68話 佐竹戦その6
「はぁ……はぁ……」
「政貞、敵はまだ近くにいないみたいだよ」
「……そうか、ありがとう」
あれから、どれだけ歩いただろうか。
気づけば雨が降っており、俺と葵は雨に打たれながら、泥に足を取られながら、ひたすら歩き続けていた。
もう、どこを歩いているのかも分からない。
ただ死なないために歩く。
三平太の行動を無駄にしないために歩く。
それだけだった。
歩く、歩く、ひたすら歩く。
言葉も交わさずに俺と葵はひたすら歩いた。
「あっ、見て!」
すると、突然葵が声を上げた。
葵が指差す方向を見ると、その先には川沿いに建てられた小さな小屋があった。
誰が建てたかも分からないその小屋は古ぼけていたが、しかし雨宿りぐらいはできそうだった。
「政貞、とりあえずあそこで休もう」
「そう、だな」
俺は頷くと、葵と共に小屋の中へと入る。
小屋の中は薄暗く、湿った木の匂いが鼻をついた。
壁には隙間があり、雨風が入り込んでくる。
それでも外に比べれば天国だった。
俺は刀を壁へ立て掛けると、その場へ力なく腰を下ろした。
「……っ」
全身から力が抜ける。
今まで気力だけで動いていた身体が、一気に悲鳴を上げ始めた。
腕は震え、指先には力が入らない。
傷口も熱を持ち始めていた。
「政貞」
葵が俺の前へ膝をつく。
「肩、見せて」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない」
有無を言わせぬ口調だった。
俺は苦笑すると、黙って肩当てを外す。
布は血で張り付き、剥がすだけで鈍い痛みが走った。
「っ……」
「我慢して」
葵は雨水で布を濡らし、丁寧に傷口を拭っていく。
冷たい水が火照った身体へ染み渡った。
傷は幸い浅いものばかりだったが、その数が多い。
「政貞、本当に無茶し過ぎ。痛いよ〜って、泣いてもいいんだよ?」
「馬鹿言え、葵も人のこと言えないだろ」
「はん! 私は政貞と違って軟弱じゃないの!」
「はいはい」
ったく、コイツはこんな時でもいつも通りだな。
いや、いつも通りに振る舞ってるのか。
震える手を見ていると、葵も無理をしているのが分かる。
葵が俺の肩へ布を巻き終えると、小さく息を吐いた。
「これで少しは大丈夫」
「ありがとう」
俺は礼を言う。
すると葵も、自分の腕を押さえた。
右腕から血が滲んでいる。
「今度はお前だ」
「え?」
「傷、見せろ」
「いや、私は平気」
「平気な奴はそんな顔しないでしょうが」
俺は葵の腕を取る。
袖を捲ると、刀で切られた傷が思っていたより深かった。
「これは……」
「へへ、さっき掠っただけだから」
葵はそう言って笑うが、無理していることぐらい分かる。
「これで掠ったって言い張る気か? ったく、いいから布をよこしなさい」
俺は持っていた布を裂き、葵の腕へ巻き付ける。
「全く、政貞は心配症なんだから〜。これぐらい大丈夫だってば! あはははっ!」
「いやでも、本当に……」
「だから大丈夫だって! 全く、他人の心配するなら自分の心配しなよね!」
葵は尚も強がり続け、顔には笑みを浮かべている。
なぜ、なぜそこまで強がろうとするんだ。
俺には、弱った姿も見せられないというのか。
そんな言葉が、頭の中でぐるぐると回る。
そしてそんな葵の表情を見ていると、俺の口から自然と言葉が溢れてしまった。
「……葵、俺はお前が弱音を吐くこともできないほど頼りないのか」
「……えっ?」
葵の表情が固まる。
何を、何を言っているんだ俺は。
こんなこと言ってもどうにもならないのに、葵を不安にさせるだけなのに。
止めなければ。
そう思って口を閉じようとしても、言葉はこぼれ続ける。
「そうだ、俺は情けない男だ。家臣を犠牲にし、おめおめとここまで逃げてきた男だ。本当に……情けない男だよ」
言葉にする度に、俺の中の無念が溢れてくる。
勝ちに溺れ、自分の策を過信し逆に策にはめられ、多くの者を死なせてしまった。
籠城し、政治様の援軍を待つ。
当初の作戦通りやっていれば、ここまでの被害は出なかったかもしれないのに。
そして策にはめられ、仲間達と離れ離れになった挙句、俺は仲間を犠牲にここまでおめおめと逃げてきた。
そうだ、何を言おうと俺が三平太を犠牲に、皆を犠牲に逃げてきたことには変わりないのだ。
俺が……俺が……。
「違う!!」
その時だ。
俺の言葉を遮るように、葵が声を上げた。
俺は驚きのあまり、葵の顔を見る。
その目には、涙が滲んでいた。
「違うよ、政貞は情けない男なんかじゃない!! 自分のこと、何でそんなに悪く言うのさ!!」
「ど、どうしてそう言い切れるんだ!! 俺は……俺は何もできなかったんだぞ!!」
「できなかったのは私も同じだよ!!」
葵の目から、涙がこぼれ落ちる。
気がつけば、葵の方が感情を激しく乱していた。
その姿を見て、俺は自分の感情が少しずつ落ち着いていくのを感じた。
「私、自分のこと強いと思ってた。でも今日、皆が襲われた時に何もできなかった。ただ自分のことを守るのに必死で何も……!!」
「葵……」
「それが悔しくて……悲しくて……でも、政貞だけには言うわけにはいかなかった。政貞も悲しんでるのに、私のことでまで心配させるのは嫌だから、だから……」
「……ッ!!」
俺は馬鹿か!!
