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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第4章 夏を待つ五人と、還ってきたルナ

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第102話 水着の五人と、水面下の内緒

七月半ばの日曜、五人で来たプールは、昼が近づくにつれて歓声を増やしていた。

 その賑わいから少し外れたところで、俺と三桜さんはまだ腰まで水に浸かっていた。


 小指をほどいてからも、三桜さんはしばらく自分の右手を水面の上にかざしていた。

 さっきまで絡まっていた指の根もとを、確かめるように親指でなぞっている。

 底のタイルで揺れる光の網が、その小さな手のひらにも映りこんでいた。

 姉たちと心花がスライダーの列に並んでいるあいだ、人の少ない浅いプールの隅で水に顔をつける練習をしていたことは、俺と三桜さんだけの秘密だ。


「……そろそろ戻らないとまずいな。向こうも、何本か滑り終わってるころだ」


「あっ、そうだった! お姉ちゃんたち、もう下りてきちゃってるかも」


 三桜さんは水を掻き分けて縁へ戻ると、置いてあったタオルを拾い上げた。

 胸の上でぐるりと一周させ、端の留め具をぱちんと止める。

 さっきまで水の中ではしゃいでいた女の子が、またたく間に白いてるてる坊主へ戻っていった。


 ただ、そのてるてる坊主には一か所だけ、ごまかしようのない綻びがあった。


「三桜さん、前髪」


「え?」


「びしょびしょだぞ。顔をまるごと沈めたんだから、当たり前だけどな」


 おでこに貼りついた前髪の先から、まだ雫がぽたぽたと落ちている。

 日焼け止めが乾くのを待っていたはずの人の頭にしては、どう見ても濡れすぎだった。

 三桜さんは両手で前髪を押さえ、この世の終わりみたいな顔になった。


「ど、どうしよう……これじゃ一目でばれちゃうよぉ」


「タオルの端で拭けばいいだろ」


「そ、そっか、タオルで……」


 三桜さんは首をすくめ、巻いたタオルの上の縁をつまんで、髪のところまで引っぱり上げようとした。

 届かない。

 背中を丸め、顎を引いて、もうひと息ぐいと引く。

 その拍子に胸もとの合わせ目がふっと緩み、白い布が胸の上からするりと滑り落ちかけた。


「待った待った、ほどけてる」


 とっさに手を伸ばして、落ちかけたタオルの縁を押さえた。

 押さえた指の背が濡れた肌をかすめる。

 鎖骨の窪みに溜まっていた水の粒がひとつ俺の指へ移ってきた。

 三桜さんはきょとんとしたまま、自分の胸もとで止まっている俺の手を見下ろした。

 それから耳の先のほうから首筋まで、ゆっくりと淡い桜色に染まっていった。


「……あ、ありがと……?」


「お礼が疑問形なのはなんでだ」


「だ、だって、誠くんの手がそこにあるときって、なんて言えばいいのかわかんないんだもん!」


 そんなことを聞かれても、俺にもわからない。

 留め具をはめ直すのは本人にまかせて、俺はそっと手を引っこめた。

 結局、前髪は三桜さんが指で何度も梳いて横へ流し、どうにか形だけ整えることになった。

 整っているかどうかはだいぶ怪しい。


 売店の屋根の陰を抜けて一般エリアへ戻るあいだ、三桜さんはタオルの裾を揺らしながら、小声で段取りを確かめてきた。


「誠くんは日陰で休んでた」


「ああ、日陰で休んでた。それで通す」


「私は日焼け止めが乾くのを待ってた」


「その言い訳、今日だけでもう三回は聞いたぞ」


「じゃあ、この前髪は?」


「……汗、とか」


 言った本人がいちばん信じていなかった。


「汗でこんなにびしょびしょになる人、いる? 私、そんなに汗っかきじゃないよ?」


「なら、子どもに水鉄砲で撃たれたことにするか」


「うーん、それもちょっと……あ、待って、今考えてるから……」


 嘘をつき慣れていない二人が、並んで歩きながら口裏を合わせようとしているのだ。

 話がまとまるはずもなかった。

 三桜さんがまだ指を折って考えているうちに、行く手から聞き慣れた声が飛んできた。


「センパーイ!」


