第12話 ひとつの名前と、三人ぶんの面影
その日の夜は、どうにもそわそわと落ち着かなかった。
授業のあいだも、同じ教室にいる三人から、なんだか視線を感じる気がしてならなかった。
……まあ、気のせいだと思っておきたい。
おまけに放課後は、一花さんたちに駅前まで引きずり回されて、クレープだのクレーンゲームだのプリクラだのと、四人で散々遊び回るはめになった。
転校してきて、まだほんの数日。
それだけの時間で、俺の平穏な日常は、すっかり引っかき回されてしまっていた。
それなのに、不思議と、嫌な疲れはどこにもなくて。
むしろ駅で三人と別れたときから、胸の奥は妙にそわそわしたままだった。
今夜、あの三人は、どんな顔で、ルナとして現れるのか。
それを確かめたくて、俺は夕飯も風呂もそこそこに、いそいそと自室の机へ戻ってきていた。
気づけば俺の指は、もう半分くらい、いつもの習慣でパソコンの電源へ伸びていた。
日課の『エデン・オンライン』。
現実がどれだけ騒がしくなっても、この世界だけは、俺の確かな居場所だ。
――もっとも今夜は、その居場所にも、ひとつ厄介な疑問がくっついて回っていたのだけれど。
モニターの青白い光が、薄暗い部屋に灯る。
重騎士である俺のアバター、【リオン】が、見慣れた首都の広場に降り立った。
フレンドリストを開く。
【ルナ】。
ステータスは、しっかり『オンライン』になっていた。
とくん、と心臓がひとつ跳ねる。
……今、この画面の向こうにいるのは、誰なんだ。
一花さんか。
二葉さんか。
それとも、三桜さんか。
ほんの数日前まで、考えもしなかった問いだった。
俺はキーボードに指を置き、ひとつ深呼吸をしてから、わざと探りを入れるようなチャットを打ち込んだ。
『ルナ、こんばんは。今日も学校、大変だったよ。なんか、美人な三つ子に囲まれちゃってさ』
送信。
もし相手が一花さんなら、軽くからかってくるはずだ。
二葉さんなら、そっけなく流すかもしれない。
三桜さんなら、焦るか、照れるか。
返ってくる反応で、少しは絞り込める――そう踏んでの、カマかけだった。
数秒の間を置いて、チャット欄に返事が流れた。
『へぇー、三つ子の美少女ねぇ。で? 【リオン】は、どの子にいちばんデレデレしちゃったわけ?』
……出鼻を、くじかれた。
この軽快なノリ。
こちらの探りに、逆に一歩踏み込んでくるからかい方。
通学路で腕を絡めてきたときの、一花さんの口ぶりが、文字の向こうから、ありありと立ち上がってくる。
一花さん、か……?
いや、まだ早い。
これくらいの軽口なら、三人のうちの誰でも真似できる。
俺は浮きかけた手応えを抑えつけて、次の一手を打った。
『デレデレなんてしてないって。それより、今日のデイリーどうする? 付き合ってくれよ』
打ち込んだ直後、ほとんど間を置かずに、システムメッセージが立ち上がった。
【ルナからパーティ申請が届きました】
承認すると同時に、長いチャットが、すごい速さで流れ込んでくる。
『今日のデイリーなら、第五階層の廃坑でしょ。さっき下見してきたよ。雑魚の湧きパターンと宝箱の位置、全部メモした。【リオン】は前で殴ってくれればいい。回復とバフはこっちで管理するから、ポーションだけ多めに持ってきて』
俺は、キーボードの上で指を止めた。
……ついさっきまでの、ゆるい軽口はどこへ行った。
無駄のない段取り。
先を読んだ下準備。
そして、この長文を一瞬で叩き込んでくる、打鍵の速さ。
軽いノリから一転した、この冷静さは。
二葉さん、だ。
いや、そう言い切れるのか。
軽口の一花さんと、戦術眼の二葉さん。
まるで違う二つの顔が、同じ【ルナ】の名前から、たった数十秒のあいだに出てきた。
……気味が悪いくらい、そのどちらも、俺の知っているルナだった。
混乱を抱えたまま、俺はルナに連れられて、廃坑のダンジョンへ潜った。
松明の灯りが揺れる、薄暗い坑道。
ルナの組んだルートは、なるほど、恐ろしく無駄がなかった。
雑魚の群れは彼女の範囲魔法であっさり一掃され、俺はただ前で盾を構えていればいい。
阿吽の呼吸、というやつだ。
三年ものあいだ、背中を預け合ってきた相手だからこそ成り立つ、言葉のいらない連携だった。
ふと、思う。
軽口も、隙のない段取りも、誰かが器用に真似できるものなのかもしれない。
けれど、この三年ぶんの呼吸だけは。
俺の盾が引きつける敵を、見もしないで信じきって、背中から回復を回してくる、この迷いのなさだけは。
にわか仕込みで、出せるものじゃない。
文字の向こうから滲んでくる、この体温みたいなものだけは、まぎれもなく、俺の知っているルナだった。
最深部で待っていたのは、岩肌の巨大なゴーレムだった。
俺は挑発スキルで敵意を引き受け、盾でその拳を受け止める。
HPゲージがじりじりと削れていくが、想定の範囲内。