気づいていたじゃないか、葵が無理をしていることぐらい!!
なのに、なのに俺は自分が辛いからって葵にあんなことを言って……クソ、クソッ!!
「きゃっ!? ま、政貞!?」
気がつくと、俺は葵を抱きしめていた。
何故かは分からない。
ただそうするのが、正しいと思ったからだ。
「すまない……お前は俺を気遣ってくれたのに俺は……」
「……いいんだよ。私こそごめんね、こんな時まで本音を言えなくて。最初から、弱音を吐いてれば良かったね」
俺達は互いに抱きしめ合い、互いの熱を感じ合う。
そこには確かに温もりがあり、雨と戦によって冷えた心と身体が温まっていくのを感じた。
暖かい、人の温もりってこんなに暖かかったんだな。
何だか、懐かしい気持ちだ。
俺達はしばらく、互いの温もりを感じていた。
そして落ち着くと互いの身体から手を離し、その目を合わせた。
「何かこうしてると、ここが戦場だって忘れちゃうね」
「そうだな」
葵といると、この小さな身体を抱きしめていると心が暖かくなってくる。
それは葵が俺にとって特別であることを、特別だと思っていることを証明していた。
だからだろうか。
俺は生涯、誰にも言うまいと思っていたことをつい口から滑らせてしまったのだ。
「葵、俺の秘密を知りたいか?」
「あははっ、何さ急に。教えてくれるなら聞いてあげるけど?」
「そうか、実は俺はな———」
そう、俺は———。
「未来から転生してきた、人間なんだ」
その瞬間、静寂が走る。
葵を見ると、目を丸くして動きを止めていた。
……やっぱり、まずかったかな。
そう思っていた時である。
「ふふっ」
葵がくすくすと笑ったのだ。
「なるほどね。合点がいったよ、道理で皆んなが知らないことたくさん知ってるわけだ。あははっ! まさか、私の旦那が未来人だなんてね!」
と、愉快そうに笑い出したのである。
そんな葵の姿に、今度は俺の方が固まってしまった。
「し、信じてくれるのか?」
「こんな時につまらない冗談言う奴じゃないって知ってるからね。信じるよ」
そうか、葵は信じてくれるんだな。
自分の秘密を打ち明けられたことで、俺はどこか心にのしかかっていた重荷が降りるのを感じた。
全く、俺には本当に勿体無い妻だ。
「ありがとう」
「ふふっ、何で礼を言うのさ。とはいえ、未来から来たのか〜……ということは、この時代にないものも色々知ってるの?」
「ああ、知ってるよ。例えば……」
それから俺達は戦場にいることも忘れ、話をした。
未来には何があるのか、どんな生活をしているのか。
短い時間であったが、その時間は満ち足りたものだった。
「あははっ! すごいんだね未来って! まるで本の中の世界みたい!」
「そうだな。だが、確かに五百年後にはどれも存在しているんだ。この日本にはな」
「そっか……見ることができないのが残念だよ」
そう溢す葵の表情はどこか寂しそうだった。
俺はそんな葵の顔を見ていられず、言った。
「じゃあ俺が見せるよ。全部じゃないけどさ、頑張って作って未来の物を葵に見せる。約束だ!」
俺がそう宣言すると、葵はキョトンとしていたが、次第に顔を緩ませ、吹き出しながら笑った。
「あははっ!! 真面目な顔で言うこと!?」
「わ、笑うなよ……」
「ごめんごめん。まっ、期待しとくよ。私の旦那様!」
そう悪戯っぽく笑う葵の笑顔は、この暗闇の中でも輝いて見えた。
その、時だった。
「ッ!! 政貞、気づいた!?」
「ああ」
雨の音に紛れて、足音が聞こえたことに気づいた。
敵が味方か、近づいていることに間違いはなかった。
俺と葵は同時に立ち上がった。
さっきまでの穏やかな空気は一瞬で消え去る。
俺は刀を握り、葵もボロボロの刀を抜く。
小屋の外では、雨に混じって草を踏みしめる音が少しずつ近付いてきていた。
一人ではない。
五人……いや、十人以上。
しかもまだ増えている。
「……見つかったか」
俺は小さく呟く。
葵も険しい表情で頷いた。
「佐竹だね」
その瞬間だった。
「いたぞォ!!」
小屋の外から怒声が飛ぶ。
「菅谷政貞だ!」
「逃がすなァ!!」
戸が勢いよく蹴破られた。
雨風と共に佐竹兵が雪崩れ込んでくる。
