13話 葵、来たる
土浦城での戦から1ヶ月が経過した。
たったの半日で終わった戦であったものの、その終盤は激戦となり菅谷勢は100人、大掾島崎側は500人の兵を失うこととなった。
菅谷側は城を守ることができたものの多くの武士と領民を失い、大掾島崎側は土地も兵も、そして大掾家は大将を失い、両者にとって得るもののない結果に終わったのだった。
土浦の地も戦によって荒れたが、この1ヶ月で何とか立て直し田畑の再整備も終わり、城の修復も終わった。
これには小田や真壁の領民や武士達が手伝ってくれたことも大いに関係している。
そうして土浦の復興が進む一方で、小田政治は戦に勝利した笠間宇都宮勢と講和を結んだ。
その内容とは笠間氏に笠間城を返還する代わりに、笠間の娘である葵と菅谷政貞を婚姻させ、小田と笠間の間に婚姻関係を結ぶことであった。
これにより、小田家は笠間家に大きく影響力を持つようになり、笠間からは勿論、笠間を麾下に置く宇都宮も迂闊に小田家を攻めることができなくなった。
更に笠間家に年貢を一部小田家に納めるように命じ、笠間家は実質的に小田家に従属する関係となったのである。
これにより小田は常陸だけでなく、下総においても力を持つようになった。
そして講和を終え、戦に2度勝ち勢いに乗った政治は手勢を率いて大掾家の居城である府中城を攻める。
しかし、大掾貞幹の跡を継いだ大掾慶幹は戦の才があり、見事な籠城戦で小田勢を撃退し、府中城を守り抜いたのだった。
そして小田政治は小田城へと撤退し、土浦の復興に注力し1ヶ月が経過し、今に至るのであった。
「はあぁッ!!」
「ふッ!!」
秋も中旬となった昼下がりにて、快晴の空のもと俺と親父は互いに槍を打ち合っていた。
親父も俺も忙しい身ではあるものの、今日は俺から頼んで稽古をつけてもらったのである。
親父の腕前はこの土浦一、稽古をつけてもらうのであればこれ以上の相手はいないであろう。
それ故に、俺は親父に稽古を頼み槍を交わらせていたのだ。
今日は数時間にわたり槍を幾度も打ち合ったが、やはり親父は強い。
10回に1回勝てればいい方で、40を超える齢となった今でもその実力は健在だ。
敵勢の中を突破し俺を救出した上、あの大掾慶幹を下した実力は伊達ではない。
しかし、だからこそ己の未熟さや改善すべき点もよく見えてくる。
強くなるための道を、見つけることができるのだ。
「よし、ここまでにしておくか」
「は……はい、父上……」
親父の声を受けて、俺は槍を止めた。
その時、親父は平然としているのに対して俺はかなり息を切らしていた。
全くどんな体力をしているんだ、俺だって家臣達と毎日鍛錬をして体力作りをしているんだぞ。
やはり、この戦国時代を長らく生き抜いてきた者の身体はペーペーの若者とは違うということか。
全く、我が父ながらとんでもない男だな。
「しかし政貞よ、最近武芸により励んでいるが、やはり慶幹殿に敗北したことを気にしているのか?」
「それは勿論、あの時は父上に助けてもらわねば死んでおりました。また同じような窮地に陥った時、同じように助けてもらうようではいけませぬ。自身で切り抜けられるよう、更に腕を磨かなくては」
そうだ、俺はあの戦いで完全に敗北した。
命を、落としかけたのだ。
その事実は俺の心に重くのしかかり、同時にこのままではいけないという思いを強くした。
本来、将である俺が他者と1対1になる機会など稀であろうが、あの時のようにまた同じ状況に置かれないとは限らない。
ならばこそ、俺は強くならなければならないのだ。
決して死なず、この菅谷家を、小田家を守るために俺は生きなくてはならない。
そのためにも、俺は更に強くならなくてはならない。
「うむ、その意気やよし。しかし、あまり気負い過ぎるでないぞ。将は本来、後方から兵を指揮する、陣頭にあっても兵と共に戦うもの、あのような事例は我が人生においても稀じゃ。将は1人で戦う者ではない、それを忘れてはならんぞ」
「ははっ!」
まあそれはそうだ、あんな状況が何度もあってたまるかという話である。
