第127話 心花を囲む壁と、動かない足
海の家の昼ごはんは、三桜さんがどこで泳げるようになったのかの尋問と、俺に差し出される「あーん」の順番争いで、最後まで騒がしかった。
いちばん奥の席に座らされた心花の隣は、その日ずっと、三姉妹の誰かしらが埋めていた。
小上がりで始まりかけた「特賞」の抽選会は、結局くじを一本も引かないまま、お開きになった。
十三時を回ると、パラソルの影は朝とずいぶん違う場所に落ちていた。
二葉さんの指示で立花が柄を抜き、影に合わせて立て直す。
立て直したところで力尽きたらしい。
「食ったら寝る。それが海……」
それだけ言い残して、立花はシートの端にうつ伏せに倒れこんだ。
朝に放り投げた柄シャツを、自分の頭にばさりとかぶせる。
すぐに柄シャツの下から規則正しい寝息が聞こえてきた。
「寝つきが早すぎるだろ」
「タチバナくん、たぶん電池が一個しかないタイプなんだよ。朝から全開だったし」
二葉さんが保冷バッグを開けて、中をのぞきこんだ。
そのまましばらく動かなくなる。
「……飲み物が、一本も残っていないわ」
立花の頭の横に空になったペットボトルが行儀よく並んでいた。
朝、二葉さんが人数ぶんより多めに詰めてきたはずのものだ。
午前のうちにみんなで減らした残りを、最後に空けたのが誰なのかは、聞くまでもなかった。
「立花くん」
「……うまかった」
「寝言で自白したじゃん。しかも味の感想つきで」
「十四時に補充する予定だったのよ。前倒しにするしかないわね」
「補充の時刻まで決まってたのか」
「工程表に書いてあるもの」
当然のことのように、二葉さんは言った。
「海にまで分刻みの予定持ちこむの、二葉くらいだからね」
「分刻みではないわ。十五分刻みよ」
「しっかり刻んでんじゃん」
二葉さんがタオルを敷き直してくれたいちばん影の濃いところに、俺は仰向けに転がった。
焼きそばの重みでまぶたがゆっくり下りてくる。
「あっつ……。あたし、ちょっと頭から海かぶってくる」
一花さんの足音が波打ち際のほうへ遠ざかっていく。
それを半分眠りながら聞いていた。
少しうとうとしかけたころ、まぶたの上にぽたりと冷たいものが落ちた。
目を開けると、一花さんの顔が真上にあった。
俺の顔の両脇に手をついて、上から覗きこんでいる。
濡らしてきたばかりの毛先から、しずくがもうひとつ落ちてきた。
「さて。三桜は落ちなかったから、次は誠の番ね」
「……何してるんだ」
「尋問。砂浜で壁ドンって、なんて言うんだろ。砂ドン?」
「壁がないだろ」
「壁ならあるよ。誠の真上に、ほら」
一花さんがそう言って、少しだけ肘を曲げた。
真上にあった赤い布がそのぶんだけ近づいてくる。
交わった二本の紐が重みに引かれて、ゆるい弧を描いて垂れ下がっていた。
弧の内側で、やわらかなふくらみが二つ、重なり合うように揺れている。
視界の半分以上がもう壁だった。
「……角度が悪い」
「角度? なんの角度かなー。ちゃんと言ってくれないと、わかんないな」
すぐ横でシートがかさりと鳴った。
二葉さんが俺の左側で肘をついて、横向きに寝そべっている。
片方しかない肩紐のせいで、むき出しの左の肩が、俺の頬のすぐそばにあった。
横向きになった体の重みがゆっくりとこちらへ傾いて、俺の左腕はシートと二葉さんのあいだに挟まれた。
抜こうとしても、やわらかな重さがどいてくれない。
「……二葉さん、腕が抜けない」
「抜かなくていいわ。尋問中よ」
「尋問に腕は関係ないだろ」
「逃走経路を塞いでいるの」
「二葉、それ添い寝って言うんだよ」
「……尋問よ」
