45話 鹿島掌握その2
1542年 府中城
大野家から返書が届いた翌日、俺は府中城の広場へ立っていた。
目の前には、菅谷隊の者達。
そして、府中から選び抜かれた兵達が並んでいる。
その数、千。
決して多いとは言えないが、今の府中においてすぐに動かせる兵としては十分な数だった。
「皆、聞け!」
俺は兵達を見渡した。
「これより我らは、鹿島南部の大野家へ援軍に向かう!」
兵達の間に、僅かなざわめきが起きる。
「大野家は小田と盟を結んだ! 湊を守り、民を守り、共に鹿島の未来を作ると決めた! ならば!」
俺は声を張り上げた。
「我らはその期待を裏切らない! 屈強なる小田兵の力を持って、鹿島家を打ち破ろうぞ!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
兵達の声が、府中城へ響き渡った。
「出陣!」
こうして俺達は鹿島南部、大野家の居城へ向け、進軍を開始した。
大野家の城へ着いた時、城の外には既に、鹿島家の軍勢が見えていた。
敵は、千五百ほど。
対して、大野家の兵は三百にも満たない。
五倍の差、本来なら絶望的な戦況だ。
しかし、今回は俺達がいる。
城門の前へ進むと、大野家当主が俺達を迎えた。
「菅谷政貞殿! よくぞ……よくぞ来てくださった!」
「お待たせ致した。まだ攻撃は始まっておらぬようですな」
俺は馬から降りる。
「ええ……しかし、まさか政貞殿自らが来るとは思ってござらんかった。此度の助太刀、感謝致す」
「大野家を守ると決めた以上、某は必ず来ます。それが我らの交わした約定でございますゆえ」
大野家当主は、深く頭を下げた。
「感謝いたす……だが」
その顔には不安が残っていた。
「鹿島家は既に兵を集めております」
「こちらは城へ籠もるしか———」
「いいえ、籠りませぬ」
「……何?」
大野殿は大きく驚いた様子で、こちらを見た。
俺は気にせず続ける。
「城へ籠もれば、相手は兵の数で押してきます。そして大野の田畑も村も、湊も荒らされるでしょう。それは民達のために防がなければなりません」
俺は地図を広げた。
「ここで戦います」
指を置いたのは城の東。
塩田と入り江の間にある細い道だった。
「この道は狭い。大軍は一度に通れず、しかも脇は湿地です。兵が横へ広がろうとしても足を取られる」
大野家当主が、地図へ目を落とす。
「そこへ鹿島家を引きずり込むのですか」
「はい、それで勝てるでしょう。ただし、大野家の方々にも命を懸けてもらいます」
大野家当主は、しばらく黙っていた。
やがて、強く頷く。
「分かった。この大野家、小田の盟友として戦おう」
俺も大野殿の言葉に、強く頷いて答えた。
翌朝。
海から吹く風が、塩の匂いを運んできた。
細い道の先、鹿島家の軍勢が進んでくる。
「大野は小田へ寝返ったぞ!」
「裏切り者を討て!」
「湊を奪え!」
敵の鬨の声が遠くから響く。
俺は土手の影に身を潜めながら、皆へ目を向けた。
右手には葵。
刀を腰に差し、静かに敵を見ている。
「葵」
「うん」
「敵が道へ入ったら、右から回り込もうとする兵を止めてくれ」
「分かった! 葵ちゃんに任せなさい!」
左には、三平太が金棒を握っていた。
「三平太」
「はっ!」
「敵の先鋒を止めろ。絶対に道を抜かせるなよ」
「お任せを!」
三平太は金棒を握る手へ力を込めた。
「此度も一番槍は俺ですな、腕がなります!」
「期待しているぞ、三平太」
そして次に俺は視線を、由兵衛へと移す。
「由兵衛」
「へい」
「敵の荷駄と兵糧を狙え、逃げ道も作るな」
「承知」
由兵衛はにやりと笑う。
「腹が減れば、どんな大軍もただの烏合の衆だからな」
「霧丸」
「ここに」
「敵の大将の位置を探れ、旗持ちと伝令を優先しろ。命令が届かなくなれば、千五百でも怖くない」
「分かった」
霧丸は、音もなく木々の間へ消える。
「ちよ」
「はいっ」
