60話 佐竹攻略戦会議
秋風が府中城の白壁を撫でていた。
城内では普段とは違う緊張感が漂っている。
評定の間には小田家の重臣だけでなく、同盟・従属する諸国人達まで顔を揃えていた。
上座には当主・小田政治。
その右には嫡男・氏治。
左には親父———菅谷勝貞。
その後ろには俺、菅谷政貞が控えている。
さらに真壁家久、江戸忠通、諸国人衆の主だった面々など、常陸南部を支える者達が一堂に会していた。
これほどの顔ぶれが揃う評定は久しくない。
つまり、それだけ事態が重大だということだ。
やがて政治様が静かに口を開いた。
「皆、本日はよく集まってくれた」
評定の間が静まり返る。
「既に耳にしている者もおろう」
政治様は全員を見渡した。
「結城家、宇都宮家が反小田を掲げ、兵を挙げた」
その一言で場がざわつく。
「やはりか……」
「とうとう動きましたか」
「佐竹の差し金でしょうな」
国人衆が口々に囁く。
政治様は頷いた。
「その通りじゃ。背後には佐竹義篤がおる。奴は自ら兵を動かす前に、まず結城・宇都宮を先鋒として我らを削る腹積もりらしい」
「そして西から結城と宇都宮が攻め込んだのち、東から佐竹が攻め、我らを挟み撃ちにする算段ですな」
「その通りじゃ」
親父の言葉に、政治様は頷く。
「結城と宇都宮の兵は合わせて六千、佐竹の兵は一万との情報が入っておる」
その言葉に、周囲に動揺が走る。
「合計で一万六千だと……!?」
「何という数じゃ!!」
その動揺を、政治様は手で制止する。
「落ち着け。こちらも兵数で大きく負けているわけではない。まず、西から来る結城と宇都宮にはワシと岡見、勝貞の兵を合わせた五千の兵で迎え撃つ。佐竹には政貞と真壁、江戸殿、諸将の兵を集めた八千の兵をぶつける。
評定の間に置かれた軍略図へ、政治様は指を走らせた。
「西の敵は数こそ六千。されど結城と宇都宮は寄せ集めじゃ。互いに兵法も異なれば、命令系統も二つある。そこを突けば勝機はある」
親父が腕を組みながら頷く。
「結城も宇都宮も、それぞれなら骨はあるが、合わせれば話は別ですな。統率を乱せば崩れる」
「うむ」
政治様は満足そうに頷いた。
続いて東へと視線を向ける。
「問題は佐竹よ。此奴は宇都宮や結城とは比べものにならぬ戦上手。しかも兵は一万、正面からぶつかれば、こちらが不利じゃ」
それは間違いない。
伊達に常陸の諸勢力や東北の諸勢力と戦い、現在の勢力を築いたわけではない。
兵数からしても実力からしても一番警戒するべきは佐竹だ。
「はっきり言って数の差を覆して勝利するのは難しいじゃろう。そこで政貞達には佐竹を何とか押し留め、ワシらが結城宇都宮を下し、そちらに合流するまで耐えてもらいたい」
政治様の言葉に、評定の間の空気が一層張り詰めた。
つまり俺達は勝つことではなく、耐えることを任されるのである。
「承知致しました」
俺は一歩前へ出て頭を下げた。
「必ずや佐竹を押し留めてみせます」
「うむ」
政治様は力強く頷いた。
すると江戸忠通が静かに手を挙げる。
「殿、一つよろしいでしょうか」
「申せ」
「佐竹は兵一万。対するこちらは八千。兵数だけなら二千差ですが、佐竹兵は精強と聞きます。こちらが守勢に回るとしても、長く持ちこたえるのは容易ではありませぬ」
忠通殿の言葉に、多くの者が頷いた。
誰もが同じことを考えていたのだろう。
すると政治様は俺の方を見た。
「政貞」
「はい」
「何か考えはあるか」
皆の視線が一斉に集まる。
俺は軍略図へ歩み寄った。
「ございます」
そう言って、佐竹が進軍してくる街道を指差す。
「佐竹が府中へ攻め寄せるのであれば、この恋瀬川沿いの街道を通る可能性が最も高いと考えます」
俺は指を川へと滑らせた。
「恋瀬川は天然の堀となります。渡河できる場所は限られ、橋を落とせば更に敵の動きは制限されます」
勘助殿が軍略図を覗き込みながら頷く。
「確かに……」
「しかし、それだけでは一万の兵を止めることは難しいぞ」
重臣の一人が口を開く。
