83話 戦後処理
あれから、一週間が経った。
恋瀬川での決戦。
佐竹義篤の討死。
真壁宗幹の敗死。
あまりにも多くの血が流れたあの戦から、わずか一週間。
だが、その一週間で戦後処理は驚くほど早く進んでいった。
まず、俺達が小田領へ帰還して程なく、佐竹から書状が届いた。
差出人は、佐竹義昭。
まだ幼いながら、父である義篤の跡を継いだ新たな佐竹家当主である。
その内容は、和睦の申し入れだった。
領地の割譲。
鉱山収入の一部を小田家へ分けること。
そして、佐竹家が正式に小田家を常陸の盟主として認めること。
それらを条件に、佐竹は小田との戦を終わらせたいと申し出てきたのである。
佐竹家としても、義篤を失い、結城と宇都宮が政治様の本隊に破られ、さらに小田政治本隊五千が健在であるこの状況で、小田と戦い続けるのは難しいと判断したのだろう。
佐竹が割譲に選んだ領地は、鹿島北部と江戸家旧領の一部であった。
合わせて六万石ほど。
さらに鉱山収入の一部も得られることを考えれば、条件としては決して悪くない。
いや、むしろ破格と言ってよかった。
ただし、書状にはもう一つ大事なことが記されていた。
佐竹は小田家を常陸の盟主として認める。
だが、佐竹は小田の家臣とはならず、独立した家として存続する。
そして今後、北からの脅威に対しては、小田と佐竹が手を取り合い、共に戦う。
つまり、佐竹は常陸の長が小田家であることを認める。
しかし、佐竹という家そのものを失うつもりはない。
義昭は父である義篤の遺言に従い、佐竹を残すために最大限の譲歩をしてきたのだ。
正直、驚いた。
幼い義昭が、ここまで早く決断したことに。
そして、義篤が敗北した時のことまで考え、息子に道を残していたことに。
あの男は最後まで、佐竹の未来を見ていたのだ。
政治様も、この書状の内容に合意を示した。
これ以上戦を続ければ、佐竹も小田もさらに血を流す。
常陸を統一するどころか、常陸そのものが疲弊し、北や外からの脅威を招くことになる。
だからこそ、政治様は和睦を受け入れた。
こうして、小田家と佐竹家は和睦した。
そして小田家は、名実共に常陸の盟主となったのである。
戦後処理は一段落した。
だが、まだ全てが終わったわけではない。
小田家の論功行賞。
真壁家の処分。
佐竹から割譲された領地の扱い。
江戸家旧領の再編。
大掾家への支援。
そして、恋瀬川で散った者達への弔い。
やらなければならないことは、山ほどある。
俺はその一週間で傷を癒やし、葵や勘助殿と共に、二年ぶりに小田城を訪れていた。
「ここに来るのも久しぶりだなぁ……」
「だね〜」
葵は懐かしそうに、小田城の門を見上げた。
城下は以前よりも人の姿が多い。
行き交う商人。
道端で遊ぶ子供達。
畑から戻ってきたのだろう百姓達。
戦の傷跡はまだ残っている。
家族を失った者もいる。
荷を焼かれた商人もいる。
男手を取られ、畑を耕す手が足りない村もある。
それでもこの町には、生きようとする者達の息遣いがあった。
「菅谷様だ! 菅谷政貞様が帰ってきたぞ!」
不意に誰かが俺の名を呼んだ。
その声をきっかけに、城下の人々が次々とこちらへ視線を向けてくる。
その中には、見知った顔もあった。
「おおっ、お主は千歯こき作りを手伝ってくれた者じゃないか! 元気だったか?」
「はい、おかげさまで! 政貞様、本当にお久しぶりですなぁ。お仕事がお忙しいのは分かりますが、偶には城下に顔を出してくださると嬉しく思います」
「そうか。それはすまなかったな。分かった。これからは時々、小田城にも顔を出すようにするよ」
「ありがとうございます! 皆も喜びます!」
