85話 小田小太郎、小田城へ残る
それからも、論功行賞は滞りなく進んだ。
そして論功行賞が終わろうとした頃、政治様は次の内容に入った。
「……最後に」
政治様は、これまでとは少し違う表情で書状を手に取った。
「笠間家と、真壁家の処遇について決める」
その言葉に評定の間の空気が、僅かに張り詰めた。
俺の隣にいた葵も、少しだけ背筋を伸ばす。
笠間家。
葵の生まれた家であり、常陸の北西、下野へ通じる道を押さえる有力な家だ。
そして真壁家は宗幹が小田を裏切ったことで今や、その行く末が定まっていない家でもあった。
「まず、笠間家について」
政治様は、葵へ視線を向けた。
「笠間家の領地は、これまで通り安堵する」
葵が小さく息を呑んだ。
「加えて」
「笠間城の修復と、周辺の道の整備を許す。笠間家には、今後も下野方面を睨む北西の守りを任せるものとする」
笠間は小田家の城下から見れば、北西を守るための要だ。
これから小田が常陸の盟主となるなら、北から来る敵へ備える城は、絶対に必要になる。
「ただし」
政治様の声が、少しだけ厳しくなる。
「笠間家は今後、小田家の命に従うこと。常陸に攻め入る者があれば、率先して兵を出すこと」
さらに政治様は続ける。
「そして常陸の諸家と、私怨による争いを起こさぬこと。これを守る限り笠間家の家名も、領地も、小田が守る」
葵は深く頭を下げた。
「……笠間家に代わり、御礼申し上げます。父もきっと、この御恩を忘れぬでしょう」
「うむ」
政治様は穏やかに頷いた。
「これは葵殿への褒美ではない。笠間が常陸の北西を守るために必要な処置じゃ。じゃがな」
政治様は少しだけ笑う。
「葵が菅谷政貞と共に戦い、小田へ尽くしてくれたことも笠間家を信じる理由の一つではある」
葵の目が、少しだけ潤んだ。
「……はい」
良かったな、葵。
俺も自分の目が、少し潤むのを感じた。
そして、政治様は次の書状を手に取る。
評定の間の空気が、さらに重くなった。
「次に、真壁家について」
誰も言葉を発しない。
真壁宗幹は小田を裏切った。
それは紛れもない事実だ。
佐竹へ情報を流し、俺達を罠へ嵌め、三平太を死なせる原因を作った。
その罪は、決して軽くはない。
「真壁宗幹は戦場にて討たれた。よって、真壁家は改易とする」
政治様の声が、静かに響く。
「真壁城と、その領地は一度、小田家の直轄とする。その後の扱いについては、常陸全体の守りと民の暮らしを見て決める」
俺は拳を握った。
これが、裏切りを選んだ宗幹の結末だ。
「ただし」
政治様は続けた。
「真壁久幹については、別とする」
重臣達が僅かにざわめく。
「久幹は、宗幹が小田を裏切ったことを知らなかった。ワシに従い、宇都宮・結城との戦に出ていた。その働きに、裏切りの意志は見られぬ」
政治様は皆を見渡した。
「罪なき者まで、父の罪によって滅ぼすのは小田の望む道ではない。よって、久幹を真壁家より除籍する。今後、真壁を名乗ることは許さぬ」
政治様は厳しい口調でそう断じる。
俺はゴクリ、と唾を飲んだ。
もしや重い処罰を下されるのでは、そう思ったのだ。
「だが名を改め、小田家の直臣として仕えさせる」
しかし、それは杞憂だった。
俺は静かに息を吐いた。
宗幹が最後に願ったこと。
その願いが今、叶えられようとしている。
「政貞」
政治様が、俺を見る。
「宗幹は最期に、久幹の助命を頼んだそうじゃな」
「……はい。久幹殿は、父の裏切りを知りませんでした。そして何より、彼自身に罪はありません」
政治様は頷く。
「うむ。久幹には三百石を与える。その身一つで、小田へ仕えさせよう。これより先の働きによって、自らの家を興させるものとする」
重臣達の中には、まだ納得しきれない顔をしている者もいた。
だが、誰も反対はしなかった。
父の罪を子へ背負わせない。
それが政治様と氏治様が作ろうとしている、新しい小田の形なのだ。
「……政治様」
俺は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い」
政治様は少しだけ苦笑した。
「久幹が父の罪を知った上で己の身をどうするか、小田へどう向き合うか、それは、久幹自身が決めねばならぬ」
「はい」
久幹殿が父の裏切りを知った今、彼が父を憎むのか、小田を憎むのか。
それとも……父の願いを受け継ぎ、自らの道を選ぶのか。
それはまだ、誰にも分からない。
だが少なくとも今は、一人の父が命を懸けて守ろうとした未来を俺達は繋ぐことが出来た。
政治様は、ゆっくりと立ち上がる。
「最後に小太郎!」
「は、ははっ!!」
突然氏治様が呼ばれたことに俺は驚く。
えっ、もしかして氏治様も何かやったのか!?
