95話 湯婆作り
湯婆を作ると決めてから、牛堀の町は、今までにないほど慌ただしく動き始めた。
陶工には、湯を入れても割れにくい厚手の壺を作らせる。
木工職人には、湯が漏れぬよう口へ合う木栓を削らせる。
女達や年寄りには、古布と藁を使って壺を包む袋を編んでもらう。
そしてその作業場の中心に立っていたのが、真壁久幹だった。
「申し訳ないが、その壺はもう一度お願いできますか。底が少し薄い。湯を入れた時に割れれば、使う者を傷つけるかもしれませぬ」
「ですが真壁様、これ以上厚くすると重くなります」
「ならば、底だけを厚くしましょう。寝床で使う物です。少し重くとも構いませぬ。軽さより、割れぬことの方が大事です」
「分かりました」
陶工が頭を下げると、久幹は責めるでもなく頷いた。
「急がせてすまぬ。だが、頼みます」
その言葉を残し、今度は木工職人の方へ向かう。
木栓を壺へ押し込み、逆さにして、湯が漏れぬかを確かめる。
少しでも隙間があれば、自ら木栓を削り直していた。
「久幹」
俺が声をかけた時には、久幹は、木屑だらけの手で新しい木栓を削っていた。
「少し休んだ方がいいんじゃないか」
「まだです」
穏やかな声だった。
だが、手を止める気はないらしい。
「もう三日ほど、ろくに寝ていないだろう」
「寝る時は寝ます。今は、その時ではありませぬ」
久幹は、削りかけの木の栓を壺の口へ合わせる。
ぴたりと収まったことを確かめると、そこでようやく、こちらを見た。
「これは、私にとっても大事な仕事です」
「民のためか」
「それもあります。ですが、それだけではありませぬ」
その目には、戦場で槍を構える時と同じ、静かな熱があった。
「私はいずれ、菅谷殿を越えたい。槍でも、武でも、そして、家を治める力でも」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「やはり、俺を越えるつもりなのか」
「そのために菅谷隊へいるのです。ですが、民の暮らしも守れぬ者が、上に立つ資格などありませぬ」
そう言うと、久幹は再び湯婆へ目を落とした。
「兵なら多少の不便は耐えるでしょう。だが、病の子や年寄りは違う。湯が漏れれば火傷をする。壺が割れれば、寒い夜に余計な苦しみを与える。ならば、半端な物を渡すわけにはいかぬのです」
野心を隠さない。
だが、そのために民を踏み台にする気もない。
むしろ、自分が上へ行くためにも、民を守る仕事で手を抜けないと考えている。
それが、真壁久幹という男なのだろう。
「……あの野郎、本当に寝てねえな」
少し離れた場所で、由兵衛が腕を組みながら呟いた。
その隣には、霧丸が立っている。
「三日。夜も朝も、作業場にいる」
「見張ってたのかよ」
「見張ってはいない」
「じゃあ、何で分かるんだ」
「見れば分かる」
由兵衛は、忌々しそうに久幹を睨んだ。
「……真壁の一族なんざ、戦で人を踏み台にして、のし上がることしか考えてねえと思ってた」
由兵衛の脳裏には、今は亡き三平太の姿があるのだろう。
真壁の名を聞けば、それだけで怒りが湧くのも、無理はない。
「俺も、あの男を信用しているわけではない。野心がある。政貞を越えるとも言った」
「だろ?」
「ああ」
「なら、何で止めねえんだよ」
霧丸は、少しだけ久幹へ視線を向けた。
そこでは、久幹が、藁袋を持ち上げ、中の壺が熱を伝え過ぎていないか確かめている。
「野心があること自体は悪くない。仲間を使い捨てにするか、民を道具と見るか。そこを見る」
「で、どうなんだ」
「今のところ、違う」
由兵衛は、鼻を鳴らした。
「……民の寝床のために、あそこまでやるとは思わなかった」
「菅谷隊の者として働いている」
「認めるのか?」
「全部ではない。だが、仲間や民を守るために寝る間も惜しまぬ者を、外の者とは呼べない」
由兵衛はしばらく黙っていた。
やがて、久幹の背を見ながら言った。
