88話 仇
俺の目の前に立っている男、それは紛れもなく真壁久幹であった。
身長八尺、大柄な体格である彼は親の仇である俺を前にして、穏やかな表情を浮かべていた。
偽りか、本物か、それを読み取ることはできない。
それが彼の底知れなさを引き立てていた。
そんなことを考えていたから警戒しているのが見え見えだったのだろうか。
久幹どのは俺の表情を見て苦笑した。
「そのように警戒しないでくだされ。取って食おうというわけではありませぬゆえ」
「そう、ですか……」
俺は肩の力を抜いて、少し警戒を解く。
だがそれでも、彼がここに来た理由が分からない。
そして一体なぜ、仇である俺の前に姿を現したのか。
分からないが、それは彼に問わなければ答えは出ないだろう。
俺は意を決すると、彼に問おうとした。
その時である。
「政貞殿の言いたい事は分かっております。なぜ父上を殺した貴方の前に姿を現したのか、ということでしょう?」
「……鋭いですな」
やはりこの男、只者ではない。
俺が分かりやすい人間なのかもしれないが、それにしてもだ。
「勿論お答えします。しかし、その前に一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、何でしょうか?」
すると、久幹殿は笑みを消し、真剣な顔で言った。
「父上、宗幹の最後はどのようなものでしたか?」
……なるほど、合点がいった。
彼はそれを聞くために、ここにやってきたのか。
父を殺した、つまり一番身近にいた、この俺のところに。
ならば俺は、答えねばなるまい。
「宗幹殿の最後は、潔い武人の最期そのものでした。ふふっ、とても寝返った者の最期とは思えないほどに」
「そう……でしたか」
彼は俺の言葉を噛み締めるように黙り込むと、やがて再び口を開いた。
「それを聞いて安心しました。もし聞くに耐えない最期を遂げていればどうしたものかと心配していたのですよ」
それを聞いて、俺は苦笑した。
心配って、そっちの心配だったのかよ。
やはり武勇名高い真壁家出身ということもあり、武士として迎える最期には拘りがあるのだろうか。
まあ何はともあれ、彼が聞きたかったことについては分かった。
しかし、俺にも気になることがある。
「真壁殿、こちらからも一つ聞いていいですか?」
「勿論、何でもお聞きくだされ」
「俺は貴方の父上の仇です。俺を恨みに思って、殺しに来たのではないですか?」
我ながら、あまりに直球な質問だった。
それはあちらもそう思ったのか、久幹殿は目を丸くして驚いている。
だが
「ぷっ、ははっ!」
突然吹き出したかと思うと
「ははっ! はははははははっ!!」
よほどおかしかったのか、腹を抱えて大笑いしたのである。
そ、そんなに面白かったのか……?
俺は困惑しながら彼を見ていると、やがて彼の笑いは収まり、再び話し出した。
「いや、政貞殿があまりにおかしなことを聞くものですから、つい大笑いしてしまいました。申し訳ござらぬ」
「い、いえ、それはいいんですが……しかし、息子が父の仇を取ることがおかしいですか? 一般的な武士といえばそのような者が多いと思いますが……」
「それは違います。日常の場や政治の場で殺されたならまだしも、戦にて殺されるのは当たり前のこと。自分も沢山の人間を殺しているわけですからな」
「それはまあ、確かに……」
尤もな言葉だった。
「戦場にあって殺し殺される事は当たり前であり、そこに善悪は存在しません。だから貴方が父を戦場で討ったとて、私は恨みになど思いませぬ。むしろあの父を倒したという事実を聞いて、政貞殿を尊敬いたしました」
「そう、ですか……」
彼の言葉を聞いて、やはり戦国に生きる彼と、現代に生きていた自分の価値観が違うことを思い知らされた。
割り切りがいいというには、何かが違うだろう。
戦が当たり前であり、殺し殺されることが当たり前の戦場での出来事には私情を持ち込まない。
彼が言っているのはそういうことなのだ。
だからこそ、自分の親が殺されたとしてもそれを受け入れ、殺した相手を尊敬することさえできるのだ。
俺にはどうも、理解を示し難い考えであった。
とりあえず、父の死についてはどう思っているか分かった。
だが、肝心な内容がまだもう一つ残っている。
「久幹殿、宗幹殿が小田を裏切ったことについてはどう思いましたか?」
「ふむ、そうですな……」
久幹殿は今度は少し考える素振りを見せてから、言った。
「私は父が裏切ったことについては恨みに思っていません。もし自分が同じ立場であっても、そうしたでしょうから」
その久幹殿の言葉には、俺も頷くことができた。
事実、史実でも久幹殿は氏治様が家督を継いですぐに小田家から離反している。
父と同じく時世を読み、主家をその時に応じて変える人物である事は、史実が証明しているのだ。
「しかし、それは間違いだったのでしょう。事実、父は失敗し死に、真壁の家は滅びました。菅谷政貞という男に敗れて」
「家が滅びたことについては、どう思っているのですか?」
「正直に申せば、無念で仕方がありません。最初の頃は激しく落ち込み、自刃を考えもしました。ですが、今ではこう考えています。私は絶好の機会を得たのだと」
「その機会、というのは?」
俺が聞くと、彼は突然ニヤリと笑った。
「それは勿論、政貞殿、貴方に仕える機会を得たことですよ」
「え、えぇっ!?」
なっ、この人は一体何を言っているんだ!?
いくら恨んでいないとはいえ、父を殺した相手に仕えようとするなんて。
「私が仕える相手、それは父を降した貴方しかおりませぬ。どうでしょうか、私を召し抱えてはいただけませぬか?」
彼は最初の頃とは打って変わって、真っ直ぐな目で頼み込んできた。
真壁久幹を雇う、か……。
正直、鬼真壁と呼ばれる彼が仲間になってくれるのは頼もしい。
そして彼は真壁家嫡男ということもあり、当主としての仕事についても一通り学んでいるだろう。
領地についても任せることができるはずだ。
武勇もあり、領地も任せられる、人材不足な菅谷家には是非とも欲しい存在だ。
しかし……。
「俺は歓迎します」
「おお!」
「しかし、皆もそうだとは言えませぬ」
その通り。
菅谷隊の皆や家臣達が彼を受け入れてくれるとは限らない。
何せ、彼は先の戦いで多くの兵を失う原因となった真壁宗幹の息子。
真壁を恨む者は俺の家臣達の中にも多くおり、久幹殿を良く思わない者も多いだろう。
だから、彼を雇うのは———
「では、こうしてはいただけませぬか?」
すると突然、彼は指を一つ立てて言った。
「私に三ヶ月だけくだされ。その中で私は家臣の方達を認めさせてみせます。それができなければ、その時は私を追放しても構いませぬ」
「で、ですがそれは……」
「お願い致します! 政貞殿!」
……どうしたものか。
彼の覚悟は本物だ。
だが、真壁を嫌う家臣達の気持ちも強い。
俺は———
「分かった」
「おお! 召し抱えてくださるのですか!」
「ただし、条件を厳しくします。二ヶ月です。二ヶ月で家臣達に認めさせてくだされ。俺も家臣達を必死に説得しますから」
「かたじけない! この久幹、政貞殿の御恩に報いると誓います!!」
すると久幹殿はその場で深々と頭を俺に向けて下げた。
こうして、鬼真壁こと真壁久幹を新たに家臣へ加えることとなった。
彼が果たして菅谷家に取って吉とでるか、凶とでるのか、それはまだ誰にも分からない。
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