44話 鹿島掌握その1
1542年 大野城
鹿島南部、大野家の居城では重苦しい空気が、広間を支配していた。
「……北の砦が落ちました」
家臣の報告に、大野家当主はぎゅっと拳を握り締めた。
「守っていた者達は……どうなった」
「それが……半数が討たれました。残る者も、城へ退いております……」
また一つ、領地が削られた。
大野家は近年、鹿島家と争うようになった。
海沿いの村、塩を作る浜、そして何より、海産物を運び出す湊の利を巡って。
だが今や鹿島家は周辺の国人衆を味方へ引き入れ、我が家を押し潰そうとしている。
兵の数も、銭も、土地も、何もかもが足りない。
「このままでは……くっ!」
若い家臣が、悔しそうに唇を噛んだ。
「次に攻められれば、城を守り切れませぬ!」
「……分かっておる」
当主は低く答えた。
分かっているが、だからこそ苦しい。
降れば、大野家は終わる。
鹿島家は湊を奪い、大野の名を消し、長年この地を守ってきた家臣達も、民達も散り散りになるだろう。
だが戦っても、勝ち目は薄い。
佐竹へ助けを求める手もある。
だが、佐竹は遠い。
今すぐ兵を出してくれる保証などない。
いや、仮に助けが来たとしても佐竹は大野家を守るためではなく、鹿島の湊を手に入れるために動くのではないか。
そんな疑いが、当主の胸を離れなかった。
「殿!」
その時である。
廊下から、慌ただしい声が響いた。
「何事だ」
「小田家より、使者が参っております!」
「小田……だと?」
広間がざわめく。
小田家といえば府中を押さえ、土浦を栄えさせ、大掾、島崎と手を結び今、常陸南部で最も勢いのある家。
その小田がなぜ大野家へ……。
大野家当主は不思議に思いつつも、家臣に命じた。
「通せ」
「はっ!」
やがて、一人の男が広間へ入ってきた。
武装はしていない。
だがただの使者ではないと、一目で分かった。
腰は低い。
しかし目だけは、こちらの内情を全て見透かしているようだった。
「小田家臣、菅谷政貞様の使者として参りました」
「菅谷政貞……」
その名を、大野家の者達は知っていた。
土浦を変えた若き家臣。
民を集め、港を整え、商いで銭を生み出し、小田家を大きくした男だ。
「何用だ」
当主は警戒を隠さず問う。
使者は懐から書状を取り出し、静かに差し出した。
「政貞様より、大野家へ申し出がございます」
当主は書状を受け取る。
そして、その内容を読んだ。
本領安堵。
大野家の家名存続。
鹿島家との戦に対する援軍。
さらに戦後も大野家の領地を、小田が守る。
そこまで読んだ時、当主の目が止まった。
「……湊の収益、三分の一」
広間にいる家臣達の顔が強張る。
「加えて湊は小田と大野家で、共同管理……か」
当主はゆっくりと.書状を下ろした。
「随分と、高価な助力だな」
「はい」
使者は否定しなかった。
「ですが小田が望んでいるのは、大野家の滅亡ではございません。鹿島の海を、小田と大野家で栄えさせることです」
「……綺麗事を」
年嵩の家臣が吐き捨てた。
「湊を共同で管理すれば、いずれ小田に全てを奪われるだけではないか!」
「そのように思われるのも、もっともです」
使者は静かに頭を下げた。
しかし、使者は冷静に続ける。
「ですが鹿島家に敗れれば、大野家は湊の三分の一どころか、全てを失います」
誰も言い返せなかった。
使者は続ける。
「政貞様は申しております。大野家が湊を守り、小田が商人と舟を呼ぶ。魚も塩も、大野の民が働いて得たものは、大野の民の銭になる。小田はその流れを広げる。そのための三分の一であると」
当主は、書状を見つめた。
確かに屈辱ではある。
常陸屈指の名族とはいえ、今まで何の関係もなかった他家に従属の形を取ることは。
だが今の大野家に、他の道があるのか。
佐竹を頼れば、佐竹の旗の下で戦わされる。
鹿島に降れば、家名も湊も失う。
小田へ付けば、収益の一部は失う。
だが、大野の名は残る。
家臣も民も、そして、湊も守れる。
「殿……」
若い家臣が、震える声で言った。
「我らは、生き残るために戦ってきたはずです」
当主は目を閉じた。
先祖より受け継いだ土地、海を見て育った民、共に血を流してきた家臣達。
自分の意地だけで、全てを失わせるわけにはいかない。
やがて、大野家当主は目を開いた。
「使者殿」
「はっ」
「菅谷政貞殿へ伝えよ」
広間にいる家臣達を、一人ずつ見渡す。
「大野家は、小田家と手を結ぶ」
ざわめきが走る。
だが、反対の声はなかった。
「湊の収益、三分の一と共同管理も受け入れる。その代わり」
当主の目に、強い光が宿る。
「小田には大野家と、この地で生きる民を、必ず守ってもらう」
「承知いたしました」
使者は深く頭を下げた。
「政貞様も必ずや、その約定を守られるでしょう」
こうして、大野家は小田を選んだ。
それは、滅びを避けるための選択だった。
だが同時に、鹿島の海を巡る争いを、常陸全体を巻き込む戦へ変える最初の一手でもあった。
その夜、大野家の返書を持った使者は府中へ向けて走り出した。
そして、数日後。
菅谷政貞率いる千の兵が、大野家へ姿を現すことになる———。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!




