79話 佐竹戦その17
目の前に立つ男は想像していたよりも細い身体をしており、青白い肌をしていた。
その顔色はいかにも病人といった様子で、今にも倒れそうだった。
しかし、その目は力強く立ち姿は誰よりも堂々としており、今まで見たどの人物よりも威圧感を放っていた。
これが戦国大名、後に常陸を統べる佐竹家の現当主の姿か。
俺は正直、圧倒されていた。
その存在感は、彼が背負うものの重さをそのまま映しているようだった。
息子の未来、家臣達の未来、家の未来、この男は全てを背負っているのだ。
今までの俺ならば怯み、勝てないと思っていたことだろう。
しかし、しかしだ。
今の俺も沢山のものを背負っている。
家臣達の未来、民達の未来、そして———小田家の、三平太の残してくれた俺達の未来だ。
だからこそ、決して負けるわけにはいかない。
俺はここで生きて、帰らねばならないのだ。
俺は槍を握る手に、強く力を込める。
そして義篤を見据え、槍を構えた。
「……参る」
俺がそう言うと、義篤は小さく頷いた。
「来い、菅谷政貞」
次の瞬間。
「はぁっ!!」
俺は地を蹴り、槍を突き出した。
狙いは義篤の胸元。
病に侵された身体ならば、まともに受けることは出来ないはずだ。
だが。
「なっ!?」
義篤は、俺の槍を刀で弾いた。
ガキィン!!
想像以上に重い衝撃が、腕へ伝わる。
細い身体に青白い顔、今にも倒れそうな姿。
それなのにその一撃は、俺の槍を大きく逸らすほど鋭く、重かった。
「甘い」
義篤の刀が迫る。
俺は即座に槍を引き戻し、横薙ぎに払った。
義篤は後ろへ跳び、間合いを取る。
だがその着地と同時に、義篤の身体が僅かに揺れた。
「ごほっ……!」
義篤が咳き込む。
口元を押さえた手には、赤い血が滲んでいた。
「殿!」
後方で、佐竹の家臣達が声を上げる。
だが義篤は、片手を上げてそれを制した。
「来るな。これは、わしと菅谷の戦だ」
そう言って義篤は再び刀を構える。
その姿に、一切の迷いはなかった。
強い。
俺は槍を握り直す。
病に侵されている。
身体は限界に近い。
それでもなおこの男は、俺よりも遥かに強い気迫を放っていた。
「どうした、菅谷」
義篤が言う。
「先程までの勢いはどうした。小田の未来を背負うのではなかったのか」
「……言われなくても」
俺は歯を食いしばる。
「行くぞ!!」
今度は、先程より低く。
地面を蹴り、槍を突く。
義篤は刀で受ける。
俺はすぐに槍を引き、横から薙ぎ払う。
義篤は身を沈めて避けた。
そして
「ッ!?」
俺の懐へ潜り込んでくる。
槍では近過ぎる。
俺は槍を捨てるように手放し、腰の刀を抜いた。
ガキィン!!
義篤の刀と、俺の刀がぶつかる。
火花が散る。
腕が痺れる。
「ぬぅっ!」
義篤は細い身体からは想像もつかない力で、俺を押し込んできた。
俺は足を踏ん張る。
押される。
このまま押しこまれれば、終わる。
「政貞!」
葵の声が聞こえた。
そうだ、思いだせ。
俺には葵との鍛錬の中で磨き上げた剣術がまだ残されている。
「はああッ!!」
「うぐっ!?」
俺は足で思い切り義篤の体を蹴り付けると、鍔迫り合いから抜け出し、何とか距離を取ることができた。
そして体勢を崩す義篤目掛け、俺は刀を振り下ろす。
「ぐうゥッ!!」
だが、奴はすんでのところで体勢を立て直し俺の刀を受け止めて見せた。
「がっ!?」
そして今度は奴が俺を蹴り飛ばすと、こちらへと刀を打ち込んでくる。
もう力で勝てないことはわかった。
ならば……!!
