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41話 島崎俊興の決断

「はぁ……」


 島崎俊興は悩んでいた。


 ここ1年、領地の経営も国人衆との関係も、何もかもが上手くいっていないことが原因だった。


 この1年で、島崎家は誰の目から見ても分かるほど落ち目となっていた。


 その原因となったのは、今から1年前の大掾と連合を組み小田方の土浦城を攻めた土浦城戦での敗戦だ。


 あの戦は小田政治が宇都宮を攻め、土浦城主が援軍を期待できない状況を狙った絶好の機会の戦であった。


 事実、大掾島崎共に有力な猛将を失ったものの、城門まで迫るなど戦はこちらが優勢であった。


 しかし、突如として現れた菅谷政貞と真壁家久の援軍、あれのせいで逆転を許すこととなってしまった。


 宇都宮戦が僅か1日足らずで小田の勝利に終わったことは、大掾島崎両家において想定外であった。


 あれがきっかけで大掾島崎は敗北し、大掾に至っては当主まで失うこととなった。


 多くの兵を失い、大敗したことで俊興は戦どころではなくなり、家の立て直しに注力することとなった。


 しかしそれから間も無く、大掾が小田に降ったという知らせが届いた。


 俊興は最初耳を疑ったが、事実を知ると絶望した。


 島崎家の頼れる同盟者であった大掾が一夜で小田に降ったという事実は、興の心をどん底に陥れるには十分だった。


 しかし、更に不幸は続く。


 ここ一年、百姓達の数が徐々に減っているのである。


 半年前、領内から逃げ出そうとした百姓を捕まえた際にそれが小田領へと流れようとしていたのだと発覚した。


 どうやら百姓達は豊かで百姓達に働きやすい環境になったという府中に憧れ、次々と抜け出そうとしたらしい。


 しかし、今となってはそれだけが理由でないと分かる。


 この一年で島崎家は家を立て直すために百姓達に重税を敷いており、それも大きな原因となっていたのだろう。


 今思えば、何と愚かなことをしたものだと自分でも思う。


 目先の利益に囚われ、肝心な民心を失ってしまったのだ。


 そして、民心を失う横で俊興はまた失ったものがあった。


 それは、家臣や国人衆達の忠義であった。


 彼らは戦に負けた挙句、百姓の心が離れていく島崎を見捨てようと考えているようで、当主である俊興にも分かるほど露骨な離反計画を立てている。


 その中には譜代の重臣達もおり、これは島崎家にとっては由々しき事態、下手をすれば崩壊の危機であった。


 このままいけば確実に島崎は衰退の一途を辿る。


 そして必ず小田や鹿島に飲み込まれてしまうだろう。


 どうせここから立て直すことができないと分かっているなら、いっそのこと負けを認めるのも手なのではないだろうか。


 そう考えた時だった。


「殿」


 障子の向こうから声がした。


「入れ」


 俊興が答えると、一人の家臣が部屋へ入ってくる。


 重臣の一人である。


 その顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。


 それは俊興だけではない。


 今の島崎家の者達は皆、同じ顔をしている。


「何かあったか」


「はっ」


 家臣は膝をつく。


「また百姓が逃げました」


「……何人だ」


「三十余名です」


「そうか」


 もはや驚きもなかった。


 この数ヶ月で何度目だろうか。


 百姓が逃げる。


 それに伴って田畑が荒れ、年貢が減る。


 補うために税を上げれば、更に百姓が逃げる。


 悪循環だった。


「行き先は」


「やはり府中にございます」


「……そうか」


 俊興は目を閉じた。


 また小田か。


 今や府中の名は霞ヶ浦一帯に響き渡っている。


 百姓に優しく、働けば食える。


 年貢も重すぎず、しかも近頃では水車なるものまで作ったという。


 百姓達から見れば理想郷だろう。


 それに比べて島崎はどうだ。


 重税に兵の徴発、そして戦の敗北。


 逃げるなという方が無理だった。


 すると家臣は少し言いづらそうに口を開いた。


「殿」


「何だ」


「申し上げにくいことですが……」


「構わぬ」


「国人衆の中にも、小田へ使者を送っている者がいるとの噂がございます」


 俊興は苦笑した。


「噂ではないだろう」


「……」


「事実なのだろう?」


 家臣は沈黙した。


 それが答えだった。


 俊興は大きく息を吐く。


 もはや誤魔化す段階ではない。


 島崎家は確実に求心力を失っていた。


 それは、誰の目にも明らかだった。


「そして殿……中には重臣の方々の中にも小田と通じている者も……」


「……そうか」


 重臣達は古くから島崎家を支えてきてくれた譜代の者達だ。


 そんな者達が一度に離反すれば……答えは簡単だ。

 