氏治様もさっぱり意味が分からないようで、顔汗ダラダラで焦りまくっている。
しかし、政治様の表情を見る限り怒っているわけではない。
ならば、一体何だろうか。
その答えは、すぐに明かされた。
「小太郎、お主の府中城主の任を解き、これよりはワシと共に小田城を治めてもらう」
評定の間が、静まり返った。
「……え?」
氏治様は目を丸くしたまま、固まっている。
どうやら怒られると思っていたらしい。
「ち、 父上……それは」
「言葉の通りじゃ、小太郎、お主にはワシと共にこの小田城を治めてもらいたい、府中城の守りは、大掾慶幹へ委ねる。小太郎、お主は小田城へ戻り、この父と共に政を学べ」
その言葉に氏治様が、恐る恐る顔を上げる。
「お主は此度の戦で自分で考えて動き、政貞を救い、そして戦を勝利に導いてみせた。勝手に政貞を助けに向かったと聞いた時は肝が冷えたがな。それでも、お主の行動は立派であった」
「父上……」
氏治様の唇が、僅かに震えた。
「小太郎。ワシは……嬉しかったぞ」
政治様の声は父親としての、優しい声だった。
「お主が、ようやく城を任せられる男になったと」
氏治様はしばらく何も言えなかった。
ただぎゅっと拳を握り、俯いている。
「だからこそ」
政治様は続けた。
「これより先は、小田家の次期当主として学べ。この父の元でな。これから近い未来、お主がこの小田家を導いていくのじゃから」
政治様はさらに続ける。
「そして、常陸を背負う者となれ。小太郎」
次期当主。
その言葉に評定の間の空気が変わった。
氏治様は、もう子供ではない。
小田家を継ぐ者としてこれから政治様の傍で、本格的に学び始めるのだ。
「……はい」
氏治様は小さく答えた。
だが、すぐに顔を上げる。
「はい! 父上、私は次代の小田家を担う者として今以上に精進してまいります!! 小田を任せてもいいと思ってもらえるように、頑張ります!」
「うむ」
政治様は、その言葉に満足そうに頷いた。
「期待しておるぞ」
その姿を見て俺は胸が熱くなるのを感じた。
本来なら氏治様は敗戦を重ね、小田家を失う運命だった。
けれど今、氏治様は皆の前に立ち父に認められ、次期当主として歩み始めようとしている。
未来は良い方向に行くのだと、確かにそう思うことができる光景だった。
「……政貞」
不意に氏治様が、俺を見た。
「これからもワシのことを支えてくれるな?」
いつものように元気な笑顔で。
けれど、真っ直ぐな目だった。
「もちろんです」
俺は、迷わず答える。
「俺は一生、氏治様に仕えます。小田家を氏治様と共に、強くしていきます」
「うむ!」
氏治様は無邪気に笑った。
だがその笑顔を見ながら、俺はふと、気付いてしまった。
氏治様は、これから小田城へ戻る。
政治様の傍で次期当主として学び、小田家を背負う者になる。
一方で俺は、牛堀を預かる。
新しい町を作り、家臣を集め、小田家を支える力を育てなければならない。
これまでのように毎日顔を合わせ、共に笑い、共に悩むことは、もう出来なくなるのかもしれない。
氏治様も同じことを思ったのだろう。
笑顔が、少しだけ寂しそうに揺れたのであった。
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