父の言う通り、将は常に兵と共にあるもの、仲間と共に戦う者だ。
だとすれば、自分1人で戦い、強くなることにばかり拘っていてはならないだろう。
しかしその一方で、鍛錬を怠っていいわけではないことも事実だ。
父の言うことも尤もだが、これからも鍛錬にはより力を入れなくてはならないだろう。
そう決心していたところ、親父は思い出したようにいった。
「そうじゃ、葵殿が来るのはもうすぐだと言う話ではなかったかのう? ついに我が息子が嫁を迎えるのか、これで菅谷家の未来はより明るくなるのう、ふふふ……!」
と、何やら1人で盛り上がっている。
まあ確かに、葵がやってくるのは確か早ければ今日中だという話であった。
土浦の復興でこのところ忙しかったので、今の今までまるで実感がなかったな、というか今もない。
確かにあの子を嫁に欲しいと思ったが、それがいざ実現するとなると、どうにも現実味が湧かない。
だがしかし、嬉しいのは事実である。
何せ初めての俺のお嫁さんだ、前世でも嫁がいたかは覚えていないが、今世においては間違いなく初めての妻だ。
あれから一度も会っていない上に、出会い方は最悪だったが、会うのは楽しみである。
「そうだ、妻といえばお主、うみとは最近会ってないじゃろう。この前も顔を見せてくれぬと寂しがっておったぞ、たまには顔を見せてやれ」
「母上ですか、確かに会っておりませぬなぁ。分かりました、今度葵と共に参るとしましょう」
「うむ、そうするが良い。おっと、そうじゃ政貞、お主に言っておくことがある」
すると突然、父上は真面目な顔になり俺へと近づいてきた。
「な、何でございますか……?」
「うむ、妻は家の外では夫を立ててくれるが、家の中では夫は妻の尻に敷かれるものじゃ。お主もゆめゆめ覚悟しておくことじゃぞ」
「は、はい……」
真面目な顔でそんなこと言われても……と思いつつ、俺は頷いた。
そんなの、親父と母上と暮らす中でとっくに理解しているんですよ。
とは口にしないが、まあ覚悟はしておこう。
あの子は確実にこちらを尻に敷いてくるタイプだからな。
「ならば、よい。お主はいつ嫁殿が来てもいいように服装を整えておけ。ワシも準備をしておこう」
「承知しました」
そう伝えると父は訓練場を去っていった。
さて、俺も着替えるとするかな。
いや、その前に水浴びでもするか、随分と汗臭いだろうしな。
俺は身支度を整えるべく、父の後に続き訓練場を後にする。
そして汗を洗い流し、服装を整えてから間も無く伝令の者が姿を現した。
「若様、葵様がご到着なされました!」
おっと、グッドタイミングだな。
「うむ、すぐに行こう。ご苦労だった」
俺はすぐに伝令の言う場所に出発すると、葵を出迎えに向かった。
城下町の入り口へ向かうと、そこには既に人だかりができていた。
そこには町人達だけでなく、由兵衛や勘助殿の姿もあった。
勘助殿と由兵衛はこちらに気づくと、駆け寄ってきた。
「おお殿! ありゃあ随分将来有望な娘を捕まえたな! 羨ましいぜ!」
「さあ殿、姫君がお待ちかねです。出迎えに参ってくだされ」
「ああ」
俺は2人の言葉を受けて人だかりの中心へ向かうと、そこには既に親父と言葉を交わしている葵の姿があった。
その髪も服装も、以前に出会った時と比べると遥かに整いきらびやかであり、その姿はより一層魅力的に見えた。
そして1番驚いたのは、葵の振る舞いだ。
「はっはっは! 常陸随一の美貌であると聞いていたが予想以上じゃ! 振る舞いもしっかりしておるし、政貞は本当に良い嫁をもてたのう!」
「そう言っていただけると光栄ですわ、義父様。私も政貞様に嫁ぐことができ、嬉しく思っております」
そう話す葵は、この前の振る舞いがまるで嘘かのように潮らしく、淑女としてふさわしい振る舞いをしていた。
何だ、これは猫を被っているのか?
そう困惑しつつも、俺は親父と葵の元へ進み出る。
「葵よ、久しいな」
「あら、政貞様! お久しゅうございます!」
俺に気づいた葵は、見惚れるほど優雅な所作で深々と一礼をする。
うん、この子本当にあの葵か?
