吾妻編第22話 R8の陥落と漆黒の魔王の精神失踪
K428
遠心力とコース幅の限界。
「踏みっぱ」で大外を回ろうとしたセリナのR8は、イン側から膨らんでくる3台の壁にブロックされ、さらに自身もオーバースピードでコースアウト寸前まで外へ弾き出された。
砂利を巻き上げながら、彼女のマシンは失速を余儀なくされる。
若林「まさかの内藤 セリナ20位陥落ううう!!!! エアリさん! 今のオーバーテイクを振り返ってください!」
内藤セリナ「くそ.....クソがあああああああああ!!!!!!!」
エアリはモニターを見据え、冷徹に眼鏡の位置を直しながら淡々と答えた。
エアリ「……振り返るまでもありません。自業自得です。」
その声は、氷点下の岩石のように冷たく響いた。
エアリ「ヘアピンカーブにおいて、4ワイドの外側などという場所は、物理的に『死地』です。内側の車両は立ち上がりで必ずアウトへ膨らみます。そうなれば、一番外にいる車両はコース外へ押し出されるか、減速してやり過ごすしかない。それを『踏みっぱ』で強行突破しようなど……物理の授業をサボっていたとしか思えませんね。」
画面の中で、セリナのR8が泥にまみれながらコースへ復帰しようともがいている。
エアリ「勢いだけで勝てるほど、モータースポーツは甘くありません。状況判断能力の欠如。まさに『猪突猛進』の成れの果てです。減点、測定不能。」
若林「き、厳しい……! しかし正論!! アイドルの暴走も、物理法則の前には無力でした!!」
若林「うおおお!? WRXが!?? ここで行くかあああ!!???」
本来ならパッシングポイントではない、切り返しが必要なS字区間。
眞鍋のEvo IXがレコードラインを正確にトレースしようとしたその瞬間、スバルブルーの影がイン側の縁石を跨いでねじ込まれた。
若林「EVO9 VS WRX STi!!!! 永遠のライバル対決が、この吾妻で勃発だああああ!!!!」
山吹 花「あははっ! 『銀の戦闘機』だっけ? 悪いけど、その色、地味で退屈なのよねぇ! あたしの『スバルブルー』で塗り替えてあげるわ!!」
花は、センターデフ(DCCD)の設定をリア寄りに変更し、WRXの回頭性を極限まで高めていた。
Evo IXのACDが制御する精密なラインに対し、WRXは暴力的なトラクションで、物理的に「前」を奪いにかかる。
眞鍋 琉世「ッ!? ここで仕掛けてくるだと!? バカな、このS字で並走なんて……自殺行為だぞ!!」
眞鍋はバックミラーに映る青い悪魔の笑みに戦慄した。
自身のEvo IXが誇る4G63エンジンのピックアップをもってしても、今の花の「殺気」とEJ20の咆哮を振り切れない。
山吹 花「ラリー育ちを舐めないでよ、三菱さん? 泥んこ遊びなら、この女王であるあたしの方が一枚上手なのよ!!」
WRXのボンネットが、Evo IXのサイドに食らいつく。
互いの譲れない意地と、メーカーの威信をかけたドッグファイトが始まった。
エアリ「……はぁ。また野蛮なことを。ラリーカーの喧嘩は見ていて胃が痛くなります。縁石をあそこまで深く踏むなんて、サスペンションへの虐待です。減点15。」
伊藤 翔太「……あれ? そういえば、坂田 五郎丸は? あの『漆黒の魔王』がいねぇぞ? 黒川がインフルなのは聞いたけど……」
翔太の疑問はもっともだった。
本来ならば、この吾妻のスターティンググリッドに名を連ねているはずの、漆黒のマシンを駆る男、坂田 五郎丸。
