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86伝説エーペックス  作者: SAI
吾妻GT編
PR
529/534

吾妻編第65話 吾妻GT終結

土湯温泉街の細い路地。


白い911 GT3は、イヨのGRスープラへ食らいついたまま、狭い石畳を縫うように走っていた。


イヨの周囲には、濃いピンク色の重力波動と無数のわたあめの糸が漂っている。その糸は風に流されるのではなく、まるで意思を持っているかのように911の左右へ回り込み、少しずつ逃げ道を塞いでいった。


菜園宗一郎「……ッ!」


菜園はステアリングを切り返す。


しかし、右へ逃げれば右側の糸が張り、左へ寄れば別の糸が車体を引き戻す。911の進路が、徐々に一本へ絞られていく。


菜園宗一郎「なんだこれ……!?」


前方では、イヨがバックミラー越しに911を見ていた。


イヨ「えーい☆」


さらに重力波動が強くなる。


ギュウウウウウッ!!


GRスープラの四輪が路面へ深く押しつけられ、車体の揺れがぴたりと収まった。


対する911は、絡みついた糸に引かれながら姿勢を崩していく。


菜園宗一郎「バカな……車が……言うことを聞かねえ……ッ!」


イヨ「おじさん、そのままわたあめで包んじゃうよーっ!」


シュルシュルシュルッ!!


糸が一気に収束する。


911の進路が完全に固定された。


菜園宗一郎「……ッ!!」


ガードレールが目の前へ迫る。


菜園はブレーキを踏み込み、必死にステアリングを戻そうとする。


だが、その一瞬前。


イヨ「吹き飛んじゃえェー♡!!!!」


ドゴオオオオオオンッ!!!!


重力波動が弾ける。


911 GT3の車体が横方向へ弾き飛ばされ、そのままガードレールへ激突した。


ドガアアアアアアアンッ!!!!


火花が路地いっぱいに飛び散り、白いボディの破片が石畳の上を激しく跳ねていく。


菜園宗一郎「……ぐはッ!!」


そして――。


若林「菜園宗一郎、クラアアアアアッシュッッ!!!!」


それ以外、若林は何も言わなかった。

ただ、含み笑いが若林にその直後にこれでもかと言うほどパブリック通信に聴こえてくる笑。


イヨのGRスープラだけが、濃いピンク色の重力波動を纏ったまま、ほとんど姿勢を乱さず前へ進んでいく。


イヨは小さくバックミラーを確認した。


さっきまでの無邪気な笑顔とは違い、その瞳だけが鋭く細められていた。


イヨ「イヨのお姉ちゃんには……触れさせはしないよッ……!!!!」


実況席では、エアリが無言のままリプレイ映像を見つめていた。


911が糸に進路を縛られ、重力波動を受け、逃げ場を失っていく。


その一連の動きを確認してから、ようやく口を開く。


エアリ「今のイヨさん、二つの力を順番に使ってるッスね。」


モニターには、911が最後に残したタイヤ痕が映し出されている。


エアリ「最初にわたあめの糸で左右の逃げ道を消した。」


エアリ「菜園さんは避けようとしてたッスけど、ステアリングを切るたびに糸が張って、進める方向を限定されていった。」


映像が切り替わり、今度はGRスープラの足元が拡大される。


エアリ「その間にイヨさんは、自分のスープラへ重力を集中させて四輪の接地を安定させた。」


エアリ「だから最後に重力波動を放っても、自分の車体はほとんど姿勢を崩さない。」


エアリ「先に菜園さんの自由を奪ってから、自分だけ動かない状態を作って……最後に弾き飛ばしたッス。」


ほんの数秒。


しかし、その短い攻防の中で、イヨは菜園の進路、姿勢、そして逃げ道まで順番に奪っていた。


その光景をすぐ後ろから目撃していたカナタは、わずかに目を見開く。


腹切カナタ「……イヨちゃん……。」


その瞬間だった。


先頭争いのすぐ後方で、青いWRX VABが次の高速コーナーへ向けてラインを中央へ寄せる。花は前方の混戦を見据えながら、僅かにブレーキへ足を乗せた。


だが――その内側。


白いケイマンGT4のノーズが、いつの間にかWRXの死角へ潜り込んでいた。


フリス「……そこ、邪魔……ッ。」


ぽぉんっ。


次の瞬間、フリスは一切躊躇しなかった。


ドガアアアアアアッ!!!!


