62話 決戦前夜
その日の終わり、軍議を終えた俺は家に戻り一息ついていた。
「ふぅ……」
明日から、ついに佐竹との決戦か。
まさか、小田家が佐竹と常陸の覇権を巡って争うことになるとはな。
史実ではあり得なかったことだ。
もしこの戦に勝つことができれば、小田家は常陸の覇者となり、たとえ北条を相手にしても揺るがない関東屈指の強国となれるだろう。
……しかし、負ければ……。
俺は小田家を生き残らせるためにここまで強くしてきた。
だが、それは正しかったのだろうか。
小田家をここまで拡大させてきた結果、今回佐竹家は本気で小田家を潰しに来ている。
これは史実にはなかったことだ。
もし俺が余計なことをしたせいで小田家が滅んだとしたら……。
……いや、そんなことは絶対にさせない。
俺はこの戦に勝つ。
そして、小田家を必ず守り抜くのだ。
「なーに深刻な顔してんの?」
「葵」
振り向くと、そこには両手にお茶を持った葵が立っていた。
葵はお茶を俺に手渡すと、俺の隣に座った。
「ありがとう」
「それで、随分と思い詰めた顔してるじゃん。やっぱり緊張してる?」
「まあそりゃあな。緊張してないと言ったら嘘になる。何せ明日から人生で一番の大勝負が待っているんだからな」
「確かにねぇ。あの小田が佐竹と全面戦争なんて、笠間にいた時は思いもしなかったよ」
「はははっ、俺もだ」
しかし、佐竹がこちらに本気でぶつかってくるということはこちらもそれほど強くなったということだ。
こちらにも勝機は十分あるはずである。
「しかし葵、お前本当に俺達と一緒に来るのか? できればお前には家で待っていてもらいたいんだが……」
「そうやって私がじっとしてられないの、アンタが一番知ってるでしょ? 大丈夫、足は引っ張らないからさ」
「それについては心配してないがな」
何せ、葵の実力は菅谷隊でも三本の指に入るほどだ。
下手したら俺よりも強いので、葵の実力を疑うことはない。
そう、葵の実力については心配していない。
心配しているのは……。
「……なあ」
「うん?」
「その、辛くはないか? 生家と敵対することになってしまって」
そう、笠間家の敵対姿勢はもはや決定的だった。
笠間家は宇都宮と共に、小田家を倒すことを決めたのである。
しかし、葵は笠間家の姫。
生家と敵対することになった彼女の心境が、俺は気がかりだった。
しかし、心配する俺とは裏腹に葵は笑みを浮かべながら言った。
「気にしてないって言ったら嘘だけどさ。ここに来た時から覚悟はしてたからね。でも私は私の意思で小田家と一緒に戦うって決めたんだ。後悔はないよ」
「……そうか」
「というか、政貞が私の心配なんて百年は早いんだけど。半人前のくせに他人の心配だけは一丁前なんだから」
「誰か半人前だよ」
俺がデコピンで葵の額を小突くと、葵は悪戯っぽく笑った。
それに釣られて、俺も笑みが溢れてしまう。
「ふふっ」
穏やかな笑い声が、夜の静けさに溶けていく。
しばらく二人で黙って庭を眺めた。
虫の音だけが静かに響いている。
「ねえ、政貞」
「ん?」
「約束して」
葵は真っ直ぐ俺を見つめた。
「必ず一緒に生きて帰るって」
その一言に、俺は思わず息を呑んだ。
今まで幾度となく戦場へ赴いてきた。
だが、今回ばかりは違う。
相手は常陸最強、佐竹家。
兵数もこちらを上回り、しかも義篤自らが率いてくる。
誰もが命を落とす可能性のある戦だ。
「……ああ」
俺は静かに頷いた。
「必ず、共に帰る」
「うん、約束だよ」
「約束だ」
そう言うと、葵は安心したように笑った。
「じゃあ私も約束する」
「何をだ?」
「私は絶対に死なない」
「そして、ちゃんとアンタと一緒に帰る」
その言葉に、俺は苦笑した。
「お前らしいな」
「でしょ?」
そう言って笑う葵は、やはり強い。
戦を前にしてなお、俺よりも肝が据わっている。
……いや。
強がっているだけなのかもしれない。
それでも、その強がりに救われるのは俺の方だった。
俺は湯呑を置くと立ち上がる。
「そろそろ休むか」
「うん」
「明日から忙しくなる」
「そうだね」
戦はもう目前だった。
だからこそ、この何気ない時間を大切に胸へ刻んだ。
翌朝。
府中城の城門前には、出陣準備を終えた兵達が整然と並んでいた。
荷駄隊が資材を積み込み、大工衆が斧や鋸を確認している。
今回の戦は、まず付城を築くところから始まる。
まさに時間との勝負だ。
「政貞」
聞き慣れた声に振り返る。
「小太郎様」
そこには氏治様が立っていた。
まだ十四にも満たない若君。
本来なら俺達と共に戦場へ立ちたい年頃なのだろう。
しかし元服前である以上、政治様がそれを許すはずもない。
「……すまぬ」
氏治様は俯いた。
「本当なら、ワシも一緒に戦いたかった」
「父上も岡見殿も、皆戦場へ向かう」
「なのにワシだけ城に残れと言われる」
拳を強く握り締める。
「悔しい」
その一言には、飾り気がなかった。
俺は氏治様の前まで歩み寄る。
「悔しいと思うのは当然です。ですが、だからこそ今は我慢してください」
「……」
「この府中城は、小田家の重要な城です。殿も勝貞様も出払う以上、この城には小太郎様が必要なんです」
「しかし……」
「もし万が一、敵が城下へ現れたら、その時に皆が頼るのは、小太郎様です」
氏治様はゆっくり顔を上げた。
「戦場だけが戦ではありません。城を守り、民を安心させることも立派な戦です」
「……そういうものか」
「そういうものです」
俺は笑って頷いた。
「それに、俺達には帰ってくる場所が必要です。その場所を守るのが、小太郎様の役目ですよ」
しばらく沈黙が流れる。
やがて氏治様は、小さく息を吐いた。
「分かった、城は任せよ! 必ず守ってみせる!」
「はい」
俺は深く頭を下げた。
「では、小田家をお願いします」
氏治様も力強く頷いた。
「政貞」
「何でしょう」
「必ず帰ってこい。そなたがおらねば、ワシは困るからな」
俺は思わず笑った。
「もちろんです、約束しましたからな」
「む、誰にじゃ?」
「……大事な人達みんなに、ですよ」
そう答えると、氏治様も笑みを浮かべた。
その笑顔を胸に刻み、俺は馬へ跨る。
「菅谷隊、出陣!」
「応ッ!!」
兵達の鬨の声が秋空へ響き渡る。
こうして俺達は、恋瀬川へ向けて駆け出した。
小田家の運命を懸けた決戦が、ついに幕を開けようとしていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!




