86話 第一部・最終話 友よ! また会う日まで!
「政貞、ここに来るのも懐かしいのう」
「ですねぇ」
その後、評定を終えて俺と氏治様は二人きりでかつての秘密基地へとやってきていた。
といっても、二年も放置してたせいでどこもかしこもボロボロになっていたが……。
仕方なく俺達は壊れかけた柱や岩へ腰を下ろし、向かい合った。
「それにしてもお主が城主とはのう、驚いたわい!」
「俺も驚きましたよ、今でも信じられません」
そう、今だって信じられない。
以前も俺は城主紛いのことはしていた。
だがそれは、氏治様の補佐という立場でだ。
まさかこの若さで城主を任されるなんて、思っても見なかったのだ。
「しかし、お主の活躍を考えればおかしくはないじゃろう。お主であれば、どんな領地でもたちまち豊かにしてくれるじゃろうしな!」
「いや、流石にそれは無理ですよ」
俺は苦笑しながら否定する。
今まで領地を発展させ、銭を稼げたのは、土地そのものに商いと発展の土台があったからだ。
不毛の土地を発展させろと言われたら、いくら未来の知識があっても不可能である。
「はははっ、お主らしいのう! ははははっ! ははっ……」
その時だった。
氏治様の声は次第に沈み、その表情にも陰りが落ちていった。
俺はそれを見て驚いた。
氏治様がここまで落ち込んでいる表情は、今まで数えるほどしか見たことがないからだ。
「……なあ、政貞」
「なんですか、小太郎様」
「ワシら二人、もう会えないんじゃろうか?」
その言葉を聞いた瞬間、俺はハッとした。
氏治様が落ち込んでいる理由、その全てを理解したからだ。
「会えないってことはないでしょうよ。戦の時だったり、評定の時だったり、会える機会はありますよ」
「しかし、それだと一年に一度ぐらいしか会えないんじゃないか?」
「……」
俺はそう言われて、何も言えなかった。
そうだ、もう今までみたいに毎日氏治様と会えるわけじゃない。
それに氏治様が当主となれば、もう気軽に会いに行ける立場じゃなくなる。
俺達は、今まで通りじゃなくなるのだ。
「……分かっておるんじゃ」
氏治様は壊れかけた秘密基地の壁へ、そっと手を触れた。
「ワシはこれから、小田城へ戻る。父上の傍で学び、家臣達をまとめ、いつか小田家を継ぐ者にならねばならぬ。政貞は牛堀へ行く。新しい城を築き、町を作り、小田を支える力を育てる」
氏治様は、少しだけ笑った。
「分かっておる。これは、良いことじゃ。お主が城主になるのも、ワシが父上に認められたのもな。全部、ワシらが望んでいた未来のはずじゃ」
けれど、その声はどこか、震えていた。
「……なのにのう。何だか、寂しいのじゃ」
俺は何も言えなかった。
俺だって同じだったからだ。
小田城へ来て最初はただ、滅びる運命にある小田家を救いたいと思った。
敗北を重ね、最後には家を失うはずだった氏治様を。
何とかして救いたかった。
だけどいつの間にか、氏治様は俺にとって、守るべき主君というだけではなくなっていた。
共に笑い、共に悩み、時には馬鹿なことをして、同じ未来を見てきた。
大切な友だった。
「小太郎様」
「うむ」
「俺達は、離れ離れになるわけじゃありません」
俺は氏治様の目を真っ直ぐに見た。
「俺は牛堀で町を作ります。小太郎様は小田城で、小田家を導くために学ぶ。ですがそれは、別々の道を行くためじゃない。同じ小田家を、同じ未来を、別々の場所から支えるためです」
氏治様は、黙って俺の言葉を聞いていた。
「それに」
俺は笑う。
「一年に一度しか会えないなんて、誰が決めたんですか。俺が小田城へ行けばいい。小太郎様が牛堀へ来ればいい。評定でも、祭りでも、戦でも、理由なんて、いくらでも作れます」
「……政貞」
「それでも会いたくなったら」
俺は、少しだけ間を置いた。
「その時は、呼んでください。俺はどこにいても小太郎様のところへ行きます。牛堀からでも、府中からでも、どれだけ遠くても、俺は小太郎様の家臣ですから」
氏治様の目に、じわりと涙が浮かんだ。
「……本当に、本当に来てくれるのか?」
「当たり前です。小太郎様が呼ぶなら、俺は何度でも行きます」
すると、氏治様は堪えきれなくなったように顔を背けた。
「……馬鹿者。そんなことを言われたら、泣いてしまうじゃろうが……!」
「もう泣いてますよ」
「泣いておらん!」
「泣いてます」
「泣いておらんと言っておるじゃろう!」
いつものように氏治様がむくれる。
その姿が可笑しくて。
けれど胸が痛くて、俺も思わず笑ってしまった。
「ははっ」
「何を笑っておる!」
「いえ」
「小太郎様は、変わらないなと思って」