「政貞様! 政貞様! 生きていて本当に良かったです! 恋瀬川で大勝されたと聞きましたぞ! 佐竹を退けるなんて、本当にすごい!」
皆は俺の顔を見るなり笑顔を浮かべ、俺が生きてこの地を訪れたことを喜んでくれる。
俺にとっても、ここは第二の故郷だ。
皆に喜んでもらえるのは、俺にとっても嬉しかった。
「何か、すっかり人気者だねぇ」
「揶揄うなよ」
「揶揄ってないよ。嬉しそうだなぁって思っただけ」
「……まあ、嬉しいよ」
そう答えると、葵は少しだけ優しい顔をした。
「うん。それならよかった」
勘助殿も城下を見渡していた。
「良い町ですな」
「ああ」
「戦に勝つとは、こういう景色を守ることなのでしょう」
勘助殿の言葉は静かだった。
だが、その奥には恋瀬川で見た死者達への思いが滲んでいた。
俺は頷く。
「ああ。だから、ここからが本番だ。戦で勝った後、どう国を作るか。それが大事だ」
「まことに。政貞様らしいお言葉です」
勘助殿は小さく笑った。
◇
「はははっ! 政貞が来て、皆も喜んでおるのう!」
すると、遠くから元気のいい聞き慣れた声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこにはやはりあの人の姿があった。
「小太郎様、お久しぶりです」
「うむ! 政貞も元気そうじゃのう!」
氏治様は、いつものように明るく笑った。
「一週間ぶりですな。どうでしたか。政治様は、小太郎様の初陣を喜んでくれましたか?」
自分の子供が華々しい初陣を飾り、しかも佐竹との決戦で勝利に貢献したのだ。
嬉しくないはずがない。
俺は政治様が喜んでいたという返事を期待していたのだが、なぜか氏治様の顔がみるみるうちに曇っていった。
「うん? どうしたんですか、小太郎様?」
「い、いや……戦に勝ち、政貞を助けたことについては褒めてくれたのじゃが……それ以上に、元服前の嫡男が勝手に死地に向かうなど何事かと、大目玉を喰らってしまったわい……」
「あっ……」
「まあ、だよね」
「当然といえば、当然ですな」
まあ、そりゃあそうだよな。
氏治様は小田家の嫡男。
そんな小田家の未来を担う氏治様が討ち死にしたとなれば、その時点で小田家の未来は大きく揺らぐ。
だからこそ、政治様は激しく怒ったのだろう。
それに加えて、まだ幼い我が子が死地へ向かったことへの心配もあったはずだ。
とにかく、その時の政治様の怒りようが目に浮かぶようだった。
「ま、まあ、ワシのことはいいんじゃ! それより政貞! 父上は、お主のことを大層褒めていたぞ! 期待しておくがいい!」
「わ、分かりました……」
政治様も、俺の戦果と無事を喜んでくれているらしい。
それは何よりだった。
今回の褒賞については、正直少し怖いところもある。
功はある。
だが、失敗もあった。
朝駆けで大きな犠牲を出したこと。
三平太を失ったこと。
多くの兵を死なせたこと。
その全てを思うと、素直に褒美を喜べる気持ちにはなれなかった。
それでも、ここで下を向いてばかりはいられない。
生き残った者には、生き残った者の務めがある。
「それにしても、小太郎様」
「何じゃ?」
「本当に立派でしたよ。恋瀬川で兵達を鼓舞する姿。小田の旗として中央に立ち続けた姿。俺は忘れません」
氏治様はぽかんとした顔をした。
それから、顔を真っ赤にする。
「や、やめよ! そんな真面目に褒められると、どうすればよいか分からぬ!」
「ははっ」
俺が笑うと、氏治様は照れ隠しのように胸を張った。
「ま、まあ、ワシも少しはやれるということじゃな!」
「ええ。これから頼りにしています」
