吾妻編第38話 イカれたオーバーテイク
吾妻スカイライン、1周目セクター3。土湯峠のタイトな連続コーナーにおいて、物理法則を完全にねじ曲げる濃いピンク色の波動が、夜の闇を毒々しく染め上げていた。
柳津 雄介は、BMW M4 DTM Editionのアルカンターラ巻きステアリングを握りしめながら、全身の骨が軋むような異常な「重圧(G)」に歯を食いしばっていた。550馬力を誇る直列6気筒ツインターボエンジンが、まるで深海に沈められたかのように苦しげな悲鳴を上げている。DTM譲りの計算し尽くされたダウンフォースが、今は逆に己を縛り付ける鎖となり、車体がアスファルトにめり込んでいく。
柳津 雄介「……ッ! なんだこの異常な重さは!? タイヤが溶けて路面に張り付いてるみたいじゃねえか!! 俺のM4が、こんな得体の知れないガキの力に抑え込まれるっていうのかッ!! カリン、俺はこんなところで……!!」
その横で、涼しい顔をして並走するのは、純白のトヨタ GRスープラ。運転席に座る11歳の少女、イヨは、愛らしい猫耳をピクピクと動かし、ピンク色の萌え袖で口元を隠しながら、無邪気に、そして残酷に笑った。
イヨ「えっへん☆ おじさんのクルマ、ちょっと軽すぎない? わたしがもっと『重く』してあげるね! ……それじゃあ、邪魔だからバイバイっ!」
イヨがステアリングを軽く切った瞬間、GRスープラを包むピンク色の重力場が爆発的に収縮し、次の瞬間、前方への圧倒的な推進力へと変換された。自らの車体の「質量」を極限まで軽くし、同時に路面へのトラクション(接地圧)だけを増大させるという、星属性の存在にしか許されない神をも恐れぬ重力操作。
若林「決まっていくうう!GRスープラがM4の前に出たアアアア!!!!!
BMWM4との並走もR35 NISMOの並走も一瞬の出来事でしたアアアア!!!!!!」
「確かに白いボディが閃光のように突き抜けるのを確認しましたアアアア!!!!」
若林の絶叫が夜空を引き裂く。柳津のM4が反撃の糸口を掴む間もなく、純白のスープラは文字通り「閃光」となって、コーナーの先へと消え去っていった。圧倒的な排気量も、最新鋭の空力も、重力を支配する天真爛漫な破壊神の前では無力だった。
エアリ「……ふふ、見事な破壊っぷりですね。イヨさんの『重力操作』は、ただ相手を押し潰すだけではありません。自分自身の質量をコントロールし、コーナリングでの遠心力を完全に打ち消すことができる。だからこそ、あんな超光速のエントリーが可能になるんです。……柳津さん、あなたの550馬力も、彼女の作り出す『特異点』には完全に吸い込まれてしまったようですね。」
柳津はステアリングを叩きつけ、悔しさに顔を歪める。
前方の闇に消えた白い重力破壊神は、今度はその照準を、相川 美保のブルーシャーク(400R)へと定めていた。
若林「なんということだアアア!! 抜かれたはずの柳津 雄介が、再びGRスープラに食らいついているッ!! 白い重力破壊神の圧倒的な制圧力を受けてなお、その闘志は全く衰えていないアアア!!」
吾妻スカイライン、1周目セクター3。土湯峠のタイトコーナーでイヨの放つ濃いピンク色の重力場に飲み込まれ、一時は完全に沈黙したかに見えたBMW M4 DTM Edition。しかし、550馬力を誇るドイツの誇り高きサラブレッドは、ただの鉄屑として終わるつもりなど毛頭なかった。
強烈な重力波が車体を押し潰そうとする中、柳津 雄介はアルカンターラのステアリングを握り直し、冷静かつ凶暴な笑みを浮かべていた。重力によってタイヤが溶けるような錯覚さえ覚える極限状態にあって、彼の研ぎ澄まされたプライドが逆に限界を超えた集中力を引き出していく。
柳津 雄介「……すまし顔でいられるのも今のうちだぞ……!! ドイツのしぶとさのサイボーグは、M4で決まりだろ……!!!」
柳津の右足がアクセルペダルを床の奥底まで踏み抜く。直列6気筒Mツインターボエンジンが、限界を突破した咆哮を吾妻の夜空に轟かせた。イヨの重力操作によって生み出された異常な路面抵抗。それを、柳津はDTM(ドイツツーリングカー選手権)で培われた極限の空力デバイスと、550馬力の純粋な「暴力」で真っ向からねじ伏せにかかったのだ。