言い張る声は低かったが、すぐそばの横顔は、頬のあたりからゆっくりと色を変えていった。
「ふ、二人とも! 誠くんをいじめないで!」
三桜さんが俺の右腕にしがみついて、ぐいぐいと引っぱった。
助け出してくれるつもりらしい。
引っぱられるたびに、腕が小さな体の柔らかいところへ埋まっていく。
「誠くんは悪くないの! 誠くんは、なんにも――」
「悪くないってことは」
「関わってはいるということね」
「あっ」
三桜さんは俺の腕を抱えたまま固まった。
姉二人の連携には打ち合わせの気配すらなかった。
「センパイ、ふさがってますね。上と、右と、左と……あ、下は砂でした」
少し離れたところで膝を抱えていた心花が、楽しそうに指を折った。
「数えてないで助けてくれ」
「えー、どうしよっかな。こんなに面白いセンパイ、なかなか見られないですから」
心花はけらけらと笑った。
笑いながら、ふと自分の両隣に目をやった。
右にも左にも今は誰もいない。
午前中はずっとどちらかに誰かがいた場所だった。
心花はもう一度こっちを見た。
上と右と左から俺を取り合っている三人を、まぶしいものでも眺めるみたいに目を細めて見て、それからぴょこんと立ち上がった。
「私、飲み物買ってきますね!」
自分のバッグから小さながま口を引っぱり出して、心花はそれを顔の横で振ってみせた。
「待て、俺も行く」
起き上がろうとして、起き上がれなかった。
上には一花さんの腕、左には二葉さんの重み、右には三桜さんがぶら下がっている。
「その体勢から起き上がれたら、連れてってあげます」
「無理だ」
「ですよね」
心花は声を立てて笑うと、今度は少しだけ声を落とした。
「センパイは、先輩たちのとこにいてあげてください。売店、すぐそこですもん」
いてあげて、という言い方が少しだけ耳に残った。
二葉さんが肘をついたまま顔を上げる。
「篠崎さん。ひとりで――」
「見えてますって、ほら、あそこ! 先輩たちはセンパイを逃がさないでくださいね。戻ってきたら、私も尋問に混ざりますから!」
言い終わるより先に、心花はもう砂を蹴って走りだしていた。
白い水着の背中が、陽炎の立つ砂浜をまっすぐに遠ざかっていく。
浜の真ん中あたり、海の家の軒先で、売店の青いのぼりが小さく揺れていた。
俺の真上で一花さんと二葉さんの目が合った。
駅の柱の前で四人が交わしていたのと同じ、俺には読めない目配せだった。
今度のはずっと短かった。
「……ま、すぐそこだしね」
「ええ。見える範囲よ」
二人とも自分に言い聞かせるみたいな言い方だった。
一花さんは尋問を続けた。
続けながら、三回に一回は顔を上げて、海の家のほうを見た。
二葉さんはいつのまにか俺の腕から重みをどけて、シートの上に正座している。
三桜さんも俺の右腕を離して、膝立ちのまま、売店のほうへ首を伸ばしていた。
「……なんで三人とも、そっちばっかり見てるんだ」
「ん? 篠崎ちゃん、小銭落とさないかなーって」
一花さんの声は軽かった。
軽いのは声だけだった。
次の瞬間、その声の色が変わった。
「……止まった」
さっきまでの軽さがどこにもなかった。
一花さんの視線の先を追う。
砂浜を半分ほど行ったところで白い水着が止まっていた。
その前に男が二人立っている。
大学生くらいだろうか、日に焼けた肩幅の広い体が二つ、売店へ向かう心花の行く手をふさぐように並んでいた。
片方が身をかがめて、心花の顔を覗きこむように何か話しかけている。
「知り合いか?」
答えはどこからも返ってこなかった。
一花さんは俺の上から跳ね起きると、シートの端のサンダルをつっかけて、もう走りだしていた。
脱げたビーチサンダルの片方がくるりと宙を舞う。
