42話 島崎、従属
1542年 府中城
「島崎から使者?」
朝の評定の最中、俺は思わず聞き返した。
知らせを持ってきたのは由兵衛だった。
「ああ。今、城下で待たせてる」
島崎。
その名前を聞き、居並ぶ家臣達もざわつく。
当然だろう。
つい一年前まで敵として戦った相手なのだから。
元大掾家の者達にとっても元同盟相手だ。
反応しない方がおかしいだろう。
「それで、降伏なのか?」
氏治様が興味深そうに尋ねる。
しかし由兵衛は首を振った。
「いや、降伏じゃねぇ」
「ほう?」
「従属の話らしい」
その瞬間、評定の空気が変わった。
俺も思わず目を見開く。
島崎が従属を申し出てきた?
予想より随分早いな。
確かに最近、島崎領から百姓が流れてきているという報告は受けていた。
港町の商人達からも
「島崎は苦しい」
「国人衆がまとまっていない」
「百姓が逃げている」
そんな話を聞いていた。
だが、まさかここまで追い詰められていたとは。
「通してくれ」
俺がそう言うと、やがて一人の武士が部屋へ案内されてきた。
四十代半ばほど。
顔には疲労の色が濃い。
だが姿勢は真っ直ぐだった。
島崎家の重臣なのだろう。
男は深々と頭を下げた。
「島崎家当主、島崎俊興様の使者として参りました」
「話を聞こう」
男は頷く。
そして
「我が主は、小田家への従属を望んでおります」
間を置くことなく男は言った。
やはりそうか。
評定の間が静まり返る。
男は更に続けた。
「無論、ただ助けを求めるだけではございませぬ」
そう言うと懐から書状を取り出した。
「条件がございます」
「条件?」
「はっ」
男はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「島崎領の港を今後、小田家と共同管理としたいとのこと」
港か……まあ当然手放しはしないよな。
俺は内心で頷いた。
島崎に残された数少ない価値、それが港だった。
「利益は折半」
男は続ける。
「その代わり管理権は小田家へお譲り致します」
家臣達がざわつく。
それは事実上、港の主導権をこちらへ渡すという意味だった。
予想以上に大きい譲歩である。
そして男は最後に言った。
「ただし」
「うむ」
「表向きは対等の同盟という形を取って頂きたいとのこと」
なるほど。
俺は俊興の狙いを理解した。
これは面目を保つためだ。
完全な臣従とすれば島崎家中が割れる。
だが形式だけでも独立を保てば納得する者もいる。
家を残すための最後の意地なのだろう。
評定が終わるまで少し時間をもらい、使者を別室へ下がらせた。
そして家臣達と話し合う。
「どう思う?」
俺が尋ねると、最初に口を開いたのは氏治様だった。
「受けるべきじゃろう!」
「理由は?」
「港はたくさん利益が出るのじゃろう? それをくれるというのだから受けてもよいではないか!」
氏治様は豪快に笑う。
全くこの人は単純なんだから……まあそうっちゃそうなんだけどさ。
「だが滅ぼした後が面倒ですな」
常陸介が呟く。
確かにな。
島崎領は広い。
直接支配するには人手が要るだろう。
無理やり治めようとすれば、反乱も起きる。
それなら従属させた方が遥かに楽だ。
今度は勘助殿が口を開く。
「拙者も賛成です」
「勘助もか」
「はい」
勘助は地図を広げた。
「島崎が味方になれば霞ヶ浦東岸は完全に我らの勢力圏となります」
指が港を示す。
「加えて港を管理できる」
「商人も集まるな」
「その通り」
勘助は頷いた。
「そして何より」
「何だ?」
「鹿島が孤立します」
その言葉に俺は目を細めた。
鹿島……次に狙う相手だ。
「島崎が従属すれば鹿島は西側から圧力を受ける」
勘助殿は続ける。
「更に島崎の港が我らのものになれば交易でも優位に立てます」
なるほど……確かに大きいな。
戦わずして、敵を減らせるのだから。
俺も頷きかけたが、その時由兵衛が不満げな表情で腕を組んだ。
「でもよ大将」
「ん?」
「向こうを信用していいのか?」
それも当然の疑問だった。
島崎は昨日まで敵だった。
簡単に信用できる相手ではない。
しかし、だ。
「俊興は賢い」
俺はそう言った。
「賢い?」
「ああ」
俺は土浦城戦を思い出していた。
俊興は無謀な武将ではない。
戦況を見極められる男だ。
その証拠に、土浦の戦でも勝敗を即座に見極め、被害を最小限に島崎は撤退していた。
「今の島崎が勝てないことを理解したんだろう」
「なるほどな」
「だからこそ話し合いに来た」
もし本当に意地だけの人間なら最後まで戦っている。
だが俊興は違った。
家を残すことを選んだ。
それは決して恥ではない。
当主として立派な判断だと思う。
俺は立ち上がった。
「決まりだな」
皆が頷く。
「島崎の申し出を受ける」
その日の午後、再び使者が評定の間へ呼ばれた。
男は緊張した様子で座る。
そして俺は言った。
「島崎家の申し出を受けよう」
男の肩が僅かに震えた。
「まことにございますか」
「ああ」
「……!」
男は深く頭を下げた。
その声は少し震えていた。
「感謝申し上げます」
「ただし」
俺は続ける。
「島崎領の百姓を苦しめることは許さん」
男が顔を上げる。
「重税は改めること」
「はっ」
「港の発展も共に行う」
「はっ!」
「そして」
俺は笑った。
「島崎が困った時は小田が助ける」
男は一瞬呆然とした。
恐らく予想していなかったのだろう。
だがやがて。
「……俊興様は正しかった」
そう呟いた。
「何?」
「殿は言っておりました」
男は静かに語る。
「菅谷政貞という男は、敵であっても見捨てぬ男だと」
俺は苦笑した。
買い被り過ぎだ。
だけどまあ、悪い気はしないな。
そして数日後、島崎家の従属が正式に決定する。
表向きは同盟、しかし実質的には小田家の傘下。
こうして霞ヶ浦東岸は完全に小田家の勢力圏となった。
そしてその知らせを聞いた鹿島の者達は。
「島崎が……小田に付いただと……?」
大きな衝撃を受けることになる。
常陸の勢力図は、また一つ大きく塗り替えられようとしていたのであった。
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