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19話 府中城その1

 夜明け前、薄い霧が地面を這うように広がっていた。


 まだ日も昇りきらぬ街道に、百人の列が静かに並び、進んでいく。


 その後ろには荷駄を運ぶ50人ほどの者がおり、この者達は半年の間に府中から小田領内へとやってきた者がほとんどを占めていた。


「ったく、改めて思うが城を攻めに向かうとは思えねえ数だぜ」


 三平太が小声でぼやく。


 それに対して由兵衛は苦笑しながら言った。


「三平太、オレたちゃ城を攻めにいくわけじゃねえ、お迎えしてもらうだけなんだから数はこれで十分だ。勘助も

言ってただろ?」


「そうだけどよ、今までの戦と違いすぎてどうも受け入れづらいぜ」


 まあ、三平太がいまだに困惑するのも尤もだ。


 戦といえば槍を突き合わせて戦うもの、それがこれまでの一般論だからな。


 今回俺達がやる戦、いや戦ですらないのかもしれないが、俺達のすることはただ百姓や町民達を取り込み城へと向かうだけだ。


 言葉にしてみれば、実に簡単なことだ。


 三平太はため息をつくと、遠くへ視線を向ける。


 その視線の先で、勘助殿が馬上から周囲を見渡していた。


 まるで戦場ではなく、何か別の“流れ”の始点を確認しているような目だった。


 そして街道を進むにつれ、最初の村が見えてくる。


 炊煙が上がり、鶏の声が聞こえ始める頃、俺は皆に号令をした。


「ここより民達に予定通り触れ回るぞ」


「御意」


 百人のうち数名が前へ出た。


 村の入り口で声を張る。


「これより府中城へ向かう! 我らに協力すれば、小田の民として迎え入れる!」


 それは脅しではない。


 だが、ただの誘いとも違う。


 民達に選択肢を提示する声だった。


 最初、村人たちは遠巻きに見ていた。


 警戒と困惑。


 だがその空気は、すぐに変わり始める。


 村から、若者が一人出てきた。


 代表者としてやってきたのだろうか、勇気ある若者だ。


 若者はおずおずと俺達に問いかけた。


「……本当に、小田は俺達を受け入れるのか?」


 その問いに、俺は静かに頷く。


「ああ。受け入れるというより、大掾に代わって小田家がお主達を治めるという方が正しいか。しかしそのためには、府中城を我が小田家が手にしなくてはならない。そのために協力して欲しいのだ」


「し、城を取った後に村から略奪なんてしたりしねえよな?」


「なぜそんな事をしなければならない。お主達はこの戦が終われば我が小田家の民となるのだ。自分の民にそのようなことをするはずがないだろう。むしろ、これまで以上に力を入れて野党や他の大名からお主達を守ってやろう」


 俺が力強くそう言うと、徐々に百姓の表情は和らいだ。


「わ、分かったよ。それじゃあ仲間達にも伝えてくる!」


「うむ、吉報を期待しているぞ」


 そうして若者を見送る事数分、奥から続々と農民が現れ、その中には女子供もおり、更に長老らしき老人が前に姿を現した。


「貴方が武士達の長ですな、失礼を承知でお尋ねしますが、名をお聞かせ願えないでしょうか」


「土浦城主が子、菅谷政貞である」


「な、何と! 土浦でございますか!」


 すると、老人は大きく目を見開き俺に飛びついてきた。


「うおっ!? どうしたのだ急に!」


 そして俺の耳元に顔を近づけると、ヒソヒソと聞いてきたのである。


「つ、土浦には可愛らしい沢山の女子と遊べる場所があると聞きました。それは本当でございましょうか……?」


 その問いを聞き、俺の思考は数秒止まる。


 そして再び思考を取り戻すと、俺は盛大にため息をついた。


 それに老人はビクッと肩を振るわせると、すぐさま地に頭をつけて謝罪をしてきた。


「も、申し訳ありませぬ! とんだ無礼なことをいたしました、どうかお許しを……!!」


「いや、怒っているわけではないのだ。身内のした事に呆れているというか……そんな感じだ」


 そう、この老人の言う女の子と遊べる場所だが、確かに実在する。


 というのも、それを作ったのは我が叔父である菅谷照貞だからである。


 あの女好きの叔父にキャバクラなんてものを教えたのが全ての間違いだった。


 まさか、叔父が戯れで作った店の噂がこんなところまで広がっているとは……。


 しかし、この年で女の子と遊びたいとはやっぱり男はいくつになっても変わらんな。


 まあしかし、この老人の気持ちは分かるので特段責めるつもりはない。


「お主、先ほどの話だが勿論あるぞ。小田の民となりよく働けば、お主でもそこに通う事は十分に可能だ」


「おお!! それはまことにございますか!!」


 うわぁ、食いつきがすごぉい。


 そんなに女の子とイチャイチャしたいの、そんなに飢えてるの?