「変わらぬわ! ワシは、これから立派な当主になるのじゃ!」
「はいはい」
「はいはい、ではない!」
俺達は、しばらく笑った。
夕暮れの光が壊れた秘密基地を赤く染めていく。
ここで、俺達は何度も未来を語った。
小田家を強くすると、常陸を豊かにすると、皆で笑って生きられる場所を作ると。
そして今、その未来へ進むために。
俺達は、少しだけ離れなければならない。
「政貞」
「はい」
「約束じゃ」
氏治様は、俺へ拳を差し出した。
「ワシは小田家を守る。政貞は牛堀を育てる。そしていつかもっと大きくなった小田で、またここに集まろう」
俺はその拳へ、自分の拳を重ねた。
「約束です。俺達で、小田の未来を掴みましょう」
拳と拳が小さくぶつかる。
それは別れの合図ではなかった。
また会うための、新しい約束だった。
やがて、日が沈み始める。
「そろそろ戻るかのう」
「そうですね」
俺達は立ち上がった。
壊れかけた秘密基地を、最後にもう一度だけ振り返る。
「さらばじゃ、秘密基地」
氏治様が言った。
「またいつか、直しましょう」
「うむ。次に来る時は、もっと立派になっておらねばな」
氏治様はそう言って、夕暮れの道を歩き出した。
俺も、その背中へ続く。
今はまだ、隣を歩ける。
けれど明日からは、それぞれの場所でそれぞれの役目を果たしていく。
それでも、俺達が見ている未来は同じだ。
だからきっと、また会える。
その日まで。
さらば、友よ———。
「……って、氏治様のことばかり考えて私のこと忘れてなくて良かったよ」
「ははは、まさか! 大事な妻のことを忘れるわけないだろ!」
「まあそうだよね、忘れてたら何してたか分かんないよ」
「うぐ……」
氏治様と別れて数日後、約束通り俺は葵と共に海へ釣りに来ていた。
天候は快晴、絶好の釣り日和である。
「それでさ政貞、聞きたいことがあるんだよね」
「何だ?」
「小太郎様の未来の名前、氏治様って言うんだよね。それで政貞はずっと心の中で氏治様って呼んでたって、それって何でなのかなって?」
「……そのことか」
特に深く何かを考えて、そう呼んでいたわけではない。
だが、強いて言うなら———
「敬意、のようなものかな」
「敬意?」
「ああ」
敬意、その表現が俺には一番しっくり来た。
「氏治様はさ、本来はそれはもう何度も戦に負けるんだ。それこそ小田城を九回も奪われるぐらいな」
「九回も!? ぎゃ、逆にすごいね……」
おっと、あの葵が驚いている。
氏治様、貴方今地味に偉業を成し遂げてますよ。
「ああ、とんでもない戦下手だ。だがな、氏治様は人に好かれる才を持っていた。どんなに負けても家臣には見捨てられず、民達も氏治様に年貢を届け続けた。一体どんな人物なんだろう、って死ぬ前は思ってたよ」
「それで、会ってみて分かったと」
「そうだな」
葵の言葉に、俺は頷く。
「あの人は会った時から戦国大名の嫡男らしくない人だった。民達にも同じ目線で話して、泥まみれになりながら農作業をして、正直それに付き合わされるのは大変だったよ」
「でも、その割には楽しそうに話すじゃん」
「まあな」
そうだ、楽しかった。
大変だったがそれ以上に、あの時間は楽しかったのだ。
「そしてそれと同時に、なぜ小田氏治という人物が民や家臣に好かれているのか分かったんだ。あの人は他人を見下すことをせず、どんな相手にも同じ目線に立ち、ともにいることができる。それって簡単なようで、とても難しいことなんだ」
「確かに……氏治様って凄く話しやすいもんね。私も好きだよ」
そうだ、俺もいつの間にかあの人が好きになり、氏治様に仕えたいと心から思うようになった。
その魅力こそが、あの人の最大の力なのだ。
「俺は多くの人に好かれ、慕われる氏治様を尊敬していた。だから幼名の小太郎じゃなく、成人名の氏治で呼んだのかもしれないな」
そう、小田氏治という人間の魅力は最初から完成されていた。
だからこそ自分は彼を一人前と認め、成人名の氏治で呼び続けたのだろう。
俺は今、そう結論付けた。
「……そっか。もしかしたら次に会う時は、本当に氏治様って呼ぶことになるかもね」
「そうだな」
確かに、次に会うときは氏治様が元服した時かもしれない。
その時は氏治様も成長しているだろうか。
いや、多分全然変わっていないんだろうな。
しかしどちらにせよ……うん、楽しみである。
俺は天を見上げる。
氏治様、しばしのお別れです。
ですが、また会いましょう。
俺の唯一の主、そして———友よ。
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