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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第5章 夏休み!海と水着と、夏祭りの告白

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第125話 背中を塗る番と、波間のひみつ

タオルの下から現れた四人の水着の感想は、「相沢の担当だろ」と立花に押しつけられて、俺がひとりずつ言うことになった。

 一花さんの赤、二葉さんの黒、三桜さんのミントグリーン、それから、腰に黄色い紐を結んだ心花の白。

 最後のひとりまで言い終えて、ようやく息をついたところだった。


「はーい、じゃあ日焼け止めタイム!」


 一花さんがバッグから白いボトルを取り出して、高々と掲げた。

 それから、くるりと俺に背中を向ける。


「誠、背中塗って。あ、紐はほどいたほうが塗りやすいよね」


 言いながら、一花さんの指が首の後ろの結び目にかかった。


「貸しなさい」


 結び目がほどけるより先に、二葉さんの手がボトルをひったくっていた。


「私が塗るわ」


「えー。二葉の手つき、雑なんだもん」


「効率的と言いなさい」


 有無を言わせず、二葉さんは手のひらに絞り出した日焼け止めを、一花さんの背中にべたりと押しつけた。

 肩甲骨から腰まで、手のひらが往復したのはきっかり三回だった。


「つめたっ! ちょっと、もうちょい優しく――」


「終わったわ」


「はやっ! 雑!」


 背中をぺしりと叩かれた一花さんは、めげる様子もなくバッグに手を突っこんで、もう一本の日焼け止めを取り出した。


「二本目があるのかよ」


「あるよ。誠用」


「俺はラッシュガードを着てるから」


「首。顔。耳の裏。あと、脚」


 指を折って数えあげると、一花さんは俺の背後へするりと回りこんだ。

 シートに座らされた俺の首筋に、ひやりとした手のひらが張りつく。


「うわ、つめた」


「さっきのお返し。……誠、首の後ろ、もう赤くなりかけてるじゃん」


 一花さんの指がうなじから耳の下へ、ゆっくりと日焼け止めを伸ばしていく。

 背中に、ラッシュガード越しのやわらかな重みがぴたりと寄りかかってきた。

 薄い化繊の生地一枚では、何ひとつ防げていない。

 くすりと笑う一花さんの息が耳のすぐ後ろで聞こえた。


「ほら、耳の裏も。じっとしてて」


 逃げようにも、背中の側はふさがっていた。


「――前は私がやるわ」


 声と同時に正面で二葉さんが膝をついた。

 日焼け止めをたっぷり乗せた両の手のひらが、左右から俺の頬を包みこむ。


「顔は前から塗るのが合理的よ」


 清涼感のあるシャンプーの香りが、日焼け止めの甘ったるい匂いを押しのけて、すぐ目の前にあった。

 二葉さんの親指が頬骨の上をゆっくりとなぞっていく。

 片方しかない肩紐が俺の目の高さで揺れていた。


「二葉、それ塗ってるんじゃなくて、顔包んでるだけでしょ」


「均一に伸ばしているの」


「さっきから、ずっと同じとこ伸ばしてるけど」


 後ろからは一花さんの指が耳をくすぐり、前からは二葉さんの手のひらが頬を離さない。

 前にも後ろにも、退路がなかった。


 しばらくして、一花さんがようやく手を離した。

 見下ろした自分の手のひらには、まだ白いのがたっぷり残っている。

 その目が、ボールを抱えて波打ち際をうろうろしている立花の背中で、ぴたりと止まった。


「タチバナくーん。背中出して。余ったから塗ったげる」


「は!? いや、俺はいい! 男は焼けてなんぼだから!」


「遠慮しないでってば。ついでに、背中にハートでも描いといたげるから」


「落書きする気満々じゃねえか!」


「諦めて塗ってもらえ、立花」


「さっきのお前見て、誰が並ぶかよ! 前と後ろから挟まれてたじゃねえか!」


 叫ぶなり、立花はボールを抱えて海のほうへ駆けだした。

 砂を蹴り上げ、波打ち際に派手な水しぶきを上げて突っこんでいく。


「あ、逃げた」


 一花さんが白い手のひらを掲げたまま、ぽかんと呟いた。

 心花がこらえきれずに声を上げて笑いだす。

 二葉さんだけが遠ざかっていく背中をじっと目で追っていた。


「……一花から逃げる男の人、初めて見たわ」


「どういう意味、それ?」


「言葉どおりよ」


 それから二葉さんは、誰に聞かせるでもなく、ほんの小さく呟いた。


「……合格ね」


「何が?」


 答えの代わりに、二葉さんは一本目のキャップを、ぱちんと閉めた。


 閉めたボトルが、そのままバッグの口へ沈んでいこうとする。

