第124話 海!まぶしさは水着か、夏か
乗り換えの駅で落ち合い、電車に揺られてたどり着いた浜の端に、俺たちはパラソルを立てた。
女子四人は買ったばかりの水着に着替えるため、ひとかたまりで更衣室へ向かった。
先に着替えを済ませた俺は、ビーチボールをふくらます立花の隣で荷物番をしながら、更衣室の方角ばかり見ていた。
水着の色も形も、俺だけがまだ知らされていない。
見せるときには、何か段取りがあるらしい。
「誠ー!」
一花さんの声だった。
顔を上げると、四人が一列になって砂を踏んでくるところだった。
四人とも大きなバスタオルを肩から体に巻きつけている。
首から下が、ピンクと紺と白と黄色のタオルで、すっぽりと隠されていた。
四人はパラソルの前で横一列に並ぶと、ぴたりと足を止めた。
「誠、そこ立って。動かないでね」
「なんで立つんだ?」
「座ってたら見上げる角度になっちゃうじゃん。もったいない」
何がもったいないのかは、たぶん聞かないほうがいい。
言われるままに立ち上がると、四人ぶんの視線が俺の顔に集まった。
「タチバナくんは、ボールふくらましてて」
「おう。ふくらましてる」
立花は素直にボールの吹きこみ口をくわえ直した。
この状況でいちばんどうでもよさそうな顔をしているのが、こいつだった。
「じゃあ、いっせーので、だからね! みんなで、いっせーので!」
三桜さんが、タオルの合わせ目を両手でぎゅっと握りしめて言った。
駅で口を滑らせた段取りは、どうやらこれのことらしい。
一花さんが、気の抜けた声で音頭を取った。
「はいはい。いくよー。いっせーの――」
最後のひと声を待たずに、ばさっとピンクのタオルが宙を舞った。
放り投げられたタオルが、ちょうど立花の頭の上に着地する。
ボールをくわえたまま、立花の上半身がタオルの山になった。
タオルの下から「んぐっ!?」とくぐもった声が漏れたが、誰ひとり気にとめなかった。
「――で!」
三桜さんの掛け声どおりに、二葉さんのタオルがすとんと足もとへ落ちた。
心花の手はタオルの端をつかんだところで止まっていた。
三桜さんの手は、そもそも動いてすらいなかった。
「一花、早いわ」
「だって待てなかったんだもん。はい誠、一発目」
一花さんは片手を腰に当てて、胸を張った。
真っ赤だった。
首の後ろから降りてきた二本の紐が、胸の真ん中で一度だけ交わっている。
交わったところがちょうど深い谷間の上にあって、目は勝手にそこへ吸い寄せられた。
吸い寄せられた先から、きゅっと締まった腰へ。
腰から、すらりと伸びた脚の線へ。
目線が上から下まで一往復したところで、一花さんがにやりと笑った。
「今、上から下まで見たね。往復で」
「……見てない」
「見たよ。顔に書いてあるもん。……ね、倒れそう? 倒れたら介抱したげるよ。このまんまで」
「一花。順番よ」
二葉さんは背筋をまっすぐ伸ばして立っていた。
肩紐は右にしかなかった。
黒い一本の線が右肩から胸もとへ斜めに降りて、左の肩をまるごと夏の光の中へ放り出している。
日傘の下で過ごしてきた肌は、砂浜の照り返しを浴びて、まぶしいくらいに白かった。
そして、その斜めの線が支えているものの量に、俺は今さら言葉を失った。
プールの紺のワンピースは、あれでもまだ隠していたほうだったらしい。
電車で二の腕に乗っていた重みが、目の前でそのまま輪郭になっていた。
二葉さんは腕で隠そうとはしなかった。
左手を体の横にまっすぐ下ろしたまま、顎を少しだけ上げて、俺の顔を見ている。
ただ、右手の指先だけが、肩紐のつけ根をきつくつまんでいた。
「……見ていいわ。マコトのために選んだのだから」
「二葉、それ砂浜で言うセリフじゃないって」
「……比喩よ」
何の比喩なのかは、二葉さん本人にもわかっていない顔だった。
「三桜先輩、手、動いてすらなかったですよね!? 私も止まっちゃいましたけど!」
「て、手が、離れないの……。いっせーのでって言った瞬間、急にぜんぶ恥ずかしくなっちゃって……」
「言い出しっぺが最後って、いちばん目立つやつじゃん」
