67話 佐竹戦その5
———俺は、どこで間違ったのだろうか。
声が、音が聞こえる。
佐竹の兵に斬られる味方の悲鳴。
味方が崩れ落ち、倒れる音。
一面の赤が目に映る。
敵味方問わず、地面に広がる一面の赤、赤、赤。
戦場は夥しいほどの血に染められていた。
「はぁっ!! うあぁっ!!」
「やあァッ!!」
俺と葵は武器を手に敵兵を切り倒し、退路を見出そうとしていた。
既に勘助殿とも逸れてしまい、他の隊の者達どころか俺の本隊の者とも散り散りになってしまっていた。
既に俺と葵の周りにいるのは、おおよそ五十名ほどしか残っていない。
しかもそのほとんどが手負いであり、武器を持つことさえままならない状態の者もいた。
俺自身もかすり傷だが、既に身体にいくつも切り傷ができており、葵の身体からも血が流れていた。
なぜ、こんなことになった。
一面敵に包囲され、逃げ場などもうほとんど残されていない。
俺はどこで間違った。
味方を疑わなかったことか、佐竹に策を見抜かれていることを考えなかったことか、油断したことか、はたまた全てか。
俺の胸中には混乱と、この状況を招いたことへの怒りと後悔が、渦巻いていた。
もう正気でいられそうになかった。
こうして今も生きていられているのは、周りの兵達の頑張りと、俺の身体の生存本能が思考を凌駕し動き続けているが故だった。
だが、得意の弓も矢がもうほとんど残っていない。
槍も傷つき、刀も幾度も敵を斬り続けたことで刃こぼれしていた。
腕は鉛のように重い。
息は荒く、肺が焼けるように痛む。
周囲を見渡せば、最後まで付き従ってくれた兵達が一人、また一人と倒れていく。
「殿……お逃げ……ください……」
若い兵が俺を庇って槍を受け、その場へ崩れ落ちた。
「っ!」
思わず手を伸ばす。
だが、その兵はもう動かなかった。
「政貞!」
葵の叫びで我に返る。
横合いから振り下ろされた刀を辛うじて受け止め、その敵兵を斬り伏せる。
しかし次の瞬間には、さらに三人。
そして四人、五人。
次々と敵が押し寄せてくる。
まるで終わりが見えない。
「囲めぇ!」
「大将を逃がすな!」
「首を取れ!」
怒号が四方八方から飛ぶ。
逃げ道は、もうない。
俺は息を切らしながら辺りを見回した。
鹿島殿の旗は見えない。
大野殿も、由兵衛も、霧丸も、勘助殿も。
誰一人として姿がない。
皆、それぞれ必死に戦っているのだろう。
あるいは———
いや、それを考えてはいけない。
考えた瞬間、心が折れてしまう。
「政貞……ごめんね」
その時、葵のか細い声が聞こえた。
今まで聞いたことがないほど、弱々しい声だった。
俺はハッとした。
葵は今、追い詰められているんだ。
俺なんか比べ物にならないぐらいずっとだ。
実家を裏切る覚悟で偽の情報を流したというのに、それを見破られて仲間達が窮地に陥っている。
口は悪いが、仲間思いな葵が心を痛めないはずはなかった。
馬鹿野郎、何を一人で傷ついているんだ。
葵の方が、もっと辛いのに。
俺は歯を食いしばると、笑顔を作り葵に笑いかける。
「謝らないでくれ」
自分でも驚くほど穏やかな声だった。
「悪いのはお前じゃない」
葵は俯いたまま、小さく首を振る。
「でも……私が流した偽情報が見破られたから……」
「違う」
俺は敵に見つからないよう、木の陰に葵を連れて隠れる。
そして、きっぱりと言い切った。
「お前だけのせいじゃない。俺も真壁殿の裏切りを見抜けず、策を見抜かれている可能性を考えなかった。……俺にも、大きな責任がある」
「……政貞」
そうだ、俺には責任がある。
この事態を招いた、責任があるんだ。
策が上手くいき続けたことで、どこかで今回も大丈夫だと思ってしまった。
付城は守り切り、宇都宮・結城も討ち破ることができた。
昼の戦でも佐竹本隊を押し返した。
その積み重ねが、自信になっていた。