言葉遣いも全く違うし、この前のむすっとした顔が嘘のようにニコニコとしていて可愛らしい。
嫁として菅谷家に来た以上、それに相応しい振る舞いを……ということなのだろうか。
ともかく、葵の真意を確かめるには2人きりになる必要があるだろう。
今は葵の言動や振る舞いは気にしないこととしよう。
「長旅をさせて苦労をかけたな、屋敷に案内しよう」
「お心遣い感謝致します。ですが、その前に私がこれから暮らすことになるこの土浦の地を見て回りたいのです。ご案内していただけますか?」
「おお、そういうことなら勿論! では、参ろうか」
まさか、自分から領地を見て回りたいと言ってくるとはな。
しかし、この土浦に興味を持ってくれているのは嬉しい。
俺は葵と共に、領地を紹介するべくその場を後にした。
そして俺は葵と共に各地を周り、領民の生活やこの土浦で使われている農具や漁業を見せた。
それが終わり、屋敷へと帰る道の途中葵はこう言い放った。
「アンタってさ、馬鹿なの?」
と、あの時と同じような調子で言葉を発したのである。
そしてその表情には、俺への呆れが露骨に見えている。
ははっ、誰も周りにいないからやっといつもの調子に戻ったな。
俺はそう思いつつも、葵の言葉の真意を問いただした。
「いきなり言ってくれるな。馬鹿とはどういう意味だ?」
「決まってるでしょ、嫁に来たとはいえ笠間の人間にポンポンと自分達の大事な情報教えてさ。私が本家を通して宇都宮に内通して、その情報を横流しするだろうかとか考えなかったわけ?」
なるほど、葵の言っていることは尤もだな。
確かに、葵は元々宇都宮の麾下であった笠間の人間。
いくら小田と笠間が婚姻関係を結んだとはいえ、宇都宮との関係が途切れたわけではなく、いずれ来る戦のために宇都宮に利益のある行動を取ったとしてもおかしくはない。
確かに、笠間家に対してであれば俺もこんなに無防備に色々教えたりはしなかっただろう。
しかし、だ。
「考えたが、お主がそんなことをするとは考えなかった。それだけだ」
俺がそう言うと、葵は信じられないものを見るような目を向けた。
「はぁ!? 何を根拠にそんなこと言えるわけ? 馬鹿なの、本当に馬鹿なの?」
うん、そんなに馬鹿馬鹿言わないで、ちょっとずつ傷ついてくるから。
「お主は正々堂々とした人間だ。初めて出会った時、お主は真っ向から俺に斬りかかってきただろう。背後から斬りかかれば恐らく殺せただろうにしなかった、お主がそういう人間だと分かっていたからこそ、俺はお主を信頼したのだ」
「それだけ? アンタ勘違いしてるけど、あの時はアンタだけ騙し討ちしてもどうにもならない状況だから、せめて正々堂々と討ち取ってやりたいと思っただけ。アンタと部下数人だけだったら平気でやってたよ」
「それだけではない。お主は父上や民の前では理想的な妻の姿を演じてくれたであろう。あれは俺を立ててくれただけではなく、これから共に暮らす民達を安んじるための行動であったと俺は思っている。お主はやると決めたら義理を通す人間、だから菅谷の妻となった以上はこちらが不利になる行動はしないと、俺はそう思ったのだ」
俺は葵に微笑みかけながら、そう話した。
俺の言葉を聞いた葵は数秒じっとこちらの顔を見た後、ため息をついて顔を背けた。
「別にそう思うのは勝手だけどさ、後で裏切られても恨まないでね」
「恨まぬさ。それに、宇都宮ごとき情報が漏れたところで返り討ちにしてくれるさ」
「はっ、言うじゃん。まぁ、私も宇都宮は気に入らないからさ、私の気分次第では小田に味方してあげるかもね。だからせいぜい、私に気に入られるよう頑張ってよね、政貞」
「ああ、そうするとしよう」
俺は葵の言葉に、彼女の顔をまっすぐに見据えてそう答えた。
うん? というか今、俺のことを名前で呼ばなかったか、しかも呼び捨てで。
この時代に女子に名前で、しかも呼び捨てで呼ばれるなんて相当貴重な体験だろうなぁ。
これも相手が葵であるからこそか。
これからの葵との夫婦生活、きっと大変だろうが同時に楽しみである。
俺はそんなこれからの未来に期待を膨らませながら、葵と共に屋敷へと帰還するのだった。
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