101話 春季評定その4
「そして最後に、牛堀で一番大事なものについて話そう」
俺は、町と水路が描かれた図を脇へ寄せ、新しい図を広げた。
そこには、霞ヶ浦へ開いた牛堀の船着き場と、周囲へ伸びる水路、倉庫、市場、そしてまだ空白の多い土地が記されている。
「港だ」
皆の視線が、一斉に図へ集まった。
牛堀は、ただの町ではない。
霞ヶ浦から荷が集まり、船が休み、商人が行き交う場所だ。
ここを整えられるかどうかで、牛堀が小さな城下町で終わるか、それとも多くの人が集まる大きな港町になるかが決まる。
「今も手巻きの荷揚げ機を置いている。以前より、船から米俵や木材を下ろすのはずっと楽になった」
「おう。あれは本当に楽だな」
由兵衛が、嬉しそうに頷く。
「前は、何人もで担いで降ろしていた荷が、縄を回すだけで上がっていく。最初に見た時は、正直ちょっと気味が悪かったぞ」
「褒め言葉として受け取っておくぞ」
俺が苦笑すると、広間に小さな笑いが広がった。
「だが、荷揚げ機を一つ置いただけでは足りない。これから船が増えれば、船着き場も倉も、人手も足りなくなる」
俺は図の港の周りへ、いくつか印を付けていく。
「まず、荷揚げ機を増やす。大きな荷を扱う場所には手巻き式の巻き上げ機を置き、軽い荷を運ぶ場所には小型のものを置く」
「大きな荷というと、米や木材ですか?」
勘助殿が尋ねる。
「それに塩、石、油の樽、船の帆柱。あと、投石器や大型の弩を運ぶ時にも使える」
「港だけでなく、戦にも役立つということですな」
「そうだ。でも、一番は商いのためだ」
荷を早く下ろせれば、船は長く停まらずに済む。
荷役をする者も、無理に重い物を担いで身体を壊さずに済む。
商人は余計な銭を払わず、次の商いへ進める。
そして港には、さらに多くの船が入るようになる。
「荷揚げ場には屋根も付けたい」
「屋根を?」
「雨で米や紙、麻布が濡れるのを防ぐ。荷を運ぶ者も、雨の中で慌てずに済む」
紙や布、干魚、油。
水に弱い荷はいくらでもある。
港が便利でも、雨が降るたびに荷が駄目になるようでは商人は安心できない。
「それと、夜でも船を出し入れできるように、灯りを置く」
「夜まで働かせるのか?」
由兵衛が、少し眉をひそめた。
「毎日ではない。ただ、急ぎの荷や、日暮れ前に風が変わった船を助けられるようにしたい」
夜の港は危ない。
暗い水面。
濡れた板。
見えにくい杭。
だからこそ、灯りを置き、夜番を置き、舟を繋ぐ場所を決める。
「夜に勝手に船を動かす者は、必ず舟番所へ届け出ること。港の中で火を使う場所も決める。油や薪を置く倉は、他の倉から離す」
「火事対策も、港で必要になるってわけね」
葵が、図の倉庫町を見つめながら呟いた。
「必要だ。町の火事より、港の火事の方が怖いかもしれない」
帆。
縄。
木の船。
油。
乾いた薪。
一度火が回れば、船も倉もまとめて燃える。
港が焼ければ、牛堀はただの水辺の町に戻ってしまう。
「だから倉は、一つの場所へ集めすぎない。米、塩、魚、油、麻布。種類ごとに場所を分ける」
「なるほど」
久幹が頷いた。
「一つが燃えても、全てを失わぬようにするのですな」
「ああ。それと、商人の荷を預かるための蔵も増やす」
「預かるための蔵?」
「牛堀へ来た商人が、すぐに荷を全部売り切れなくてもいいようにするんだ」
俺は、倉の印へ指を置いた。
「荷を預けた者には、何をどれだけ預かったかを書いた証文を渡す。小田の焼印を押した証文なら、府中や江戸でも通るようにする」
「それは便利ですね!」
「重い荷を抱えたまま、ずっと町を歩かなくていいじゃん」
「そう。牛堀へ荷を置き、商人は身軽になって市へ行ける。別の町へ先に行き、後から荷を売ることもできる」
商いが大きくなれば、荷を持っている者が強いのではない。
荷を安全に預けられる場所を持つ者が強い。
牛堀を、そんな港にしたかった。
「殿」
勘助殿が、少し考えながら口を開いた。
「倉と船着き場を整えれば、風を待つ船も増えましょうな」
「その通りだ」
俺は頷いた。
牛堀は、外海へ出る船が無理に急ぐ場所ではない。
風が悪ければ、船はここで待つ。
湖や潟の向こうから来た荷は、ここで海船へ積み替える。
外海から戻った船は、ここで風と波が落ち着くのを待ち、また内側の水路へ入っていく。
「牛堀は、船がただ通り過ぎる場所ではない」
俺は、皆へはっきりと告げた。
「風を待ち、潮を待ち、船を直し、荷を替え、次の旅へ備える場所にする」
「風待ち港、というですな」
「ああ」
風を待つ間、船頭は食事をする。