いや———自信ではない。
慢心ではないと思っていた。
だが、勝ち続けたことで緊張が薄れ、次も上手くいくと、心のどこかで思い込んでいた。
それが、この結果だ。
「そうだ、全部……俺の責任だ」
葵はゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた瞳が月明かりを映している。
「……政貞」
「だから、お前は謝るな」
そう言って笑ってみせる。
情けない笑顔だったかもしれない。
それでも葵は少しだけ表情を緩めた。
「……ばか」
その一言だけだった。
だが、それで十分だった。
俺は刀を握り直す。
「葵」
「うん」
互いに背中を預ける。
もう逃げ道はない。
ならば最後まで戦うだけだ。
「討ち取れぇぇぇぇ!!」
佐竹兵が一斉に押し寄せる。
槍が林立し、刀が月光を反射した。
俺も一歩前へ踏み出す。
その時だった。
「どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
雷鳴のような怒号が夜空を震わせた。
次の瞬間、敵兵が二人、三人と宙を舞う。
骨が砕ける鈍い音。
金棒が唸りを上げ、佐竹兵をまとめて吹き飛ばした。
「なっ!?」
敵兵が悲鳴を上げる。
「鬼だ!」
「ば、化け物だ!」
血飛沫の向こうから、一人の大男が突っ込んできた。
全身は返り血で真っ赤。
鎧は幾筋も裂け、肩からも血が流れている。
それでも、その勢いはまるで衰えていなかった。
「殿ォォォォォ!! ご無事ですかァァァァ!!」
「……三平太!」
三平太だった。
その後ろには、百にも満たない兵達。
二百いたはずの三平太隊は、既に半数以上が倒れていた。
それでも誰一人退いていない。
主君を救うためだけに、敵中を力ずくでこじ開けて来たのだ。
三平太は俺達の前へ躍り出ると、金棒を地面へ叩き付けた。
土が弾け飛ぶ。
「何ぼさっとしてるんですか! まだ死ぬには早ぇでしょうが!」
そして、いつものように豪快に笑った。
「ここからは俺達が道を開きます!」
その笑顔を見た瞬間、張り詰めていた何かが少しだけ戻ってきた気がした。
俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
そうだ、まだ俺達二人だけになったわけじゃない。
まだ負けたわけじゃないんだ。
「ありがとう。頼んだぞ、三平太!」
「はい!!」
俺達は再び駆け出すと、敵勢めがけて突っ込んでいく。
自殺のためではない。
その敵勢の先、その先にある橋を抜けてここから逃げるためであった。
「どけどけェ!! 殿には指一本触れさせないぜ!!」
三平太は金棒を振り回すと、右に左にと敵を吹き飛ばしていく。
全く、相変わらずとんでもない怪力だ。
思えば、昔からそうだったな。
あの時はとんでもないやんちゃ坊主で、出会い頭にボコボコにされたっけ。
はははっ、今の三平太からは考えられないなぁ。
「三平太、また腕を上げたじゃないか!」
「へへっ、でしょう!? 俺ァ、まだまだ強くなりますよ!」
「アンタのことむさ苦しいって思ってたけど、今はとってもカッコよく見えるよ! 私の中でアンタの株、地の底から大上がりしてるよ!」
「姫様、ということはオレ今までめちゃくちゃ嫌われてたんですか!? 酷いですよ!!」
「あははっ、冗談だよ! さっ! ここを切り抜けるよ!」
俺達には軽口を叩くほど余裕ができていた。
次々と敵兵を切り裂き、退路を切り開いていく。
そして———。
「み、見えてきた!!」
視線の先、敵と敵の間に僅かに橋の姿が見えた。
「あそこを抜ければ……!」
橋までは、およそ百間。
普段ならあっという間の距離だ。
だが今は、その百間が果てしなく遠く感じられた。
「殿! 止まらないでください!」
