28話 府中会議その4
評定も終盤に差し掛かっていた。
一通り今後の方針について話したことで、家臣達の表情にも少しずつ変化が現れている。
最初こそ戸惑いが多かったが、今ではそれぞれが自分なりに領地の未来を想像しているようだった。
そんな中、額賀常陸介が静かに口を開いた。
「恐れながら」
「何だ?」
「霞ヶ浦を活用するとのお話、誠に理に適っております」
常陸介は一度言葉を切る。
「ですが、その霞ヶ浦の南側には千葉家がおります」
その瞬間、評定の間の空気が僅かに変わった。
先程までの和やかな空気が引き締まる。
それも当然だろう。
千葉家は下総有数の名門であり、霞ヶ浦南岸を支配する大勢力だ。
小田家が霞ヶ浦を重視する以上、無関係ではいられない相手である。
「確かに」
慶幹も頷く。
「土浦と府中を押さえた今、小田家の勢力は霞ヶ浦北岸に大きく広がりました」
「うむ」
「ならば千葉家も警戒するのではございませぬか?」
周囲の家臣達も真剣な表情になる。
彼らが気にしているのは当然だ。
せっかく府中を手に入れた直後に、新たな戦を迎えるようなことになれば元も子もない。
俺は腕を組みながら頷いた。
「警戒はするだろうな」
否定はしない。
むしろ当然の話だ。
「土浦だけならばまだ良い。だが今の小田家は府中も持っている」
俺は床に広げられた地図へ視線を向ける。
「千葉家から見れば、小田家は霞ヶ浦北岸をほぼ掌握した勢力に見えるはずだ」
「やはり敵になりますか」
ある家臣が険しい表情で呟く。
だが俺は首を横に振った。
「いや」
その一言に皆が顔を上げた。
「少なくとも今は戦うべきではない。そしてあちらも、恐らくそう考えているはずだ」
俺の言葉を受けて、常陸介は頷く。
「千葉は西を北条、南を里見に囲まれておりまする。そのような状況で小田家も相手にするのは避けたい、ということですな」
「そうだ」
常陸介の言葉に同意する。
「皆も知っての通り、北条は関東管領である両上杉家を下し勢力を拡大し続けている。北条は関東で今最も勢いと力のある家、里見もその北条に匹敵する力を有する家だ。そんな2つの家に囲まれ、ただでさえ苦しい状況に置かれている中で小田家と戦うのは避けたいだろう」
俺の言葉に納得がいったのか、皆は頷く。
そうだ、敵は少なければ少ないほどいい。
それが敵が強大である場合は尚更だ。
「なれば、千葉と盟を結ぶべきでしょうな。そうすれば南を気にする必要がなくなり、霞ヶ浦での商いや漁も邪魔されずに済みましょう」
「その通りだ。尤も、それは千葉家次第であるがな」
三方向の敵を同時に相手するという無謀な策は取らないだろうが、万が一ということもある。
そうなればこちらとしても厄介だ。
西の結城や宇都宮は殿達に任せるとしても、北に佐竹や江戸、東に鹿島という敵がいるのは事実である。
それに加えて千葉まで加わればこちらとしても厄介だ。
はっきり言って霞ヶ浦を通して戦をするのはお互いには利益がないので、ここは盟を結びたいところである。
「では、近いうちに使者を出すとしましょう」
常陸介の言葉に、評定の間の空気が少しだけ緩む。
「うむ、そうするべきだろう」
俺も頷いた。
戦を避けられるなら、それに越したことはない。
だが———。
問題はそこではない。
「ただし」
俺がそう言うと、再び視線が集まる。
「千葉家がこちらをどう見るかは、向こう次第だ」
常陸介が眉をひそめた。
「と申されますと?」
「こちらは戦う気がない。だが、向こうがそう受け取るとは限らない」
俺は地図の霞ヶ浦を指でなぞる。
「府中と土浦、この二つの港を押さえた時点で、千葉から見れば北岸を抑えられたように見える」
「……確かに」
慶幹が小さく呟いた。
「このまま霞ヶ浦全てを掌握するために千葉も狙うのでは、そう考えてもおかしくないですな」
常陸介の言葉に俺は頷く。
「その上、霞ヶ浦の北を抑えられれば——」
俺は言葉を区切り、視線を家臣達へと向けた。