「わかってるよぉ……!」
三桜さんはタオルの合わせ目を握りしめたまま、首まで真っ赤になっていた。
隣の心花もタオルの端をつかんだまま固まっている。
開きかけた布のすき間から、白いものがちらりとのぞいていた。
「……出遅れたの、私もけっこう恥ずかしいんですけど」
心花は小さく深呼吸すると、三桜さんのほうへ体を向けた。
「三桜先輩。私といっしょに、もう一回だけやりましょ。いっせーので」
「……心花ちゃんと?」
「はい。二人なら、恥ずかしいのも半分こです」
三桜さんの目がタオルと心花の顔のあいだを一往復した。
それから、こくりと小さく頷く。
「……いっせーの」
「――で!」
二枚のタオルが、同時に砂の上へ落ちた。
淡いミントグリーンだった。
肩紐がどこにもない。
胸もとをふちどるフリルだけで留まっていて、細い肩も、首筋から鎖骨のくぼみへ続くなだらかな線も、まるごと光の中に出ていた。
三桜さんは両手を胸の前で握り合わせて、上目遣いにこちらをうかがっている。
それから意を決したように、くるりと背中を向けた。
背中はほとんど素肌だった。
肩甲骨の少し下を細い紐が一本横切って、真ん中で小さな蝶結びになっているだけだ。
背骨の浅いくぼみが、うなじからその結び目をくぐって、腰のほうまでまっすぐ続いている。
プールの日、タオルを巻いたまま更衣室から出てきた子と同じ背中だとは、とても思えなかった。
「……背伸びしたの」
背中を向けたまま、三桜さんが消え入りそうな声で言った。
結んだ細い紐の先が、浅い呼吸に合わせてふるふると揺れている。
振り向けないでいる背中が、うなじから肩甲骨のあたりまで、ほんのり桜色に染まっていた。
そして、その隣。
白だった。
肩紐のつけ根に小さくレモンイエローが差してあって、同じ色の細い縁取りが、胸もとの弧をなぞっている。
その縁取りが描く弧を、俺は見下ろす角度のまま、まともに見てしまった。
首も肩も二の腕も、どこを取っても小柄な後輩のままだった。
それなのに、そのあいだで白い布がいっぱいに張りつめて、思いがけないほど豊かなふくらみを包みこんでいる。
いつものだぼっとしたTシャツの下に、これがあったのか。
その一文だけが頭の中で空回りを続けた。
気がつくと、息をするのを忘れていた。
「あ」
心花が俺の顔を指さした。
「固まった! 今、センパイ固まりましたよね!? 見ました、一花先輩!?」
「見た見た。完全に止まってた」
「三秒は止まっていたわ」
「四秒だよ。背中向けてたけど、ちゃんと数えてたもん」
「数えるな」
ようやく出た声が、それだった。
心花はぱあっと顔を輝かせて、両手で小さくガッツポーズを作った。
「やった! 宣言どおりです!」
「宣言?」
「それも、なんでもないです!」
ガッツポーズのまま、心花の動きがふっと止まった。
俺の視線がまだ自分の上にあることに、遅れて気づいたらしい。
心花はばっと両腕を体に巻きつけた。
――二の腕を、反対の手のひらでそれぞれ包みこむようにして。
「う、腕は見ないでください! 腕は!」
「なんで腕なんだ?」
「焼けてるんです! Tシャツの形に! ここから先だけ夏で、ここから内側は真っ白なんですよ!?」
言われてみれば、二の腕の途中で肌の色がくっきりと切り替わっていた。
袖の縁から先だけが小麦色で、そこから肩までは、水着の白とほとんど見分けがつかない。
隠すところの優先順位が、たぶん少しだけおかしい。
「篠崎ちゃん、隠すとこそこなんだ」
「ここがいちばん恥ずかしいんです!」
「……大丈夫だ。腕しか見てない」
「うそだー。目線、真ん中から一ミリも動いてなかったじゃん」
「マコト。嘘をつくなら、もう少し上手につきなさい」
二方向から同時に撃ち抜かれて、俺は黙るしかなかった。
そのとき、タオルの山がもぞもぞと動いた。
頭からピンクのタオルを引きはがした立花が、ぱんぱんにふくらんだボールを高々と掲げる。
「ぷはっ、できた! お、みんな着替え終わってんじゃん。いいね、似合ってる似合ってる。で、ボール誰からやる?」