「葵!」
「うん!」
俺は正面の兵へ踏み込み、一刀で斬り伏せる。
葵も横から飛び込んできた敵の足を払うように斬りつけ、そのまま喉へ刃を走らせた。
「外へ出るぞ!」
狭い小屋では囲まれるだけだ。
俺達は敵を弾き飛ばし、そのまま雨の中へ飛び出した。
「追え!」
「二人だけだ!」
「今度こそ討ち取れ!」
背後から次々と敵兵が飛び出してくる。
俺達は泥濘を蹴り、再び走り始めた。
身体はもう限界だった。
傷口が開き、血と雨が混ざって流れていく。
それでも止まれない。
止まれば終わりだ。
「政貞!」
葵が矢を避けながら叫ぶ。
「右!」
俺は咄嗟に身を捻る。
背中を掠めるように矢が飛び去った。
あと少し遅ければ貫かれていた。
「ちっ!」
俺は残っていた最後の矢を一本だけ弓へ番える。
狙いは追撃の弓兵。
「……っ!」
放たれた矢は一直線に飛び、弓兵の胸へ突き刺さった。
これで、本当に最後だ。
弓を捨て、刀一本で走る。
だが敵は減らない。
むしろ次々と現れる。
「囲め!」
「逃がすな!」
雨の向こうからさらに兵が現れた。
俺達は方向を変える。
また兵がいる。
逆へ走る。
そこにも敵。
完全に追われていた。
「はぁ……っ」
足が重い。
膝が笑う。
視界もぼやけ始めた。
「政貞!」
葵が俺を支える。
「駄目、諦めちゃ駄目!」
「……ああ」
そう答えたものの、自分でも分かっていた。
もう限界だ。
足が前へ出ない。
呼吸は乱れ、胸が焼けるように痛む。
それでも一歩、また一歩前へ。
その時だった。
ドサッ。
「政貞!」
とうとう俺の足から力が抜けた。
泥の中へ膝をつき、そのまま倒れ込む。
「くっ……」
立とうとする。
だが身体は言うことを聞かない。
腕に力が入らない。
「政貞!」
葵が必死に俺を起こそうとする。
しかし葵自身も限界だった。
ふらついたかと思うと、そのまま俺の隣へ膝をつく。
「ごめん……」
葵が苦しそうに笑った。
「もう……動けないや」
雨だけが静かに降り続ける。
そして。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
佐竹兵達が俺達を取り囲んだ。
数十、いや、百はいる。
逃げ場は、完全になくなった。
「終わりだ」
佐竹の武将らしき男が槍を向ける。
「菅谷政貞、貴様もここまでだ」
俺は泥だらけの身体を起こし、葵を庇うように前へ出る。
刀を握る。
震えている。
それでも離さない。
「……最後まで」
最後の力を振り絞る。
「葵だけでも……」
「何言ってんの」
葵が苦笑した。
「今さら一人だけ助かるなんて、そんなの嫌だよ」
そう言って俺の隣へ並ぶ。
肩と肩が触れ合う。
「……そうか」
「うん」
二人で笑った。
雨の中、敵兵達が一斉に槍を構える。
「掛かれェェェ!!」
怒号が響く。
槍が一斉に突き出された———
その、瞬間。
「止まれェェェェェェェッ!!」
戦場全体を震わせるような大音声が響いた。
直後。
ブォォォォォォォ――!!
法螺貝が雨空へ鳴り渡る。
さらに。
ドドドドドドドッ!!
地鳴り。
馬ではない。
何百、何千という人間が一斉に駆ける音だった。
「な、何だ!?」
「後ろだ!」
佐竹兵達が一斉に振り返る。
雨煙の向こう。
無数の松明が一斉に灯った。
その炎はまるで龍のように大地を這い、こちらへ迫ってくる。
「進めぇぇぇぇぇぇッ!!」
「菅谷様をお救いしろォ!!」
先頭を走るのは槍を手にした農民達だった。
百姓、町人、老人、若者、武士、彼らは鍬や鉈、竹槍まで手にしながら必死の形相で駆けてくる。
「政貞様ァァァァ!!」
その叫びは、聞き覚えのある声だった。
さらに、その民達を率いていたのは———
「遅くなりましたぞ!!」
常陸介だった。
その隣には、大掾慶幹。
そしてその隣に一人の男がいた。
「待たせたな、政貞!!」
聞き慣れた豪快な声。
「この小田小太郎、友を救いに参ったァッ!!!」
雨を切り裂くように、小田氏治は高らかに声を上げた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!




