100話 春季評定その3
「ではまず、治安を良くする方法を考えよう」
俺がそう告げると、先ほどまで城造りの話で盛り上がっていた皆の表情が引き締まった。
町が栄え、人が増える。
それは間違いなく良いことだ。
だが同時に、盗人やならず者、揉め事を起こす者も増える。
今は菅谷隊や常備兵の者達が見回りをしてくれている。
けれど戦になれば、彼らは領地の外へ出ることになるだろう。
その度に町の守りが薄くなるようでは、安心して人を集めることなどできない。
「常備兵とは別に、町を守る者を置きたい」
「町を守る者?」
由兵衛が首を傾げた。
「そうだ。牛堀、府中、江戸、それぞれに見回り役を置く」
俺は指を折りながら説明する。
「昼は市や港を回る。夜は火事や盗みを警戒して町を回る。揉め事が起きた時は、まず話を聞いて収める」
「兵とは違うのか?」
「兵ほど武装させる必要はない。ただ、棒と縄、それに笛くらいは持たせる」
「笛?」
「盗みや火事を見つけた時、すぐ周りへ知らせるためだ」
火事なら、鐘や半鐘を鳴らす。
盗みや騒ぎなら、笛を吹く。
町の者達も、その音を聞けば何が起きたのか分かるようにする。
「見回り役には、元兵や元忍び、それに町の事情をよく知る者を入れようと思う」
「忍びまで入れるのかよ」
由兵衛が少し驚いた顔をした。
「忍びは敵を探るだけが仕事じゃない。怪しい者や、町で広がっている噂を早く掴める。ただし、勝手に人を捕らえることは禁じる」
俺は続けた。
「誰かを捕らえる時は、理由を書き残す。盗まれた物があるなら、その品も書き残す。後から『あいつが怪しかったから』だけで人を痛めつけるようなことはさせない」
久幹が、静かに目を細めた。
「見回り役を置きながら、その者達を縛る決まりも作るのですな」
「ああ」
力を持たせるなら、同時に勝手なことをできなくしなければならない。
治安を守るための者が、民を脅かすようになれば本末転倒だ。
「それと、町ごとに訴えを聞く日を作る」
「訴えを?」
「月に二度ほど、役人が町の者から話を聞く日だ。水路の取り合い、店同士の揉め事、借金、盗み、何でもいい」
「そんなもの、毎日言いに来られたら大変じゃないか?」
「だから日を決める」
俺は苦笑した。
「決まった日に集めて聞けばいい。小さな揉め事を放っておいて、後から大きな争いになる方が面倒だ」
勘助殿が、手元の帳面へ次々と書き込んでいく。
「町の見回り役。夜回り。火事と盗みの合図。訴えを聞く日。……これは、早めに人を選ばねばなりませぬな」
「頼む。最初は牛堀から始めよう。上手くいけば府中と江戸にも広げる」
「承知いたしました」
治安を守る仕組み。
それは、城よりも目立たない。
だが民にとっては、毎日を安心して歩けるかどうかに繋がる。
小田の地は安全だ。
夜でも荷を運べる。
市で騙されにくい。
困った時に話を聞いてくれる者がいる。
そんな評判が広がれば、商人も職人も、自然と集まってくるはずだ。
「次は、水車についてだ」
俺が言うと、頼綱殿が待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「ほほう! また水車を増やすのか? あれは力仕事だから好きだぞ!」
「増やす。ただし今までとは少し違う」
今、府中、牛堀、江戸には精米用と製粉用の水車がある。
それだけでも十分に便利だ。
だが水の力でできることは、米を搗くことだけではない。
「油を搾る。紙の原料を叩く。木を挽く。布を洗う。鍛冶場の火へ風を送る」
「そんなことまで、水車でできるのか?」
「できるように工夫する」
正確には、すぐ全部できるわけではない。
歯車や軸の作り方、力の伝え方を職人達と考えなければならない。
だが水車というものは、一度回り始めれば、人がずっと押したり踏んだりしなくても働いてくれる。
「人の手で丸一日かかる仕事を、水車なら何度も繰り返せる」
俺は、水車の図を書いた紙を皆へ見せた。
「もちろん、職人の仕事がなくなるわけじゃない。水車で荒く作り、最後は職人が仕上げる」
「なるほど、人の手を減らすのではなく、人にもっと大事な仕事をさせるのか」
「そうだ」
農民が精米や製粉に使う時間を減らせば、畑を耕す時間や家族と過ごす時間が増える。
職人が木を挽く作業に何日もかけずに済めば、船や家、荷車をもっと作れる。
油搾りが増えれば、灯りや石鹸の材料も増える。
水車一つで、いくつもの仕事が前へ進む。
「だが、水車を増やすなら川だけでは足りぬのでは?」
久幹が問いかけた。
「その通りだ」
俺は頷き、町の図を広げた。
「だから水路を増やす」
広間が、少しざわめいた。
「今ある川から、水を分ける細い水路を作る。田へ水を送るためだけじゃない。水車を回し、町へ清い水を届け、火事の時には水を汲めるようにする」
「水路を、町の中へ?」
葵が興味深そうに図を覗き込む。
「ああ。ただし、飲み水に使う水と、汚れた水を流す水路は分ける」
「なるほどねぇ。水を使う場所を最初から決めちゃうんだ」
「そういうこと」
水路は便利だ。
だが、適当に作れば水争いが起きる。
上流の村が水を取りすぎれば、下流の田が枯れる。
町へ水を引けば、洪水の時には逆に水が溢れるかもしれない。
だからこそ、作る前に決めなければならない。
「水路ごとに水番を置く」
俺は言った。
「誰がいつ水を使うか。水門を開ける時刻。掃除の日。壊れた時に誰が直すか。全て決めて帳面に残す」
「また帳面か」
由兵衛が苦笑する。
「帳面がなければ、後で必ず揉めるからな」
「確かにそうだな」
「それに、水路を作るなら、土を掘る者、大工、石工、鍛冶屋が必要になる」
俺は皆を見渡した。
「冬の間に助けを求めた者達へ、仕事を出せる。堤を作り、水路を掘り、橋を架ける。働いた者には米と銭を渡す。町が整い、民にも仕事が生まれる」
勘助殿が、感心したように呟いた。
「なるほど、よく考えておられますな」
水路を増やす。
水車を量産する。
加工する力を、人の腕だけに頼らない形へ変えていく。
それはまだ小さな一歩だ。
だが、人が力任せに働くだけの町から、水の力を借り、道具を使い、皆でより多くの物を作れる町へ牛堀が変わるための、確かな一歩になる。
「政貞」
葵が、柔らかな声で言った。
「なんだか、すごい町になりそうじゃん」
「ああ、そうしたい」
俺は、広げられた図を見つめた。
まだ何も完成していない。
これから失敗もするだろう。
金も時間も、人手も足りなくなるかもしれない。
それでも。
「牛堀を、ただ栄えているだけの町にはしない」
俺は、はっきりと告げた。
「民が働き、学び、安心して眠れる町にする。そのための仕組みを、今から作っていく」
こうして俺達は水路を広げ、水車を増やし、町を守る制度を整えるため、新たな計画へ動き出すこととなった。
それは、牛堀が近代化へ踏み出す最初の一歩となるのだった。
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