山吹花「……ッ!!!!!」


WRXの側面へケイマンが身体を寄せる。


突然の圧力に花のVABが僅かに外へ弾かれ、タイヤが乾いた路面を激しく掻いた。


ギャアアアアアアンッ!!


花は咄嗟にカウンターを当てて姿勢を戻す。しかし、その一瞬で生まれた僅かな空間を、フリスは見逃さなかった。


ステアリングをほとんど切り足さず、ケイマンの軽いノーズを出口へ向ける。


ぽぉんっ!!


ごぎゃああああああッ!!!


若林「んなあああああああ!!?? ここでVABにフリスが仕掛けたアアアア!!!!」


若林「速いッ!! ケイマンGT4が一瞬で前へ出るウウウウ!!!!」


WRXが立ち上がりで四輪へトラクションを掛ける頃には、ケイマンはすでに一車身以上先。


さらにそのまま加速を続け、前方のマシンが作っていた僅かな隙間まで一気に飲み込んでいく。


フリス「……。」


表情は変わらない。


ただ、前だけを見る。


その静けさとは裏腹に、ケイマンは高速区間を一本の白い閃光となって駆け抜け、ついに全車の前へ躍り出た。


若林「ついにこの時が来たアアアア!!!!」


若林「ケイマンGT4!! 絶対王者フリス!!」


若林「1位に帰還だあああああああ!!!!」


長い攻防の末、再び視界から前走車が消えた。


フリスの目の前には、ゴールへ続く一本の道だけが伸びている。


フリス「……。」


そして数秒。


フリスはメーターへ目を落とした。


フリス「……これで。」


少し考える。


フリス「……我、何位になった?」


山吹花「……1位。」


腹切カナタ「……今、自分で全員抜いたところだろ。」


さらに後方から伊藤翔太も、小さく呆れた声を落とす。


伊藤翔太「……なんでそこ忘れるんだよ。」


フリス「……。」


三人の声を聞きながら、フリスは少しだけ首を傾げた。


フリス「……そうだった。」


ぽぉんっ。


何事もなかったようにシフトアップする。


フリス「……なら、このままでよい。」


山吹花「……そこだけ王者に戻るの早いよ。」


再びケイマンGT4が加速する。


ほんの数秒前まで自分の順位を見失っていたとは到底思えないほど、そのラインだけは鋭く、正確だった。


先頭へ返り咲いたケイマンGT4は、晴れ渡った吾妻の高速区間を一直線に駆け抜けていた。後方ではまだ激しい順位争いが続いているが、フリスの車内だけは不思議なほど静かだった。


フリス「……。」


右足には、確かなペダルの感触がある。


ケイマンも勢いよく加速している。


それなのに――。


フリス「……あれ。」


ほんの少しだけ視線を下へ落とす。


フリス「……今、我が踏んでいるのは……。」


数秒の沈黙。


フリス「……アクセル?」


さらに間が空いた。


フリス「……ブレーキだったか。」


山吹花「……アクセル。」


腹切カナタ「……加速してるだろ。」


伊藤翔太「……ブレーキだったら今頃減速してるって。」


三人とも声を荒らげない。


むしろフリスのあまりにも真剣な声に、静かに答えるしかなかった。


フリス「……そうか。」


ぽぉんっ。


何事もなかったようにシフトアップする。


しばらくして、今度は道路脇を流れていく山々と建物を眺めたフリスが、また小さく首を傾げた。


フリス「……。」


フリス「もう一つ。」


山吹花「……なに?」


フリス「……我らは今。」


僅かに考える。


フリス「……何県を走っている。」


今度は三人の返事が少し遅れた。


腹切カナタ「……福島県。」


フリス「……福島。」


伊藤翔太「吾妻GTなんだから、そこは覚えてろよ……。」


フリスは静かに頷いた。


だが、まだ終わらない。


フリス「……では。」


フリス「ここは、何市……何町……何村だ。」


山吹花「……。」


腹切カナタ「……。」


伊藤翔太「……。」


三人とも一瞬だけ言葉を失った。


目の前ではケイマンGT4が高速コーナーへ進入している。そのドライバーが、トップを走りながら自分の現在地を完全に見失っているとは、とても思えない走りだった。


山吹花「……土湯のあたり。」


腹切カナタ「……福島市側だろ。」


伊藤翔太「レース中に住所確認する奴、初めて見たぞ……。」


フリス「……。」


三人の答えを聞いたフリスは、少しだけ納得したように前を向いた。


そして――。


フリス「( ᵔcᵔ )」


山吹花「……またその顔。」


腹切カナタ「……分かってないだろ。」


伊藤翔太「……絶対分かってねえ。」


フリス「……だいたい分かった。」


ぽぉんっ。


ごぎゃあああああッ!!