三平太が金棒を振るう。
目の前へ立ちはだかった敵兵をまとめて薙ぎ倒し、強引に道をこじ開けていく。
「進めぇぇぇ!」
「殿をお守りしろ!」
残った三平太隊の兵達も、命を顧みず俺達の前へ躍り出た。
一人が倒れれば、また一人。
まるで堤防のように敵を食い止めてくれる。
「くっ……!」
俺も槍を振るい、葵も刀で敵を斬り払う。
もう後ろは振り返らない。
振り返れば、倒れていく仲間達が目に入ってしまうからだ。
「あと少し!」
橋までは五十間。
だが———。
「逃がすなァ!」
左右の林から新手が現れた。
佐竹兵が雪崩れ込み、橋への道を塞ごうとする。
「邪魔だァッ!!」
三平太が咆哮した。
金棒が唸りを上げ、敵兵をまとめて吹き飛ばす。
だが、その瞬間だった。
「ぐっ……!」
三平太の肩へ一本の槍が突き刺さった。
「三平太ッ!!」
俺は思わず悲鳴を上げる。
「こんなもん……!」
槍を力任せに引き抜き、そのまま投げ返す。
槍は敵兵の胸を貫き、後ろの兵まで巻き込んで倒した。
しかし、傷は深い。
血が滝のように流れ落ちていた。
「大丈夫です!」
三平太は歯を剥き出しにして笑う。
「こんな傷、かすり傷です!」
そう言う声は、いつもより少しだけ掠れていた。
俺達は橋へ飛び乗る。
恋瀬川を渡る古い木橋。
幅は狭く、大軍では一度に渡れない。
「殿! 姫様!」
三平太が叫ぶ。
「今のうちです!」
「三平太、お前も来い!」
俺は振り返って叫んだ。
だが三平太は首を横へ振る。
「ははっ、無理ですよ。敵が多すぎますから……」
橋の向こうでは、佐竹兵が津波のように押し寄せてきていた。
このまま全員で渡れば、途中で追いつかれる。
橋の上で乱戦になれば、誰一人逃げられない。
三平太は橋のたもとへ立ち、静かに金棒を握り直した。
「殿」
その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「俺ァ、殿の家臣になれて、本当に良かったです」
「何を言ってる!」
「昔は喧嘩しか取り柄がなかったオレを、殿をぶちのめしたオレを、殿は拾ってくださった。……本当に、感謝してます」
三平太は照れくさそうに笑う。
「だから」
三平太は金棒を振り回しながらも続ける。
「最後ぐらい、ちゃんと家臣らしいことをさせてください」
「馬鹿野郎!」
俺は橋を戻ろうとした。
しかし葵が必死に俺の腕を掴む。
「政貞!」
「離せ!」
「離さない!」
涙を流しながら、それでも葵は叫んだ。
「三平太の覚悟を無駄にする気!?」
その一瞬の隙だった。
三平太は橋の根元へ金棒を振り下ろした。
轟音。
乾いた木が悲鳴を上げる。
二撃、三撃。
巨大な金棒が橋脚を叩き砕いていく。
「やめろォォォ!!」
俺の叫びが夜空へ響く。
三平太は振り返らなかった。
最後に少しだけ右手を上げる。
「殿」
その時、三平太が笑ったような気がした。
「どうか……生き延びてください」
その瞬間———
「あ……っ!!」
橋が音を立てて崩れ落ちた。
木材が砕け、恋瀬川へ飲み込まれていく。
渡り切っていた俺と葵。
そして橋の向こう側には三平太と、残った数十人の兵達だけが残された。
「来いよォォォォ!!」
三平太が雄叫びを上げる。
「この三平太が相手になってやる!!」
金棒を振り上げ、たった一人で佐竹軍へ突撃した。
金棒が振り下ろされるたび、敵兵が吹き飛ぶ。
橋の向こうには、鬼が一人。
その背中だけが、燃え盛る松明の中でなおも立ち続けていた。
「三平太ァァァァァッ!!」
俺の絶叫だけが、夜の戦場へ虚しく響き渡った。
だが、彼に俺の叫びは届かない。
それでも俺は振り返り続けた。
鬼の姿が闇へ飲まれる、その瞬間まで。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!




