吾妻編第36話 大金星のプロドライバー
若林「そして行ったアアアア!!!!!! 誰もが目を疑う光景だアアア!! 最新鋭の空力デバイスを誇るM4 DTM Editionを、あのディープマリンブルーの残像が、内側からナイフのように切り裂いたアアアッ!!」
吾妻のダウンヒル、最終セクションの緩やかな複合コーナー。柳津 雄介は、BMW M4のフロントを必死にイン側に向けようとしていた。しかし、そのわずかな隙間――タイヤ一個分あるかないかの「死の領域」に、相川 美保の400Rが音もなく、けれど圧倒的な圧力を持って滑り込んできた。
柳津 雄介「……ッ!? なんで昔のRなんかが速いんだよ……っ!!! 物理的にありえねえだろうがッ!!」
柳津の視界の端を、無機質な鉄の塊ではなく、意志を持った巨大な捕食者が通り過ぎていく。一瞬、並走した瞬間に見えた隣のマシンのドライバーの横顔。それは、戦場には不釣り合いなほどに若く、けれど氷のような静寂を湛えた少女の姿だった。
柳津 雄介「……にしてもドライバーの子、若いな……。カリンと同じくらいの歳か? なんでそんなガキが、こんな化け物みたいなマシンを御せるんだよ……っ!!」
柳津の驚愕を置き去りにして、美保の400Rは路面を吸い込むようなトラクションで加速していく。
相川 美保「……」
美保は何も答えない。彼女の耳に届くのは、もはや若林の実況でも、柳津の動揺でもなかった。ただ、RB-X GT2エンジンが奏でる潮騒の調べと、自らの鼓動が共鳴する音だけ。彼女の瞳には、前方を走る高槻 健永のバイパーのテールランプ、その一点だけが映っていた。
若林「呆気なくM4をR33 400Rがオーバーテイクしてしまう!!!! 相川 美保、大金星だアアア!! 兄を抜き、今また格上のハイパワーマシンを餌食にしたッ!! 吾妻のダウンヒルに、今まさに『ブルーシャーク』の伝説が刻まれようとしていますッ!!」
エアリ「……ふふ、驚きましたね。柳津さんはM4のポテンシャルを信じすぎていた。対して美保さんは、R33というマシンの『重さ』と『古さ』さえも、海の流れの一部として受け入れている。……柳津さん、あなたの敗因は彼女を『ガキ』と侮ったこと。今の彼女は、この吾妻の闇そのものを味方につけた、深海の女王ですよ?」
若林「11位、相川 美保!! 12位、柳津 雄介!! 1周目のコントロールラインを前に、順位が目まぐるしく入れ替わるッ!! このまま上位のバイパーをも食らい尽くすのか、相川 美保ォォォッ!!」
若林「高槻イイイイイイイイ!!!!!!!! 何だあの加速はッ!! 直線番長と揶揄されたのは今は昔、吾妻のダウンヒルを切り裂く真紅の稲妻!! 高槻 健永、ダッジ・バイパーGTS,13が、ここで眠れる龍の如き本能を剥き出しにしたアアアッ!!!!」
吾妻スカイラインを震わせる、暴力的な8.4リッターV10エンジンの咆哮。大排気量NA特有の、腹の底まで響くような重低音が山肌に反響し、後続車たちの空気を物理的に押し潰していく。真紅のジャンバーを翻すかのような赤いボディが、一瞬の隙を突いて中団グループを蹂躙した。
腹切 カナタ「……っ!!!! あのバイパー、この狭い区間でいつの間にあんなラインを……! まるで赤い壁が飛んできたみたいだ……ッ!!」
眞鍋 琉世「まじか……バイパーかよ……っ!! 直線だけだと思ってた俺がバカだったぜ。あのデカい図体で、どうしてあんなに鋭く鼻先をインに放り込めるんだ……ッ!!」
岡田 大成「バイパー速い……っ!! 俺のGR GTの加速が霞んで見える。高槻さん……あんた、本気で獲りにきてるんだなッ!!」
高槻 健永「……悪いな。俺の赤いドラゴンは、一度目覚めると手が付けられないんだ。ここからは俺の独壇場だぜ。」
高槻はバイパーのステアリングを力強く、かつ繊細に捌き、先行する風の天才の背後に食らいつく。パガーニ・ウアイラが描く流麗な風の道を、V10の暴力的なトルクで強引に引き裂いた。