小柄な少女が、俺の前へ進み出た。
「私は?」
「敵の後ろへ回れ。由兵衛と合流して荷駄に火を放つ合図を出してくれ。それと敵が退き始めたら、湿地へ誘導するんだ」
「任せてください!」
ちよは元気よく頷いた。
そしてその姿を隠すように、草むらへ潜り込んでいく。
「政貞」
葵が俺を見た。
「政貞は?」
「俺は中央にいる。この本陣からひたすら敵を狙撃させてもらうさ」
「ははっ! アンタの得意技だね! 矢を放つのに集中して斬られないようにしてよ?」
「分かってるさ」
俺達は笑顔を交わしながら、拳を合わせた。
そして俺は、大野家の兵達へ向き直る。
「大野の皆! 今日の戦は! 小田のためだけの戦じゃない! 大野の海を! 大野の湊を! 大野の家族を守る戦だ! 自分達の土地を誰にも奪わせるな!」
「「「おおおおおっ!!」」」
大野の兵達が、声を上げる。
その声は恐怖を押し退けるように、戦場へ響いた。
やがて、鹿島家の先鋒が細い道へ入った。
「今だ!」
俺は手を振り下ろす。
「放てぇ!!」
土手の上から、矢が降り注いだ。
「ぐあっ!」
「伏兵だ!」
鹿島の先鋒が混乱する。
だが敵もすぐに立て直す。
「怯むな!」
「敵は少ない!」
「押し潰せ!」
後方から、次々と兵が押し寄せる。
狭い道に鹿島の兵が詰まり始めた。
「三平太!」
「ははっ!」
三平太が、金棒を掲げる。
「どおおおおおりゃあっ!!」
そしてそれを勢いよく振り下ろすと、前方の兵がグシャリと潰れた。
「ひっ、ひいいいいいっ!!?」
「ばっ、ばけもんだっ!!!」
「おうおうまだ一人だぞ!! もっとかかってきやがれ!!」
鹿島の兵達は完全に出鼻を挫かれ、三平太一人に勢いを殺されてしまった。
だが、敵も千五百。
ここで怯んだまま、引き下がるほど甘くはない。
「何をしている!」
敵陣の奥から、怒声が飛ぶ。
「一人の大男に怖じ気づくな!」
「左右へ回れ! 湿地を越えてでも奴らの横腹を突け!」
鹿島兵の一部が細い道を避け、右手の湿地へと回り始めた。
「来たね」
葵が刀の柄へ手を掛ける。
「任せて」
その姿は次の瞬間には、土手を駆け下りていた。
「止まれぇっ!」
「女が一人だ!」
「押し通れ!」
鹿島兵達は葵へ向かって駆ける。
だが湿地へ踏み込んだ途端。
「うわっ!?」
「足が!」
「ぬ、抜けん!」
足を取られた。
泥が脛まで沈み、兵達の動きが鈍る。
「遅いよ!」
葵の刀が閃いた。
キィンッ!
敵兵の刀を弾き、返す刃で腕を浅く斬りつける。
「ぐああっ!」
さらに一歩、足を取られた兵の足元へ刀を滑らせ、膝裏を打つ。
「うおっ!」
兵が泥へ倒れ込む。
「私の前に立つには百年早かったね」
葵は湿地の前へ立ち、少数の兵と共に敵の横からの進軍を食い止めていた。
「政貞様!」
大野の兵の一人が叫ぶ。
「右は葵様が押さえております!」
「なら中央だ!」
俺は弓を引き絞る。
狭い道に詰まった敵兵達、逃げ場はない。
「放てぇ!!」
俺の号令と共に府中兵達が、一斉に矢を放つ。
次の瞬間、矢が雨のように降り注いだ。
「ぐあっ!」
「盾を上げろ!」
「後ろから押すな!」
前列は止まり、後列は事情も分からぬまま押し続ける。
狭い道の中で鹿島軍の隊列は、少しずつ乱れ始めた。
その時、霧丸が木々の間から現れた。
「政貞! 敵将は中央後方! 青い旗指物の下にいる!」
「分かった!」
俺は敵陣の奥へ目を凝らす。
そこに青い旗を背負った武将がいた。
馬上で必死に兵達へ命じている。
「中央を押せ! 大野の兵は少ない! 一気に抜ければ勝てるぞ!」
あれが敵軍を支えている大将か。
必死に立て直そうとしているようだが、場所がバレた時点でもう終わりだ。
「一郎太!」
「はっ!」
「俺の矢を見ろ!」
「次の一矢で、敵将の周りを狙え!」
「承知!」
俺は、ゆっくりと息を吐く。
風、距離、馬の揺れ、全てを見る。
「……今だ」
弦を離す。
ヒュンッ!