「何ッ!?」
義篤は次の瞬間、驚愕の表情を見せる。
奴が放った刀は俺の刀の反りに受け流され、滑り落ちた。
そうだ、力で勝てないならば受け流せばいい。
それこそが葵流の剣術。
女である葵が男に勝つために身につけた、究極の柔の剣術だ。
相手の力を真正面から受けない。
受け止めるのではなく流す。
相手自身の力を利用して、隙を作る。
葵はいつも言っていた。
『力の強い相手に、力で勝とうとしちゃ駄目』
『政貞は力があるんだから、余計に相手の力を利用することを覚えた方がいいよ』
あの時は、正直よく分かっていなかった。
ただ刀を振り何度も葵に打ち込まれ、何度も地面へ転がされた。
だが今なら分かる。
葵、お前が教えてくれたものが今、俺を生かしている。
義篤の刀は、俺の刀身を滑り落ちる。
勢いを失った刃が、俺の脇を通り過ぎた。
「今だ!」
俺は身体を捻る。
義篤の刀を受け流したまま、懐へ潜り込む。
そして。
「はあっ!!」
刀を横薙ぎに振るった。
「ぐっ……!」
義篤は咄嗟に身体を引いた。
だが、避け切れない。
俺の刀が、義篤の肩口を浅く斬り裂く。
鮮血が舞った。
「殿!」
佐竹の家臣達が叫ぶ。
義篤は後ろへ下がり、傷口を押さえた。
その指の間から、血が零れていく。
それでも、義篤は刀を落とさなかった。
「見事だ……」
義篤は荒い息を吐きながら、僅かに笑った。
「その剣技……小田のものでも鹿島のものでもないな。我流か?」
「違うな、俺の妻のものだ」
「はははッ! 妻の剣、か!」
義篤は傷口を押さえながら、それでも笑った。
「良き妻を持ったな、菅谷政貞」
「ああ」
俺は刀を構えたまま答える。
「俺には勿体ないくらいの、自慢の妻だ」
葵が少し離れた場所で、照れくさそうに眉をひそめたように思えた。
「そうか……」
義篤は小さく呟いた。
その顔に一瞬だけ、父親のような穏やかな表情が浮かんだ。
「わしにも、義昭を支えてくれる者達がおる」
義篤は刀を握り直す。
「家臣達も、民達も、そして、義昭も……皆が佐竹を信じておる。だから、退けぬ」
その言葉に迷いはない。
病に蝕まれ傷を負い、それでもなおこの男は、佐竹の未来を背負って立っている。
だがこちらも、小田の未来を背負っている。
次で決める。
俺は呼吸を整えると構えた。
そして奴も同じように考えているだろう。
既に身体はわずかに震えており、限界は近づいていた。
しかし、だからこそ、これが最後だ。
奴は上段、俺は中段に構える。
空間を静寂が支配する。
一秒、二秒が何時間にも感じられる。
そして体感にして膨大な時間が過ぎ去ったその時、その瞬間は訪れた。
「はああッ!!」
「はッッ!!!」
義篤と俺は同時に刀を振るう。
しかし刀の速度は義篤の方が上。
このままいけば確実に義篤の刀が先に到達する。
その、はずであった。
「なっ!?」
俺は刀を跳ね上げるようにして義篤の刃を受ける。
真正面から受け止めず、刀身を滑らせながら、その剣線を外へ逸らしていった。
渾身の力で振り下ろされた刀はもう止まらない。
後に残されたのは地面まで振り下ろされた奴の刀と、上段に構えられた俺の刀だった。
もう刀を戻すのも、回避するのも間に合わない。
義篤は俺を穏やかな顔で見ると、最後にこう言った。
「見事」
その直後、俺の刀は振り下ろされた。
義篤の身体が揺れる。
それでも義篤は、倒れる前に一度だけ空を見上げた。
朝霧の中で、佐竹の大旗が静かに揺れていた。
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