 スライダーの塔の足もとで、黒いラッシュガードが両腕を頭の上で大きく振り回していた。

 見つけた、の合図らしい。

 心花は人の隙間をすり抜けて駆けてくると、手旗信号の腕を下ろしきらないまま俺の前に滑りこんだ。

 短い髪の先から跳ねた雫が俺の胸にいくつか散る。


「やっと見つけました! すぐ来てくださいって言ったのに、ぜんぜん来ないんですもん!」


「悪い。日陰で休んでたら、思ったより長くなった」


「私、迎えに戻ろうとしたんですよ? 何回も! なのに一花先輩が、今抜けたら最後尾からやり直しだよって、ラッシュガードの後ろをむんずって掴んで離してくれなくて」


 心花は首もとに指をかけ、ぐいと引っぱってみせた。

 その拍子にジジ、と小さな音がして、喉もとまで上げてあったファスナーの引き手が一段ずり下がる。

 心花は慌ててそれをつまみ上げた。


「わ、まただ。……これ、去年から噛み合わせがちょっと甘くなってるんですよ。一花先輩に引っぱられたせいで、余計にご機嫌ななめになっちゃいました」


「人のせいにしないの、篠崎ちゃん。それ、朝から上げたり下ろしたりしすぎ。……ていうかそのファスナー、誠の前でだけ仕事サボってない?」


 後ろから追いついてきた一花さんが、濡れた髪を片手でかき上げながら笑った。

 ターコイズの布の上で水滴がいくつも光っている。

 何本も滑ってきたらしく、頬がまだほんのりと上気していた。


「サボってません! ちょっと休憩してるだけです!」


「で、誠。ずいぶんごゆっくりだったじゃん。あたしたち、三本も滑っちゃったよ」


「あの列で三本も行けたのか」


「一本目で三十分並んだけどね。……ま、すっぽかしの件は、あとできっちり取り立てるから」


 一花さんは人さし指で、宙にくるりと輪を描いてみせた。

 浮き輪の輪だ。

 朝に言っていた延長の話を、どうやら本気で覚えているらしい。


 最後に二葉さんがゆっくりと歩いてきた。

 濃紺の水着の肩をまだ細く水が伝っている。

 俺の正面で足を止めた二葉さんは、何も言わずに俺の顔を見た。


「……来なかったわね」


「悪かった。日陰が思ったより居心地よくて、つい」


「必ず来なさいと言ったはずよ」


 怒っている声ではなかった。

 怒っていないのに、言い訳をする気だけがみるみるしぼんでいく。


「誠、聞いてよ。二葉ってば勝負の途中で、後ろの家族連れに三回も順番譲ったんだよ? おかげであたしの圧勝。帰りの飲み物運びは二葉の係ね」


「二葉さんが勝負で手を抜くなんて、珍しいな」


「……小さい子が早く滑りたそうにしていたの」


「えっ、二葉先輩って子ども好きなんですか? 意外です! あ、意外って言ったら失礼かな、でもクールな人が実は小さい子に甘いのって、すっごくいいと思います!」


「……そういうことにしておいて」


 二葉さんは短く言って、ふいと視線を外した。

 その目が向かったのは、なぜかスライダーの塔の階段の上り口だった。


 視線の行方を追うより早く、三桜さんの頭に目を留めた一花さんの声が横から跳ねた。


「ていうか三桜、髪濡れてない?」


 タオルごと三桜さんの肩がびくりと跳ねた。


「こ、これは汗!」


「向こうで子どもに水鉄砲で撃たれたんだ」


 二人の声がきれいに重なった。

 俺と三桜さんは同時に口を閉じ、同時にお互いの顔を見た。

 さっき口裏を合わせ損ねたつけが、最悪の形で回ってきた。


「……どっち?」


 一花さんが首をかしげる。

 二葉さんの切れ長の目がすうっと細くなった。


「あ、汗をかいてたところに、水鉄砲が飛んできたの! 両方なの!」


「合わせ技ってこと?」


「そう、合わせ技! ね、誠くん!」


「……ああ。見事な合わせ技だった」


 我ながら底に穴の開いた助け舟だった。


「汗と水鉄砲の二種目とか、新競技じゃん」


「三桜先輩、汗っかきなんですね! 私もなんです! 体育のあととか首の後ろがびっしょりになっちゃって、タオル二枚使うんですよ」


 心花が屈託なく頷き、話はあっさりと心花の汗の量のほうへ流れていった。

 一花さんも「篠崎ちゃん、代謝よさそうだもんね」と笑って、それきり三桜さんの前髪には興味をなくしたらしい。


 二葉さんだけが、三桜さんのタオルの裾から滴る水を、黙って目で追っていた。