ケイマンGT4はその直後、何事もなかったように高速ベントを完璧なラインで抜けていく。


アクセルとブレーキも、県も市町村も一瞬分からなくなっていた。


それでも、なぜか走りだけは絶対王者そのものだった。


腹切カナタのREVIVE86は、すでに限界へ近づいていた。


フロントタイヤの手応えは薄い。ステアリングを切れば切るほど、路面との接点が指先から少しずつ消えていく。それでもカナタはアクセルを戻さず、前方の集団だけを追い続けていた。


腹切カナタ「……まだだ。」


ぽんっ!!


ギュオオオオオオッ!!


赤い86が高速ベントを抜ける。


その直後だった。


バックミラーの奥。


白い何かが、急激に大きくなる。


腹切カナタ「……?」


車ではない。


最初は、本当に一本の巨大なつららが飛んできたように見えた。


白いボディ。


鋭く低いノーズ。


猛烈な勢いで距離を削りながら迫ってくるRZ34――。


腹切カナタ「……まさか。」


ズドオオオオオオオンッ!!!!


白いフェアレディZが、86の横へ一気に並びかけた。


若林「フェアレディZだアアアア!!!!」


若林「ここで大逆転のチャンス!! 白いRZ34が腹切カナタへ襲いかかったアアアア!!!!」


だが。


そのコクピットから聞こえてきた声は、いつもの「もへ〜」としたちとせではなかった。


低い。


静か。


まるで巨大な氷柱の内部から直接響いてくるような、温度そのものを失った声だった。


ちとせ「……カナタくん。」


腹切カナタ「……ッ。」


ちとせ「ここまで、よく走ったね。」


優しい言葉のはずだった。


なのに、カナタの背中へ薄い氷が張りつく。


ちとせ「タイヤが削れても。」


ちとせ「足回りが傷んでも。」


ちとせ「まだ前へ行こうとしてる。」


白いZが86の横へ完全に並ぶ。


その車体は不自然なほど安定していた。


一方の86は、高速域のわずかな入力だけでもフロントが外へ逃げようとする。


ちとせ「……でもね。」


少しだけ声が低くなる。


ちとせ「壊れかけたものを。」


ちとせ「気持ちだけで、永遠に走らせることはできないよ。」


その一言が、鋭い氷柱となってカナタの胸へ突き刺さった。


腹切カナタ「……まだ決まってない。」


ちとせ「うん。」


ちとせ「だから、おじさんが決めてあげる。」


ズドオオオオオオンッ!!


RZ34がさらに加速する。


若林「オーバースピードで来たああああ!!!!」


若林「やはりかつてのC1最速!! ワンガンのスノーホワイトが一番なのかアアアア!!??」


高速右コーナー。


カナタは86をインへ入れる。


だが左フロントが耐えきれず、ノーズがじわりと外側へ流れた。


腹切カナタ「……クソッ!」


その僅かな膨らみへ。


RZ34が迷いなく頭を差し込む。


ちとせ「カナタくん。」


ちとせ「今のお前は……速いんじゃない。」


一瞬の間。


ちとせ「……ただ、壊れるのが遅いだけ。」


腹切カナタ「……ッ!!」


心臓の奥が、一瞬だけ冷たくなる。


タイヤの限界。


足回りの傷。


ここまで無視してきた現実。


その全部を、たった一言で目の前へ突きつけられたようだった。


ちとせ「前を追ってるつもりでも。」


ちとせ「本当は、後ろから崩れてきてる。」


RZ34のフロントが86の前へ出る。


ちとせ「それに気づかないまま走るなら……。」


声が、さらに冷える。


ちとせ「お前の赤い戦闘機は。」


ちとせ「もう、とっくに墜ちてるよ。」


腹切カナタ「……!!」


その言葉だけは違った。


冷たいのではない。


巨大なつららが胸を貫き、そのまま心臓ごと一瞬で凍らせたような感覚だった。


カナタの手が、ほんの僅かに止まる。


その瞬間――。


ズバアアアアアアッ!!


