49話 1542年 府中評定その2
さて、次は現在の農作物の収穫量についてだ。
米はまだ収穫時期じゃないが、野菜と菜種、大豆は収穫が終わっているだろう。
「常陸介、野菜と菜種、大豆の収穫量はどうなっている?」
常陸介は帳面を開いた。
「ははっ! まず野菜類でございます」
広間が静まる。
「昨年比で三割ほど増えております」
「ほう」
俺は頷いた。
まあこれについては予想通りだ。
単純に一年前より田畑も増えてるし、領地も増えてるからな。
「主な理由は新農具でございます」
「備中鍬による開墾、すこっぷによる畑整備、運び車による市場への搬送効率向上、特に府中周辺では耕作地そのものが増えております」
去年まで大掾家だった頃は、作れる畑があっても手が足りず、運べない上に売れない、そんな理由で放置されていた土地も少なくなかったらしい。
だが今は違う、整備を行ったことによってそれらの土地も活用できるようになったのである。
「次に菜種でございます」
常陸介の声に皆が耳を傾ける。
「こちらは昨年と比べること自体が難しゅうございます」
広間の者達は頷いた。
「昨年まで大掾領では菜種栽培はほぼ行われておりませんでしたからな」
俺は頷いた。
そう、府中で菜種の本格的な栽培を行い始めたのは俺達が府中を治め始めてからだ。
菜種油の価値を知っているからこそ始めた政策だ。
「現在の作付面積は想定以上に増えております。農民達も利益になることを理解し始めました。来年はもっと増えるでしょうな」
「収穫量はどうですか?」
勘助殿が尋ねる。
「予想を二割ほど上回っております。既に来年は更に作付面積を増やしたいという声も出ております」
良い傾向だ。
米だけでは国は豊かにならない。
商品作物が必要だ。
「大豆はどうなっている?」
「二割増しでございます。味噌や醤油の需要増加を見込み、作付けを増やす農民が増えております」
なるほど、いい傾向だ。
味噌も醤油も大豆がなければ始まらない。
こちらも重要な変化だった。
「続いて味噌と醤油でございます」
勘助殿が身を乗り出す。
「味噌は順調です。昨年仕込んだ物が市場へ出回り始めました。城下だけでなく周辺領でも売れております。兵糧としても優秀でございますな」
常陸介は続けた。
「醤油はまだ量こそ少ないものの、一度購入した商人達から追加注文が相次いでおります」
その報告に、何人かの家臣が理解を示すように頷いた。
まあ当然だ。
俺も醤油を知っている人間だから分かる。
あれは一度知れば手放せない。
これからもっと生産量が増えれば、更なる収益増加が見込めるだろう。
「紙はどうだ」
俺が尋ねる。
「昨年比で二倍以上です」
即答だった。
検地の帳簿に商人の取引記録、寺社、役所、あらゆる場所、用途で紙は求められる。
売るにしても使うにしても、いくらあっても困らない代物だ。
「既に府中だけではなく、小田領内全体で生産を始めております」
良い。
行政能力そのものが上がる上、収入源にもなる。
この時代においても、紙はいくらあっても困らないからな。
「次は港でございます」
広間の空気が変わる。
「鹿島港を加えて、早くも港全体の水産物収穫量は昨年比で三倍近くとなっております」
広間がどよめいた。
まあ当然だ。
去年の港は府中のみであったが、現在ではそれに加えて土浦に島崎、鹿島も増えているからな。
「鹿島の主力は鰯でございます。他にも鯖、鯵、鮃、鱸などが大量に水揚げされております」
なるほど、早速港を押さえた恩恵が出始めているわけだ。
「鰯肥料の方はどうだ」
俺が尋ねると、常陸介は頷き答えた。
「現在、肥料用の鰯を大量に備蓄しております。干し場も増設いたしました」
広間の視線が集まる。
魚を肥料に使う、という発想が物珍しいのだろう。
「今年はまだ本格使用前でございます。今年の米の収穫後より、使用していく予定です」
つまり、その成果が現れるのは来年か。
「どれほど効果があると思われますか?」
勘助殿が尋ねる。
俺は静かに答えた。
「上手くいけば来年の収穫は更に二割、場所によっては三割増える」
俺の言葉に、広間がどよめいた。
「今年の成果は農具と検地、来年はそこへ魚肥が加わる」
俺はそう締めくくった。
「続いて人口についてでございます」
常陸介は帳面をめくる。
「府中・土浦・鹿島・小田城下を合わせまして人口はおよそ2割増加しております」
去年は戦乱直後だったことを考えれば十分過ぎる数字だ。
「商人はどうだ」
「約七割増しですな」
広間がざわつく。
「鹿島港の影響が大きゅうございます。府中の市も以前とは比較になりませぬな」
「職人は?」
「大工が五割増、鍛冶が三割増、紙漉き職人は倍近く増えております」
更に、常陸介は続ける。
「医者も六名増えております」
氏治様が目を丸くした。
「医者まで増えるものなのか」
「戦が少なく、商いが盛んな土地には人が集まるのでございます」