背後からは、的確なタイミングで回復の光が飛んでくる。
――そのはず、だった。
ゴーレムが、想定より早く、大技の構えに入った。
広範囲をなぎ払う、重い一撃。
俺の防御スキルは、まだ再使用まで数秒足りない。
避けきれない。
とっさにそう判断した、その瞬間だった。
『――っ、【リオン】だめっ、死んじゃう、死んじゃうってばっ……!!』
チャット欄に、叩きつけるような文字が躍った。
いつもの、きちんと整ったルナの文面じゃない。
言葉を選ぶ余裕もなく、同じ言葉を二度もくり返して、一息に叩きつけられた、むき出しの焦り。
俺を案じる、無防備なくらい、まっすぐな叫び。
……三桜さん、なのか。
中庭で、不器用な手作りの弁当を差し出してきた、あの子の声が、文字の向こうから聞こえた気がした。
次の刹那、俺のアバターの前に、淡く輝く結界がせり上がる。
ぎりぎりで間に合ったルナの守りが、ゴーレムの一撃を真正面から受け止めた。
俺はその隙を逃さず、反撃のスキルを叩き込む。
甲高い音とともに、ゴーレムが砕け散った。
戦闘終了のファンファーレが、静かな坑道に響く。
しばらくして、チャット欄に、ぽつりと言葉が落ちた。
『……ふぅ。ごめん、急に取り乱しちゃった。でも【リオン】、無事でよかったぁ』
続けて、いつもの可愛い顔文字が、何事もなかったみたいに並ぶ。
俺はマウスから手を離し、椅子の背に深くもたれた。
心臓が、まだ少し速い。
……どうなってるんだ。
軽口のノリ。
冷徹な戦術。
感情まる出しの叫び。
今までは、その全部をひっくるめて、ルナという一人の女の子の幅なんだと思っていた。
なのに、あの三人と出会った今は、どうだ。
その一つひとつが、出会ったばかりの三人の顔に、なぜか重なって見えてしまう。
ひとりの人間が、こんなにきれいに色を切り替えられるものなのか。
いや、いくらなんでも、器用すぎる。
「……まさか」
ふと、ひとつの突拍子もない考えが、頭をよぎった。
――三人で、一台のパソコンを囲んでいるんじゃないか。
画面の前に、一花さんと二葉さんと三桜さんが、肩を寄せ合って座っている。
誰かがマウスを握り、残りの二人が後ろから「次こう打って」「そこは私が」と口を出して、ときにはキーボードを奪い合う。
そんな絵が、ふっと浮かんだ。
それなら、軽口も、戦術も、あの叫びも、ひとつの画面に同居できなくはない。
我ながら、なかなか面白い思いつきじゃないか。
――と、そこまで考えて、ふと、引っかかった。
いや、違う。
肩を寄せ合って、ああだこうだと指図し合うような騒がしさで、さっきの呼吸が出せるわけがない。
俺の盾を、見もせずに信じきって背中を預けてくる、あの迷いのなさだけは、どうやっても説明がつかない。
「……それに、だとしたら。今この瞬間、本物としてキーボードを叩いてるのは、誰なんだ」
その問いの前で、組み上げかけた考えは、ぴたりと行き止まった。
結局、振り出しだ。
背後霊だの、なんだの。
思いつきはいくらでも湧くのに、どれもこれも決め手を欠いて、最後の一歩手前で、するりと指の間をこぼれ落ちていく。
あるいは――本物のルナは、あの三人のうちの、誰か一人だけなのかもしれない。
残りの二人は、その子から思い出話を聞いて、上手に話を合わせているだけ。
そんな筋書きも、一瞬、頭をかすめた。
けれど、それも、しっくりこない。
さっき俺の死を本気で恐れた、あの噛みつくような叫びが、台本どおりの代役のものだとは、どうしても思えなかった。
俺は両手で顔を覆い、それから、ふっと笑ってしまった。
ドツボだ。
考えれば考えるほど、謎は深くなるばかり。
……なのに、不思議と、嫌な気分じゃない。
ネットの向こうにいるはずのルナが、現実の三人の影に分かれて、見え隠れしている。
その謎解きが、いつの間にか、ちょっとした楽しみになりかけている自分がいた。
『ねえ、【リオン】』
考え込んでいると、ルナからチャットが届いた。
『今日もありがとね。……あのさ、週末。続き、一緒に遊べたら嬉しいな』
『続きって、エデンの?』
『えへへ、さあ、どうでしょう。それは、当日のお楽しみ』
含みのある言い方に、俺はまた身構えてしまう。
ゲームの話なのか。
それとも――まさか、現実で会おう、という意味なのか。
『じゃあね、旦那様。また、学校で』
【ルナがログアウトしました】
画面から、ふっとルナの姿が消える。
静かになった部屋で、俺はモニターの星空を、しばらく眺めていた。
目を閉じると、瞼の裏に浮かぶのは、三人の顔だ。
からかうように笑う一花さん。
涼しい顔で先回りする二葉さん。
絆創膏だらけの指で弁当を差し出す三桜さん。
……週末は、いったい誰が、どんな手で来るんだろう。
今夜も眠るまでに、ずいぶん時間がかかりそうだった。