白いZが強引に86の頭を押さえ込む。


次のコーナーへ向け、先にイン側のラインを完全に奪った。


若林「オーバーテイクできたああああ!!!!」


若林「RZ34フェアレディZ!! 大逆転!!」


若林「腹切カナタ、まさかの6位後退だアアアア!!!!」


エアリ「カナタくんもかなり上手く食いついてたんスけどねー……。」


エアリ「やっぱりタイヤが苦しいと思うッス。」


エアリ「今の86、ターンインした瞬間にフロントが一度外へ逃げてる。そこでカナタくんが修正を入れた分だけ、出口へ向けるタイミングが遅れた。」


エアリ「ちとせさんはそこを待ってたッスね。」


前方。


白いRZ34が、赤い86から少しずつ距離を広げていく。


ちとせはバックミラー越しにカナタを見た。


その瞳には、いつもの柔らかさがなかった。


ただ、真冬の氷柱の先端のような冷たさだけが残っている。


ちとせ「……まだ追う?」


腹切カナタ「……当然だ。」


ちとせ「そう。」


ほんの少しだけ間を置く。


ちとせ「なら、覚えておいて。」


再び極寒の声。


ちとせ「お前が次に追いつく頃には。」


ちとせ「おじさんは、もうお前の届かない冬にいる。」


その言葉を残し、RZ34がさらに加速した。


ズドオオオオオオンッ!!


まるで巨大な白いつららが道路そのものを突き破りながら飛んでいくように、フェアレディZは次の高速区間へ消えていく。


先頭のケイマンGT4。


フリスはバックミラーへ一度だけ目を向けた。


フリス「……散ったか。ハラキリ。」


それ以上は何も言わない。


ぽぉんっ。


フリスは静かにシフトを上げ、再び前へ視線を戻した。


若林「あああああああッ!! まだだ!! まだ吾妻GTのドラマは終わっていなかったアアアア!!!!」


ゴールラインまで残り僅か。


紅いM5 G90が先頭集団を引き連れ、その巨体で空気を押し退けながら最終区間を駆け抜けていく。


誰もが、このまま古賀加奈子が逃げ切ると思った。


だが――。


最終コーナーの大外。


荒れた気流から大きく離れた場所に、銀色の車体が現れる。


若林「外だアアアア!!!!」


若林「信じられない速度差で来る!! 眞鍋琉世のランサーエボリューションIX MR!! 『銀の戦闘機』だアアアア!!!!」


ギャアアアアアアンッ!!


4G63が限界まで回り、銀色のエボIXが大外いっぱいを駆け上がる。


さらに――。


その後ろには漆黒のパガーニ・ウアイラ。


コタロー。


そして黄色いスイフトスポーツを駆る伊藤翔太まで、その流れへ食らいついていた。


ズバアアアアアッ!!


