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22話 決着、府中城

 常陸介の構えは静かだった。


 老いてなお隙がない。


 肩の力は抜け、切っ先は微かに下がっている。


 一見すれば無防備。


 だが踏み込めば、そこから最短で斬り上げてくるだろうことが分かる。


 周囲もまた、それを感じ取っていた。


 誰一人として声を発しない。


 ただ風だけが草を揺らしていた。


 そして———。


「参る」


 先に動いたのは、常陸介だった。


 踏み込みは速くない。


 だが無駄がない。


 老臣の太刀が一直線に俺の喉を狙う。


 俺は半歩身をずらして受け流した。


 鋼が鳴る。


 その瞬間。


「ッ!?」


 思わず目を細める。


 老臣とは思えぬほど重い一撃だった。


 ただ技量だけではない。


 長年積み重ねた覚悟そのものが太刀に乗っている。


 常陸介は一撃で終わらない。


 流れるように二撃、三撃と繋げてくる。


 袈裟、逆袈裟、胴。


 どれも速くはない。


 だが正確だった。


 俺は全て捌きながら後退する。


 その様子に周囲がざわめく。


「押している……?」


「常陸介様が……!」


 城壁の上からも声が上がる。


 周囲の声が示す通り、勢いは完全に常陸介にあった。


 老いたとは思えぬ重く、正確な一撃で俺を確実に押し込んでいく。


 それに対して俺はただ、葵との打ち合いを思い返しながら常陸介の剣を受け、観察していた。


 そして、葵の言葉を思い出す。


「いい? どんな奴の剣にも癖ってもんがあるの、そういう癖ってのは攻めて調子に乗ってる時や、守りに入って余裕がなくなった時ほどよく出るものなの」


 葵は木刀を肩に担ぎながらそう言っていた。


「だから相手をよく見なさい。力じゃない、速さじゃない。どこで踏み込むのか、どこで呼吸するのか、どこで安心するのかを見るの」


 葵の言葉通り、俺は常陸介の剣をひたすら観察する。


 常陸介の剣は美しく、無駄がない。


 それ故に長年の積み重ねがよく見える。


 しかし、その中にも僅かに綻びはある。


 そして俺は確信した。


 常陸介は三撃目の後、ほんの僅かに右足へ重心を預ける。


 それは普通なら癖とすら呼べないほど小さなもの。


 だが達人同士の間では致命的な隙となる。


 俺はなおも受ける。


 受けて、受けて、受け続ける。


 周囲から見れば押されているようにしか見えないだろう。


 事実、城壁の上では歓声すら上がり始めていた。


「やれる!」


「常陸介様なら!」


「勝てるぞ!」


 大掾方の兵達の顔には希望が戻り始めていた。


 その瞬間であった。


 あの流れがくる。


 袈裟、逆袈裟、胴。


 いつもの流れ。


 そして三撃目の後———。


 右足に重心が乗る。


 俺は踏み込んだ。


「ッ!!」


 常陸介の表情が初めて変わる。

 

 俺の太刀が刀身を滑り、鍔元へ叩き込まれる。


 激しい音が響いた。


 勝った。

 

 そう思った瞬間だった。

 

 常陸介は崩れながらも刀を離さない。

 

 むしろその体勢から無理やり斬り返してきた。

 

「なっ———!」

 

 思わず息を呑む。

 

 普通なら崩れる場面。

 

 だがこの老人は最後まで諦めない。

 

 流石だ。

 

 俺は半歩引き、その刃を避ける。

 

 そして再び踏み込んだ。

 

 そして今度こそ———


「ぐッ……!!」

 