「千葉家から見て、霞ヶ浦はもはや自領の内海ではなくなる」
その一言に、評定の間が再び静まり返る。
ただ港を二つ押さえただけ——そう思っていた者達の表情が、少しずつ変わっていくのが分かった。
「つまり……我らは無自覚のうちに、千葉家の喉元に刃を突き付けているようなもの、ということですか」
慶幹が低く呟く。
「そうだ」
俺は頷いた。
「こちらに敵意がなくとも、向こうがそう感じればそれは敵対行動になる」
外交の厄介なところはここだ。
意図ではなく見え方で戦が始まる。
「では、やはり盟を結ぶしか……」
家臣の一人が言いかける。
だが俺はすぐに首を横に振った。
「盟は結べるなら結ぶべきだろう。だが、それに拘っていてはいけない」
空気がわずかに引き締まる。
「千葉は今、西に北条、南に里見を抱えている。つまり、自分の生き残りを第一に動く家だ」
「……信用しすぎることはできぬ、と」
「そうだ」
俺は指で霞ヶ浦を軽く叩いた。
「特に水運は、握った側が一気に優位になる。船を止めるだけで物流は死ぬからな」
家臣達の間に、どこか納得と警戒が混ざった空気が流れる。
その時、常陸介が静かに問うた。
「では政貞殿、我らはどう動くべきでしょうか」
いい質問だ。
こういう問いが出てくる時点で、この評定は成功している。
俺は少し間を置いてから答えた。
「まず第一に、誤解されない動きを徹底する」
「誤解、でございますか」
「ああ」
俺は地図から手を離した。
「軍船の増強や警備の強化は必要だ。だが、それを戦の準備と見られないようにする」
家臣達が顔を見合わせる。
「例えば、船は輸送と漁を主目的とし、軍船のような大規模な動きは控える」
「なるほど……」
「そして商人だ」
俺はそこでわずかに口元を緩めた。
「戦よりも商いの気配を強く見せる。千葉に小田を敵ではなく、商売を行う相手だという意識を強く植え付けさせるんだ」
常陸介が目を細める。
「それは……抑止にもなり得ますな」
「そうだ。戦う意思がない相手を、わざわざ叩く理由は薄くなる」
だがもちろん、それだけで安心はできない。
俺はさらに続けた。
「第二に、千葉への使者は対等な商売の提案として出す」
「対等……でございますか」
「ああ。そうでなければ小田家、千葉家、どちらかに不満を生む。対等であることが最も良い条件だ」
千葉家に必要なのは、敵ではないという認識だ。
そして得をする相手という印象だ。
それを植え付け、敵意を失わせさえすればこちらの勝ちだ。
沈黙が落ちる。
やがて慶幹がゆっくりと頷いた。
「理に適っておりますな……争わずとも、道は作れると」
「そういうことだ」
俺は軽く息を吐いた。
だが心の中では、もう一つ別の考えも巡っていた。
ただし、それでも戦は起きる時は起きる。
理屈や利益では止まらないものが、この時代にはある。
疑念、恐れ、面子、そして先手を打つ欲。
どれか一つでも噛み合えば、簡単に火はつく。
だからこそ———。
「最後に」
俺は再び家臣達を見渡した。
「最悪の事態も想定しておけ」
空気が少しだけ張り詰める。
「千葉が敵に回る可能性。その場合の水運封鎖、兵站の断絶、船の確保」
言葉を一つずつ落としていく。
「起きない前提で考えてはいけない。起きた時に対応できる準備をしておくんだ」
誰もすぐには返事をしなかった。
だが、その沈黙は否定ではない。
理解したが故の沈黙だ。
やがて常陸介が深く頭を下げた。
「承知いたしました」
他の家臣達も続く。
「ははっ!」
家臣達の声には、強い決意が込められていた。
俺は小さく息を吐く。
霞ヶ浦は、ただの湖じゃない。
物流の要であり、商売の要、そして同時に戦略の中心だ。
そして、その中心に立つということは。
もう地方大名の一領地では済まないってことだ。
視線の先、地図に描かれた霞ヶ浦が、やけに広く見えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!