彼もまた、黒川と同じくインフルエンザの猛威に倒れ、欠場を余儀なくされていた。
しかし――。
場所は変わり、坂田の実家。
布団の中で高熱にうなされているはずの「魔王」は、確かに熱い吐息を漏らしていたが、それはウイルスのせいだけではなかった。
坂田 五郎丸「ゲホッ……ゲホッ……! はぁ、はぁ……。なんて……尊いんだ……このヒロインの……選択肢は……ッ!!」
部屋を暗くし、PCモニターの光に照らされた彼の顔は、ある意味でレース中よりも真剣だった。
彼はインフルエンザの療養休暇を利用し、実家の子供部屋で、積んでいた『えろげー(美少女ゲーム)』の攻略に全神経を注いでいたのだ。
坂田 五郎丸「レース? ……知らん。俺はいま、2次元という名のサーキットで……トゥルーエンドを目指して爆走中だ……ッ!! ぬおおお!! クリックが止まらねぇェェェ!!」
カチカチカチカチッ!!!!(マウス連打音)
伊藤 翔太(レース中)「……なんか今、すげぇしょうもない理由で休んでる気がしたな……」
エアリ「……信じられません。どうやら体調管理もプロの仕事ですが、病床でデジタルな異性との交遊に耽るとは。ウイルスと戦うべき体力を、マウスのクリックに浪費しています。呆れて言葉も出ません。減点、測定不能(論外)。」
薄暗い部屋に、甘ったるい声が響く。
エロゲのヒロイン「うっふーん♡ 坂田きゅん戻ってきたよー! またお体赤く愛に染めてあげるからねー☆」
モニターの中の少女が、ドロリとした愛嬌を振りまきながら、真っ赤なハートマークを飛ばしてくる。
その「赤」は、情熱というよりは鮮血に近い、危険な色をしていた。
坂田 五郎丸「う、うわっ! またお前か!! 電源切ったはずなのに、なんでオートで起動してんだよォォ!!」
五郎丸は布団を被って震え上がった。
39度の高熱で朦朧とする意識の中に、彼女の声が直接脳に響いてくる。
エロゲのヒロイン「考えなくていいんだよ~☆ もうすぐ楽になれるから~~♬
思考を止めて、私だけのモノになってね……♡」
坂田 五郎丸「ひぃぃぃッ!? やめろ! 俺は漆黒の魔王だぞ!? こんな2次元のヤンデレに屈してたまるか……!! 俺はレースに出たいんだよォォ!!」
エロゲのヒロイン「あらあら、往生際が悪いわねぇ♡ でも、そんな所も・好・き♡」
画面がノイズ混じりに明滅し、少女の顔がドアップになる。
エロゲのヒロイン「じゃーね☆ ラブホでまってるからね~♪ 逃がさないよ……?」
プツン。
PCの電源が落ち、部屋に静寂が戻った。
だが、五郎丸の背筋には、悪寒とは別の冷や汗がびっしりと張り付いていた。
坂田 五郎丸「……ら、ラブホってどこだよ……。ここ俺の実家だぞ……? 悪夢だ……これはインフルの悪夢だ……ッ!!」
女の子(ゲーム内)「坂田きゅーん♡ 麻薬よりも甘いよ~☆☆
…ほら~舌にグッサグサ....」
少女の瞳孔が開いた瞳が、五郎丸の震える瞳を覗き込む。
その手には、ピカピカに研ぎ澄まされた包丁が握られていた。
彼女は、愛おしい恋人にキスをするような距離感で、その刃先を五郎丸の乾いた唇へと押し当てた。
坂田 五郎丸「ひぃっ、あ、あぁ……!? や、やめ……!!」
女の子『あはっ☆ 痛くないよぉ? 思考を溶かして、私の愛で満たしてあげるだけだから……♡』
ゾクリとした冷たい金属の感触が、高熱の唇に焼き付く。
そして――。
女の子『えいっ♡』
ズシュウウウウウウウウウウウウウウッ!!!!!!!