もう片方は蹴り上げた砂の中にそのまま置き去りにされた。
二葉さんは無言で立ち上がり、サンダルに足を入れかけて、やめた。
素足のまま、そのあとを追った。
三桜さんは「心花ちゃん!」と叫んで駆けだし、三歩目で両方のサンダルを砂に置いていった。
気づいたときには俺も立ち上がっていた。
「立花!」
柄シャツの山を揺さぶる。
寝ぼけた顔が這い出してきて、俺の視線の先を見た。
寝ぼけていたのはそこまでだった。
「……相沢。あれ」
「ああ」
「俺が前に出る。お前は篠崎ちゃんの横にいてやれ」
「頼む」
それだけで足りた。
◇
焼けた砂に足が沈んで、思うように前へ進まない。
走りながら、前を行く三つの背中が順番に心花のもとへたどり着くのが見えた。
近づくにつれて声が聞こえてくる。
首に細い鎖を下げたほうと、髪を明るく抜いたほう。
「えー、なになに。ちょっと話してただけじゃん」
「ごめんねー、お兄さんたち。この子、うちの妹なんだ」
一花さんは心花と男たちのあいだに、するりと体を割りこませていた。
腕を組んで胸を張って、焼けた砂の上に素足で立っている。
熱いはずなのに、足の指一本動かさなかった。
「妹? 全然似てなくね?」
「似てなくても妹なの。三人ぶんのね」
「申し訳ありませんが、この子は私たちの連れです」
一花さんの隣に二葉さんが並んだ。
背筋を伸ばして、両手を体の前できちんと揃えている。
店の人がお客にするみたいな、隙のない立ち方だった。
「ご用件でしたら、私が伺います」
声は丁寧で穏やかだった。
それなのに、日なたにいるはずの男たちの肩が、ほんの少し縮んだように見えた。
「いや、用件っていうか……なんか圧つよくない、この人」
髪を明るく抜いたほうが鎖のほうに小声で言った。
そのあいだに三桜さんが姉たちの後ろを回りこんで、心花の隣に立った。
何も言わずに心花の右手を両手で包みこむ。
「心花ちゃん。手、つないでるからね」
小さな声だった。
俺はその声のする側とは反対に回って、心花のすぐ横へ出た。
前に一花さんと二葉さんの背中、右に三桜さん、左に俺。
気づけば心花のまわりは、ぐるりと囲われていた。
心花は笑っていた。
いや、笑う形のまま、口もとが止まっていた。
上がりかけた口角は上がりきらず、目はどこにも焦点を結んでいない。
左手はがま口を胸の前で握りしめて、指の関節が白くなっていた。
足は砂に植えられたみたいに、一歩も動いていなかった。
あの心花がひと言も喋っていなかった。
センパイ、とも、大丈夫です、とも。
放っておけばひとりで三人ぶん喋るような子の唇が、閉じたまま小さく震えていた。
「心花」
呼ぶと、目だけがゆっくりとこちらへ動いた。
がま口が砂の上にぽとりと落ちた。
拾うより先に、空いたその手が俺の紺のラッシュガードの裾をつかんだ。
布ごと引きちぎりそうなほど強く。
「え、じゃあさ、お姉さんたちもいっしょにどう? 俺らあっちにパラソルあるし。人数多いほうが楽しいじゃん」
「パス」
「お断りします」
「そんな言い方なくない? ……ねえ、きみはどうしたいの?」
鎖のほうが一花さんの肩越しに首を伸ばした。
心花の顔を覗きこもうとして、その目が顔から下へ、ゆっくりと滑り降りていく。
裾をつかむ心花の指にまた力がこもった。
唇がかすかに動いた。
声は出てこなかった。
「さっきから黙ってるけどさ。お姉さんたちじゃなくて、きみに聞いてんだけど」
「はーい、ちわっす!」
俺が何か言うより早く、底抜けに明るい声が浜じゅうに響きわたった。
息を切らした立花が、一花さんと二葉さんのあいだからひょいと前に出る。