三台の横を走っていた相川美保の400Rが、一瞬で後方へ流れていく。


相川美保「……えっ!?」


ミラーを見るより先に、銀、黒、黄色の車体が横を抜けていった。


相川美保「ウソ……!」


相川美保「私だって280キロ以上出てるのに……何なの、あの伸び……ッ!」


若林「相川美保を突破!! 三台が一気に前へ出たアアアア!!!!」


実況席のエアリは、モニターに映る三台の位置関係をじっと見つめていた。


エアリ「これ、ライン選択が大きいッスね。」


若林「大外ですか!?」


エアリ「そうッス。」


エアリ「加奈子さんのM5が作ってる乱流は、真後ろとイン側にかなり強く残ってる。」


エアリ「そこへ入ればスリップは使えるけど、フロントへ当たる空気まで乱れるから、高速域では修正舵が増えるッス。」


エアリ「眞鍋くんはそれを嫌って、一度大きく外へ出た。」


エボIXの車体が、M5の作る乱れた空気から完全に抜ける。


その瞬間、フロントの細かな揺れが消えた。


エアリ「ここッス。」


エアリ「距離は少し増える。でも綺麗な空気を車体へ当てられるから、速度を落とさず最終コーナーを抜けられる。」


エアリ「そして眞鍋くんが切り裂いた空気の後ろへ、コタローくんと伊藤くんが続いてる。」


若林「三台で一つの流れを作ったアアアア!?」


エアリ「完全に同じスリップではないッスけど、前の車が作った空気の流れを次の車が利用してる。」


エアリ「特に伊藤くんみたいなパワーの小さい車には大きいッスよ。単独で最高速を伸ばすより、前の二台へ引っ張ってもらった方がずっと楽になる。」


眞鍋琉世「……見つけた。」


前方には、加奈子のM5。


眞鍋琉世「このラインなら……乱流に飲まれない。」


エボIXのアクセルをさらに踏み込む。


眞鍋琉世「先生。」


眞鍋琉世「初優勝するなら……俺を振り切ってからにしてくれッ!」


ギュオオオオオオッ!!


若林「眞鍋、さらに伸びるウウウウ!!!!」


その後ろ。


コタローのウアイラは、眞鍋が残した僅かな空気の道をなぞるように走る。


アクティブエアロが細かく動き、車体の姿勢を絶えず整えていた。


コタロー「……風が戻った。」


さっきまでダーティエアの中で濁っていた感覚が、再びはっきりする。


コタロー「ここなら……読める。」


さらに後方。


伊藤翔太は二台の背中を必死に追っていた。


1.4リッターターボはすでに限界に近い。


それでも、前の二台が作る流れへ入った瞬間、スイスポの伸びが僅かに変わった。


伊藤翔太「……これだ。」


伊藤翔太「眞鍋とコタローが道を作ってくれてる。」


ヴォオオオオオオッ!!


伊藤翔太「だったら離すかよ!!」


若林「黄色い弾丸も食らいついたアアアア!!!!」


前方の集団が、急速に大きくなっていく。


イヨ。


山吹花。


内藤セリナ。


さらにその先に、紅いM5。


エアリ「ここからが難しいッスね。」


エアリ「三台とも今は高速を維持できてる。でも前へ追いつけば、また加奈子さんの乱流へ入る。」


エアリ「だから眞鍋くんが、どのタイミングでM5の横へ出るかが一番重要になる。」


若林「早すぎてもダメ!?」


エアリ「早く出れば空気抵抗を全部自分で受ける。」


エアリ「遅すぎれば、M5のダーティエアでフロントが不安定になる。」


エアリ「一番速い速度を維持したまま、乱流が強くなる直前に横へ出る必要があるッス。」


その言葉通り。


眞鍋はまだ動かない。


M5の巨大なリアが、フロントガラスいっぱいに迫る。


残り距離は短い。


眞鍋琉世「……まだ。」


さらに接近。


眞鍋琉世「……まだだ。」


銀色のエボIXが、M5の直後で一瞬だけ揺れる。


そして――。


眞鍋琉世「今だッ!!」


ズバアアアアアアッ!!


大外へ飛び出した。


若林「眞鍋が出たアアアア!!!!」


若林「紅い重戦車の横へ、銀の戦闘機が王手をかけるウウウウ!!!!」


古賀加奈子「……来たわね。」


その横顔から、さっきまでの笑みが僅かに消える。


残り僅か。


M5とエボIX。


そして背後から迫るウアイラとスイスポ。


吾妻GTの最終直線は、最後の最後で再び巨大な戦場へ変わろうとしていた。


若林「そしてその後方ァァァァ!!!!」


若林「赤い戦闘機・REVIVE86!! 腹切カナタが再び白いRZ34へ襲いかかったアアアア!!!!」


ぽんっ!!


ギュオオオオオオオッ!!


高速区間の立ち上がり。


カナタはちとせのZが作るスリップへ深く潜り込み、傷んだタイヤをかばいながらも、残された直線加速をすべて使って距離を縮めていく。


腹切カナタ「……まだ終わってない。」


白いRZ34のリアが、急速に大きくなる。


次の高速右コーナー。


カナタは一度アウトへ振り、ブレーキングと同時にイン側へ鋭く切り返した。


ギャアアアアアアンッ!!


