吾妻編第11話 新参者
k417
パドックに激震が走った。攻撃的な走りで知られる黒川海斗のランエボIX MRが、体調不良――まさかの「インフルエンザ」で出走を断念したというのだ。
だが、その空席を埋める男の名前がコールされた瞬間、会場の熱気が再び跳ね上がった。
若林「予選自体はまだまだもっと続きます!!
3日目! 8人目は、眞鍋琉世!!!
黒川海斗がインフルエンザのために、代わりに呼ばせて頂きました!!!
銀色のエボ9が出たあああ!!!!」
スタートラインに据えられたのは、鈍い光を放つシルバーのランサーエボリューションIX。
黒川の獰猛さとは違う、どこか冷徹で計算し尽くされたオーラを纏った眞鍋琉世が、バケットシートに深く身を沈める。
眞鍋 琉世「……黒川さんの代役とは言え、恥ずかしい走りはできないな。
三菱の4WDが、この峠の正解だと証明させてもらうよ」
若林「スタートッ!! さあ、エボ特有の4WDロケットスタートだぁぁ!!!」
「シュゴォォォォン!!」
ミスファイアリングシステムが「パン、パンッ!」と乾いた音を響かせ、銀色のエボIXは4輪すべてでアスファルトを噛み砕くように加速した。
ヒルクライムの急勾配など、このトラクションの前では無意味。
カナタの86が苦戦した登り区間を、眞鍋は機械的な正確さで駆け上がっていく。
若林「速い! 登りでの加速はポルシェやGT-Rに引けを取らない!!
眞鍋琉世、代役とは思えない完璧なコントロールでスカイラインへと突入だぁ!!」
パドックでモニターを見ていた山吹花は、少し意外そうに耳を動かした。
「ふふっ……黒川の代わりにこんな骨のあるのがいたのね。
銀色のネズミさん、私のレコードにどこまで近づけるかしら?☆」
不動沢大橋を抜け、舞台は再びタイトなワインディングへと切り替わる。
銀色のエボIXを操る眞鍋琉世の瞳が、冷静な青い炎を宿した。
エボ特有のACDを極限まで引き出す、彼独自の走法が牙を剥く。
眞鍋 琉世「……ここだ。バキュームアタック、、、!!」
眞鍋がステアリングを僅かに戻すと同時に、強烈なダウンフォースと足回りのセッティングが相まって、車体が路面に文字通り「吸い付いた」。
コーナー入り口での吸い付くような超高速アプローチ。
観客が「曲がりきれない!」と悲鳴を上げた瞬間、彼はさらに牙を剥く。
眞鍋 琉世「からの、、、ドリドリ四駆アタック!!!」
若林「何だあのアングルはぁぁ!!? スライドしているのに前に進む!!
四輪すべてが猛烈に空転しながら、無理やり鼻先をインに向けたぁぁ!!!」
エボIXは45度の角度で横を向きながら、4WDのトラクションで路面を掻きむしり、ロケットのようにコーナーを脱出していく。
「バキューム」で限界まで突っ込み、「ドリドリ」で強引に旋回を終わらせる。
それは三菱の電子制御を、眞鍋の原始的な闘争本能で上書きした狂気の走法だった。
若林「速い!! セクタータイムが跳ね上がった!!
銀色のエボIX、上位陣の牙城を崩しにかかるううう!!!」
パドックで見ていた山吹花は、思わず舌打ちをした。
「ふふっ……あの銀色のネズミ、意外と器用じゃない。
『吸い付いてから滑る』なんて、私のWRXをバカにしているのかしら?☆」
セクター2のつづら折り。銀色のエボIXは、もはや物理法則を無視したような軌道でコーナーを処理していく。
4G63型エンジンが、ターボの過給圧を限界まで高め、金属質の重厚な爆音をスカイラインに響かせた。
若林「任せとけ! この車は四駆だぞ! と言わんばかりのアウトランダーの前継車とも言えるエボ!!!
4G63が吾妻の世界観で爆発するううう!!!!」
眞鍋はステアリングを激しく修正しながら、アクセルペダルを一度も緩めない。
「ドリドリ四駆アタック」によって、マシンの鼻先は常に次の脱出ポイントを向いている。
若林「2つ目のチェックポイントで一気にドリドリに決めましたっ!!!