伊藤 乎太郎「……っ! すごいなアレ!!! ボクの風が、熱い焔に飲み込まれていく……。パガーニのダウンフォースをもってしても、あのドラゴンの勢いは止められないのか……っ!!」
若林「高槻 健永が一気に前へ出てしまったアアアア!!!! 赤いドラゴンが、ついに風の申し子・乎太郎のウアイラを完璧に捉えて抜き去ったアアア!!!!! 驚愕のオーバーテイク、高槻 健永が5位へと浮上ですッ!! エアリさんも何か言いたいことはありますか?」
エアリ「……ふふ、お待たせしました。高槻さん、とても優雅で……それでいて恐ろしい走りですね。彼の周りだけ、熱い陽炎が揺らめいているようです。乎太郎さんの『風』が軽やかさなら、高槻さんの『焔』はすべてを焼き尽くす力。……この吾妻の砂塵も、彼の熱気に当てられて宝石のように赤く染まってしまいそう。……乎太郎さん、あなたの風、今度は追い風にして彼を追いかけてみてはいかがかしら?」
赤いドラゴンが夜の闇を真紅に染めながら、トップグループの背中を確実に射程へと収めていった。
若林「高槻イイイイイイイイ!!!!!!!! 何だあの加速はッ!! 10位に甘んじていたはずの赤い猛毒、高槻 健永のダッジ・バイパーが、吾妻の最終複合セクションで突如として牙を剥いたアアア!! まるで死神に追われているかのような、狂気的なまでのV10エンジンの咆哮が山を震わせていますッ!!」
吾妻の夜闇を切り裂く、鮮烈な真紅の閃光。
先行する中団グループの背後に、巨大な排気量を誇る「赤いドラゴン」が音速の影となって忍び寄る。
まずは眞鍋のランエボ、そしてカナタのハチロク。軽量を武器にコーナリングを極める彼らに対し、高槻は物理法則をねじ伏せるようなパワーで、その横を一瞬で駆け抜けた。
腹切 カナタ「……っ!!!! あのバイパー、さっきまでタイヤを温存していたんじゃなかったのか……!? あの突っ込み、ブレーキが壊れているのかと思うほどの狂気だ……っ!!」
眞鍋 琉世「まじか……バイパーかよ……っ!! 直線だけじゃない、あの巨体でどうしてあんな鋭いターンができるんだッ!? 悪魔に取り憑かれてやがる……!!」
岡田 大成「バイパー速い……っ!! 俺のGR GTの加速力でも、あのV10のトルクには太刀打ちできないのか……!? 高槻さん、あんた一体何を食えばそんな走りができるんだッ!!」
伊藤 乎太郎「……っ! すごいなアレ!!! 風の向きが、あの赤い車にすべて吸い寄せられている……。ボクの風の道が、暴力的な力で書き換えられていくよ……っ!!」
若林「高槻 健永が一気に前へ出てしまったアアアア!!!! 赤いドラゴンがウアイラを捉え、さらにその先の山吹 花をも一気にパス!! なんと驚異の5連続オーバーテイクを達成だアアア!!」
そしてその高槻のすぐ前、スピンの動揺を微塵も見せず、水色の閃光が再び加速する。サテラのランエボVII MRだ。
サテラ「あら〜ん☆ 追い上げが激しいわねぇ。でも、この『水鮫』を抜くには、その赤い牙だけじゃ足りないわよぉん☆」
若林「高槻 健永、ついに5位へと浮上!! しかしそのすぐ鼻先には、先ほどスピンから驚異の立て直しを見せたサテラが立ちはだかっているッ!! 高槻か、サテラか!! 第3グループの主導権争いが、1周目最後にして最大の山場を迎えていますッ!!」
エアリ「……ふふ、お待たせしました。若林さん、今の高槻さんの走り……あれは『技術』ではありませんね。自らの魂を燃料にして、バイパーという鉄の獣に命を吹き込んだ『儀式』です。赤いドラゴンの鱗が月光に照らされて、不気味なほどに輝いていますよ。乎太郎さんの『風』さえも、その熱量で焼き尽くしてしまったようです。……高槻さん、あなたの『クールな悪魔』の仮面の下には、こんなにも熱い焔が隠れていたのですね? でも、サテラさんの『揺らぎ』は、その焔さえも飲み込む渦になるかもしれませんよ。」