若林「カナタ、インへ入ったアアアア!!!!」


若林「並ぶ!! REVIVE86がZの横へノーズを差し込んだァァァァ!!!!」


腹切カナタ「ここなら……抜けるッ!」


半車身。


さらに86のノーズが前へ出ようとする。


だが――。


ちとせ「……甘い。」


その声だけが、異様なほど冷たかった。


RZ34は慌てない。


ちとせはカナタがインへ入ったことを確認すると、わずかにブレーキを残したまま外側の大きなラインを選ぶ。


86より遅く向きを変えながら、その代わり出口へ向けて車体を早く真っすぐに整えていく。


腹切カナタ「……ッ!」


カナタの86はイン側。


狭い旋回半径の中で、限界のフロントタイヤへさらに荷重が集中する。


ギャギャギャギャッ!!


ノーズが僅かに外へ逃げた。


ちとせ「……そこ。」


ズドオオオオオオンッ!!


RZ34が一気にアクセルを開ける。


白いZが外側から強烈な立ち上がりを見せ、並びかけていた86を押し戻していく。


若林「Zが伸びたアアアア!!!!」


若林「カナタ、あと一歩だった!! しかしちとせがアウト側から完全に被せ直したァァァァ!!!!」


腹切カナタ「クソッ……!」


次の左。


カナタはもう一度ラインを変えようとする。


しかし、その瞬間にはRZ34が先に進路を押さえていた。


ちとせ「……そこも、だめ。」


白い車体が86の鼻先へ滑り込む。


まるで巨大な氷柱を目の前へ突き立てられたように、カナタの進路が完全に閉ざされた。


腹切カナタ「……完全に読まれてる……ッ!」


ちとせ「タイヤが残っていないのに。」


ちとせ「無理にインへ入れば……出口で苦しくなる。」


静かな声が、再びカナタの胸へ冷たく刺さる。


ちとせ「おじさんは。」


ちとせ「そこを待っていただけ。」


ズバアアアアアッ!!


RZ34が再び前へ出る。


若林「オーバーテイク阻止ィィィィ!!!!」


若林「腹切カナタ、渾身の再アタックも届かない!!」


若林「RZ34フェアレディZ!! ちとせ、6位を絶対に譲らないアアアア!!!!」


エアリ「カナタくん、仕掛け自体はすごく良かったッス。」


エアリ「でもタイヤの状態が厳しいから、イン側へ入った瞬間にフロントへ仕事をさせすぎた。」


エアリ「ちとせさんは逆に、入口では少し譲って出口速度を取ったッスね。」


エアリ「抜かれそうになってから守ったんじゃない。」


エアリ「カナタくんがどこで苦しくなるかを最初から読んで、そこへZの加速を合わせた。」


腹切カナタ「……。」


前方で、白いRZ34が再び距離を作っていく。


腹切カナタ「……まだ追う。」


ちとせ「……そう。」


ミラー越しに赤い86を見つめる。


ちとせ「なら……何度でも止める。」


腹切カナタ「……速いッ!!!」


白いRZ34のテールが、また一段遠ざかる。


カナタはアクセルを床まで踏み込み、REVIVE86のターボを限界まで回して食らいつこうとする。だが、高速コーナーへ入った瞬間、すでに傷み切ったフロントタイヤが悲鳴を上げた。


ギャアアアアアアンッ!!


ステアリングを切っている。


それでもノーズが向かない。


ほんの少しずつ、赤い86が理想のラインから外側へ押し出されていく。


腹切カナタ「……ッ! またアンダーか……!」


一方、ちとせのRZ34は違った。


ブレーキングで無理に突っ込まない。


進入ではほんの僅かに速度を落とし、フロントへ荷重を乗せる。そこから車体が出口へ向いた瞬間だけ、アクセルを一気に開く。


ズドオオオオオオンッ!!