なんと、中野伸一、柳津雄介のタイムを超えてきましたああかっ!!」
電光掲示板に表示される眞鍋のタイム。
中野のアルテッツァ、そして柳津のM4 DTM Edition。初日に盤石と思われたその記録が、代打・眞鍋の猛攻によって無慈悲に塗り替えられた。
眞鍋 琉世「……三菱の四駆を、ただの『安定志向』だと思わないことだ。
どんな路面でも、どんな角度でも、前に進む。それがエボの、4G63の宿命なんだよッ!!」
「シュゴォォォォン!!」
ミスファイアリングの炸裂音と共に、エボIXは庭坂の下りへと飛び込んでいく。
先行するカナタの背中まで、あと数秒。
黒川海斗がインフルエンザで残した執念を、眞鍋はその右足で完璧に体現してみせた。
パドックに設置された大型モニター。そこに映し出される、信じられないようなセクタータイムの更新。
それを見つめる先行ドライバーたちの表情は、一様に驚愕に染まっていた。
柳津 雄介「ウソだろ……!? なんで馬力の低いエボで俺のM4を抜かせる……!? 理屈が行かないぜ……っ!!!」
柳津はモニターを指差したまま、震える声で吐き捨てた。
ドイツの最新技術を結集し、DTMのノウハウが詰まったM4。パワーも空力も、カタログスペック上ではエボIXを凌駕しているはずだ。
だが、眞鍋の「ドリドリ四駆」は、柳津が計算し尽くした効率的なラインを、力技で、そして泥臭いトラクションで粉砕していった。
一方、その隣で静かに腕を組んでいた中野伸一は、銀色の閃光に、ある一人の男の影を重ねていた。
中野 伸一「……やるな。コイツは、あの赤い戦闘機と同様に、何かやらかす……。
この吾妻の山を味方につけ、理屈じゃねぇ速さを引き出してやがる。……コイツは『銀の戦闘機』になるだろうな」
中野の瞳には、かつての自分たちの世代にはなかった、若き「戦闘機」たちの時代が到来したことへの確かな予感があった。
眞鍋 琉世「(黒川さん……見ててくれ。あんたの代わりに、俺がこの山に爪痕を残してやるッ!!)」
銀のエボIX、通称「銀の戦闘機」は、柳津のプライドを置き去りにし、先行する内藤セリナ、そして腹切カナタの背中を、4G63の咆哮と共に激しく追い上げ始めた。
3日目、予選の最後を飾るマシンがスタートラインに滑り込んだ瞬間、会場の空気が一変した。
漆黒のカーボンボディを纏い、四本出しのマフラーが異様な威圧感を放つ、イタリアの至宝――パガーニ・ウアイラ。
そのガルウィングのドアが静かに閉まり、若き天才・伊藤乎太郎が深いコクピットの中で瞳を閉じた。
伊藤 乎太郎「……わかるよ。風が、ボクに道を教えてくれてるんだ。」
乎太郎は、吾妻の山々を吹き抜ける風のわずかな揺らぎを感じ取る。
兄・翔太のような熱血さはない。だが、その指先には古田による「吾妻仕様」の精密なセッティングが馴染んでいる。
伊藤 乎太郎「頼んだぜウアイラ、、、!! ボクと一緒に、風の向こう側へ行こう。」
若林「9人目! 伊藤乎太郎! パガーニ・ウアイラ!!!
出たああああっ!! 異次元の12気筒ツインターボが、高湯温泉を震わせるぅぅ!!!」
「ゴォォォォォォォォン!!!」
航空機の離陸時のような、重厚かつ鋭い咆哮。
メルセデスAMG製のV12エンジンが目覚め、路面を抉るようなトルクでウアイラを前方へと放り出した。
乎太郎は、風の抵抗を最小限にするアクティブ・エアロをミリ単位で操り、本来なら峠には不向きな巨体を、羽毛のように軽く、そして速く、スカイラインへと導いていく。
若林「速すぎる!! ストレートの加速はこれまでのマシンの比ではない!!
風を読む天才少年が、吾妻の頂点を獲りに来たぁぁ!!!」
パドックでモニターを見つめる兄・翔太は、複雑な表情で拳を握りしめた。
伊藤 翔太「……行け、乎太郎。お前とウアイラなら、あの『女王』すら追い越せるはずだ……!!」
庭坂の最終コーナーを、芸術的なアクティブ・エアロの制御で抜けてきた漆黒のウアイラ。
V12ツインターボが奏でる重厚な咆哮がゴールエリアに響き渡り、乎太郎は「風」と共にチェッカーを潜り抜けた。
若林「伊藤乎太郎が眞鍋のエボに惜しくも0.2秒届かずゴールイン!