吾妻のダウンヒル、第一周目の最終盤。漆黒の闇を切り裂く真紅の咆哮が、先行する水色のランサーエボリューションへと肉薄する。高槻 健永が駆るダッジ・バイパー――「赤いドラゴン」の焔が、路面を濡らす霧さえも蒸発させるほどの熱量を放っていた。
バックミラーを焼き尽くさんばかりの真っ赤な光に、サテラは不敵な笑みを浮かべた。先ほどまでのスピンの動揺など微塵も感じさせない、しなやかなステアリング捌き。彼は、追ってくる巨体の猛毒に、無線越しに軽口を叩いた。
サテラ「あれ〜? 誰か一気に来たこと思ったら高槻くんじゃーん☆ さっきまで後ろでモタモタしてたのに、やる時はやるんだねー。……でも、勘違いしないでよね? 別にアンタに道を譲るためにスピード落としたわけじゃないんだから!」
サテラの口調はどこか突き放すようでいて、その実、強敵の接近を喜ぶような弾みがあった。三菱自慢の4WDシステムが、サテラの繊細な指先の動きに呼応し、水鮫の如き滑らかな旋回を再開する。
高槻 健永「……フン、相変わらずお喋りな奴だ。だが、その余裕も次のコーナーまでだぞ、サテラ。俺のバイパーが、その冷めた態度ごと焼き尽くしてやる。」
高槻はバイパーのV10エンジンをさらに咆哮させ、サテラのリアバンパーを逃さない。パワーとウェイトが拮抗する、4位と5位のギリギリのせめぎ合い。
若林「サテラ、完全に立て直したアアア!! しかもこの状況で高槻に軽口を叩く余裕!! しかし、高槻の勢いも止まらないッ!! 水を切り裂く鮫の刃か、すべてを焼き尽くすドラゴンの焔か!! 二台はサイド・バイ・サイドを狙わんばかりの超接近戦で、コントロールラインへと突っ込んでいくッ!!」
エアリ「……ふふ、サテラさんらしいですね。素直じゃないけれど、高槻さんの走りを認めている。……ツンデレな彼が、その『デレ』を見せるのは、チェッカーを受けた後かしら? それとも、高槻さんに抜かれた瞬間の悔し顔かしら。……若林さん、今のサテラさんのラインは、高槻さんの弱点を誘い出すための罠にも見えますよ。面白いですね、熱い焔と、冷たいふりをした水の戦い。」
吾妻の山肌に火花が乱舞する。二台の咆哮は、先行するトップ3の背後へと確実に響き渡っていた。
最終ストレート、1周目のコントロールラインを目前にして、水色と真紅の火花が夜の峠を焼き尽くさんばかりに激突していた。
サテラ「高槻……その生意気な口塞いであげようかアアア!!???」
サテラは獰猛に笑いながら、エボVII MRをバイパーの進路へと力ずくでねじ込む。
バックミラーを真っ赤に染めるV10の咆哮を、彼はあえて楽しむかのように、カウンターを当ててタイヤスモークを撒き散らした。
高槻 健永「サテラ……! 貴様、その図体でどこまで俺を舐めるつもりだッ!!」
サテラ「勘違いしないでよ?君が速いから相手してるんじゃないんだから。ただ、俺の後ろをチョロチョロされるのが癪なだけなんだからねッ!!」
ツンとした言葉を吐き捨てながらも、サテラの操るランエボは、高槻が最も嫌がる角度でコーナーを立ち上がる。
男同士の意地が、鉄の塊を通して火花を散らす。二台は並走したまま、時速200キロを超える速度で1周目の計測ラインを通過した。
若林「サテラ、死守したアアア!! 5位・高槻の猛攻を、サテラが魂のブロックで跳ね返しながらファイナルラップへ突入だアアア!!」
エアリ「……ふふ。サテラ君、本当に素直じゃないんだから。でも、あのギリギリの攻防を楽しむ彼の横顔、とっても凛々しかったですよ。……さあ、ここからは泣いても笑っても最後の1周、ファイナルラップです!」
全車が1周目を通過。
トップのちとせを先頭に、吾妻のダウンヒルは最後の決戦、2周目へと雪崩れ込んでいく。
もはや、誰にも止めることはできない。




