40話 風魔来る その2
「風魔衆……えっ、あの風魔衆なのか?」
「ほう、どうやら知っているようだな。まさか相模から離れた武士にも名を知られているとは、風魔も有名になったものだ」
風魔、その名を聞いた俺は衝撃を受けていた。
風魔衆といえば伊賀衆と並んで現代でも有名な忍び集団であり、特に頭目の風魔小太郎は歴史好き以外でも名を知っている者がいるほど有名だ。
確かに関東の忍びといえば風魔であるが、まさかこの兄妹がそこの抜け忍だとは全く思っていなかったので驚いた。
「ま、まあな……そ、それより、お主達には仲間がいるんじゃないのか? その者達も腹を空かせているのだろう? だったら早く助けに行ったほうが……」
しかし、霧丸は俺の言葉を遮るように首を振った。
「ありがたい提案だがそれは断らせてもらう。礼の一つもできなくてすまないが、お主と俺達はともにいるべきではないだろうからな」
「え、ちょっと兄さんどういうこと!? せっかく助けてくれるって言ってるのに!」
「……お主達、追われている身なのか?」
俺が咄嗟に思い至った言葉を口にすると、霧丸は頷いた。
「そうだ、俺達は風魔の追跡部隊に追われている。奴らは必ずここまで俺達を追いかけてくるはずだ。出会せばお前達を巻き込んでしまうことになる。俺達の問題に、お主達を巻き込むわけにはいかぬのだ」
そう言って霧丸は食糧を食べ終わると、立ち上がり俺達に背を向ける。
「だからと言って2人で戻る気か。追手に襲われたとして勝算はあるのか?」
「分からぬ。だが、戻らぬわけにはいかぬ。皆は俺達の帰りを待っているのだ」
その言葉には、並々ならぬ意思が込められていた。
絶対に仲間を見捨てないという強い意思。
彼の人間性ゆえか、風魔の里で共に育った仲間意識ゆえか、はたまたそのどちらもか。
それを感じた時、俺もまた自然と言葉を発していた。
「なら、尚更俺達も一緒に行こう。そうすれば皆で生き残れる可能性が上がるかもしれん」
「聞いていなかったのか? 俺達を殺すために追っ手がすぐそこまで来ているんだ。忍びと戦うことになるのだぞ、その意味が分かっているのか?」
「死ぬかもしれないっていいたいんだろう? そんなもの、普段やっている戦も同じだ。今更恐れるつもりはない」
「それだけじゃない。風魔は北条の忍びだ。ここで風魔と戦えば北条がお主達に目をつけるかもしれぬ。それを分かっていて俺達を助けるというのか?」
霧丸の言っていることは尤もだった。
北条の忍びである風魔と争うということは、北条に弓を引くことと同義。
常陸の統一を目指す小田家にとっては北条と敵対するような行為は避けるべきだろう。
しかし———。
「ああ、それでも助ける。中途半端はごめんだからな、一度助けると決めたなら最後まで責任を持って助けるさ」
俺は迷うことなく、言った。
それに対して、霧丸はしばらく何も言わなかった。
ただ俺の目を真っ直ぐ見つめている。
まるで嘘を言っていないか確かめるように。
そして数秒後、小さく息を吐いた。
「……変わった武士だな、お主は」
「よく言われる」
「兄さん、この人すごくいい人じゃない!? やっぱり私達のこと、神様は見放してなかったんだねぇ〜!」