「うむ!」
氏治様は嬉しそうに笑った。
◇
「おお、政貞!」
すると、これまた懐かしい声が聞こえてきた。
「父上!」
振り返ると、そこには俺の親父、菅谷勝貞の姿があった。
戦場では血と泥に塗れていた鎧ではなく、今はきちんと整えた装束を身に着けている。
だが、その大きな身体と豪快な笑みは何も変わらない。
「はははっ! 久しぶりだな、政貞!」
「一週間前にも会いましたよ」
「戦場での再会と、こうして城下で会うのとは違うわ!」
親父は豪快に笑い、俺の肩を叩いた。
傷に響いた。
「いっ……!」
「おっと、すまん。傷はまだ痛むか」
「少しだけ」
「ならば後で医師に見せよ」
「はい」
親父は改めて俺を見つめた。
「今回の戦果、本当に見事なものだった。ワシは父として鼻が高い。ワシは、お前のことを誇りに思うぞ」
「ははは、父上まで……でも、今回の勝利は俺だけのものじゃありません。小太郎様や父上、葵、勘助殿、由兵衛、霧丸、ちよ、一郎太。慶幹様、鹿島殿、大野殿、江戸殿。それに、三平太。皆がいなければ、俺はとっくに死んでいました。今回の勝利は、皆で掴んだ勝利です」
その名を口にした瞬間、少しだけ胸が痛んだ。
俺がそう言うと、親父は驚いたような表情を見せた。
やがて、その顔は満足そうな笑みへと変わっていく。
「そうか。その年でそれに気づければ、心配することはないな」
親父は氏治様へ向き直り、深く頭を下げた。
「小太郎様。息子を救っていただき、この勝貞、感謝の極みでござる」
「はははっ、気にするな! ワシは友を救っただけのことじゃ! なぁ、政貞!」
「友って……俺は家臣ですよ?」
「家臣であり、友なのじゃ。ワシにとってはな!」
氏治様は、少しも迷わず言った。
全く。
家臣を友と呼ぶなんて、本当に変わった人だ。
でも、言われて悪い気はしない。
親父も楽しそうに笑っていた。
「よい主君を持ったな、政貞」
「はい。本当に」
俺は素直に頷いた。
葵がにやにやと俺を見る。
「政貞、照れてる?」
「照れてない」
「照れてるねぇ」
「葵」
「はいはい」
勘助殿は、そんな俺達を見てわずかに口元を緩めていた。
◇
「さて、そろそろ評定の時間だ。いざ向かおうか」
「そうですな」
俺は頷いた。
「あの、今回は私達も同行して良いんですよね、義父様?」
葵が親父に尋ねる。
「うむ。葵殿も、勘助殿も、今回の功労者であり、菅谷隊の代表者じゃ。政治様も、是非来てくれと言っておった」
「では、我らも参ると致しましょうか」
勘助殿が静かに言う。
「ただし、政貞様。評定の場で倒れぬように」
「……努力します」
葵がすぐに俺の腕を掴む。
「無理したら、すぐ座らせるからね」
「分かってるって」
「本当に?」
「本当に」
氏治様が笑う。
「はははっ、政貞は葵に頭が上がらぬのう!」
「小太郎様、笑いすぎです」
「だって面白いのじゃ!」
その明るい笑い声に、城下の人々もつられて笑う。
戦の後だというのに。
いや、戦の後だからこそ。
こうした何気ない笑いが、胸に深く染みた。
俺達は小田城の門をくぐる。
その先には、懐かしき小田城の姿が広がっていた。
かつて政務を学び、氏治様と語り、民のために何ができるかを考えた場所。
そして今。
常陸の盟主となった小田家が、これからの常陸を決める場所。
俺は小さく息を吸った。
俺達はここから、また始める。
勝った後の国づくりを。
皆で掴んだ未来を、形にするために。
俺は葵、勘助殿、氏治様、親父と共に、小田城の奥へと進んでいった。
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