 俺の目はボトルではなく、それを持つ腕の上で止まっていた。

 一花さんの背中も俺の顔も塗り終えた人の左の肩が、更衣室から出てきたときの白さのまま、まだ何も塗られずに光の中へ出ている。


「二葉さん。自分のぶんは?」


「あとでやるわ」


「せっかくの日傘を、今日の午前で帳消しにする気か」


 ボトルを持つ手がバッグの口で止まった。


「……私の理屈を、私に向けないで。自分で塗れるわ」


 言うなり、二葉さんは右手を背中へ回した。

 左の肩の丸みまでは届くのに、その下の肩甲骨のくぼみのあたりで、指先が何度も宙をかいた。

 腕を引くたびにたった一本の黒い紐が右の肩へ食いこんで、斜めの線の下が、そのぶん窮屈そうに持ち上がる。


 見ていられなくなって、俺は二葉さんの左手からボトルを抜き取った。


「貸して」


「あ、それ。さっきの二葉のセリフじゃん」


「命令形にはしてない」


 一花さんの茶々を聞き流して、手のひらに日焼け止めを絞る。

 二葉さんは何か言いかけて、結局は黙ったまま、膝をついた姿勢でくるりと俺に背中を向けた。

 長い黒髪を片手でひとまとめにすくって、胸の前へ流す。

 髪の下から、ひと夏ぶん日傘の内側にしまわれてきた背中が出てきた。


 左の肩に手のひらを置く。

 その瞬間、背骨に定規でも差しこまれたみたいに、二葉さんの背中がまっすぐになった。


 肩から肩甲骨へ伸ばしていくと、日に当たってこなかった肌は、手のひらに吸いつくほどきめが細かかった。

 肩甲骨の縁をなぞって脇のほうへ指を滑らせると、指先が黒い布の端に触れた。

 その端のすぐ向こうで、布に収まりきらないやわらかな丸みが、体の横へわずかにこぼれている。


 指が止まった。


「……止めないで。そこも日なたよ」


 言われるままに布の端に沿って指を這わせると、二葉さんの喉の奥で、息がひとつ小さく詰まった。


「誠ー。今ので五往復目だよ。二葉の基準だと、とっくに終わってるけど」


「……マコトの手は効率が悪いの。回数で補うしかないわ」


「あたしには三回だったくせに。……てか待って。あたしが誠に頼んだときは横取りしたのに、自分はちゃっかり塗ってもらってんじゃん」


「頼んでいないわ。マコトが勝手に始めたの」


「うわ。それ、頼むよりずるいやつだ」


 一花さんは心底感心したように唸ると、ぱっと俺のほうへ向き直った。


「じゃ、誠。次あたしね。頼まないから、勝手に塗って」


「それはもう頼んでるだろ」


 二葉さんは何も言わなかった。

 ただ、まっすぐになっていた背中が、いつのまにか少しずつ俺の手のひらのほうへ傾いてきている。


「……マコト。終わったら、しばらく反対を向いていて」


「なんでだ?」


「振り向く顔の準備が、まだできていないの」


 背中越しでも、その声がいつもより半音だけ上ずっているのはわかった。


 パラソルの影の奥では、三桜さんが心花に背中を向けて、ちょこんと座っていた。


「三桜先輩の背中、塗るとこほぼ全部じゃないですか」


「だから心花ちゃんにお願いしてるの。……ひゃっ、くすぐったい!」


「動かないでくださいってば。紐の下も塗らないと、紐の形に焼けちゃいますよ」


「紐の形!? それはやだ!」


「でしょ? 私の腕みたいになっちゃいますよ」


 自分の焼け跡を引き合いに出して、心花は真剣な顔で三桜さんの背中に手のひらを滑らせた。

 心花の指先が蝶結びの下を慎重にくぐっていく。

 三桜さんは膝を抱えてくすぐったさに肩をすくめながら、それでも健気にじっとしていた。


「交代ね。心花ちゃん、腕のとこ、境目に重ね塗りしとくね」


「お願いします。これ以上くっきりしたら、日焼けのほうが本体になっちゃいます」


 三桜さんは「ここね」と笑って、境目をなじませるように、心花の二の腕をとんとんと叩いた。

 くすぐったそうに肩をすくめる心花と、真剣な顔で塗りこむ三桜さん。

 パラソルの影の下で、二人ぶんの小さな笑い声が重なっていた。


  ◇


 波打ち際の水は思っていたよりずっと冷たかった。

 足首、膝、腰。

 水が上がってくるたびに、焼けた砂の熱が体から抜けていく。


 一花さんは水に入るなり、すいっと沖のほうへ滑っていった。

 二葉さんはほとんど水しぶきを立てずに潜って、気づけばもうずいぶん先で顔を出している。

 二人とも本当に泳ぎが上手い。

 胸くらいの深さのところで二人が立ち止まると、心花が波に合わせてぴょんぴょん跳ねながら、そこへ追いついた。

 そのさらに向こうでは、立花がひとりでボールを空高く放り上げては、自分で取りにいっていた。


 三桜さんはまだ腰の深さのところにいた。