両手をひらひらさせて、海の家の呼びこみみたいな笑顔だった。
「え、なに、ナンパ? うわ、俺、ナンパって生で見んの初めてかも!」
「……は? 誰お前」
「この人らの連れっす。てか兄さんたちさ、さっき海の家の前でも、別の子らに声かけてましたよね? 見てた見てた。今日それで何組目っすか? 打率どんくらい?」
「うっせえな、声でけえよ」
「よく言われるんすよ、それ。直んないんすよねー。で、打率は?」
立花の声は浜の端から端まで届きそうだった。
近くのパラソルの下で家族連れが何人もこっちを振り返る。
砂だらけのバケツを提げた小さな子が、男たちのほうを指さして、母親に何か言っていた。
男たちは顔を見合わせた。
浜じゅうの目の真ん中に立たされているのが自分たちのほうだと、ようやく気づいたらしい。
「……もういいわ。行こうぜ」
鎖のほうが顎をしゃくった。
「男いんなら最初に言えっての」
明るい髪のほうが吐き捨てて、二人は浜の入り口のほうへ歩きだした。
一度も振り返らなかった。
最後まで男たちの手は一本も心花に届いていなかった。
二つの背中が人の波に紛れるまで、立花は笑顔のまま見送っていた。
見えなくなったところで、その笑顔をふっと下ろす。
長く息を吐いて、首の後ろをがしがしとかいた。
「……篠崎ちゃん。どっか痛いとことかない?」
立花はその場から動かずに聞いた。
一歩も近づいてこなかった。
心花は答えられないまま、小さく首を横に振った。
「そっか。ならいい」
それだけ言うと、立花はくるりと背中を向けた。
こっちを見ていた家族連れに向かって、両手を大きく振ってみせる。
「すんませーん、なんでもないっす! お騒がせしましたー!」
声の大きさはいつもの立花に戻っていた。
その背中はちょうど俺たちと浜のあいだに立つ位置にあった。
心花の目が、一花さんの背中から二葉さんへ、それから自分の手を包んでいる三桜さんへ、ゆっくりと移っていった。
ひとりずつ確かめるみたいに。
裾を引かれた。
見下ろすと、心花がこっちを見上げていた。
止まっていた口もとがゆっくりとほどけていく。
ほどけたところからくしゃりと崩れた。
「……センパイ」
小さな額が俺の胸にぶつかるように押しつけられた。
最初は震えだけだった。
ラッシュガード越しに心花の肩が細かく震えているのが伝わってくる。
それから胸のあたりの布がじわりと温かく湿りはじめた。
しゃくりあげる声がくぐもったまま布の中へ吸いこまれていく。
どうすればいいのかは考えなかった。
気づけば左手が心花の背中に回っていて、右手が短い髪の上に乗っていた。
日差しを吸った背中は熱いのに、腕の中の小さな体の芯のほうは、まだ冷えたままのような気がした。
背中に回した腕に思っていたより力が入っていた。
緩めようとして、緩めるのが少しだけ遅れた。
「……すみ、ません」
胸に顔を埋めたまま、心花がくぐもった声で言った。
「ひとりで、平気って言ったのに。せっかくの海なのに、私……」
「謝んなくていい」
「でも……」
「謝んなくていいから。……ついていかなかったのは、俺のほうだ」
胸の中で短い髪がぶんぶんと横に揺れた。
「センパイは悪くないです……」
心花の右手はまだ三桜さんの両手の中にあった。
三桜さんはその手を包んだまま、指先で手の甲をゆっくりとさすっている。
「心花ちゃんの手、つめたいね」
胸に埋まったままの頭がほんの少しだけ動いた。
「……こっちの手、なんにも持ってなかったのに。へんですね」
「そっか。じゃあ、あったまるまでこうしてる」
二人のあいだでだけ通じる合言葉みたいなやり取りだった。
何がどう通じているのかは、俺にはわからない。
