46話 鹿島掌握その3
大野の戦から、十日が過ぎた。
鹿島南部の空気は目に見えて変わり始めていた。
大野家が小田と手を結び、鹿島家の軍を打ち破った。
その報せは海沿いの村から塩田のある浜へ———そして鹿島南部の国人衆へ、瞬く間に広がっていった。
「また一つ」
府中城の一室で、俺は新たに届いた書状を読んだ。
「小田へ従う、と」
机の上には既に何通もの書状が積まれている。
鹿島南部の地侍、湊を持つ国人、塩田を治める小領主。
皆、大野家の勝利を見て、次々と小田へ使者を送ってきていた。
「大野家が本領を失わずに済んだ。それどころか、小田の援軍で鹿島家に勝った」
勘助殿が満足そうに頷く。
「国人衆からすれば、これ以上に分かりやすいものはありませんな」
「鹿島へ付けばいつ大野家のように潰されるか分から。佐竹へ付けば遠い北の戦へ連れ出される。それならばいっそ」
勘助殿は、地図の鹿島南部を指差した。
「家名と領地を残し商いも広げてくれる小田を選ぶ……当然の流れにございます」
俺は書状の束を見つめた。
「皆が小田を信じてくれたわけじゃない鹿島家に勝てると、大野家が証明してくれたからだ」
「その通りですな」
勘助殿は静かに笑った。
「故に、これからが大事です。約定を違えず、大野家にも新たに従う国人衆にも、小田へ付いて良かったと思わせねばなりませぬ」
「ああ、そうだな」
俺は頷く。
小田へ従った者達から土地を奪わない。
家名を潰さず、民から無理な年貢を取らない。
その代わり共に兵を出し、共に鹿島の海と土地を守る。
それが俺達の作ろうとしている小田の形だった。
その時廊下から、慌ただしい足音が近付いてきた。
「殿!」
入って来たのは風魔の忍びだった。
「鹿島家より使者が参っております!」
「鹿島家が?」
「はい。当主自ら、菅谷政貞様と会いたいと申しております」
俺と勘助殿は顔を見合わせた。
鹿島家が、ついに動いた。
大野家の城。
その広間に鹿島家当主は座っていた。
以前までこの地を従わせようとしていた者が、今は僅かな供回りだけを連れ、俺達の前へ頭を下げている。
「菅谷政貞殿」
鹿島殿の声は疲れ切っていた。
「……此度の戦、我らの敗北である」
広間に重い沈黙が落ちる。
「大野に敗れ、南の国人衆は次々と小田へ付いた。これ以上鹿島家が争いを続ければ、鹿島の民が苦しむだけとなろう」
鹿島殿はゆっくりと頭を下げた。
「鹿島家は、小田へ降る」
大野家の者達が息を呑む。
長く争ってきた相手。
自分達を追い詰め、領地を奪おうとした相手。
その鹿島家が今、降伏を申し出ている。
「ただ」
鹿島殿は頭を下げたまま続けた。
「鹿島の家名だけは残していただきたい。家臣達も民も、我らを頼って生きているどうかお願い致す」
俺はしばらく言葉を返さなかった。
負けそうになったから降伏し、安堵を嘆願する。
ともすれば虫のいい話であると言えるだろう。
しかし、同時に鹿島家がもう戦をするつもりがないのは事実だ。
そして俺もまた、無駄な血を流したくないという気持ちは同じである。
「鹿島殿」
「ははっ!」
「小田は、鹿島家を滅ぼすために戦ったわけではありません」
鹿島殿がゆっくりと顔を上げる。
「鹿島の家名と南部に残る領地は安堵します。家臣達も、民も、これまで通り守ってください」
「……本当ですか」
「ただし」
俺は続けた。
「これより鹿島は小田と盟を結ぶ。小田へ兵を出し、常陸を乱す者があれば共に戦う。そして鹿島の湊と塩田は我らと共有してもらう。それは約束していたきます」
鹿島殿は目を閉じた。
悔しさは当然あるだろう。
だがそれでも、やがて小さく頷いた。
「……承知した。鹿島は小田と手を結ぶことを、ここに宣言いたします」
こうして鹿島家は降伏した。
鹿島南部の国人衆も、鹿島家も、小田の旗の下で手を結ぶこととなった。
長く続いた鹿島南部の争いは、ようやく終わったのだ。
———そう、その時は、そう思っていた。
鹿島家の降伏から三日後。
府中城へ風魔の忍びが血相を変えて飛び込んできた。
「殿! 鹿島北部に佐竹の旗が上がりました!」
「何だと?」
俺は思わず立ち上がった。
「詳しく話せ」
「佐竹は鹿島南部で小田と鹿島が争っている間に、北部の国人衆へ使者を送っていたようです! 佐竹へ従えば北の守りを固め、領地を安堵すると約したとのこと」
勘助殿の顔が険しくなる。
「……北部の国人衆は鹿島家の敗北を聞いて小田へ降るよりも先に、佐竹を選んだか……」
「はい」
忍びは地図の鹿島北部を指差した。
「既に数ヶ所の城砦と北の湊には、佐竹の兵が入っております」
「佐竹は鹿島北部を押さえた、と」
部屋の空気が、一気に重くなった。
俺は地図を見つめる。
鹿島南部は小田と諸国人衆、そして鹿島家が守る。
だが北部には、佐竹の旗。
鹿島は二つに割れたのだ。
「……してやられたな」
俺は低く呟いた。
佐竹は北を固めるだけではなかった。
小田が鹿島へ手を伸ばすことを見越し、その隙に北部を奪い取ったのだ。
「殿」
勘助殿が静かに言った。
「今すぐ北部へ兵を向ければ、佐竹との全面戦になります」
「分かってる」
今の小田に佐竹と真正面から戦う準備はまだない。
鹿島南部を得て、大野家とも手を結んだ。
だが北部まで欲張れば、手に入れたばかりのものまで失いかねない。
「今は」
俺は地図の鹿島南部へ手を置く。
「南部を固める。領地を発展させ、諸勢力と交流し、港を整え、塩と魚を小田の商いへ繋げる。そして……
俺は鹿島北部の佐竹の旗を見つめる。
「いつか、必ず鹿島を統一する」
勘助殿は深く頷いた。
こうして小田家は鹿島南部を平定した。
大野家、鹿島家、そして南部の国人衆。
彼らは小田と共に新たな鹿島を作ることとなる。
だが鹿島北部には、佐竹の旗が翻っている。
常陸南部をまとめた小田。
常陸北部を押さえる佐竹。
両者の境は鹿島の地で、はっきりと形になった。
そしていつか必ず訪れる常陸を二分する戦は、もう遠い未来の話ではなかった。
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