惜しい! あと一歩、本当にあと一歩だったぁぁ!!!」
掲示板に表示されたタイム。
眞鍋琉世の「ドリドリ四駆」が叩き出した執念の記録に、乎太郎の「風の解析」はわずか0.2秒、届かなかった。
ウアイラの巨大な馬力をもってしても、吾妻の複雑に入り組んだ「つづら折り」では、エボの驚異的なトラクションが勝ったのだ。
伊藤 乎太郎「……そうか。ボクの読み切れない風が、あの銀色のマシンの後ろで渦巻いていたんだね。
悔しいな……ウアイラ、ボクの力不足だ。ごめんよ。」
乎太郎はガルウィングを開け、ふぅと小さく息を吐いた。
パドックでは、弟の走りに手に汗握っていた翔太が、天を仰いで叫ぶ。
伊藤 翔太「乎太郎!! 惜しかったな!! でもあのパガーニをここまで振り回せるのはお前だけだ!
胸を張れ、本戦でその0.2秒、ひっくり返してやろうぜ!!」
眞鍋 琉世「(……危なかった。あのパガーニ、ストレートの伸びだけじゃない。
コーナーでも風を味方にして、俺の背後まで食らいついてきやがった。とんでもない天才だ……)」
「銀の戦闘機」眞鍋と、「風の天才」乎太郎。
二人の若き才能が、暫定順位の5位・6位を争う熾烈な予選3日目が、静かに、しかし熱く幕を閉じていく。
暫定順位の入れ替わりに沸くパドック。ふとした待ち時間に、実況の若林が何気ない疑問を口にした。
若林「そういえば、、、柳津さんのBMW M4 DTMの開発って確かBMW本体なんですよね?」
その瞬間、モニターを眺めていた柳津雄介の眉間がピクリと跳ねた。彼はゆっくりと、しかし断固とした口調で振り返る。
柳津 雄介「違う!!!!」
岡田「、、、、は?」
腹切 カナタ「え?」
内藤 セリナ「え?? 違うの?? だってエンブレム、BMWじゃん☆」
驚愕する周囲を余所に、柳津は指を一本立てて、エリート講師のようなオーラを纏い始めた。
柳津 雄介「結構、みんな間違いやすいから言わせてもらうわ。BMWそのものじゃなくて、その研究開発しているグループ会社である『M社(BMW M GmbH)』がBMW Mシリーズを担当しているんだ、、、!!」
柳津は自分の愛車、M4 DTM Editionのフロントを指差す。
柳津 雄介「モータースポーツ直系の技術を市販車にフィードバックする、独立したスペシャリスト集団。それがM社だ。
俺が乗っているのは、ただのBMWじゃない。彼らが魂を削って作り上げた『M』の誇りなんだよ……!」
あまりの熱量に、パドックにいた一同は呆気に取られた。
山吹 花「……あら、そんなの車好きなら常識でしょ?
でも、そんな御大層な『M』の誇りも、私のWRXの前ではただのアルファベット一文字に過ぎないわね☆」
花が冷たく言い放つと、柳津は「ぐぬぬ……」と黙り込むしかなかった。
だが、カナタだけは「なるほど、M社……。だからあんなに精密な動きをするんですね」と、真剣に感心したように頷いていた。
パドックの空気は、柳津の講義で和むどころか、さらに刺々しいものへと変貌した。
花に寄り添う高槻健永が、退屈そうに鼻で笑いながら、柳津を冷たい瞳で見据える。
高槻 健永「……Mなんてどうせ、アルファベットの真ん中に居座ってるだけのクソだろ?
能書きはいいから、ワンちゃんみたいに尻尾巻いて帰りな。クソBMWが……」
高槻の言葉は短く、そして鋭く柳津のプライドを切り刻んだ。
柳津の額に青筋が浮かび、眼鏡の奥の瞳が、これまでの彼からは想像もできないほどの怒りで燃え上がる。
柳津 雄介「言ったな、、、、? その言葉、必ず倍返しさせてもらうよ」
柳津は一歩前に出ると、高槻の胸元を指差し、ドスの利いた声で宣告した。
柳津 雄介「もし、決勝でお前が俺より下だったら、、、北上川を裸でカエル泳ぎでもしてな……?
そして、二度と我らがMの悪口を言わないとォ、、、、!!!!」
高槻 健永「ハッ……面白いじゃねぇか。
いいぜ、北上川の水は冷たいだろうが、お前の涙で少しは温まるかもな。
もし俺たちが勝ったら、お前のその自慢のマシン、全部ピンクに塗り替えて『負け犬専用』って書いてやるよ☆」
岡田「お、おいおい……なんだか話がとんでもない方向に……」
腹切 カナタ「北上川でカエル泳ぎ……。それは、かなり過酷な試練ですね……」
カナタが真面目に心配する中、柳津と高槻の間には、10億円の賞金以上に譲れない「プライド」という名の火花が激しく散っていた。
女王の影で笑う狂犬と、M社の誇りを背負ったエリート。
予選のタイム争いは、いつの間にか「敗北=社会的死」を意味するデスゲームへと変貌していた。




