32話 小太郎と政貞
あれから数ヶ月が経過した。
まず、千葉家との外交の件であるがその後も使者を通して話し合いを繰り返し、千葉家と小田家は互いに栄えるために物流を止めず、むしろ霞ヶ浦の舟運を正式な交易路として整える方向で合意が進みつつあった。
未だ同盟関係にまでは至っていないものの、互いの利益を高め合うための現在の関係は、次第に互いの距離を近づけつつあった。
このまま滞りなく関係が進んでいけば、霞ヶ浦はやがて一つにまとまる事であろう。
尤も、そのためには残りの鹿島家をどうにかしなくてはならないが。
今のところ、鹿島家は敵対的な姿勢は見せていないものの、かと言って友好的というわけでもない。
常陸の統一を目的に据える当家としてはすぐではないが、いずれ取り込む必要があるだろう。
そうする事で、霞ヶ浦は完全に一つとなるのだ。
そして、北の佐竹についてはやっとお家騒動が落ち着いたこともあってか、家中をまとめることに集中しているようで特に動く様子はない。
まあ、油断はできないがな。
はっきり言って小田家の周囲で1番強敵となるのがこの佐竹だ。
警戒しておくことに越したことはない。
……とまぁ、外交関係はこのような感じだ。
そして現在春を迎えた俺達。
年は1542年となり、俺は15歳、氏治様は12歳となった今何をしているのかというと……。
「うおおおおおッ!」
「若様ぁ!? 畑で気合い入れんでくだされ!」
百姓達の悲鳴にも似た声が響く。
だが、当の本人は気にした様子もない。
「見よ政貞! この見事な鍬さばきを!」
そう言って土を掘り返しているのは、今年で12歳となった小田家嫡男、小田氏治。
後に戦国最弱大名などという不名誉なあだ名を付けられる男である。
そして———。
「若様、土飛んでますってぇ!」
「ぬ?」
「はぶっ!?」
「あっ」
俺は顔についた土をぬぐいながら溜め息を吐いた。
うん、何かこの流れデジャヴじゃない?
まあいいか、小田領じゃいつものことだったしな。
そう、この府中においても俺と氏治様は小田領と変わらず百姓達に混じって畑仕事をしていた。
百姓達は最初、それはもう驚いていた。
城主が百姓達に混じって畑を仕事をするなど、前代未聞だったからだ。
しかし、百姓達と共に汗を流し働く氏治様の姿は民達の心を掴み、氏治様はすぐに民達の人気者となった。
検地を滞りなく完了することができたのも、こうした氏治様の人徳があってこそだと言える。
全く、本当にこの人は人の心を掴む才能は一級品だ。
この人のことだから、天然でやってるのは間違いないけどな。
「はははっ、すまぬすまぬ。少し熱が入り過ぎてしまってな!」
「左様ですか、まあいつものことなんであんまり気にしておりませぬよ」
「はははっ、そうか! 犬吉丸は心が広いのう!」
もう諦めて怒るつもりもないだけですよ、とは言わなかった。
それにしても氏治様は大名の跡継ぎだというのに実にいい笑顔で畑仕事をしている。
やはり大名よりも村のまとめ役あたりの方が向いているのではないだろうか。
まあそれはそれとして、多くの人の上に立つカリスマがあるのは事実だけどな。
いや、カリスマというより何だか放って置けないという母性本能をくすぐるのが上手いと言った方が正しいか。
どちらにしても、この人には人を惹きつける才能があるようである。
で、小田領とは違って現在の府中では畑仕事を手伝っているのは俺と氏治様だけではない。
俺は氏治様とは反対方向に視線を向ける。
するとそこには、張り切って畑仕事に勤しむ女性陣の姿があった。
「ひ、姫様方! 皆様にこんな仕事をしてもらうわけには参りません! 泥もついてしまいますだよ!」
「いいって、暇なんだし手伝わせてよ。普段ご飯作ってくれてるお礼だと思ってさ」
「しおもお手伝いするのー!」
「うふふっ、畑仕事なんて何年振りでしょうか。若い頃を思い出しますねぇ」
「あははっ、義母上様は今もとても若々しいですわ」
「まあ、葵殿はお上手ですねぇ。うふふ!」
狼狽える百姓の横で、葵達はそれはもういい顔で仕事をしている。
そして更に離れたところには、新たな田畑を作るべく仕事に勤しむ俺の家臣達、菅谷隊の姿があった。
菅谷隊はこの府中の子供達が付けた名前で、俺達が訓練をする姿が格好いいと話題になり、先月から入隊希望者が増え続けたのである。
無論、入隊希望者には厳しいテストを実施したがそれでも数は元々の100人から300人にまで膨れ上がった。
今日も訓練の一環で家臣達には畑仕事に携わらせており、武士自らが畑仕事を手伝ってくれるということで百姓達からも好評である。
そんなこんなで俺達もここに来た当初と比べると随分と民達と打ち解けたのであった。
そうして畑仕事をしていると、大掾慶幹がこちらへ来るのが見えた」
「政貞殿」
「慶幹殿、畑仕事は新鮮ですか?」
今回、畑仕事に同行したいと言ったのは何と慶幹からであった。