坂田 五郎丸の口元に、冷徹な刃が深々と突き立てられ、そのまま横一文字に引き裂かれた――という鮮烈な幻痛が脳髄を駆け巡った。
坂田 五郎丸「ぎゃああああああああああああああああああああッッ!!!!!!」
絶叫。
五郎丸は布団の上でのたうち回り、自身の口元を必死に手で押さえた。
そこには鮮血も傷口もない。あるのは、脂汗と高熱による痙攣だけ。
だが、その痛みと恐怖は、現実そのものだった。
エアリ「……見苦しいですね。インフルエンザの高熱が見せる悪夢と、過激なゲーム演出がリンクしてしまったようです。脳が痛みを錯覚するほどの恐怖……。自業自得とはいえ、少し可哀想ですが、静養中に不謹慎なことをするからです。減点、精神崩壊寸前。」
女の子(ゲーム内)『楽にしてあげるね~うっふ~ん♡』
その甘ったるい吐息と共に、五郎丸の視界はピンク色の闇に塗り潰された。
インフルエンザの高熱と、過激すぎるゲーム演出、そして「うっふ~ん」という精神攻撃のコンボ。漆黒の魔王の精神(HP)は、ここで尽きた。
坂田 五郎丸「あ、あへェ……」
ドサッ……。
五郎丸は白目を剥き、布団の上に力なく崩れ落ちた。
PCの画面には、無慈悲な二文字が赤々と点滅している。
GAME OVER
名前 | 坂田 五郎丸 (17歳)※SAIのリア友
状態 | 精神的死亡&おまけにインフルエンザ(SAN値ゼロ)
死因 | 推しヒロインによる再刺殺(ゲーム内)
トラウマ | 包丁、ラブホテル、ピンク色、重い愛
教訓
:「うっふ~ん♡」はやはり地獄のファンファーレ♪
:「体調悪いときは素直に寝ろよ☆」ってイヨちゃんからの素早い返信......
エアリ(遠隔感応)「……反応消失。五郎丸さん、ゲーム内では完全に『向こう側』へ逝かれましたね。お悔やみ申し上げます。……皆さんも、風邪を引いた時のゲームは『全年齢対象』にしておきましょうね? 刺激が強すぎて、命に関わりますから。」
若林「レース再開!!!」
カメラがコースに戻った瞬間、モニターを黄色い閃光が焼き尽くした。
先ほどのヘアピンで大外に弾き出され、泥まみれになったはずのアウディ R8。
だが、そのV10エンジンは、死ぬどころか更なる高回転域で絶叫していた。
内藤 セリナ「アハハハハハ!! 泥んこパックで綺麗になったから、ここからが本番だよォ〜〜!! アクセルは〜〜?? もちろん踏みっぱ〜〜〜!!!」
ズガガガガガガガッ!!!!