 年老いてもお盛んだねぇ本当に。


 まあしかし、これほど食いついてくれたのは好都合だ。


「あの村長があれだけ食いつくものが小田家にあるのか!?」


「きっととんでもないものに違いないよ!!」


 なんか思いっきり勘違いされているが、人々はもう完全に俺達についてくる事に前向きになっている。


 思わぬことが起こったものの、これはこれで好都合だな。


「それでお主達、俺達について来てくれるか?」


「「ははっ!!」」


 こうして、最初の農村の百姓達を取り込む事に成功した。


 そして、一度取り込む事に成功すればあとは流れに任せるだけでいい。


 意気揚々と俺達と共に進軍している百姓達を見た他の農村の者達は警戒を解くようになり、あっさりと俺たちに加わる。


 百、三百、五百と。


 そして数が増えれば増えるほど百姓達は迷う事なく俺達に加わる事になり、進軍を始めてしばらく経つ頃にはその数はとうに千を超える数になっていた。


「……おいおい」


 三平太が声を失ったように呟いた。


「今何人だこれ、もう数え切れねえぞ!?」


 確かに、もはや数えることは困難になりつつあった。


 街道は人で埋まり、左右の田畑までもが流れの一部になっている。


 荷を背負う者、鍬を肩に担ぐ者、子を抱える女たちまでが、同じ方向へ歩いていた。


 それは軍ではない。


 だが、ただの行列とも違う。


 まるで村そのものが引き剥がされ、こちらへ移動しているようだった。


「……勘助」


 由兵衛が低く声をかける。


「これは、想定通りなのか?」


 勘助殿は馬上から振り返り、にやりと笑いながら答えた。


「想定の途中、というところかな」


「途中?」


「ああ」


 短く、それだけ。


 それ以上は説明しない。


 だが、その一言で十分だった。


 まだ終わっていない。むしろ、ここからが本番だとでも言うように。


 三平太が呆れながら口にする。


「こ、これ、もっと増えるんだよな?」


「ああ、増える。農村はまだまだ残っているからな」


 勘助殿は即答した。


「全てを飲み込むまで、この流れは止まらぬよ」


 その言葉に、俺は背筋が少し冷えた。


 そう、この軍勢は止まることがない。


 目的地、その府中城が落ちるまでは。


 やがて次の村が見えた。


 しかし、そこに驚きはなかった。


 すでに村人たちは道の両側に並んでいる。


 待っているのだ、こちらを。


「来たぞ……」


「本当に、小田勢だ……すげえ大軍だなぁ」


 誰かの呟きが風に混ざる。


 その村では、最初の村と同じことが繰り返された。


 いや、より早く、より自然に。


 すでに前の村から加わった者たちが、説明を始めているのだ。


「悪い話じゃねえぞ」


「むしろ今のままより楽になる」


「行けば分かる」


 それは説得というより証明だった。


 噂ではなく、目の前にある現実。


 人が増えているという事実そのものが、言葉より強い。


「もう、俺達の役目終わってねえか?」


 三平太が呟く。


 俺も、そう思いかけた。


 だがその時だった。


 勘助殿が初めて、ほんの僅かに口角を上げた。


「いえ」


 そして言う。


「まだ城の中が残っております」


 その瞬間、空気が変わった。


 外はもう十分だと言わんばかりの状況で、なお次があると言う。


 三平太が顔をしかめる。


「そうだったな、次は……」

 

「ああ」


 勘助殿は静かに頷く。


「これより先は、外ではなく内の話にございます」

 


 やがて昼頃、全ての農村を回った俺達の軍勢は二千に到達していた。


 そうして彼らを引き連れて前進していると、府中城の姿が遠くに見えた。


 これから行われるのは包囲ではない。


 ただ人の流れが、城へ向かって押し寄せている。


 城の門が、まだ閉じられているのが見えた。


 その瞬間、三平太が小さく言った。


「……あの中、今どんな顔してんだろうな」


 答える者はいない。


 ただ勘助殿だけが、静かに馬を進めた。


 まるで最後の一点に、すでに到達しているかのように。




 一方、城壁の上では見張りの兵が呆然と立ち尽くしていた。


 彼らの眼下には武士の軍勢ではない。


 千を超える数に膨れ上がった、自領の民達がいた。


 城兵達には意味が分からなかった。


 なぜ彼らが群れとなり、こちらへと迫っていた。


「なんだ……あれは」


 誰かがそう呟いた。


 その声に答えられる者は誰もいない。


 ただ、その数への恐怖だけが彼らの胸中を支配していた。

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