船を直す。
帆や綱を買う。
米や塩、水を補給する。
商人は荷を売り、次に扱う品を探す。
そのための宿。
食事処。
湯屋。
馬屋。
船大工の工房。
帆や縄、桶、釘を売る店。
それらが集まれば、風を待つ数日の間にも町へ銭が落ちる。
「最初は、船宿を数軒。それと、船を直す場所を一つ作る」
俺は続けた。
「船大工、桶屋、綱をなう者、帆を繕う者を集める。牛堀へ来れば、次の航海に必要なものが揃うようにするんだ」
「それは商人も船頭も助かるだろうな」
由兵衛が腕を組みながら言った。
「わざわざ遠くまで修理に行かなくて済むからな」
「そうだ。そして、船が集まれば市も育つ。市が育てば、職人も集まる」
人が集まる。
物が集まる。
銭が回る。
だが、それだけでは足りない。
「港の治安は、町の治安より厳しくする」
俺の言葉に、広間の空気が引き締まった。
「舟番所を置く。入ってくる船と出ていく船、積んでいる荷、船頭の名を帳面に残す」
「密かに敵の者が入ってくるかもしれぬからな」
霧丸が低く言った。
「ああ。盗賊や間者だけじゃない。荷の取り違えや、盗みを防ぐためにも必要だ」
「でも、調べすぎて商人に嫌がられない?」
葵が尋ねる。
「だから関税は重くしない。待たせすぎない。帳面も分かりやすくする」
面倒な港には、誰も来ない。
だが危ない港にも、誰も来ない。
早く、安く、安全に。
その三つを両立させなければならない。
「そして、もう一つ」
俺は、鹿島の方角へ目を向けた。
「海の漁にも手を出したい」
「海の漁?」
頼綱殿が、不思議そうに首を傾げた。
「牛堀は湖と水路の港だろ?」
「だから、鹿島の者達に力を借りる」
鹿島には、海を知る漁師達がいる。
波の読み方。
潮の流れ。
沖へ出る時期。
魚の群れが来る場所。
それは、湖や川で舟を操るだけでは分からない。
「いきなり大きな海船を何艘も作るつもりはない」
俺は先に釘を刺した。
「まずは小さな漁船を数艘。鹿島の漁師に乗ってもらい、こちらからは船大工と荷運びの者を出す」
「何を獲るつもりだ?」
「鰯、鯖、鯵。それに鰹が取れれば最高だな」
鰯は干せば長く持つ。
畑の肥料にもなる。
鯖や鯵は塩にすれば遠くへ運べる。
鰹は煮て、燻して、干せば兵糧にも高級品にもなる。
「鹿島の浜には蛤や蛸もあるって聞いたよ!」
葵が、楽しそうに言った。
「ああ。魚だけじゃない。海の幸を牛堀へ集めて、ここで加工する」
干し棚。
燻製小屋。
塩蔵。
生簀。
魚を捌く場所。
港が整えば、それらも増やせる。
「鹿島で獲る。牛堀で加工する。そして府中や江戸、さらに他国へ売る」
俺は図の港へ、もう一つ印を加えた。
「海の漁は小さく始める。けれど上手くいけば、牛堀の港は湖の魚だけでなく、海の魚も扱う町になる」
「海と湖の魚が、同じ港へ集まるのか」
霧丸が、感心したように呟いた。
「面白いな」
「面白い、じゃあないさ」
俺は笑った。
「魚が増えれば、民の食べ物も増える。干魚や塩魚が増えれば、冬や戦の時にも助かる。畑へ回す肥料も増える」
港は、ただ銭を稼ぐ場所ではない。
町の食を支え、農村を豊かにし、戦になれば兵糧を運ぶ。
牛堀を強くする、心臓のような場所だ。
「よし」
俺は、図を畳みながら言った。
「まずは港の荷揚げ場と倉庫の増設。舟番所と夜番。船宿と修理場。それから鹿島へ使者を送り、漁師達との話を進める」
「承知いたしました」
勘助殿が、力強く頷いた。
「港の普請に必要な大工、石工、鍛冶屋も集めましょう」
「俺は船大工達と話をしておく」
皆がそれぞれ動き出そうとする中。
葵が、静かに俺の隣へ来た。
「港も、町も、どんどん大きくなるね」
「ああ」
「でも、政貞はちゃんと忘れてないよね?」
「何を?」
「人が安心して帰ってこられる場所にするってこと」
俺は、少しだけ目を見開いた。
そして、牛堀の図を見つめる。
倉に市、宿に水路、水車、城。
そして、港。
どれも大事だ。
だが、一番大事なのは。
そこに住む人が、明日もここで暮らしたいと思えることだ。
「忘れてない」
俺は、はっきりと答えた。
「だからこそ、便利で、安全な港にする」
風を待つ船が集まり。
旅人が宿で休み。
商人が荷を預け。
漁師が海から帰り。
町の者達が、その魚を食べる。
牛堀は、ただ荷が集まる港ではない。
多くの人が出会い、働き、そして帰ってくる場所へ、これから少しずつ変わっていくのだ。
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