96話 冬の港整備その1
十二月半ば。
牛堀の港は、三ヶ月前とは見違えるほど姿を変えていた。
岸辺には船を繋ぐための太い杭が並び、風を弱める竹柵が港の外側を囲んでいる。
船を陸へ引き上げるための斜路に、破れた網を直すための小屋。
魚を干す棚と、煙で燻す乾燥小屋。
米、塩、干魚、木材を分けて納める蔵も、ひとまず三棟が建った。
荷揚げ場には排水溝が掘られ、ぬかるんでいた岸辺から町へ続く道も、土と砂利で固められている。
夜には竹竿へ吊るした行灯が、浅瀬と船着場の端を照らすようになった。
まだ石で固めた立派な岸壁はない。
大船を何十艘も泊められる港でもない。
だが漁船が魚を揚げ、荷船が米や塩を運び、風の強い日には船頭達が船を繋いで休める。
牛堀はようやく漁村の船着場から、商いの港へ変わり始めていた。
「……寒い」
そんな港の朝。
「ったく、何でよりによって、この寒さの中で普請なんだよ。ついてないぜ……」
「大の男が情けないなぁ。ねぇ、ちよちゃん」
「本当ですよ! 私は寒空の中でも元気満々ですよ! たぁ! とぅ!」
「ちよ、お前は逆に元気すぎ……ハクショォン!!」
「ぷははははっ!! 霧丸なんなの、そのくしゃみ!? 面白すぎるんだけど!!」
「ギャハハハハッ!! 確かに随分と愉快なくしゃみだったな!!」
「……忘れろ」
とまぁ、菅谷隊の朝は賑やかである。
それにしても霧丸のくしゃみは面白かった。
俺も遠くから見ていたが思わず吹き出してしまった。
これはしばらく忘れられないな。
「これからは背後に気をつけることだ。いつお前の恥ずかしい秘密が暴かれるか分からないぞ?」
すると突然、霧丸が俺に向けたのか、誰に言っているか分からない脅しをかけてきた。
うん、俺じゃないよな? そうだと信じたい。
いや、本当にやめてください、お願いします……。
俺は霧丸に向けて何度も頭を下げ、全力で謝る。
その時だった。
隣からこちらにも負けない騒がしい声が聞こえてきた。
「ははははっ! 冬の朝は良い! 空気が澄んでおる! 身体を動かせば腹も減る! 腹が減れば飯がうまい! いやあ絶好の仕事日和だ!」
一人で十人分騒がしいこの男は、真田頼綱。
幸綱殿に預けられ、新しく菅谷隊に入った猛将である。
しかし、後に北条の大軍相手に大立ち回りを見せる猛将も、今は一人の騒がしい男に過ぎなかった。
「結局飯を食いたいだけじゃねえか!」
頼綱殿の言葉に対して由兵衛が呆れる。
「何を言う!」
頼綱殿は胸を張った。
「働く者が腹を空かせるのは、立派なことだ!」
「ははっ、確かにそうですがな」
頼綱殿の背後から現れた久幹が口を挟む。
「頼綱殿の場合、働く前から腹を空かせておられますよ」
「……久幹殿」
「何でしょうか」
「なぜ分かった!? お主は陰陽師か何かか!?」
「……違います」
頼綱殿の暑苦しさと天然ぶりに、あの久幹も押し負けていた。
猛将対決は頼綱殿の勝ちってところだろうか。
まあ、あの熱さには誰も勝てる気はしないが。
と、こうしているといつまでも仕事が進まないな。
俺は手をぱんぱんと叩くと、皆に呼びかける。
「今日は鍛錬も兼ねて、港の冬支度をする」
「冬支度?」
頼綱殿が首を傾げる。
「ああ。竹柵を補強し、係船杭の根元を固める。排水溝に詰まった土をさらう。それから船揚げ場の丸太を並べ直す。冬の風で港が壊れたら、せっかく作ったものが台無しだからな」
「なるほど!」
頼綱殿は嬉しそうに拳を握った。
「つまり、丸太を運び、杭を打ち、土を掘るのだな!」
「その通りだ」
「よぉし! 皆、聞いたか! 今日の敵は風と泥だ!」
「敵じゃねえよ」
由兵衛が即座に突っ込む。
「でもまあ、身体を温めるには丁度いいか」
何だかんだで由兵衛もそう笑みを浮かべると、仕事に入るのだった。
それから時間は経ち———
「せーの!」
「おおおおおっ!」
菅谷隊の者達が、太い丸太を担ぎ上げる。
竹柵の根元を支えるための杭だ。
普段なら兵として槍を持つ者達も、今日は鍬と木槌を握っている。
「もっと腰を入れろ!」
頼綱殿が叫ぶ。
「丸太は逃げぬ!」
「逃げてたまるか!」
由兵衛が叫び返す。
「頼綱殿は一人で二人分持つな! 皆の鍛錬にならんだろ!」
「むっ」
頼綱殿は両肩に担いでいた丸太を見た。
「確かに、これは俺が悪かった」
「いやその方が作業早く終わるし、別にいいでしょ」
葵は少し呆れたように言う。
「何を言う! せっかくの皆の鍛錬の機会を奪ってしまったのだぞ、その罪は重い……!!」
「アンタの落ち込むツボが分かんない……」
うおぉ、あの葵を引かせている。
本当にすごい人物だな、頼綱殿は。
と、荷物を運びながら呑気に皆のことを眺めていたその時である。
「とおっ! 必殺滑り運び……ってわわっ!?」
ちよの声が聞こえて、俺は思わずその方向を振り向く。
そして———
「ぎゃっ!?」
何とちよの足からすっぽ抜けた下駄が飛んできて、俺の顔に衝突したのである。
「ああっ、殿ごめんなさい!!」
「いてぇ、痛えよぉ……」
顔面に鈍い痛みが走る。
痛いです、マジで痛い。
不意に来たもんだから余計に痛く感じる。
そうして痛みに悶えていると、おろおろとしたちよの声とは正反対の、爆笑する皆の声が聞こえてきた。
「あはははははっ!! 政貞直撃だったね!! ある意味天に愛されてるんじゃない!?」
「ふっ、バチが当たったようだな」
「おお、政貞殿! 下駄を顔面で受ける鍛錬とは斬新だな! よし、ワシにもやってくれぬか!?」
全くコイツらは……!
俺はため息を吐きつつも、こうした雰囲気に安心感を覚えていることにも気づいた。
笑い声が、冷たい港へ響く。
それはきっと、良いことであった。