「お前は少し黙っていろ」
霧丸は呆れたように妹へ言うと、再び俺へ向き直る。
「本当に後悔しないのだな?」
「ああ」
「風魔はしつこいぞ」
「それでもだ」
「下手をすれば北条に睨まれる」
「その時はその時だ」
「…………」
霧丸は遂に観念したようだった。
「分かった」
そう言って深く頭を下げる。
「仲間達を助けてほしい」
「任せろ」
こうして俺達は霧丸達の仲間が潜伏しているという場所へ向かうことになった。
案内された先は霞ヶ浦から少し離れた林の奥だった。
人目につかず、なおかつ逃走経路も確保しやすい場所である。
流石は忍びというべきか。
だが。
「……血の臭いがするな」
由兵衛が眉をひそめた。
俺も気付いていた。
風に混じって鉄臭い匂いが流れてくる。
霧丸の顔色が変わった。
「まさか……!」
彼は一気に駆け出す。
俺達も慌てて後を追った。
そして林を抜けた瞬間。
そこには、惨状が広がっていた。
「ぐっ……!」
「がはっ……!」
数人の男女が倒れている。
皆黒装束を身に纏っていた。
その周囲では同じく黒装束の男達が刀を抜いて立っている。
「見つけたぞ、裏切り者共」
男の一人が冷たく言い放った。
「風魔を抜けた者に生きる価値はない」
霧丸の拳が震える。
「貴様ら……!」
「霧丸か」
追手の男は鼻で笑った。
「やっと現れたな」
どうやら本当に風魔の追跡部隊らしい。
だが俺は少し違和感を覚えていた。
こいつら、思ったより隙が見えるな。
それに加えて、霧丸達ほどの迫力がない。
霧丸が小さく呟いた。
「……下忍か」
「ん?」
「奴らは風魔本隊ではない」
霧丸は低い声で続ける。
「風魔小太郎様も、本隊の上忍達も今は氏康様の命で各地へ出払っている」
「今川や上杉との戦か」
「そうだ」
なるほど、つまり本命ではないわけだ。
それでも数は十数人。
こちらは由兵衛達を含めても同程度。
油断はできないな。
すると向こうもこちらに気付いたらしい。
「武士だと?」
追手の男が眉をひそめる。
「常陸の連中か」
「余計なことに首を突っ込むな」
そう言って刀を向けてくる。
「そいつらは北条家の裏切り者だ」
「だからなんだ」
俺が返すと男は一瞬言葉に詰まった。
「……何?」
「俺はそいつらを助ける」
「北条に喧嘩を売る気か?」
「どう取ってもらっても構わない」
俺は刀を抜く。
「ただ俺は、自分が正しいと思ったことをやり抜くだけだ」
静寂。
そして。
「殺せ!」
追手達が一斉に動いた。
だが次の瞬間だった。
霧丸の姿が消えた。
「なっ!?」
風魔の男が目を見開く。
その背後にいつの間にか霧丸が立っていた。
「遅い」
次の瞬間、鈍い音と共に男の首筋へ手刀が叩き込まれる。
男は白目を剥いて崩れ落ちた。
「なっ……!?」
「馬鹿な!」
周囲が騒然となる。
そしてもう一人。
今度はちよだった。
「えいっ!」
少女とは思えぬ速度で懐へ飛び込み、追手の足を払う。
「ぐあっ!?」
転倒した男の鳩尾へ容赦なく蹴りを叩き込んだ。
男は泡を吹いて失神する。
俺は思わず目を丸くした。
本当に強いなこの2人……!