放たれた矢は風を裂き、敵将へ向かう。
「なっ!?」
敵将が咄嗟に身を捻る。
矢は胸を外れ、肩へ深く突き刺さった。
「ぐあああっ!!」
「大将が! 大将が射られたぞ!」
敵陣に大きな動揺が走った。
「違う! 俺は生きている!」
敵将は肩の矢を折りながら叫ぶ。
だがその声は、既に兵達の混乱へ飲み込まれていた。
「旗が揺れているぞ!」
「大将が討たれた!」
「退け!」
「いや、押せ!」
命令が統一されない。
その瞬間、遠くで火の手が上がった。
「火だ!」
「後ろが燃えている!」
「兵糧が!」
鹿島軍の後方。
荷駄が置かれていた場所から黒い煙が上がっている。
由兵衛とちよだ。
「へへっ!」
由兵衛が燃え広がる荷駄を見ながら笑う。
「兵糧ってのは燃えると、兵の心まで燃やしちまうのさ」
「由兵衛さん!」
ちよが指差す。
「こっちに敵が来てます!」
「なら予定通りだ」
由兵衛は湿地の方角へ走り出す。
「こっちだ!」
「荷駄を燃やした奴らが逃げたぞ!」
「追え!」
鹿島兵達が二人を追って走る。
そして、湿地へ足を踏み入れた。
「うわっ!」
「何だ、この泥は!」
「抜けない!」
足を取られ、次々に倒れ込む。
ちよは少し離れた場所からにやりと笑った。
「こっちの道は、通れないんだよ!」
敵の後方は火。
右は湿地、中央は三平太と槍衾。
そして、指揮を執る敵将は負傷した。
「今だ!」
俺は弓を置く。
そして刀を抜いた。
「大野の者、府中の兵、前へ出ろ! 鹿島軍をこの地から追い出すぞ!!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
三平太が金棒を掲げる。
「聞いたかぁっ!! 政貞様のご命令だ! 野郎共! 鹿島の奴らを蹴散らすぞおおおおっ!!」
三平太が前へ飛び出す。
その後ろから大野の兵達が続く。
これまで鹿島家に押され、城へ追い詰められていた者達。
だが今は自らの足で、自らの土地を守るために前へ進んでいた。
「押せ!」
「大野を守れ!」
「小田と共に戦え!」
鹿島軍は既に崩れ始めている。
後方では兵糧が燃え、中央では指揮が乱れ、左右には逃げ道がない。
「退け!」
肩を負傷した敵将が必死に叫ぶ。
「全軍、退けぇっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、鹿島軍は一斉に後方へ崩れ始めた。
「逃げるな!」
「押すな!」
「道を空けろ!」
だが狭い道に兵が詰まり、退くことすら思うようにできない。
「三平太! 深追いはするなよ!」
「ははっ!」
三平太は金棒を振り上げたまま、ぴたりと足を止める。
「聞いたか! 逃げる奴、武器を捨てた者には手を出すな!」
俺達は退く敵を追わなかった。
ここで無駄に血を流せば、鹿島の民の恨みを買う。
俺達が欲しいのは鹿島を焼け野原にすることではない。
鹿島の者達と、共に生きる未来なのだから。
やがて鹿島軍の姿が海風の向こうへ消えていった。
戦場に残ったのは勝鬨と、傷付いた者達の呻き声。
そして、大野の地を守れたという確かな実感だった。
「勝ったぞ……」
大野の兵の一人が震える声で呟く。
「勝った!」
「大野が勝ったぞおおおおっ!!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
歓声が塩田と入り江へ響き渡った。
大野家当主が俺の前へ歩いてくる。
その目には涙が浮かんでいた。
「菅谷政貞殿、大野家は救われた」
「いいえ」
俺は首を振る。
「大野家が、自分達の土地を守ったんです。俺達は、少し手を貸しただけですよ」
大野家当主はしばらく俺を見つめていた。
やがて深く、深く頭を下げた。
「これより大野家は小田家と共に生きる。改めて今、誓いましょう」
俺は大野家当主へ頷いた。
「ええ。共に鹿島の未来を作りましょう」
その後ろで葵が、泥だらけのちよの頭を撫でていた。
「よくやったね」
「えへへ、そうでしょうそうでしょう〜〜」
「でも敵を煽りすぎちゃ駄目だよ〜?」
「それ、葵様だけには言われたくないですよー!」
「確かに! あはははっ!」
由兵衛は、燃え残った荷駄を眺めながら。
「まっ、ざっとこんなもんだな」
「へい! うちらの腕も鈍ってませんね!」
と、部下達と笑い合っていた。
三平太は金棒を肩へ担ぎ、満面の笑みを浮かべた。
「政貞様! 大野の奴ら、中々やるじゃないですか!」
「ああ」
俺は頷く。
「皆、自分達の土地を守るために戦ったからな。必死に戦った分、底力を出すことができたのだろう」
大野の勝利はただ一つの戦に勝っただけではない。
小田と手を結べば、鹿島家にも勝てる。
そして家名も領地も守れる。
その事実を鹿島南部の国人衆へ、強く示す勝利となった。
だがこの報せを聞いた鹿島家が、黙っているはずはない。
そして佐竹もまた———
鹿島を巡る戦はまだ、終わってはいないのだ。