若林「出たアアアアアアアアアっ!!! フミッパスライダアアアアアアアアア!!!!!!!!」
それは、グリップ走行でもドリフトでもない。
四輪駆動のクワトロシステムに、理不尽なまでのアクセルワークを叩きつけ、車体を「強制的に」前へスライドさせる狂気の必殺技。
タイヤから白煙と泥を撒き散らしながら、R8が物理的にありえない角度でコーナーを立ち上がっていく。
若林「内藤 セリナが3台ごぼう抜き!! 一気にGRスープラの前に出てしまいましたアアア!!!!」
先ほど自分をブロックした柳津 雄介(BMW M4)、樋口 瀬那(Xiaomi SU7)、そして最前方にいたイヨ(GRスープラ)。
その3台を、泥の弾丸となったセリナが、まとめてイン側からねじ伏せ、爆音と共に抜き去ったのだ。
イヨ「えええっ!? 泥だらけのまま突っ込んできたの!? 重力で抑えきれない勢いだよぉ……ッ!?」
柳津 雄介「ふざけんな!! 視界が泥で見えねぇ!! これがアイドルのやり方かよォッ!!」
内藤 セリナ「キャハハッ☆ ごめんね〜! サイン代わりに泥んこあげるッ! アイドルはいつだってセンター(前)に立つの!!」
エアリ「……汚い。文字通り、走りが汚いです。泥を撒き散らし、他車の視界を奪い、タイヤの寿命を削りながらの強引なパッシング。……ですが、あの状態でアクセルを戻さない胆力だけは、呆れるほど異常ですね。減点100、ただし度胸点+1。」
若林「やはりフミッパの女王は、吾妻の峠でもフミッパでコーナーを駆け抜けていく!!!」
通常ならブレーキングが必要な複合コーナー。
しかし、セリナの右足はアクセルペダルから離れることを知らなかった。
アウディ独自の四輪駆動システム「クワトロ」が、悲鳴を上げる4本のタイヤに駆動力を叩きつけ、車体を無理やりコーナーの出口へと押し出す。
内藤 セリナ「ブレーキなんて踏んだら、ファンの皆が悲しむでしょ〜〜!! アイドルは止まらない! 輝き続けるのォォォ!!!」
ズザアアアアアッ!!!!
ガードレールまで数センチ。
サイドミラーを擦りそうなほどのギリギリのラインを、彼女は笑顔でスライドしながら駆け抜けていく。
それは「技術」というよりは、一種の「狂信的なパフォーマンス」だった。
若林「信じられないトラクション!! そして度胸!! ガードレールとお友達になる寸前ですが、それでも踏みッパだアアアア!!!!」
その様子をモニターで監視していたエアリは、呆れ顔でため息をついた。
エアリ「……全く。タイヤのグリップ力と遠心力の計算が雑すぎます。あれは『走っている』のではなく、『遠心力に振り回されている』だけです。たまたまクワトロシステムが優秀だからコース上に留まっているに過ぎません。……車が可哀想です。」
若林「さらに来た!!! 毎度360度スピンしたり、オーバーランして海や川や池やらにGT-Rでダイブする、『スリップマン』『ダイビングマスター』と呼ばれたこの男!!!」
観客席からは、応援とも嘲笑ともつかない歓声が上がる。
しかし、今日の相川 律の走りは、その不名誉なニックネームを払拭するような鋭さを帯びていた。
若林「相川 律のR35 NISMOが、クリスタ・ニールセンのフェラーリ 488 GTSに接近中だあああ!!!!」
コーナーでミスをしてリズムを崩しているクリスタの背後に、白いNISMOの巨体が音もなく、しかし確実に忍び寄る。
律は、ステアリングから伝わる「かつてない接地感」に震えていた。
相川 律「俺は、この日のために大塚さんにセッティングを変えてもらったんだ......っ!!」
彼の脳裏に、薄暗いガレージで黙々とGT-Rに向き合う、一人の男の背中が浮かぶ。
かつて首都高で無敵を誇り、「首都高の黒い堕天使」と恐れられた伝説の走り屋にして、今は謎多き天才チューナー。
相川 律「謎の存在と言われ、首都高の黒い堕天使と言われたあの大塚 敏明こそ、最高のチューナーだ......!! あの人が組んでくれたこの足なら、絶対にスピンなんてしねぇ!!」
律は恐怖心をねじ伏せ、アクセルを踏み込んだ。
大塚の手によってリセッティングされたサスペンションは、吾妻の荒れた路面を完璧に吸収し、NISMOの強大なパワーを余すことなく路面へと叩きつける。
それは、「スリップマン」が「グリップマン」へと覚醒した瞬間だった。
エアリ「……あの不安定だったR35が、まるで岩のようにどっしりと安定しています。タイヤの接地圧が均一で、無駄な滑りが一切ない。……優秀な『研磨師』がついているようですね。過去のドジっ子属性を返上するつもりなら、少しは期待してあげましょう。」