重力場の中で、M4の巨大なカーボンリアウィングが空気を切り裂き、車体を前へ前へと押し出す。それはまるで、見えない泥沼の中を強靭なサイボーグが力ずくで突き進むかのような、異様で力強い光景だった。重力という絶対的な鎖を、内燃機関の熱量で溶かし切る。
イヨ「……あれ? おじさん、まだ動けるの? イヨの重力、少しだけ手加減しすぎちゃったかなぁ? ……でもね、星の重力に逆らうなんて、100年早いんだからっ!!」
イヨは無邪気な声に微かな苛立ちを混ぜ、純白のGRスープラからさらに強力なピンク色の波動を放つ。路面の石が重力異常でフワリと浮き上がるほどの空間の歪み。しかし、一度火のついた柳津の闘争心とM4の推進力は、もはやその檻に収まりきるものではなかった。
柳津 雄介「……ガキが。俺にはカリンっていう繊細で守るべき妹がいるんだ。こんな得体の知れない重力遊びで、俺の誇りまで押し潰せると思うなよッ!! 俺のM4は、大好きな熱い温泉よりもさらに熱く燃え滾ってるんだぜ!!」
若林「柳津があああッ!! M4のエンジンが悲鳴を上げながらも、イヨのGRスープラのアウト側へ再び並びかけようとしているッ!! ドイツのサイボーグが、重力の枷をそのパワーと執念で力強く引きちぎったアアア!!!!」
エアリ「……ふふ、驚異的な精神力ですね。柳津さんは、イヨさんの重力場を『強烈なダウンフォースの一部』として無理やり計算に組み込み、M4のパワーで強引に推進力へと変換しています。……ただのクールな大人の男かと思っていましたが、その内には熱い誇りと、妹のカリンさんへの想いがサイボーグの無尽蔵の動力源となっているのですね。イヨさん、油断していると、その無垢な白いボディにドイツのサイボーグの冷酷な爪痕が深く刻まれますよ?」
吾妻の深い闇を切り裂く、濃いピンク色の重力波と、それを力ずくで突破しようとするM4の荒々しいエキゾーストノート。12位争いは、決着がついたかと思われた直後、柳津の執念によって再び灼熱のサイド・バイ・サイドへと突入していく。土湯峠のコーナーは、まだ彼らを解放してはくれないのだ。
若林「さあ!そして...まじかアアアア!!!!?? WRXがあのフリスに並んでるううう!!!!??」
吾妻スカイライン、1周目セクター3。土湯峠のタイトな連続コーナーが続く極限のダウンヒル区間において、信じられない光景が実況席のモニターに映し出された。
絶対王者として君臨し、一切の感情を排した「走る精密機械」フリスのポルシェ 718 ケイマン GT4。その後方から、山吹 花の操るSUBARU WRX STI VABが、全く挙動を乱すことなく、完全にサイド・バイ・サイドの領域へと車体をねじ込んでいたのだ。
フリスのポルシェからは、周囲の熱を奪い尽くす『コットンアイススノー』の甘く極寒の雪が舞い散っている。しかし、花のWRXはそれに怯むどころか、車体全体からさらに鋭く冷たい『氷の女王』としての極寒の冷気を放ち、フリスの雪を相殺しながらイン側へと滑り込んでいく。
フリス「(今回の彼女……やはりおかしい……!! いつもの世話焼きでしおらしいだけの女ではない。サテラを沈めたあの走りといい、この異常なまでの路面把握能力といい……。だが、彼女本人も我と同じ気質を感じさせてくれる……!! 本人の気質はまさか、我と同じ深淵に至る者なのか……!!)」
フリスは冷静沈着な思考の裏で、かつてないほどの警戒心を抱いていた。彼が常に掌握しているはずの「0.1秒後の結末」が、花の強烈な冷気とAWDの圧倒的な安定感によって次々と書き換えられていく。閻魔天たる己の計算すら狂わせる未知の力。
山吹 花「……あら、フリスさん。走る精密機械だなんて呼ばれてるみたいだけど、案外動きが硬いわね? 私の極寒の冷気で、その自慢のポルシェのエンジンオイルまで完全に凍りついちゃったのかしら。だとしたら、随分と底が知れてるわね。」
フリスの横にピタリと並んだ花は、窓越しにフリスを流し目で見据え、極めて生意気で挑発的な笑みを浮かべてみせた。いつもの優しく控えめな彼女からは想像もつかない、氷の女王としての絶対的な自信。それは、仲間のカナタや乎太郎を牽引するため、自らが誰よりも高く気高くあろうとする彼女の覚悟の表れでもあった。
フリス
「……小娘が、我を愚弄するかアアアアッ!」
ガシャ!ギャオオオオン!!!
ドバアアアアアンっ!!!