 島崎家は一気に瓦解する。


 俊興にもそれは分かっていた。


 部屋に重苦しい沈黙が落ちる。


 しばらくして俊興はぽつりと呟いた。


「小田は強くなったな」


「……」


「まさかここまでとは思わなかった」


 土浦城戦。


 あの時の菅谷政貞の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 まだ若く、実際一騎打ちでは大掾貞幹に敗北していた。


 しかし、その半年後には自分では考えもできなかった奇策を用いて府中城を取り、いつの間にか旧大掾領を収める城主となっていた。


 小田の嫡男が城主とは聞いているものの、実質的な城主は政貞だろう。


 武勇もあり、知恵もある。


 それでいて百姓から慕われている。


 そんな武士を俊興は見たことがなかった。


「殿」


「何だ」


「一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「申せ」


「もし今、小田が攻めてきたなら……勝てますか?」


 俊興は即答できなかった。


 そしてそれが答えだった。


 勝てない、どう考えても勝てない。


 今の島崎に小田を止める力はない。


 兵力に財力、そして民心……どれを取っても負けている。


 ならば———。


「……戦う意味はあるのか」


 気付けばそんな言葉が口から漏れていた。


 家臣が驚いた顔をする。


 しかし俊興は続けた。


「意地のために戦い、家臣を失い、百姓を失い……その果てに家を滅ぼす。それで本当に当主の務めを果たしたと言えるのか……」


 そう、俊興はようやく認めたのだ。


 自分は負けたのだと。


 土浦で……いや、もっと前から。


 民心を失った時点で既に負けていたのだと。


 家臣は静かに頭を下げる。


「殿……」


 俊興は立ち上がった。


 そして窓の外を見る。


 遠く霞ヶ浦が見えた。


 あの湖の向こうには府中がある。


 今や常陸で最も勢いのある土地だ。


 しばらく景色を眺めた後、俊興は決意したように振り返った。


「使者を出す」


「殿!?」


「小田へだ」


 家臣が目を見開く。


 俊興は静かに続けた。


「降伏ではない」


「従属でございますか」


「ああ」


 家臣はしばらく考え込む。


 やがて頷いた。


「それが最善かと」


「そうだろうな」


 俊興も苦笑する。


 悔しくないと言えば嘘になる。


 だが感情だけで家は守れない。


 当主には決断が必要だ。


 それがどれほど苦くとも。


「条件は一つ」


「はっ」


「港だ」


 家臣が顔を上げる。


「島崎の港は今後も重要になる」


「はい」


「管理権は小田へ譲る」


「……」


「だが利益は折半だ」


 それならば島崎も生き残れる。


 港も発展する。


 百姓も戻ってくるかもしれない。


 そして何より、家は残る。


「もう一つ」


「何でしょう」


「表向きは対等の同盟とする」


 家臣はすぐに意図を理解した。


「島崎家の面目でございますな」


「ああ」


 完全な臣従となれば家中が割れる。


 だが形式だけでも独立を保てば納得する者も多いだろう。


 それは俊興なりの最後の意地だった。


 家臣は深く頭を下げた。


「賢明なご決断かと」


「賢明かどうかは分からぬ」


 俊興は苦笑する。


「だが少なくとも」


 そして窓の外を見ながら呟いた。


「家臣や百姓を無駄死にさせるよりはマシだ」


 その目には諦めだけではないものが宿っていた。


 敗北を認める悔しさ、それでも家を残そうとする覚悟、そして僅かな希望。


 もしかすると小田の下ならば、島崎も再び立ち上がれるかもしれない。


 そんな思いだった。


 数日後、島崎家から小田家へ一通の使者が送られる。


 それは霞ヶ浦の勢力図を大きく変えることになる、一つの決断であった。

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