百姓と共に働くことで民の目線に立ちたいという彼の思いを汲み、連れてくることにしたのである。
「ええ。思いの外、普段行っていた鍛錬と同じ……いやそれ以上に疲れますな。民は毎日このような仕事をしていたのですな」
「そうですな。畑仕事は大変です、まあ自ら率先してやっている城主もいますが……」
俺は苦笑いをしながら氏治様を見つめる。
「小太郎様は不思議な方です。百姓と共に畑を耕す大名の嫡男など、今まで聞いたことも見たこともありませんでした」
「まあそうでしょうな。あの方だけだと思いますよ」
俺の言葉に、慶幹はふっと笑った。
「そうでしょうな。しかしだからこそ、民達の心を掴んで離さない。某も見習わなくてはなりませんな」
と、慶幹は氏治様を羨望の眼差しで見ているように見えた。
まあ、逆に小太郎様には慶幹を見習ってほしいところがいくつもありますがね。
そう心の中で呟きつつ、俺は畑仕事に戻り氏治様と共に農民達を手伝い続けた。
そしてそれから数時間、城に戻った俺は評定の間で常陸介と共にこの数ヶ月の成果を書面でまとめていた。
「検地については現在、領内の6割ほど完了しております。平野部、主要村落はほぼ完了しておりますが、山間部と周縁部にあまり手がつけられていない状況ですな」
「そうか、あと半年あれば終わりそうだな。農具の導入についてはどうだ?」
「5割ほど完了しております。ある程度の数は村全てに行き渡っておりますが、使い方にまだ慣れていないのか思ったほどは効率性が伸びていない印象ですな」
「そうか。だが裏を返せば慣れればこれから大きく伸びていくということだ。気長に待とう」
「はい」
さて、検地と農具についてはこれでいいだろう。
次は紙に味噌と醤油、そして油についてだな。
「紙と味噌、醤油についてはどうだ?」
「紙は生産が可能ですが、まだ品質にばらつきがございます。売り物にできるのは少数ですが、家中で使うことは可能でしょう。味噌は安定して生産が可能で売り出すことができます。醤油は試作に成功しましたが、まだ希少でございますな」
「そうか、それで菜種の栽培はどうだ?」
「順調に育っているようです。収穫時期は6月ごろでしたな」
「うむ、楽しみだ。それで港の開発段階はどうなっている?」
「港の開発段階は3割程度、まだまだ発展途上といったところですが、水産物の収穫量は大幅に増加しております。保存技術も向上しており、魚を干物にして兵糧にすることも難しくはないですな」
「左様か、分かった」
まあ書きまとめることとしてはこの辺りか。
俺は全て書き終えると一度手を止めた。
「ふぅ……常陸介、お主の目から見て今の府中はどうだ?」
「そうですな。以前とは見違えるように変わりました、民達も生き生きとし、市場や港もこれまでにない活気を見せております」
「そうか、長くこの府中を見てきたお主が言うのなら間違いはないな」
俺はホッと胸を撫で下ろしそうになるが、そこで常陸介は「ただ」と付け加えた。
「その変化をよく思わぬ者もいます」
「元大掾家の家臣達か」
常陸介は大きく頷く。
「左様。多くの者は現在の成果を見て、小田を支持する者も多く増えています。様子見をしている者達も親小田に傾きつつあります。しかし、一部の家臣達はこの変化を受け入れがたく思っているようです」
まあ当然といえば当然。
保守派の家臣達が小田家の方針をよく思わないことは予想していた。
「反乱の兆しはあるか?」
「いえ、それはありませぬな。不満や反発心がある程度でございます。しかし、何者かに焚き付けられればその燻る反抗心も、一気に燃え上がるでしょう」
つまり他家の調略に気をつけろということだな。
「他家の調略、か……」
俺は呟きながら、書き付けを指先で軽く叩いた。
北条、佐竹、あるいは千葉。
いずれも今の小田にとってはあり得る火種だ。
ただ、今この段階で最も現実味があるのは——やはり北条だろう。
あそこは黙って他国の変化を見過ごすような家じゃない。
「焚き付けるとすれば、金か、それとも土地か……あの家は両方持っているからな」
「左様、その勢力はいずれ関東管領上杉家を凌ぐかと」
やはり、常陸介もそのように考えているか。
「常陸介、上杉家と公方様は北条を抑えられると思うか?」
「三家が団結すればあるいは……しかし、それでも不安が残りますがな」
常陸介の不安は正しい。
今から四年後に起きる川越夜戦。
そこで両上杉家と古河公方は手を組み、北条と戦を行うが結局敗北し、北条家が関東の覇権を握る結果に終わった。
そう、四年後にはただでさえ強い北条が手をつけられないほど強くなるのである。
それに備えるためにも、小田家はさらに力をつけなくてはならない。
「上杉と北条、情勢がどちらに傾くとしても俺達のやることは変わらない、そうだな?」
「その通りでございます」
そうだ、敵が何であれ俺達のやることは変わらない。
家を豊かにし、家を強くする、それだけだ。
そして俺は必ず、この小田家を生き残らせてみせるのだ。