 それきり何も言わなかった。

 何も言われないのがいちばん落ち着かない。


 タオルの陰で、三桜さんが俺にだけ見える角度に小さく両手を合わせた。

 ごめんねの形だった。

 気にするなと目だけで返しておく。


「とりあえずお昼にしよ。お腹すいた。誠からの取り立ては、食べながらってことで」


「取り立てるのは確定なんだな」


「確定。利子もつけとくね」


  ◇


 売店の前のパラソル席は、昼どきだけあってほとんど埋まっていた。

 どうにか一つ空いた丸テーブルに五人で陣取り、焼きそばとフランクフルトと、山盛りのフライドポテトを真ん中に並べる。

 パラソルの影は五人を収めるには少しだけ狭い。

 最後に座った俺の席は、右半分が影から日向へはみ出していた。


「センパイ、右の肩、もう赤くなりかけてますよ」


 ポテトを一本くわえたまま、心花が俺の肩を指さした。


「日焼け止め、塗ってないでしょう。朝からちょっとずつ色が変わってくの、ちゃんと見てたんですからね」


「そんなとこまで見てたのか」


「はい! センパイの肩なら、朝の色から覚えてます!」


 悪気のかけらもない、満点の笑顔だった。

 朝の色から覚えている肩、というのもおかしな言い方だ。

 おかしいのに、言われた俺のほうがどこか嬉しくなっているのが、いちばんおかしかった。


「篠崎ちゃん、それ褒め言葉のつもりなんだろうけど、一歩間違えたらストーカーの供述だよ?」


「日焼けの色の移り変わりを覚えている後輩なんて、前代未聞ね」


「愛ですよ! 後輩の純粋な愛です!」


「男子って、そういうの塗らないの?」


 焼きそばを器用に箸で巻き取りながら、一花さんが聞いてくる。


「塗らなくても死にはしないだろ」


「死にはしないけれど、皮はむけるわよ。三日後にまだらに」


 二葉さんが紙ナプキンで口もとを押さえたまま、淡々と付け足した。

 まだら、という具体的な脅しが妙に効く。


「じゃあ私、スプレーのやつ持ってきてます! シューってやれば三秒ですよ、三秒! ロッカーからすぐ取ってきますね!」


「スプレーはムラになるって。ここはあたしが手で塗ったげる」


 隣に座った一花さんの指先が俺の背中にとん、と降りてきた。

 背骨の上をひとつずつ数えるように下りていく。

 くすぐったさと、それだけでは済まない何かが、背筋を一緒に駆け下りた。


「このへんとか、自分じゃ届かないっしょ? 隅々まで、じっくり、ていねいにね」


「……ていねいの使い方がおかしい」


「手で塗るなら、私がやるわ」


 二葉さんがかたりと箸を置いた。


「首の後ろと耳の裏は、いちばん塗り残しが出やすい場所なの。一花に任せたら、背中だけ塗って終わるでしょう」


「背中だけで何が悪いのさ」


「目的が日焼け止めではないからよ」


 一花さんの指が背骨の途中でぴたりと止まった。


「べ、別に、ほかの目的とかないし……!」


「あ、じゃあ、私の使う?」


 三桜さんがタオルの中から、おずおずと片手を挙げた。


「三桜のはだめ。乾くのに一時間かかるやつでしょ。誠が午後まるごと乾燥待ちになっちゃうじゃん」


「あ……う、うん、そうだった。私のは、その、すっごく慎重なやつだから……」


 自分でついた嘘に自分で足をすくわれている。

 三桜さんはそろそろと手を引っこめると、タオルの合わせ目を顎の下まで引き上げて、亀みたいに首をすくめた。


「……いいよ。誰のも塗らない。どうせこのあと、また水に入るし」


「あ、逃げた」


 一花さんが即座に俺を指さし、二葉さんが静かに追い打ちをかける。


「水着の審査に続いて、日焼け止めも棄権ね」


「じゃあせめて、影のほうに寄ってくださいよぉ。センパイの右側だけ、こんがりしちゃいますよ」


「寄れる影がもう残ってないんだよ」


 パラソルの影はすでに四人ぶんで満員だった。

 はみ出した右腕を真上からの日差しがじりじりと炙っていく。

 まあ、少し赤くなるくらいだろう。


「さてと。じゃ、本題ね」


 一花さんがフランクフルトの串をくるりと回して、テーブルの真ん中へ向けた。


「午後の誠の順番。朝のレンタルの延長分があるんだから、一番はあたしで決まりでしょ」