俺は笑みを浮かべた。
「だからこそ、城を築きます」
その一言に評定の間がざわめく。
「城だと?」
「今からか?」
「築城など一年仕事ではないか」
国人衆から疑問の声が飛ぶ。
俺は首を横に振った。
「大きな城ではありません。敵を止めるためだけの城です」
そう言って軍略図の恋瀬川沿いに小さな丸を四つ書いた。
「ここに土塁と空堀を築きます。木柵を巡らせ、櫓を建て、弓と鉄砲を撃てる程度の砦です」
「……付城か」
真壁殿が呟く。
「はい。一つの砦に籠もって戦うつもりはありません。敵が押し寄せれば数日持ちこたえ、夜陰に紛れて次の砦へ退きます」
「そしてまた敵を止める」
親父が腕を組みながら感心したように笑う。
「なるほど。城を守るのではなく、時間を稼ぐための城か」
「その通りです」
俺は頷いた。
「敵は砦を落とすたびに兵を減らし、時間を失い、兵糧を消費します。こちらは戦力を温存したまま後退できます」
「その間に政治様達が結城・宇都宮を撃破し、こちらへ合流する」
忠通殿も頷いた。
「理に適っておりますな」
すると重臣の一人が地図を指差した。
「しかし、佐竹も街道を避けて迂回するやもしれませぬ」
「その備えもございます」
俺は答える。
「霧丸」
「うむ」
霧丸が一歩前へ出た。
「既に忍びを各街道へ伏せてある。佐竹が進路を変えれば即座に知らせる。橋を落とす準備も済ませておる」
さらに壁際に控えていた鼠が静かに口を開く。
「敵が夜陰に紛れて迂回するならば、その夜のうちにこちらも退きます。無駄に兵を失うことはございません」
その静かな声に評定の間の者達は思わず鼠を見た。
相変わらず、そこに立っているのに存在感が薄い。
「忍びが増えた恩恵ですな」
勘助殿が微笑む。
「情報こそ最大の武器でございます」
「ええ」
俺は頷いた。
「戦は兵だけで行うものではありません。敵の動きを知り、こちらの動きを悟らせぬこと。それだけで戦の優劣は大きく変わります」
政治様は満足そうに頷いた。
「良い策じゃ。では恋瀬川沿いに付城を築くとしよう」
その言葉に俺はもう一つ提案を口にした。
「ただし、一つお願いがあります」
「何じゃ?」
「築城は急ぎますので、三日で完成させます」
評定の間が再びざわついた。
「三日!?」
「無茶じゃ!」
「それだけの城を三日で?」
俺は首を横に振る。
「石垣は不要です。瓦も不要。土を盛り、堀を掘り、木柵を巡らせる。敵を止めるだけなら、それで十分です」
親父が口元を緩めた。
「さすが政貞だ、発想が違うな」
勘助殿も頷く。
「資材は既に集めてあります。この一年、殿の命で木材を蓄えておりましたゆえ」
「流石は勘助、話が早いな」
そこで真壁殿が静かに口を開いた。
「殿、一つ気掛かりなことがございます」
「申せ」
政治様が促す。
「笠間家の動きです」
その名が出た瞬間、評定の間の空気が少し変わった。
笠間家。
宇都宮家の傘下でありながら、小田家とは婚姻を結んでいる家でもある。
俺の妻、葵の実家だ。
「近頃、宇都宮との使者の往来が増えております」
真壁殿が地図の北西を指差す。
「表向きは従来通りの挨拶と言っておりますが……」
「わしも同じ報告を受けておる」
勘助殿が言葉を継いだ。
「宇都宮が兵を挙げる以上、笠間にも何らかの働きかけがあったと見るべきでしょう」
国人衆も顔を見合わせる。
「笠間が宇都宮へ戻るか……」
「十分あり得る話じゃ」
「婚姻だけで縛れる相手ではない」
もっともな意見だった。
俺は黙って聞いている。
政治様も静かに腕を組んだ。
「政貞」
「はい」
「笠間について、おぬしはどう見る」
皆の視線が集まる。
笠間は葵の実家だ。
それをあまり敵だなんだと口にしたくはないが……。
「……宇都宮から圧力は掛けられているでしょう。当然、敵としてみなし、警戒するべきですな」
「うむ、その通りじゃな。元々、笠間は宇都宮の傘下であった。今回、宇都宮に与したとしてもおかしくはない」