ボールを抱えたまま、立花の目はもう波打ち際のほうを向いていた。
「タチバナくん、感想うっす!」
「え、だって、そういうのは相沢の担当だろ。俺が先に言ってどうすんだよ」
あっけらかんとしたひと言だった。
四人ぶんの視線が、立花からくるりと俺のほうへ戻ってくる。
「……そうね。次は、マコトの番よ」
「四人とも似合ってる。すごく」
「まとめんな」
「ひとりずつよ」
「順番は? 順番、どうする?」
「私、最後がいいです! トリで!」
逃げ道は最初からどこにもなかった。
俺はひとつ息を吸って、一花さんのほうを向いた。
「赤、すごく似合ってる。一花さんにしか着こなせないと思う」
「ふーん。どこが?」
「……そこ、掘るのか」
「具体的に。どこが、どう似合ってるか」
「具体的に言ったら、たぶん俺が捕まる」
一拍おいて、一花さんがぶはっと吹き出した。
「なにそれ。今日いちばんの褒め言葉かも」
笑いながら、一花さんはつま先立ちになって、俺の耳もとまで顔を寄せてきた。
胸の前で交わった紐が、ラッシュガードの胸に触れそうな距離だった。
「じゃ、具体的なほうは、あとで二人きりのときに聞かせてね」
「一花。次よ」
二葉さんの声が、俺と一花さんのあいだに冷たく割りこんだ。
さっきと同じ姿勢のまま、二葉さんは俺の言葉を待っていた。
右手の指先はまだ肩紐のつけ根をつまんでいる。
「黒、大人っぽくて似合ってる。……あと、肩が白いな」
「……日傘の成果よ」
「知ってる。毎日差してたもんな」
「……見ていたの?」
「隣にいたら見えるだろ」
二葉さんは唇を結んだ。
肩紐をつまむ指に、ぎゅっと力がこもる。
むき出しの左の肩が、日差しのせいではない色で、ゆっくりと桜色に染まっていった。
「二葉、肩まで赤くなってるけど」
「日差しよ」
「まだ一分も浴びてないって」
いつのまにかこちらへ向き直った三桜さんは、心花の陰に半分隠れながら、自分の番を待っていた。
隠れきれずに、ミントグリーンのフリルがはみ出している。
「三桜さん。タオルを巻いてないのが、いちばんいい」
「……それ、水着の感想?」
「水着も背中も、ぜんぶ込みの感想だ」
三桜さんの顔がふにゃりとほどけた。
うれしさが体からあふれたみたいに、その場でぴょんと小さく跳ねる。
肩紐のない胸もとが一緒に弾んで、布の縁がほんの少しだけ下へずれた。
「三桜、跳ねない! 落ちる!」
「ひゃっ」
一花さんの悲鳴に、三桜さんは両手で胸もとを押さえて固まった。
布はぎりぎりのところで踏みとどまっていた。
その場にいた全員が、そろって息を吐いた。
「三桜。その水着を着ている間は、喜びを心の中だけで完結させなさい」
「む、無理だよぉ……」
「はい、トリです! センパイ、どうぞ!」
心花は二の腕を押さえていた手をぱっと離して、ぴんと背筋を伸ばした。
さっきまで必死に隠していた焼け跡の線が、夏の光の中にそのまま出る。
「白、似合ってる。心花らしい」
「私らしいって、どこらへんがですか!?」
「明るいとこ。……あと、腰の黄色いのも」
腰の横で結んだ紐の先に、小さくレモンイエローが差してある。
心花はそれを指でつまんで、ぱちぱちと瞬きをした。
「でしょ!? それ、私が選んだんだよ!」
三桜さんが心花の後ろから身を乗り出して、得意げに胸を張った。
「三桜先輩、そこで胸張ります!? 今、私の感想の番なんですけど!」
「三桜の見立て、大当たりじゃん」
「心花ちゃんはね、隠さないほうがかわいいの。ずっとそう思ってたんだもん」
心花は言い返そうとして、口をぱくぱくさせた。
それから黄色い紐の先を指に巻きつけたまま、俺のほうを見上げる。
見上げてくる目が、ほんの少しだけ心細そうに揺れていた。
「……センパイ。それ、ほんとですか?」
「ほんとだ」
「……えへへ。じゃあ、さっき固まってた分も込みで、受け取っときます」
心花はくすぐったそうに笑って、短い髪をがしがしとかき回した。
潮風に吹かれた毛先が、ぴょこんと跳ねた。