白いZが低く沈み込み、そのまま弾丸のように前へ飛び出す。


カナタがイン側でタイヤと格闘している間に、ちとせは外側の広いラインを使って、ひと足先に加速姿勢へ移っていた。


腹切カナタ「……なんでだ。」


腹切カナタ「俺だって、ラインは外してない……ッ!」


それでも差が縮まらない。


むしろ次の切り返しへ入るたび、Zの白い車体は少しずつ遠くなる。


ちとせはバックミラー越しに、必死に追いすがる赤い86を静かに見つめた。


いつもの柔らかな目ではない。


氷の奥から覗き込むような、冷え切った視線だった。


ちとせ「……カナタくん。」


低い声が無線へ流れ込む。


ちとせ「もう、タイヤが言ってるよ。」


腹切カナタ「……何を。」


ちとせ「これ以上は無理だって。」


カナタの指が、ステアリングをさらに強く握る。


ちとせ「それでも踏むんだね。」


腹切カナタ「当たり前だ……。」


腹切カナタ「前にいるなら、追う。」


ほんの一瞬。


ちとせの目が細くなる。


ちとせ「……そう。」


次の高速ベント。


RZ34が一切の無駄なく進入する。


赤い86も遅れて飛び込むが、フロントタイヤがもう一度路面を掴み損ねた。


ギャギャギャギャッ!!


腹切カナタ「くッ……!」


その隙に、Zがさらに前へ。


ちとせ「だったら。」


間を置く。


その声は先ほどよりもさらに冷たい。


まるで耳元へ細い氷柱を差し込まれたように、言葉だけでカナタの身体から熱を奪っていく。


ちとせ「そこで眠ってなよ……カナタくん……ッ。」


腹切カナタ「……ッ!!」


一瞬だけ。


本当に心臓が凍ったような感覚が走る。


アクセルを踏む右足は動いている。


エンジンも回っている。


それでも、その言葉だけが胸の奥へ深く残った。


ちとせ「おじさんは先に行くから。」


ズドオオオオオオンッ!!


RZ34がさらに加速する。


白い車体は次の高速区間へ鋭く飛び込み、まるで巨大なつららが赤い戦闘機の前へ突き刺さったまま、その進路すべてを奪っていくようだった。


カナタはそれでもアクセルを緩めない。


腹切カナタ「……寝てられるかよ。」


ギュオオオオオオッ!!


腹切カナタ「まだ……終わってねえッ!!」


若林「エアリさん!!! 腹切カナタの86に、再び逆転はあるのでしょうか!?」


若林「この先はもうストレートしかないッ!! タイヤは限界!! 前にはちとせのRZ34!! この状況からひっくり返せるのかアアアア!?」


エアリはモニターに映る二台の速度差を見つめた。


赤いREVIVE86。


その前を走る、白いRZ34。


コーナーならまだ工夫の余地がある。


だが、ここから先はほぼ一直線。


単純な加速性能と最高速が、容赦なく結果へ現れる区間だった。


エアリ「……かなり厳しいッス。」


若林「やはり!?」


エアリ「カナタくんの86は、さっきまでならコーナー進入やライン取りで差を作れた。」


エアリ「でもストレートでは、タイヤをどう使うかよりも、まずエンジン出力と空気抵抗の勝負になるッス。」


画面の中で、カナタがちとせのスリップへ入ろうと車体を僅かに寄せる。


エアリ「逆転するとしたら、これしかない。」


エアリ「RZ34の真後ろへ完全に入って、空気抵抗を減らす。」


エアリ「そこで86ターボの残っているブーストを全部使って、最後に横へ出るッス。」


若林「スリップストリーム一発勝負かアアアア!?」


エアリ「そうッス。」


エアリ「ただし、ちとせさんもそれは分かってる。」


白いZが僅かにラインを変える。


86へ綺麗な空気の穴を与えないように、左右へ小さく位置を変えていた。


エアリ「ほら。」


エアリ「ちとせさん、真後ろへ入らせないようにしてる。」


エアリ「カナタくんがスリップへ入ろうとするたび、ほんの少しだけ位置をずらして空気を乱してるッス。」


若林「そこまで封じているウウウウ!!!!」


エアリ「しかもカナタくんの86は、長いレースでターボもかなり熱を持ってるはず。」


エアリ「ここで無理にブーストを上げ続ければ、加速は伸びても最後まで持つ保証はない。」


少し間を置く。


エアリ「それでも――。」


赤い86が、再び白いZの背後へ近づく。


エアリ「カナタくんなら、まだ仕掛けると思うッス。」


エアリ「勝てる確率が低いから諦めるタイプじゃない。」


エアリ「最後の数百メートルまで、ちとせさんの空気の動きを見てるはずッスよ。」


若林「つまり!! 逆転の可能性はゼロではないッ!!」


エアリ「ゼロではないッス。」


エアリ「でも、今はちとせさんが圧倒的に有利。」


エアリ「カナタくんが勝つなら――最後の一回で全部決めるしかないッスね。」


その言葉と同時に。


ぽんっ!!


