17話 府中城攻城軍議その1
府中に毒が撒かれてより半年。
十分に時が熟したことで、俺達は府中城を攻める手筈を整えていた。
その軍議の席で、勘助殿は家臣達が耳を疑うような兵数を提示した。
「勘助、たった百人で本当に城を落とせるのかよ?」
三平太が不安げに問いかける。
この半年で勘助殿への信頼は家中に広まっていた。
だが、数千でも落とせなかった府中城へ百人で向かうという話は別である。
流石に誰もが驚きを隠せなかった。
「可能だ」
勘助殿は迷いなく答えた。
「城へ向かう道中で我らの数は今より遥かに膨れ上がるからな」
「百人がか?」
「左様」
「城へ着く頃には大軍となっているだろう」
しかし、その場にいた者達の表情には疑念が残った。
当然だ。
百は少なすぎる。
いくら勘助殿の言葉でも説明なしに納得は出来まい。
「勘助」
俺は口を開いた。
「皆にも分かるよう説明してやってくれ」
「御意」
勘助殿は静かに頷いた。
そして床几の上へ地図を広げる。
土浦から府中へ至る街道に、その周囲に点在する村々。
半年の間に何度も見た地図であった。
「まず確認しておきたい」
勘助殿が言う。
「我らが府中へ撒いた毒とは何であったか」
三平太が答えた。
「小田は豊かだという噂だろう」
「半分正しい」
勘助殿は頷く。
「もう半分は?」
「実際に豊かにしたことです」
部屋が静まった。
勘助殿は続ける。
「噂だけでは人は動きませぬ」
「うむ」
「だが現実に農具があり、魚があり、塩があり、仕事がある」
「だから信じたと」
「左様」
勘助殿の指が街道をなぞる。
「この半年で府中周辺から小田へ移った百姓も少なくございませぬ」
「そんなにいるのか」
「思った以上にな」
勘助殿は答えた。
確かに親父も最近そう話していた。
府中から移ってきた百姓が増えている、と。
当初は密偵ではないかと疑っていたが、あまりにも人数が多い。
今では本当に移住してきた者達だと受け入れている。
「特に次男三男、土地を持たぬ者達は動きが早い」
俺は頷いた。
失うものが少ない者ほど決断は早い。
長男以外に田畑が与えられることは少ない。
ならば新天地に望みを賭ける者が現れるのも当然であった。
「そして彼らは故郷との縁を切ったわけではございませぬ」
勘助殿は続ける。
「親兄弟はまだ府中におります」
「なるほど」
「文を送り、噂を伝え、時には金も送る」
だから毒は広がった。
商人の噂だけではない。
実際に移った者達自身が証人となったのである。
「では兵が増えるというのは」
三平太が尋ねた。
勘助殿はそこで初めて笑った。
「百姓だ、百姓が我らに加わるのだ」
「百姓だと?」
部屋がざわついた。
「馬鹿な」
「百姓が我らのために戦うというのか」
「戦となれば逃げ出すだろう」
次々に声が上がる。
だが勘助殿は首を横に振った。
「違う」
「では何だ」
「戦わせる必要はない」
その瞬間、俺は気付いた。
なるほど、そういうことか。
「城を攻めるのではないな?」
「はい」
勘助殿は満足そうに頷いた。
「最初から城など攻めませぬ」
皆が目を丸くする。
「攻めない?」
「では何のために兵を出す」
三平太が聞いた。
勘助殿は府中城を指差した。
「我らが攻めるのは城ではなく、人心にございます」
静寂が落ちた。
「府中城は堅固です」
「うむ」
「数百でも数千でも正面からは落ちませぬ」
「その通りだ」
「しかし」
指が城下へ移る。
「城下はどうでしょう」
「……」
「村々はどうでしょう」
「……」
「領民達はどうでしょう」
誰も答えなかった。
答えが見え始めていたからだ。
「我らが進軍すれば」
勘助殿は言った。
「まず小田を慕う者達が集まります」
「集まる?」
「はい」
「何故だ」
「我らを歓迎するからでございます」
勘助殿は静かに続けた。
「小田へ移れば暮らしが良くなる」
「……」
「そう信じる者達にとって、我らは略奪者ではなく救い手に見えるのです」
背筋がぞくりとした。
なるほど。
半年かけて撒いた毒。
それは敵兵を殺すためではなかった。
敵の民心を削るためだったのだ。
「村々は兵糧を差し出しましょう」
勘助殿が言う。
「道案内も出ます」
「……」
「荷駄を引く者も現れましょう」
三平太が呆然と呟いた。
「そりゃあまるで……」
「味方の領内のようだ、だろう?」
勘助殿は平然と言った。
部屋の空気が変わった。
俺も思わず息を呑む。
百人で出発する。
だが進むほど協力者が増える。
荷が増え、情報が集まり、我らを取り囲む数は夥しいほどに増えていく。
そして府中へ着く頃には。
「数百、いや千を超える人間が我らを支えるでしょう」
勘助殿は言った。
「兵ではございませぬ」
「だが、我らを助ける者達だ」
「左様」
それだけで十分だった。
補給も案内も得られる。
敵地でありながら敵地ではなくなる。
「それに、敵から見れば俺達が率いる百姓達は小田に寝返った兵にしか見えないだろう。数の差はこちらが圧倒的に優位、相手の戦意を挫くには十分だな」
「その通りでございます」
「しかし、もう一押し欲しいところだな」
「勿論、揺らぐ者は城の中にもおります」
勘助殿がぽつりと言った。
「城の中?」
「半年もあれば十分です」
勘助殿の目が細くなる。
「小田へ移った親族を持つ者」
「……」
「商人と繋がる者」
「……」
「金で動く者」
俺は理解した。
勘助殿が待っていたのはこれだ。
人の心が揺らぎ、不満が育ち、噂が根を張るのを。
「つまり」
俺は言った。
「百人で出発し」
「はい」
「府中へ着く頃には千を超える協力者を得る」
「左様」
「そして城の中にもこちらに寝返ろうと考える者が現れる」
勘助殿は深く頷いた。
誰も言葉を発しなかった。
ようやく皆が理解したのである。
これは攻城戦ではない、半年も前から始まっていた戦なのだと。
勘助殿は静かに地図を畳んだ。
「慶幹殿は城を守る準備はしておりましょう」
「うむ」
「しかし」
その声には冷たい確信があった。
「人の心を守る準備はしておりませぬ」
部屋は静まり返った。
府中に忍ばせた毒は、今まさに花開こうとしていたのである。
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