「嫌いなもんは、嫌いだけどな」
「それでいい」
「でも、菅谷隊にいることだけは、認めてやる」
数日後。
最初の湯婆が百ほど仕上がった。
勘助殿は、壺と木栓、藁袋を前にして、静かに確認をしていた。
「まずは施療所で試しましょう。町へ並べるのは、その後です。漏れた時、熱過ぎた時、夜の間にどれほど冷めるのか。全て、使う者から聞き取る必要があります」
「その通りです。最初から町へ広げれば、何かあった時に困る者が増える。先に確かめるべきです」
「施療所へ三十。戦で家族を失った家へ四十。残りは、年寄りと幼子のいる家へ回す」
「承知いたしました」
町役が帳面へ書き込む。
久幹は、配る湯婆の一つ一つを、自分の手で確かめていた。
木栓を抜き、湯を入れる。
袋へ収める。
逆さにする。
持ち上げる。
少しでも不安があれば、すぐに脇へ避ける。
「久幹」
俺は苦笑した。
「全部を自分で見なくてもいいだろう」
「最初だけは見ます」
「職人達も、もう覚えているぞ」
「覚えていても、人は急げば抜ける。最初に手を抜けば、その後も手を抜く者が出る。ならば最初に、これが菅谷の仕事だと示しておくべきでしょう」
その言葉に、勘助殿がわずかに目を細めた。
「良い考えですな。物の出来だけでなく、作る者の心構えまで整える。将として必要なことです」
久幹は、勘助殿へ軽く頭を下げた。
「まだ、将などと呼ばれる身ではありませぬ」
「いずれは、そうなります」
勘助殿の声は穏やかだった。
だが、久幹を測るような鋭さもあった。
その日の夕方。
俺と葵、久幹、ちよは施療所へ湯婆を運んだ。
「政貞様、これも持つ!」
ちよが二つ抱えようとする。
「一つでいい。落とす」
「落とさないよ!」
「前に壺を割った」
「あれは石につまずいたんだもん!」
「だから、一つにしろ」
ちよは頬を膨らませながらも、結局、一つだけ大事そうに抱えた。
施療所を任されている女は、湯婆を不思議そうに眺めていた。
「これが、新しい暖具ですか」
「ああ」
俺が答えようとした時、久幹が壺を手に取った。
「湯を入れる。だが、沸かしたばかりの湯は入れぬこと。少し冷ましてから入れてください。火へ直接かけるのも駄目です。壺が割れた時、木栓が緩んだ時は、無理に使わず町役へ知らせるように」
女は、少し驚いた顔をした。
久幹が、こんなにも丁寧に説明するとは思っていなかったのだろう。
「子供へ使う時は、ずっと肌にくっつけちゃ駄目だよ。熱いと思ったら、すぐ離してね」
「分かりました」
その日の施療所には、熱を出した幼子と、漁で身体を冷やした老人が寝ていた。
葵が、幼子の寝床へそっと湯婆を置く。
「熱くない?」
「うん……」
幼子は、弱々しく答えた。
しばらくすると、小さな手が藁袋へ伸びる。
「……あったかい」
その言葉に、葵の顔がふわりと綻んだ。
「でしょ? これがあれば、少しは眠れるよ」
隣では、老人が湯婆を抱えながら、目を細めていた。
「昔はな、寒ければ囲炉裏へ寄るしかなかった。夜に火を焚けば薪が減る。火が消えれば、また寒い。これなら、寝床で温まれるのか」
「ああ」
俺が頷くと、久幹は老人の手元を見ながら言った。
「夜中に湯が冷えれば、また沸かせばよい。だが、火を使う時は必ず誰か起きている者がいる時にしてください。寝ぼけて火を扱えば危ない」
老人は、しばらく久幹を見ていた。
やがて、くすりと笑う。
「鬼のような顔をしておるが、案外、世話焼きじゃな」
久幹の眉が、わずかに動いた。
「世話焼きではありませぬ。使う者が困らぬようにしているだけです」
「それを世話焼きと言うんじゃ」
老人は、湯婆を抱えたまま笑った。
久幹は何も返さない。
ただ、幼子の寝床へ置かれた湯婆が、きちんと布で包まれているか確かめていた。
数日後。
湯婆を使った者達から、意見が集まり始めた。
「木栓が固くて開けにくい」
「袋の口を紐で縛れるようにしてほしい」
「子供には、もう少し小さい方がいい」