想像以上だった。
この兄妹、本当に別格だ。
追手達が子供扱いされている。
すると由兵衛が笑う。
「ははっ! 大将!」
「ああ!」
「こりゃ負けてられねえな!」
そして戦いが始まった。
だが勝負は長引かなかった。
霧丸とちよが前線を蹂躙し、俺と由兵衛達がそれを支援する。
そして最後に残った追手の頭領格も。
「くっ……!」
逃げようとしたところを。
「ぐああっ!!」
俺が馬上から蹴り飛ばし、地面に叩きつけた。
槍を突きつける。
「終わりだ」
男は悔しそうに歯を食いしばった。
「覚えていろ……!」
「その言葉は聞き飽きた」
男達は仲間を抱えて撤退していく。
それを見過ごす俺に、霧丸は問いかける。
「生かして良かったのか?」
「生かしておけば俺はお前達を助けようとしただけで、北条と事を構えるつもりはなかったと主張できるからな。死人が増えれば話はややこしくなる」
俺がそう言うと、霧丸は僅かに目を見開いた。
「……なるほどな」
「それに下手に皆殺しにしても、余計に大事になるだけだ」
北条は今、関東でも指折りの大勢力だ。
今川や上杉と睨み合っているからといって、わざわざこちらから喧嘩を売る理由はない。
助けるべき者を助ける。
だが敵を増やす必要もない。
それが今の俺の考えだった。
「大将ー!」
その時、由兵衛が手を振った。
「こっちの連中、生きてますぜ!」
俺達は倒れていた忍び達の元へ向かう。
傷は深い者もいたが、幸い命に別状はないようだった。
しかし皆やせ細っている。
まともに食べていなかったのだろうな。
「霧丸、この者達もずっと逃げ続けていたのか?」
「ああ」
霧丸は苦い表情を浮かべた。
「風魔を抜けてから半年近くになる」
「半年ィ!?」
思わず声が出た。
半年も追われ続けていたのか。
よく生き延びられたなぁ、本当に。
流石は忍びというべきか。
「何でそこまでして追われるんだ?」
俺の問いに、霧丸は少しだけ黙る。
やがて観念したように口を開いた。
「俺達は風魔の機密を知り過ぎている」
「機密?」
「隠れ里の場所、連絡網、暗号、潜伏先……」
なるほどな。
つまりただの抜け忍ではない。
本隊にいたからこそ知ってはいけない情報を大量に知っているわけか。
北条としては放置できないだろう。
「だから消される、と」
「ああ」
霧丸は静かに頷いた。
「本来ならば俺達はとっくに死んでいるはずだった」
その横でちよがむっと頬を膨らませる。
「でも兄さんが強かったから生き残れたんだよ!」
「お前もな」
「えへへ」
どうやらこの兄妹、本当に相当な腕前らしい。
先程の戦いを見ても分かる。
特に霧丸など、俺よりも遥かに強い。
下手をすれば親父と互角かもしれない。
そして何より、彼が仲間になってくれれば心強い。
俺は内心でそう考えた。
小田家にはまだ本格的な忍び組織がない。
情報収集能力は今後必ず必要になる。
特に佐竹や鹿島、島崎との戦いを考えるなら尚更だ。
しかし、勧誘よりも先にやるべきことがある。
「まずは彼らの手当てをしないとな。飯も食わせないと」
「かたじけない」
そして彼らを連れて、俺達は近くにある村まで向かうのだった。
その後、無事に村に着き手当てを無事に終え、食べ物を与えると彼らはみるみるうちに回復し、命の危機から脱することができた。
その日は夕方頃だったこともあり、俺達は村で泊まらせてもらうことになり、そこで夜を明かした。
そしてその次の日、俺は霧丸に呼び出され村の外れに向かうと、そこには整列した忍び達と霧丸がいた。
そして霧丸は、真剣な顔で言ったのだ。
「政貞、お主に提案がある。俺達風魔を雇わぬか?」
突然の言葉に、俺は衝撃を受けた。
まさか、霧丸の方からそんなことを言ってくるとは思ってもいなかったのだ。
そうして呆気に取られていると、霧丸も気が抜けていたのかクスリと笑った。
「勘違いするな、お主達に助けられたこともあるが、それだけが理由ではない。俺はお主が信ずるに足る主だと思ったからこそ、仕えようと決めたのだ」
霧丸は更に続ける。
「お主達は見ず知らずの俺達を躊躇わずに救ってくれ、そして仲間達も北条と敵対してでも助けてくれた。だからこそ俺は、お主であればこの命を預けられると思ったのだ」
そして霧丸は俺の前に膝をつき、それに続いて忍び達が続々と膝をついていく。
「風魔は一度認めた主には生涯仕え続ける。約束しよう。この忠義、お主に捧げると!」
霧丸は力強い言葉でそう言った。
その目には、仲間を助けにいく前にも見た強い意思が込められていた。
そうか、それ程までに俺に使えるという決意は固いわけだな。
ならば、俺から言うことは一つだ。
「分かった! それではこれからよろしく頼むぞ、皆の者!」
「「おぉっ!!」」
こうして俺は風魔衆の元忍びという、新たな頼もしい仲間を得ることができたのであった。
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