政治様の言葉に頷くと、俺は話を変える。
「それよりも———」
俺は軍略図の西側へ指を滑らせた。
「結城・宇都宮軍の進軍経路ですが、一つ気になる点があります」
地図の街道をなぞる。
「敵は恐らく、この本道を最短で進んでくると考えております」
「当然じゃな。兵六千を動かすなら街道を使うしかあるまい」
「ええ」
俺は一枚の紙を取り出した。
「ですが、もし敵がこの道を通るなら———」
そう言って軍略図の南へ指を走らせる。
「こちらの林道を抜ければ、敵の背後へ回り込めます」
評定の間にどよめきが走った。
「背後だと?」
「そんな道があるのか」
「あります」
俺は静かに答える。
「細く険しい道ですが、八百から千ほどなら十分通せます」
真壁殿が軍略図を覗き込む。
「確かに……昔、猟師が使っていた山道ですな」
「はい」
俺は頷く。
「敵が本道へ集中するなら、この道は警戒が薄くなるでしょう」
親父が腕を組む。
「なるほど、背後から奇襲するつもりか」
「ええ。正面では政治様達が敵を引き付ける。その隙に別働隊で敵の背を衝けば、結城・宇都宮軍は大きく動揺するはずです」
政治様がゆっくり頷いた。
「悪くない」
勘助殿も帳面へ書き込みながら言う。
「敵の布陣次第ではございますが、十分勝負を決める一手となり得ますな」
俺は静かに息を吐いた。
この経路ならば、敵はこちらの動きを予想できない。
少なくとも、俺はそう判断している。
評定の間では、誰一人としてその情報を疑う者はいなかった。
しばしの沈黙の後、政治様はゆっくりと立ち上がった。
評定の間に集う全員を見渡し、その声を張る。
「皆、方針は決まった。西はワシが討つ。東は政貞に任せる」
短い言葉だった。
だが、それだけで評定の間の空気が一つにまとまる。
「勝貞」
「はっ」
「西軍の総大将はワシじゃが、おぬしには先鋒を任せる。結城・宇都宮に小田の槍の恐ろしさを思い知らせてやれ」
「御意」
親父は力強く頭を下げた。
続いて政治様は俺へ視線を向ける。
「政貞」
「はっ」
「東軍総大将を命ずる。佐竹義篤を押し留めよ」
「政治様達が合流するその時まで、一歩たりとも府中へ近づけてはならぬぞ」
政治様と重臣達のその言葉は重かった。
俺は深く頭を下げる。
「必ずや、お役目を果たしてみせます」
政治様は満足そうに頷く。
「真壁殿」
「はっ」
「政貞の補佐を頼む」
「無論」
真壁殿は静かに頷いた。
「江戸殿」
「お任せくだされ。恋瀬川の守りは我ら江戸勢が受け持ちます」
「頼もしい」
政治様は笑みを浮かべる。
次々と役目が決まっていく。
誰一人、不満を漏らす者はいない。
皆、自らの役目を理解していた。
やがて政治様は腰の太刀へ手を置いた。
「此度の戦は、小田家始まって以来の大戦となろう。勝てば常陸の覇権は我らへ近づく。負ければ、小田の名はここで潰えるやもしれぬ」
評定の間の空気がさらに張り詰める。
「じゃが」
政治様は静かに笑った。
「ワシは勝つ。ここに皆がおる。そして何より、この一年で築き上げた小田という国がおる」
その声は決して大きくはない。
だが、不思議と全員の胸へ響いた。
「故に恐れることはない。皆、力を尽くせ。小田の未来は、この一戦にある!」
「「「応ッ!!」」」
評定の間が震えるほどの声が響いた。
俺も拳を握り締めた。
佐竹義篤。
常陸最強の戦国大名。
この男を越えなければ、小田に未来はない。
そして俺には、未来を知る者として、この家を滅亡の運命から救う責務がある。
……いよいよか。
長い一年だった。
兵を集め、忍びを育て、田畑を整え、港を手に入れ、常陸南部をまとめ上げた。
全ては、この決戦へ繋げるため。
俺は必ず、この戦に勝利して小田家の運命を変えてみせる。
俺はそう改めて、固く決意した。
こうして、小田家の命運を賭けた佐竹との決戦は、静かにその幕を開けようとしていた。
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