「待ってください! 予約の一番は私です! 朝、流れるプールで、次は私ですってちゃんと手を挙げて言いました!」


「その次は私、とも言ったわね。順番なら、もう決まっているはずよ」


「俺は整理券か何かなのか」


 誰も答えてくれなかった。

 整理券の意見はどうやら受けつけていないらしい。


「じゃあ、じゃんけんで決めましょう! 恨みっこなしの一発勝負です!」


 心花が勢いよく拳を突き出した。

 三人の手がテーブルの上に集まる。


「最初はグー、じゃんけん——」


 開いた手はパーが二つと、グーが一つ。

 グーは最初に構えた形のまま、微動だにしていなかった。


「なんでずっとグーなんだ」


「最初はグーって言ったら、そのままグーで押し通すのが私の必勝法なんです! 相手の裏をかいて、あえて変えないんですよ!」


「裏をかく前に読まれてるじゃん」


「必勝法を名乗るなら、せめて一度くらいは勝ってからにしなさい」


「きょ、今日はたまたまです! いつもはもうちょっと勝ってますもん!」


 心花は拳を握ったまま、ぷうっと頬をふくらませた。


「じゃんけんに、たまたまもいつももないでしょ」


「あります! 指の開きやすさって、日によって違うんです!」


「開かない日なら、じゃんけんを挑まないことね」


 抗議の声もむなしく、心花はひとり脱落した。

 二度目の掛け声で一花さんがチョキを出し、二葉さんがパーを出す。


「はい、あたしの勝ち。午後の一番、いただきっ」


「……三回勝負よ」


「今決めたでしょ、それ」


「回数を先に決めていなかったのだから、今決めても反則ではないわ」


 理屈としてはぎりぎり通っている気がしなくもない。

 一花さんは肩をすくめて、もう一度拳を出した。

 チョキとパー。


「……次で最後よ」


 チョキとパー。


「……今度こそ最後よ」


 チョキとパー。

 差し出される手は毎回、定規で測ったみたいに指先までぴんと伸びた、完璧なパーだった。

 二葉さんの言う最後は在庫がたっぷりあるらしい。


「二葉先輩、三回勝負なのにもう四回目です!」


「ていうか二葉、さっきからパーしか出してないの気づいてる?」


「……気づいているわ。次から変えるつもりだったの」


 二葉さんは何事もなかったように手を引っこめ、背筋を伸ばして紙コップのお茶を一口飲んだ。

 耳の先だけがパラソルの影の中でもわかるほど赤い。


「……いいわ。二番目で手を打つ。待つのは得意だもの」


「じゃあ私が三番目ですね! ……あれ? でもそれって、いちばん長くないですか? 一花先輩と二葉先輩が終わったら、あとはもう閉園まで誰も待ってないってことですもんね!」


「篠崎ちゃん、そういう計算だけ速いよね」


「ふふん、センパイのことになると、頭の回転が倍になるんです」


「持ち時間は一人二十分。延長はなしよ」


 二葉さんがすかさず釘を刺し、心花の閉園までの夢はあっけなく砕け散った。


「で、三桜は? じゃんけん入らなくてよかったの?」


 一花さんに聞かれて、三桜さんはタオルの合わせ目を押さえたまま、ぶんぶんと首を振った。


「わ、私はいいの! 私はもう、さっきいっぱいもらったから」


「もらったって、何を?」


「ぽ、ポテト! 誠くんのポテト、いっぱいもらったの!」


 ポテトは真ん中の皿から全員で好き勝手につまんでいる。

 誰のものでもない。


「ポテトは共有財産じゃん」


「で、でもね、誠くんが私のほうに寄せてくれたの! だから半分は誠くんのポテトなの!」


「それ、あたしが皿回しただけなんだけど……」


「一花、そこは黙っていなさい」


「三桜先輩、欲がないんですねえ。私なら三番目でも四番目でも、ぜったい並びますよ」


 三桜さんは笑ってごまかすと、タオルの合わせ目を口もとまで引き上げた。

 布の上からのぞいた目だけがちらりと俺のほうを向く。

 内緒、と言っているような目だった。

 俺はポテトを一本つまんで、それ以上は何も言わずに口へ放りこんだ。


 日除けの植え込みの向こうで、つばの広い麦わら帽子がひとつ、ひょいと引っこんだ。

 どこかの子どもがかくれんぼでもしているのだろう。

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