ギュオオオオオオッ!!


REVIVE86が、再びRZ34の背後へ潜り始めた。


腹切カナタ「……やばいッ!!」


赤いREVIVE86は、白いRZ34の背後へ食らいついたまま最終ストレートを駆け抜けていた。


カナタはアクセルを踏み切っている。ターボも回っている。直前のコーナーでは、外側から速度を残すラインも試した。


それでも、差が縮まらない。


腹切カナタ「今までは確かに、外からでも抜けてた……ッ!」


腹切カナタ「だけど、このZとか……イヨちゃんのGRスープラとか、フリスさんのケイマン相手になると……さすがに限界がある……ッ!」


ギュオオオオオオッ!!


86がさらに回転を上げる。


だが、前方のRZ34は暴れる様子すらない。


まるで力んでいない。


ブレーキを極端に遅らせているわけでも、無理な速度で突っ込んでいるわけでもない。


それなのに速い。


腹切カナタ「……ブレーキも全然無茶してない。」


腹切カナタ「スピードだって、俺より明らかに無茶してるようには見えないのに……なんでそんなに速いんだ?」


白いZが、また数メートル先へ伸びる。


腹切カナタ「ちとせさん……退けてくれよォ……ッ!!」


その言葉に反応するように、RZ34がほんの僅かにラインを変えた。


だが、道を譲ったわけではない。


むしろ86がスリップへ入るための位置を、静かに潰している。


若林「腹切カナタとちとせ!!」


若林「二人のドライビング、一体何が違うんでしょうか!?」


エアリは二台のオンボード映像を交互に見比べた。


エアリ「一番大きいのは、“速く走ろうとしてる場所”が違うことだと思うッス。」


若林「場所が違う?」


エアリ「カナタくんは、まだ一つ一つの区間でタイムを削ろうとしてる。」


エアリ「ブレーキを詰める。旋回速度を残す。立ち上がりで早く踏む。」


エアリ「全部正しいッス。」


エアリ「でもタイヤがここまで傷んでくると、その一個一個の操作が少しずつタイヤへ負担を残す。」


画面の中で86が、ごく僅かに左右へ揺れる。


エアリ「今もステアリング修正が一回入った。」


エアリ「ほんの小さな動きッスけど、そのたびにフロントタイヤは余計な仕事をしてる。」


若林「では、ちとせは!?」


エアリ「ちとせさんは逆ッスね。」


白いZは、ほとんど修正舵を入れていない。


道路のうねりに逆らわず、車体を僅かに動かしながら、それでも進行方向だけは一直線に保っている。


エアリ「ちとせさん、今の速度そのものは派手じゃない。」


エアリ「でも“減速させる要素”がほとんどないッス。」


エアリ「ステアリングを余計に切らない。」


エアリ「アクセルを細かく戻さない。」


エアリ「車体を一度乱してから直す、っていう動作も少ない。」


エアリ「だから一瞬一瞬では同じ速度に見えても、数百メートル走ると差が積み上がる。」


若林「なるほど!!」


エアリ「カナタくんは今、“速さを作ってる”。」


エアリ「ちとせさんは、“速さを失わない”走りをしてるッス。」


その言葉が、カナタの無線にも届く。


腹切カナタ「……速さを、失わない……。」


エアリ「しかもRZ34は高速域で車体が安定してる。」


エアリ「今のカナタくんの86みたいにタイヤが終盤まで来てる状態だと、同じ直線でも小さな修正が増える。」


エアリ「その差が空気抵抗にも、加速にも出てくるッスね。」


前方。


ちとせは一度だけバックミラーを見る。


ちとせ「……カナタくん。」


極寒の声が、静かに届く。


ちとせ「速く走ろうとしすぎ。」


腹切カナタ「……ッ。」


ちとせ「おじさんは……速さを逃がしてないだけ。」


ズドオオオオオオンッ!!


RZ34が再び伸びる。

派手な動きはない。


それでも、赤い86との距離だけが確実に広がっていった。

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