 俺もその隣にいた。


「三桜ー! そんなとこで止まってないで、おいでよー! 歩いてくれば足つくからー!」


 一花さんがこっちに向かって大きく手を振っている。

 プールで見た光景に少しだけ似ていた。

 あの日の三桜さんは、水際から一歩下がったところで、ずっと手を振り返す側にいた。


 三桜さんは手を振り返さずに、水面に揺れる光をじっと見下ろしていた。


「……誠くん」


「ん」


「みんな、あそこにいるね」


「ああ。……一花さんの肩が出てるから、あそこならたぶん足はつく」


「うん」


 三桜さんは水の中で右手をぎゅっと握って、ゆっくりと開いた。

 それから顔を上げて、まっすぐに俺を見た。


「誠くん、見てて!」


 あの日の影のプールで、浮いていられたのは五つ数えるあいだだけだった。

 前に進むのはまだぜんぜんわからないと、三桜さんは言っていた。

 それでも小指を揺らして、約束はずっと有効だと言った。

 海で、みんながいるところまで。

 並んで、泳いで。


 パラソルの下のリュックの底には、空気の入っていない浮き輪が畳んである。

 もしものときのために押し入れの奥から引っぱり出して、結局、誰にも言わないままここまで持ってきた。


「――見てる」


 俺がそう言うと、三桜さんは小さく頷いた。


 大きく息を吸う。

 顔を水につけて、両腕をまっすぐ前へ伸ばす。

 底を蹴った小さな体が水面をすべるようにすうっと前へ出た。


 俺も水に体を預けて、その横に並んだ。

 手を伸ばせば届く距離のまま、ゆっくりと水をかく。

 手は出さない。

 出さなくていいように、横からずっと見ていた。


 ばたつく足が派手な白いしぶきを上げる。

 膝が曲がっていて、半分くらいは水面を叩いているだけだ。

 両腕は水をかくというより、目の前のカーテンを交互にかき分けているみたいだった。

 それでも、進んでいる。

 少しずつ確かに前へ。


 途中で一度、三桜さんの頭がぐっと持ち上がりかけた。

 足が下がる、と思った。

 ――けれど三桜さんは、自分からすぐに顔を水の中へ戻した。

 水面に細い泡の列がぷくぷくと浮かんでくる。


 鼻から少しずつ。

 あの日、教えたとおりに。


「……え?」


 最初に気づいたのは一花さんだった。

 振っていた手が宙で止まっている。


「ちょ、待って。三桜……?」


「えっ、えっ!? 三桜先輩が、泳いでる……!?」


 二葉さんは何も言わなかった。

 ただ、反射的に一歩前へ踏みだしかけて、そこで止まっていた。

 水の中で半分持ち上がった手が行き場をなくして浮いている。


 少し離れたところでは、事情を何ひとつ知らない立花が「三桜ちゃん、ナイスー!」とボールを振り回していた。


 あと少し。

 伸ばした三桜さんの指先が一花さんのすぐ手前の水を叩いた。

 つま先が底の砂に届いた。


 ざばっと水を割って、三桜さんが顔を上げた。


「三桜、いつのまに泳げるようになったの!? プールのとき、一歩も入んなかったじゃん!」


「そうですよ! ずっと水際でタオル巻いて、手振ってたじゃないですか!」


 詰め寄る二人のあいだで、三桜さんは濡れた前髪の下の目をぱちぱちさせた。

 それから人さし指を一本、唇の前にちょこんと立てる。


「それは、ひ・み・つ!」


「はあ!? なにそれ!」


 一花さんの声が海の上でひっくり返った。

 二葉さんは浮かせていた手をようやく下ろした。

 そのまま何も言わずに、三桜さんの額に張りついた前髪を、指でそっと横へ払ってやる。


 詰め寄る二人のあいだから、三桜さんがこちらを振り返った。

 すぐ後ろにいた俺と目が合った。

 顔を上げたら誠くんがいた――あの日、影のプールでそう言った子の目が、今は海の光をいっぱいに映している。


 三桜さんは水の中で右手の小指をちょこんと立てた。

 俺たちのほかには、誰にも見えない高さで。

 俺も水の中で小指を立て返した。


 どちらからともなく、笑いがこぼれた。


「ちょっと、二人して何笑ってんの!?」


「センパイ!? センパイまで、ひみつ側なんですか!?」


「……さあな」


 リュックの底の浮き輪は、今日はたぶん出番がない。


 三桜さんは、うれしくてじっとしていられないみたいに、もう一度ざぶんと顔を水につけた。

 ぶくぶくと泡を立てて、すぐにまた、ざばりと顔を上げる。

 濡れた髪を頬に張りつかせて、睫毛の先から雫をこぼしながら、三桜さんは夏の光の真ん中で思いきり笑った。

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