勘助殿が説明した。
まさにその通りだ。
医者を増やすことは氏治様と話し合った小田家の目的の一つであったため、良いことだ。
「街道整備はどうだ」
「府中から土浦はほぼ完了、府中から鹿島は三割、府中から小田城は八割進行しています」
よしよし、かなり順調だ。
「橋も増えております」
戦にも商いにも効く、地味だが重要な事業だ。
そして最後、常陸介は最も厚い帳面を開いた。
「総収益でございます」
広間が静まる。
この一年の成果、全てを合算した結果。
「昨年比で3倍の増収でございます」
広間がどよめいた。
「さ、さんばい……」
氏治様が呆然と呟く。
広間の空気が一変した。
先ほどまでのどよめきとは違う。
皆、本気で驚いている。
「三倍……」
氏治様はまだ信じられないといった顔をしていた。
「本当に三倍なのか」
「はっ」
常陸介は力強く頷く。
「帳簿は全て確認済みにございます」
俺も正直なところ少し驚いていた。
増えるとは思っていたが、だがここまでとはな。
しかし、その増えた要因を考えればおかしな話ではないかもしれない。
府中を得た上、島崎を支配下に置き、鹿島を得た。
それにより所有する港の数は土浦だけだった時と比べると、ずいぶん増えた。
更に検地をした上、商業税を整え、紙や味噌を売った。
単純に去年とは比較対象が違う。
だが、それを差し引いても大きいと言えるな。
「去年までは戦乱の整理に追われておりました」
常陸介が説明する。
「しかし今年は違います。田畑は広がり、市は賑わい、港には船が集まり、商人も職人も増えました。その結果がこの数字でございます」
氏治様はしばらく黙っていた。
そして。
「……凄いのう」
ただぽつりと、そう呟いた。
その言葉に広間の者達も頷く。
皆が氏治様と同じことを考えていた。
そう、知らぬ間に去年と比べ物にならぬほど府中は栄えていたのである。
「政貞」
氏治様が俺を見る。
「一年でここまできたのだな」
俺は静かに頷いた。
「ですが、まだ途中です」
広間が静まる。
「途中?」
氏治様が首を傾げる。
「はい」
俺は答えた。
「魚肥はまだ使っておりませんし、揚水水車も完成しておりません。製材水車もこれからです。街道も未完成ですし、まだまだ収益も生産性も上げる方法は沢山ありますよ」
指折り数える。
「つまり、まだ伸びる余地があるじゃな!」
家臣達が息を呑んだ。
常陸介が苦笑する。
「普通なら三倍で十分なのですがな」
「いや、十分じゃないさ」
俺は即答した。
「なんたって、北にはまだ佐竹がいるからな」
その言葉に広間の空気が変わる。
皆の顔から笑みが消えた。
そうだ、ここから先が本番なのだ。
佐竹義篤。
常陸最大の大名。
そして間違いなく当代屈指の名将。
今の小田が相手にしなければならない敵だった。
「勘助」
「はっ」
「この数字を見てどう思う」
勘助殿は少し考えた。
「率直に申せば、既に常陸南部は佐竹に匹敵し始めております」
広間がざわつく。
「ほ、本当か」
氏治様が驚く。
「はい」
勘助殿は頷いた。
「少なくとも経済力では急速に差が縮まっております。しかしだからこそ、義篤殿は動くでしょう」
広間が静まり返る。
誰もが理解していた。
佐竹は馬鹿ではない。
小田が急成長していることなど、とっくに気付いている。
だからこそ、農具を買い水車を調べようとしているのだ。
向こうもまた準備しているのである。
「恐らくあと一、二年後……その頃には佐竹と小田のどちらかが常陸の覇者となる戦が起きるでしょう」
重い沈黙。
誰も言葉を発さない。
だが、恐れている者はいなかった。
ここにいる者達は皆知っている。
去年の今頃、小田家はここまで強くなかった。
それが今は違う。
金があり、兵があり、民がいる。
そして、港があり技術がある。
「そして、政貞殿がおる」
誰かがそう呟いた。
広間から笑いが起きる。
俺は苦笑した。
「俺一人ではどうにもならん。皆がいてこそだ」
そう言うと、氏治様が大きく頷いた。
「うむ、その通りじゃ!」
そして立ち上がる。
「皆の者!」
全員が顔を上げた。
「今の話を聞いたな! 我らは強くなった! だがまだ終わりではない!」
氏治様は拳を握る。
「佐竹に勝ってこそ! 初めて常陸の覇者となるのだ!」
「「おおっ!!」」
広間に大きな声が響く。
氏治様立派なことを言って……成長したなぁ、政貞さん泣きそうだよ。
今の言葉、政治様にも聞いてもらいたかったなぁ。
俺は感動しつつも、更に話を続ける。
「さて、次が今日の本題と言えるかもしれないな」
皆の視線が俺に集まったところで、俺は続ける。
「これから一年、佐竹との競争において行うべき政策をここで決める」
そう、ここからまた1年、新たな争いが始まるのだ。
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