「寝る前に湯を入れても、朝には冷たい」
「でも、夜中に起きなくなった」
「子供が咳をせず眠れた」
「薪を前より使わずに済んだ」
勘助殿が、その一つ一つを帳面へ書き込む。
「悪くありませぬな。使う者が、自分の言葉で直してほしいところを伝えてくれている。町の品として根付く兆しです」
「最初から完璧な物なんてない。民が使って、民が良くしていく。それでいい」
「では、木栓は、指を掛けられる形に変える。袋の口には紐を付ける。子供用は一回り小さくする。壺の底は、今より少し厚く。そして、作る時に必ず湯を入れて確かめるように」
職人達が、すぐに動き始める。
久幹は、誰よりも先に新しい木栓の形を描き、藁袋の紐を通す位置まで決めていた。
「真壁」
由兵衛が、作業場へ近づく。
久幹が振り返る。
「何だ」
「木栓、運ぶ」
「お前が?」
「悪いかよ」
「別に悪くはない」
由兵衛は、少しだけ顔をしかめた。
「勘違いするなよ。俺は、お前を許したわけじゃねえ。三平太のことも、忘れちゃいねえ」
作業場の空気が、一瞬だけ止まった。
久幹は、由兵衛から目を逸らさなかった。
「分かっている」
「なら、大将の隊で働くなら、邪魔はしねえ。民のために、ここまでやるならな」
「……それだけか」
「それだけだ。菅谷隊にいることだけは、認める」
久幹は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに答えた。
「十分です」
「霧丸」
俺が呼ぶと、少し離れた場所にいた霧丸が、こちらへ来た。
「どう思う」
「政貞」
霧丸は、久幹を見る。
「野心は消えていない。むしろ、前より強い」
「そうだろうな」
「だが、仲間も民も、己の足場にするだけの男ではない。自分の手で守ろうとしている。菅谷隊に置く理由はある」
「正式に、ですか」
「ああ。異論はない」
その言葉を聞き、俺は久幹へ向き直った。
「真壁久幹」
「はい」
「今日から正式に、菅谷隊の一員として迎える」
久幹の目が、わずかに細くなる。
「承知いたしました」
久幹は、真っ直ぐに俺を見た。
「ただし、私は、菅谷殿を越えるつもりを捨てませぬ」
「捨てなくていい。越えたいなら、越えようとしろ。でも、菅谷隊は、仲間や民を踏みつけて上へ行く隊じゃない」
「分かっております。だからこそ、この隊で上を目指します」
久幹は、深く頭を下げた。
それから半月ほどが過ぎた。
牛堀の市には、藁袋に包まれた湯婆が並ぶようになった。
陶工が作った壺。
木工職人が削った木栓。
女達や年寄りが編んだ袋。
そして、寝る間も惜しみ、形と使い方を整え続けた真壁久幹。
多くの者の手を経て、一つの暖具が生まれている。
「湯婆はいらんか! 寝床で使える温かい壺だ! 火を使わずに足元が温まるぞ!」
市の声を聞きながら、俺は少し離れた場所に立っていた。
隣には葵。
少し後ろには、由兵衛。
霧丸。
そして久幹がいる。
「売れてるねぇ」
「ああ」
俺は頷いた。
湯婆を抱える老人。
幼子のために買う母親。
漁へ出る夫のために、二つ買っていく女。
寒さを消すことはできない。
冬をなくすこともできない。
だが、ほんの少し、夜を温かくすることはできる。
「政貞」
霧丸が、静かに言った。
「民が笑っている」
「そうだな」
「悪くない仕事だ」
それだけ言うと、霧丸は再び市の方へ視線を戻した。
由兵衛は、久幹へ小さく鼻を鳴らす。
「次は、壺を割れないように運べよ」
「お前こそ、木栓を落とすな」
「誰が落とすかよ」
二人のやり取りを聞き、葵が小さく笑った。
「なんか、少しだけ打ち解けてきたんじゃない?」
冷たい風が、牛堀の町を吹き抜ける。
だが、藁袋に包まれた湯婆と、新しく同じ隊となった者達の間には、確かな温もりが、生まれ始めていた。
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