フリスがわずかにレコードラインを締めようとした瞬間、花のWRXはそれを見透かしたかのようにDCCDのトラクションをフロントへ集中させ、猛烈なボクサーサウンドと共にコーナーの出口へと車体を押し出した。ポルシェの流麗なボディを削るかのようなギリギリのクリアランス。アスファルトが砕け散り、二つの極寒の冷気が激しく衝突して巨大な氷の結晶を夜空にまき散らす。
若林「抜けてしまうううう!!!! フリスの鉄壁のブロックを、力と技で完全に粉砕したアアアア!! 山吹 花が脅威のオーバーテイクで表彰台圏内へ!! 堂々の3位だアアアア!!!!!!」
エアリ「……ふふ、凄まじいですね。花さんのあの冷気、そしてあの強気な瞳。フリスさんの精密な計算すらも、彼女の『仲間を守るための氷』の前では狂いが生じたようです。高嶺の花は、誰よりも冷たく、そして気高い。フリスさん、あなたのコットンアイススノーでは、彼女を凍らせることはできませんよ。」
スバルブルーの車体が、極寒のブリザードを引き連れてフリスの前へと躍り出る。土湯峠の闇の中、山吹 花はついにトップのちとせと蒼真の背中をその視界に捉え、さらなる加速を見せつけた。
吾妻スカイライン、1周目セクター3。土湯峠の冷酷な闇の中、絶対王者のプライドが砕け散った音が響いた。
感情を排した「走る精密機械」として、常にコース上のすべての事象を掌握し、最速の最適解を弾き出してきたフリス。その彼のポルシェ 718 ケイマン GT4が、山吹 花の操るSUBARU WRX STI VABに完全にインを制圧され、力ずくで抜き去られたのだ。
フリスの視界の先、極寒のブリザードを撒き散らしながら遠ざかるスバルブルーのテールランプ。それは、彼が想定していた「0.1秒後の結末」を根底から覆す、残酷なまでの現実だった。しかし、フリスの内に芽生えたのは、絶望や動揺ではなく、かつてないほどに熱く、そして冷徹な闘争心だった。
フリス「……褒めてやるぞ青い電撃の桜狼……! よくぞここまでたどり着いた……!!」
フリスは、自身の放つ『コットンアイススノー』の甘く冷たい雪をコクピットにまで充満させながら、前を行く氷の女王をそう呼んだ。普段のしおらしさを微塵も感じさせない、生意気で気高い花の姿は、まさに青き雷光を纏って夜の峠を駆ける、一匹の美しい狼のようだった。彼女が発する強烈な気質が、フリスの奥底に眠るある本能を呼び覚ましていた。
フリス「(彼女本人も我と同じ気質を感じさせてくれる……!! 仲間を守るためのあの強さ、そしてあの冷気……本人の気質はまさか、我と同じ深淵たる『閻魔天』に連なる者なのか……!?)」
フリスはステアリングを強く握り直す。カナタたちの成長に密かな興味を抱き、どこか高みの見物を決め込んでいた彼だが、自らが敗北の味を噛み締めることなど、断じて許されるはずがなかった。
フリス「だが、この借りは必ず返す……!! まだレースは半分以上もある……!!」
フリスの口調に、抑えきれない怒りと誇りが混じる。
フリス「我は絶対王者だ。お前たちのような、つるしの86やWRXなどに負けてなどいらん……ッ!!!!」
ゴシュッ!!ギャンギャン!!!!
フリスが怒りに任せてPDKのシフトパドルを激しく弾くと、強烈なブリッピング音と共にギアが叩き落とされ、エンジン回転数が一気に跳ね上がる。
クオオォォォォン!!!
ボボボ......ッ
ポルシェのミッドシップに搭載された水平対向6気筒自然吸気エンジンが、吾妻の山肌を震わせるような狂気の咆哮を上げた。テールパイプから未燃焼ガスが破裂する重低音を響かせ、ケイマン GT4は再びアスファルトに食らいつく。一度は後塵を拝したものの、フリスのポルシェはすぐさま花のWRXのリアバンパーに、まるで獲物を狙う猛禽類のようにピタリと張り付いた。
若林「王者アアアアアア!!!! 抜かれてなお、その闘志は全く衰えていないアアア!! 走る精密機械が、感情を剥き出しにしてポルシェをねじ伏せているッ!! WRXの背後に、再び極寒の雪が吹き荒れてきたアアア!!」
エアリ「……ふふ、震えました。フリスさん、いつもは冷静沈着で他を見下している彼が、ここまで熱くなるなんて。花さんの気高い走りが、彼の奥底に眠るプライドに完全に火をつけてしまったようですね。……花さん、気を付けて。計算を捨て、本能で牙を剥いてきたポルシェは、先ほどよりもずっと厄介な獣ですよ。」
復讐の執行人が、再び猛追を開始する。氷の女王と絶対王者の死闘は、吾妻の闇をさらに深く、冷たく染め上げていく。




