ上げ、夕日にかざす。

 白っぽく見えていた殻が、光を通したとたん、淡い桜色にふわりと染まった。


「……きれいだな」


「でしょ。桜貝っていうの。誠くんへのお土産」


「お土産って、俺も同じ海に来てるんだけど」


「同じ海でも、誠くん、今日いっこも拾ってないでしょ。ずっと誰かの足を冷やしてたり、顔で炭酸を受けてたりしてたから」


「……よく見てるな」


 三桜さんはなんでもないことみたいに頷いた。


「見てたもん。ずっと」


 それから、俺がつまんだままの桜貝を、指先でつんとつついた。


「名前に桜が入ってるの。だから、なくしちゃだめだよ」


「三桜さんの桜か」


「……そう。私のぶん。机の上とか、毎日目に入るところに置いといてね。ひきだしの奥とかは、だめ」


「机の上な。分かった」


 ポケットに入れたら、家に着くまでに粉々になりそうだった。

 ポケットティッシュを一枚抜いて桜貝をくるみ、背負っていたリュックを下ろす。

 ファスナーを開けた拍子に、底に押しこんであったビニールの塊がのぞいた。


「……それ、浮き輪?」


「もしものときのな。押し入れから出してきた」


「もしものときって……私の?」


「出番がなかったんだから、どっちでもいいだろ」


 三桜さんは目をまるくして、それからゆっくりと口もとをほどいた。


「えへへ。……一回も膨らまなかったね」


「膨らまなくてよかったんだよ」


 くるんだ桜貝をいちばん上に寝かせて、ファスナーを閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。