わからないまま、三桜さんの手の中で、心花の指が握り返すのを見ていた。
一花さんは俺たちに背中を向けて立っていた。
腕を組んだまま、男たちが消えていった浜の入り口のほうをじっと見ている。
素足の指が焼けた砂に深く食いこんでいた。
二葉さんは砂の上に落ちていたがま口を拾い上げた。
ついた砂を指で丁寧に払って、留め金をぱちんと閉める。
それから男たちが去っていった方向へ一度だけ目をやった。
日差しの中でそこだけ温度のない目だった。
どれくらいそうしていたのかはわからない。
胸の湿りが広がらなくなって、しゃくりあげる声が少しずつ間遠になっていった。
心花がゆっくりと顔を上げた。
目のふちが赤い。
濡れた睫毛が束になって、まばたきのたびに小さく光った。
「……先輩たち」
かすれた声に一花さんが振り返った。
二葉さんはがま口を手にしたまま顔を向け、三桜さんはつないだ手を胸の高さまで持ち上げる。
「……来てくれて、ありがとうございます」
「あったりまえじゃん」
一花さんは大股で戻ってくると、心花の頬を親指でぐいとぬぐった。
「妹分の顔、ぐっちゃぐちゃ。せっかくの白い水着が泣いてるよ」
「水着は泣きませんよぉ……。泣いてるのは、私だけです」
「泣くくらいなら、最初からあたしらに甘えなっての」
一花さんは心花の短い髪を、わしゃわしゃとかき回した。
乱暴な手つきだった。
手つきだけが乱暴だった。
「篠崎さん。あとで顔を洗いなさい。それから、目は擦らないこと。がま口は、戻るまで私が預かるわ」
「……はい。お願いします」
二葉さんの言い方はいつもどおり短かった。
短いまま、がま口を自分の手のひらにそっと包みこんだ。
心花の目がふっと俺たちの輪の外へ向いた。
少し離れたところに柄シャツも着ていない背中がひとつ立っている。
「……立花先輩」
呼ばれた背中がびくっと跳ねた。
振り返った立花は、自分が呼ばれるとは思ってもいなかったみたいに、きょとんとした顔をしていた。
心花は俺のラッシュガードの裾をつかんだまま、立花のほうへ半分だけ体を向けた。
小さく息を吸う。
「ありがとうございました」
声は震えていた。
震えたまま、最後まで自分の声で言い切った。
「お、おう」
立花は目をぱちぱちさせて、それから首の後ろをかいた。
いつもの大きな声はどこかに置いてきたみたいだった。
「……どういたしまして、で合ってるよな。こういうとき」
「合ってる合ってる。タチバナくんにしては満点」
「にしては、って今日二回目なんだけど!?」
立花の抗議に三桜さんが小さく吹き出した。
つられたみたいに、心花の喉の奥からも、鼻にかかった笑い声がひとつこぼれる。
泣いたあとの湿った笑い方だった。
「三回目にならないよう、精進なさい」
「上からだなー! 次女さん、絶対俺のこと褒めたくないだろ!」
「事実を述べているだけよ」
立花ががっくりと肩を落とした。
「戻るわよ」
がま口を持った手で、二葉さんが浜の端のほうを示した。
「日なたに長くいると、篠崎さんの腕の境目がまた濃くなるわ」
「……それは困ります。夏休み明け、半袖で学校行けなくなっちゃいます」
「じゃあ戻ったら、私がまた重ね塗りしてあげるね」
三桜さんがつないだ手を軽く揺らした。
来た道のほうへ目をやると、白い砂の上にビーチサンダルがばらばらに散らばっていた。
裏返ったもの、片方だけずいぶん遠くまで飛んでいるもの。
ラッシュガードの裾がくいと引かれた。
心花の指はまだそこをつかんだままだった。
離す気配は少しもない。
離してくれ、とは言わなかった。
言う理由がどこにもなかった。