 勝負は決した。


 俺の切っ先が常陸介の喉元へと突き付けられていた。


 風が吹く。


 先ほどまで響いていた歓声は消えていた。


 誰も声を出せない。


 常陸介はしばらく俺を見つめていた。


 やがて。


 ふっと笑う。


「……見事」


 その顔はどこか晴れやかだった。


「いつから気付いておられた」


「三十合ほど前だな」


「ははっ」


 老人は苦笑する。


「私は追い込んだと思っておりましたがその実、追い込まれておったのですな。それを見抜けなかった私の負けでございます」


 常陸介は刀から手を離すと、晴れやかな表情で負けを認めた。


 いや、実のところ葵との日々の鍛錬がなければ負けていたかもしれない。


 帰ったら葵に感謝しなければならないな。


「さて、約束だ。お主の命をもらうとな」


「はい、一息に首を刎ねてくだされ」


「勘違いしているようだが、命をもらうというのはお主を殺すという意味ではない。その命を小田の繁栄のために尽くしてもらうという意味だ」


「は、は……?」


 困惑する常陸介をよそに俺は彼の首元から刀を離すと、鞘に刀を納める。


「お主が約束したのだぞ。これからは小田に忠節を尽くせ、良いな」


 その言葉に、常陸介はしばらく何も言わなかった。


 まるで理解が追いついていないようだった。


「……某は」


 やがて絞り出すように口を開く。


「敗者にございます」


「そうだな」


「敗者を生かしてどうなさるおつもりか」


「貴方が優秀だからだ」


 俺はあっさり答えた。


「それだけだ」


 周囲がざわつく。


 だが俺は続けた。


「お主は負けを認めた上で城の者達を生かそうとした。最後まで主家を見捨てなかった。民のことも考えた」


 俺は城壁へ目を向ける。


 そこには固唾を飲んでこちらを見つめる兵達の姿があった。


「そんな人間を殺してどうする」


「……」


「小田に必要なのは土地ではない」


 俺は常陸介を見る。


「人だ」


 その言葉に老人の瞳が揺れた。


「城などまた築けばよい」


「……」


「田も耕せば実る」


「……」


「だが、人は違う」


 俺は静かに言う。


「優れた者はそう何人もおらぬ」


 常陸介は何も答えない。


 だがその拳が微かに震えていた。


 恐らく、これまで何度も戦を見てきたのだろう。


 敗者がどう扱われるかも知っている。


 普通なら首だ、良くても隠居、それが当たり前の時代である。


 だからこそ理解できないのだ。


「……なぜ」


 老人は低く問う。


「なぜそこまでなさる」


「簡単な話だ」


 俺は笑った。


「お主は死ぬよりも、生きている方が人の役に立つからだ」


「某が、役に……」


「そうだ」


 俺は頷く。


「お主は優秀だ。民からも慕われている」


「……」


「これからの府中を治めるにはお主は欠かせない存在だ。だからこそ、俺はお主が欲しい」


 その瞬間。


 周囲が静まり返った。


 城壁の上の兵達すら息を呑んでいる。


「だから生きろ」


 俺は言う。


「そして、今度は小田の……いや、民のために働くのだ」


 常陸介はしばらく俯いていた。


 やがて。


「……はは」


 小さく笑った。


「これは参った」


 肩を震わせながら笑う。


「最後の最後で、こう来られますか」


 その目には薄く涙が滲んでいた。


「某は主家を守れませなんだ」


「違うな」


 俺は首を振る。


「守っただろう」


 常陸介が顔を上げる。


「お主が出てこなければ家中はもっと割れていた」


「……」


「誰かが敗北を引き受けねばならなかった」


「……」


「その役目を果たした」


 俺は真っ直ぐ老人を見る。


「ならば、十分だ」


 常陸介は何も言わない。


 ただ空を見上げた。


 しばらくそうしていたが、やがて深く息を吐く。


「……負けましたな」


「そうだな」


「完敗でございます」


 そう言うと、老人はゆっくりと地面へ膝をついた。


 そして額を地につける。


「額賀常陸介」


 その声は先ほどまでの武人の声ではなかった。


 長年主家を支え続けた老臣の声だった。


「本日より小田家に降り、微力ながら忠節を尽くすことをお誓い申し上げます」


 その瞬間、城壁の上からすすり泣く声が聞こえた。


 大掾方の兵達だった。


 誰も常陸介を笑わない、笑える者などいない。


 皆知っていた。


 この老人が最後まで戦ったことを。


 そして、自分達を生かすために負けたことを。


 その中には、城主にして大掾家当主である慶幹の姿もあった。


 俺は頷く。


「うむ」


 そして大きく声を上げた。


「聞け!!」


 その声は城門前一帯に響いた。


 百姓達も、兵達も、城壁の上の者達も一斉にこちらを見る。


「常陸介は俺が預かる!」


 俺の言葉に、皆は静まり返る。


「約束通り、開城する者の命は奪わぬ!」


 そしてすぐ、ざわめきが広がった。


「兵も、家臣も、その家族もだ!」


 俺は城を見上げる。


「降る者は生かし、働く者には土地を与えよう! 功ある者は身分問わず昇進させる!」


 人々の顔が変わる。


 恐怖が、少しずつ消えていく。


「これより府中城は小田の城となる!」


 俺は刀を高く掲げた。


「だが!」


 その場の全員が息を呑む。


「そこに住む人間まで奪うつもりはない!」


 その言葉に。


 城壁の上で一人の兵が泣き崩れた。


 それを見た別の兵も膝をつく。


 やがて一人、また一人と武器を下ろしていく。


 その光景を見ながら俺は思う。


 城を落としたのではなく、人を手に入れたのだと。


 そしてそれこそが、この戦で手に入れた最も価値ある戦果であった。

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